第五十六話 手あたり次第
毛利の水軍を分散させるべく、信長が動いた。
向かうは摂津。
かつて自らを裏切った荒木村重――その軍団を、いま束ねる高山右近のもとへ。
一方、京の実朝は、押さえたばかりの堺で、鉄という鉄を買い集めよと命じる。
その真意とは。
「信長様……」
有岡城下に布陣する信長の陣へ、高山右近が顔を出した。
軍団長として摂津の防衛を預かる身である。
荒木村重が信長を離れ、頼朝に鞍替えした折、右近もまた村重に従った。
どこか、ばつの悪そうな面持ちであった。
「京への進軍も止められず、あまつさえ毛利ごときに尼崎を奪われるとは。
何をしておった」
右近の様子など気にも留めず、信長が言い放つ。
源氏においては、右近は軍団長である。
一介の城主にすぎぬ信長より、地位は高い。
それでも、その眼差しを向けられると、全身から汗が噴き出した。
「……面目次第もございませぬ」
右近は、目を逸らさなかった。
「別所が毛利に臣従いたしました。
突如、大軍で攻め寄せられ――こちらは播磨と京の両方を睨まねばならず、兵を割きました」
言い訳はしない。
ただ、起きたことだけを述べた。
信長は、しばらく右近を見ていた。
「……右近。
貴様は尼崎城のことを、よく知っておろう」
「はっ。
縄張りは、隅々まで存じ上げております」
「では、共に参れ。
播磨からの敵は、犬――前田利家に任せておけばよい」
「かしこまりました!」
言い終わらぬうちに、信長は出撃を命じていた。
右近も慌てて近侍へ指示を飛ばし、遅れぬよう馬を走らせる。
***
尼崎城下には、毛利・別所の勢が集まっていた。
信長隊は遠間から大筒を撃ち込み、突撃をかけてくる敵には、隊列を整えた鉄砲隊の斉射を見舞う。
「遅くなり申した!」
そこへ、雑賀を奪回し、物資を鈴木重秀に託した世良田元信の部隊が合流した。
砲と斉射で陣形の崩れた毛利・別所勢へ、元信の騎馬隊が突き入る。
不利を悟った敵は、尼崎城内へ退いていった。
信長が、ふと背後へ目をやる。
京から摂津へ向かう輜重の列が、途切れることなく続いていた。
「……あの和歌好きの若造、よくやるではないか」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
そして、右近を呼んだ。
「城門、こちらからは見えぬ銃眼、櫓――
すべて教えよ」
縄張りを知る右近の指示に従い、砲撃が尼崎城の反撃を一つずつ潰していく。
断続して大筒を撃ち込み、敵の返しが目に見えて弱まったところで、元信隊が突入した。
尼崎城は、数日で陥落した。
だが、信長の面持ちは厳しいままであった。
「時がかかりすぎじゃ。
これでは、雑賀からの補給とて、すぐに底をつく」
尼崎の港から淡路まで、毛利の船団が延々と連なっている。
それを憎々しげに眺めながら、信長は右近へ言った。
「あるだけの船を、出港させよ」
「……今、尼崎にあるのは商船と小舟ばかりにございます。
毛利の水軍には、歯が立ちませぬ」
「尼崎の船で毛利に勝てるわけがなかろう」
信長は、振り向きもしない。
「挑発でも何でもして、少しは敵を引きつけよ。
岸和田から淡路へ道を開かねば、どうにもならぬわ」
そして、元信へ顔を向ける。
「元信。
わしの大筒と鉄砲隊は、そなたの下に置け。
敵船を岸へ誘い、撃ち崩せ」
吐き捨てるように言いながら、信長は馬にまたがった。
「かしこまりました。
……して、信長様は」
「わしは、坊主の顔を拝んで参る」
馬上から、元信を見下ろす。
「尼崎と岸和田を落とした。
もはや石山本願寺は、陸では孤立しておる」
「あとは、毛利の船でございますな」
「そのとおりよ。
源氏の大筒は優れておるが、瀬戸内の端までは届かぬ。
……じゃが、坊主への補給を難しくすることはできよう」
「よく分かりました。
こちらは、お任せを」
元信が言い終える前に、信長は鞭を打っていた。
手勢が、慌てて後を追う。
***
二条城。
「堺を、押さえました」
前田玄以の報せに、実朝が顔を上げる。
源桜の隊と連動し、里見伏が堺を掌握したのである。
本願寺と毛利へ渡るはずであった武器と弾薬は、そのまま押さえられた。
「では、商人たちは」
「品は残っております。
なれど、買い手を失いました」
「買いましょう」
実朝は、即座に答えた。
「値は、言い値で構いませぬ。
敵に渡さぬだけでも、値打ちがございます」
玄以が、わずかに目を見張った。
「……よろしいので」
「金は、また稼げます」
実朝は書付へ目を落とした。
「信用は、稼げませぬ」
そこへ、浅井初が入ってきた。
「実朝様。
