第五十三話 陸の覇者と海の覇者
四国への道を開くべく、源氏の主力が岸和田へ向かった。
真っ先に着陣したのは、すでに支度を整えていた信長の軍。
――そしてその男は、拠点となるはずの城へ、容赦なく大筒を向ける。
「よろしいのですか、父上……」
岸和田城に布陣する敵にも、城そのものにも、大筒が火を噴き続けている。
信長の息子・織田信忠は、岸和田を拠点として四国への道を開かねばならぬことを、よく承知していた。
その拠点を、こうも容赦なく壊してよいものか――。
だが信長は、その言葉が耳に入らぬかのように、攻めの手を緩めなかった。
本願寺・毛利勢の陣へ大筒を撃ち込み、指揮の乱れを見て取ると、すかさず鉄砲隊を前へ押し出して斉射を浴びせる。
敵が陣を引き払い、岸和田城へ籠ろうとすれば、今度はその城ごと撃ち砕いた。
そこへ、安土城代・源桜の率いる騎馬隊が合流する。
「頼朝の娘か」
それが、信長の挨拶であった。
桜も信長を一瞥しただけで、すぐに視線を城下へ戻す。
「あとは、お任せを」
静かに呟くと同時に、采配を高く掲げ、騎馬隊へ突撃を命じた。
信長の砲火に弱りきった敵を掃討するのに、時はかからなかった。
***
遅れて陣に着いた北条早雲へ、信長が声をかける。
「あの頼朝の娘。
夜叉のごとき恐ろしさがあるの。
……人の心を、感じられぬ」
早雲は、眼下の戦況を眺めたまま、口を開いた。
「頼朝殿が去られ、涙が枯れてからは――
一言も、言葉を発さなくなってしもうた。
そして、また喋るようになった折には……ご覧の通りじゃ」
「心を、失うたか」
「……分からぬ」
頼朝から桜の養育を託され、その成長こそが、老いた早雲の生きがいであった。
敵の残兵を蹂躙していく騎馬隊を見つめる、その表情は愁いに満ちている。
「わしは頼朝の考えには賛同できぬ。
……じゃが、貴様や竹千代のような気難しき者どもを心服させる力だけは、認めてやろう」
早雲が、信長を見返した。
「では、信長殿が京を救い、いままた義経殿を救わんと誰より力を尽くしておられるのは――
いかなる訳でござるか」
信長は、ふっと笑う。
「敵として戦うた源氏は、恐ろしく強かった。
だが、臣従してからはどうじゃ。
なんとも脆弱な国ではないか」
「であらば――
信長殿が取って代わることも、できたのではないか」
棘のある言葉に、信長は声を上げて笑った。
「わしも、年老いた。
本来であれば、とうに落としておった命とも聞く。
……だが、あの軍神は見ておれぬ」
「信長殿は、義経殿がお好きか」
信長は、ニヤリとするだけであった。
何も答えない。
早雲が、言葉を継ぐ。
「頼朝殿もまた、見ておれなんだ。
最後の最後まで迷い、苦しみ――
その心を少しでも軽くするには何ができるか、そればかりを考えておられた。
信長殿が頼朝殿のどこを気に入らぬのかは、知らぬ。
なれど頼朝殿は、最期まで模索しておられた」
「その頼朝の遺したものが、あの軍神を苦しめておるではないか」
早雲は、信長を見返す。
「誰が頼朝殿になろうと、誰が義経殿になろうと――
苦しみは、変わらぬ。
だからこそ……義経殿には、そなたのような者が要るのかもしれぬ」
「源氏は好かぬ。
源氏を支えるなど、虫唾が走るわ。
……だが、老いたわしは、あの軍神の働きを見てみたい。
たかが坊主や毛利の謀ごときで果てられては、我慢ならぬ」
早雲は、それ以上何も言わなかった。
だが、満足げな面持ちを浮かべていた。
***
里見伏の鉄砲隊が着いた頃には、桜の騎馬隊はすでに北へ発っていた。
本願寺を支える堺からの街道と港を、封じるためである。
伏の隊もまた、岸和田の陥落を見届けると、石山本願寺の南に布陣すべく、北へ向かった。
信長の砲撃で、岸和田城は瓦礫と化していた。
その瓦礫を運び出させ、信長は石垣の上に大筒をいくつも据えさせる。
「岸和田は、港を守るための城じゃ。
海を撃つようには、できておらぬ」
信忠に、そう告げた。
「時がない。
急ぎ砲台を築くには――壊すが、近道よ」
「……恐れ入りました、父上」
「大筒を据え終えるまで、毛利どもを海から上げるな。
拿捕した船は、死守せよ」
「はっ! お任せを!」
***
数刻の後。
新たに据えられた大筒と、信忠の鉄砲隊の音が、いよいよ激しくなる。
岸和田を取り返そうと押し寄せる毛利の船団も、大筒の直撃を受けては木っ端微塵となり、少しずつ数を減らしていった。
やがて毛利は奪回を諦め、淡路の方角へ船団を引いてゆく。
信長は、その退き際を、じっと見つめていた。
「……大筒だけでは、足りぬか」
つい先ほどまで敵船が浮かんでいた海面へ、目をやる。
「淡路までは、届かぬ。
海を撃つだけでは、道は開かぬということよ」
その口調に、悔しさはなかった。
ただ、試して分かったことを、信長は口にしていた。
***
間もなく、大祝鶴と大内義興を伴い、赤井輝子が岸和田に着陣した。
琵琶湖から急ぎ運び込んだ船。
近隣でかき集めた急造の船。
そして岸和田で拿捕した船。
それらに小型の大砲を載せ、鉄砲隊と、敵船へ乗り込むための柳生一族を乗せていた。
だが、義興も鶴も、表情は硬い。
常に調練を欠かさず、船の改良を続けてきた毛利の水軍に対し、こちらは数も、機動も、火力も、射程も劣る。
一艘一艘の戦い方に至っては、比べるべくもない。
鉄砲を数多く積んだとはいえ、焙烙火矢に焙烙玉、そして大砲。
それらにどこまで抗えるかは、戦ってみねば分からなかった。
それでも輝子は、先頭に立って声を張り上げる。
「義経様を、お救いするんだよ!
何があろうと、突破する!
遅れるんじゃないよ!」
輝子の率いる源氏の船団が、迎え撃つべく待ち構える毛利の軍船へ、突き進んでいく。
岸和田の高台から、信長がその様を、厳しい眼差しで見つめていた。
お読みいただきありがとうございました。
義経編で初めて姿を見せた、源桜。
頼朝編では、北条早雲が父代わりとなって育て上げた娘です。
幼い頃から騎馬隊を率いて戦果を重ね、ついには安土城代となりました。
しかし、父・頼朝が倒れる姿を目の当たりにしてから――
父を支えるという、生きる理由を失いました。
久しく姿を見せなかった桜は、恐ろしいほどに強く、そして空虚なままでした。
「人の心を、感じられぬ」
信長にそう評された娘を見つめる早雲の目が、何を映していたのか。
そして、この二人が言葉を交わすのも、これが初めてのことでした。
老いた身に残された時を、友であった頼朝のために使ってきた早雲。
その目に、信長と義経の間にあるものが、どう映ったのでしょうか。
新旧のつわものが揃ってもなお、毛利の水軍は、厚い壁として立ちはだかります。
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