一つ、お耳に入れておきたきことが」
初は、太田牛一と同じく、少し先の世からこの時代へ来た者である。
「毛利の水軍が、破られたことがございます」
実朝と玄以が、同時に初を見た。
「木津川の沖で。
織田の……鉄で覆われた船が、六艘」
「鉄の、船」
「はい。
焙烙火矢も、鉄砲も、通じなかったと」
実朝は、しばらく黙っていた。
「……その船を、造るには」
「幾月も、かかりましょう」
初は、静かに首を振った。
「間に合いませぬ」
沈黙が落ちた。
やがて、実朝が口を開く。
「玄以殿」
「はっ」
「堺で、鉄でできたものを、すべて買い集めてくださいませ」
玄以が、怪訝な顔をした。
「……すべて、と申されますと」
「すべてです」
実朝は、顔を上げた。
「盾になりそうなもの。
身を覆えそうなもの。
何に使えるかは、こちらで決めずともよい。
戦っている者たちが、決めます」
「しかし、実朝様。
何が使えるかも分からぬものを、船へ送るのは……」
「分からぬからこそ、送るのです」
実朝の声は、静かであった。
「私はこの京で、海を見たこともありませぬ。
何が要るかは、あちらの者にしか分かりますまい。
――ならば、送れるものは、すべて送ります」
玄以は、しばし実朝を見つめ、そして深く頭を下げた。
その日から、堺で買い集められた鉄という鉄が、次々と岸和田へ運ばれていった。
***
岸和田では、なお毛利の水軍が、淡路への道を頑なに塞いでいた。
大筒の射程には、入らない。
源氏の船団が突破を試みれば、焙烙火矢が兵を吹き飛ばし、船を焼く。
そして小早を変幻自在に操り、弱った船を一艘ずつ討ち取っていく。
赤井輝子は幾度も突破を試みた。
それでも、時だけが無情に過ぎていった。
そんなある朝のこと。
出撃を控えた船へ、大きな音を立てて乗り込んでくる者があった。
「輝子様、その恰好は……」
さすがの大祝鶴も、目を丸くした。
輝子が、身にまとっていたのは――
堺の商人がイスパニアより仕入れながら、武家からの注文がつかず眠っていた、西洋の騎士の鉄の鎧であった。
片手に、鉄の盾。
もう一方の手に、槍。
「これで少しは、あの憎たらしく飛び散る破片から、身を守れるってものさ!」
そして、港を指し示す。
「それだけじゃないよ。
あれをごらん!」
輝子が手にしているのと同じ鉄の盾が、港に山と積まれていた。
「あれを柳生の連中に持たせりゃ、少しは毛利の船に近づけるだろう!」
海の戦を知る義興も鶴も、あっけに取られていた。
だが――反対する理由も、見つからなかった。
船の上では、柳生の兵たちが困惑しながら、鋼の盾を手に取っている。
「そなたらも、この鎧を着たいかい?」
「……いえ。
私は、大丈夫でございます」
鶴は、即答した。
「そうかい。仕方ないねぇ。
それから――漕ぎ手の横に、この盾を持った兵を立たせるんだよ。
毛利のやつらの卑怯な手を、いつまでも通させやしないよ!」
義興は苦笑しながら、鶴とともに一度船を降りた。
輝子の言うとおり、盾を持たせた兵を、急ぎすべての船へ乗り込ませる。
もっとも、義興自身も盾は手にしていた。
「この盾……
焙烙火矢から、いくらか身を守れるやもしれぬな。
……じゃが、あの鉄の鎧はごめん被る」
鶴も、頷いた。
「あの鎧は、指揮を執るにはよろしいかもしれませぬが……
あれでは、船の上で戦えませぬ」
「鶴姫の申すとおりじゃ」
義興は、久方ぶりに口の端を上げていた。
船上から、輝子の声が響く。
「ぐずぐずしている暇はないんだよ!
急いで出港するよ!」
間もなく、源氏の船団が淡路へ向けて港を出た。
自在に船団を操る毛利水軍に、勝算はない。
それでも、戦いながら勝機を見つけるほかない。
口には出さずとも、輝子、義興、鶴――三人の胸のうちは、同じであった。
お読みいただきありがとうございました。
義経を救うには、淡路から阿波への海路を、一日も早く開かねばなりません。
しかも、ただ開くだけでは足りません。
安全が保てねば、大量の物資は運べないのです。
信長は、毛利の船を割かせるため、尼崎へ攻めかかりました。
実朝は、金に糸目をつけず、鉄を岸和田へ送り続けます。
何に使えるかは、戦う者が決めればよい――そう言い残して。
そして岸和田では、赤井輝子が鉄の鎧をまとって現れました。
古今東西の英雄たちが、それぞれの場所で、手あたり次第に突破口を探しています。
それでも――
毛利の目をかいくぐって土佐へ届いた雑賀の物資も、十日しか持ちません。
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




