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第四十八話 兄弟の再会

【前書き】

但馬、竹田城。


水源を守る出城で、秀長は身を横たえていた。

起き上がる力も、もはや残ってはいない。


それでも、その男が縄張りした砦は、毛利の大軍を跳ね返し続けている。


――やがて、水を運ぶ隊が襲われたとの報が入る。

急ごしらえの出城は、その城郭を少しずつ削られていた。


それでも、秀長が地形を読んで配した鉄砲銃眼は、寄せ手を的確に捉え続けている。

寡兵ながら精強な鉄砲隊が、押し寄せる毛利勢の侵入を、そのたび押し返していた。


「頼家様は、鉄砲を扱うようになって日が浅い。

……にもかかわらず、よくやっておられるではないか」


兵の絶叫、断末魔、絶え間ない打撃と爆発の音が、床を伝って響いてくる。

その中で、秀長は身を横たえていた。


最後の力を振り絞って、この水源の出城まで出張ってはきたものの、起き上がって戦う力までは残っていない。

それでも、その眼差しにだけは、強い光が宿っていた。


「爺!」


鎧を鳴らして、頼家が駆け込んでくる。


「これまでにない大軍が、こちらへ向かっておりますぞ……!」


「……早々に、豊国様の此隅山が落ちたか。

それとも――ここが水源と、敵に漏れたか。


他の砦との繋ぎは、取れておるか」


「途絶えた砦もござるが、いずれもよく踏みとどまっております!

爺の備えには、まこと、頭が下がりまする!」


頬は硝煙の煤で黒ずみ、矢傷も負っている。

それでも頼家の声には、力があった。


挿絵(By みてみん)


「頼家様……今しばらく、耐えてもらえぬか。

京は大変なことになっておるらしいが、近江にも大和にも、我が軍の精鋭が控えておる」


「爺! お任せあれ!


休むには心地悪しき場所でしょうが――

爺の築いた砦は、強うござる!」


決して有利な戦ではない。

それでも頼家は、弱音のひとつも吐かなかった。


立ち上がり、戦場へ戻ろうと足を踏み出す。


この若者をこの出城へ伴ったことは、戦の理としては正しかった。

――だが。


頼朝の遺した子を、ここで失うかもしれぬ。

その恐れと悔いが、日を追うごとに、秀長の胸を締めつけ始めていた。


「無理はなさるな。

この城が危うくなれば……竹田城へ、お退きくだされ」


頼家は立ち止まり、振り返って、白い歯を見せた。


言葉はない。

ずかずかとした足音だけが、遠のいていった。


挿絵(By みてみん)


***


数日が過ぎた。


敵の数は、以前とは比べものにならぬほどに膨れ上がり、攻めもいよいよ苛烈になっていく。

それでも出城は、頼家の指揮のもと、波状の攻めをひとつずつ跳ね返し続けていた。


そこへ――

竹田城へ水を運ぶ隊が襲われた、との報が入る。


「爺!

手勢を連れ、拙者が参ります!

討ち漏らしては、水源が敵に知れてしまいまする!」


慌ただしく、頼家が駆け寄ってきた。


「もう、とうに知られておるやもしれぬ。

……いずれにせよ、この出城への攻めは、本気じゃ」


言いながら、秀長は枕元の刀へ手を伸ばした。

それを杖にして、上体を起こす。


「爺! 何をなさる。

寝ておってくだされ!」


「頼家様は、この城の指揮官にござる。


輸送隊を襲うたのは、物見の小隊であろう。

……わしで、十分じゃ」


立ち上がろうとした。

だが、上体を起こしただけで、気が遠くなる。


「爺……」


頼家が、心配そうにその身を支えた。


「……頼家様。

わしは、頼朝様に、何もできなんだ。


それどころか――

頼朝様のお命を、この手で奪うた男にござる。


これしきのこと……!」


「何を仰せか、爺は……」


困惑する頼家に、秀長はにやりと笑ってみせた。


「残り少なきこの命、頼朝様のご子息と御台所――わが娘のために使えるならば、まだ救われる。


このまま皆の荷物となって朽ちるより。

土産話を携えて、頼朝様のもとへ参りたいのじゃ」


「爺……


……では、精兵を集め、輿を用意させまする。

輿の上から、爺の知恵を兵たちに」


「かたじけない、頼家様」


頼家は秀長の肩を支え、寝所から連れ出した。


***


覚悟を決めたとて、現実は冷酷である。

それを秀長は、これまでも幾度となく見てきた。


山道を輿に揺られながら敵を探り、臨機応変に指示を飛ばす。

その一つ一つが、五臓六腑を裂かれるような痛みとなって襲ってくる。


それでも、目と耳だけは冴えていた。


「頼朝様……


お命を奪い、そして、お救いすることもできず。

お約束した義経様を、お支えすることも……」


やがて、秀長の小隊は、輸送隊を襲ったとおぼしき一団を見つけた。


「二手に分かれよ。

回り込め……!」


大声を出したつもりであった。


だが、口から出たのは、声ではなかった。

大量の、鮮血であった。


兵たちには、届いていない。

そのまま真っすぐに、敵を追ってゆく。


挿絵(By みてみん)


意識が、遠のいてゆく。


「あと……少しの、時を……」


次の瞬間、秀長の身が輿から投げ出された。

別の敵に側面を突かれたのだ。


「頼朝様……申し訳……」


血に濡れた涙を流しながら、秀長は自らの刀へ手を添えようとした。


その時であった。


別の方角から、これまで耳にしたことのないほどの、大軍の鬨が上がった。


――さらなる、敵の増援か。


やがて、近づいてくる者があった。


「何をしておるのじゃ、秀長」


懐かしい声であった。

誰であるか、すぐに分かった。


「あ、兄者……」


秀吉であった。


「お、遅いではないか……兄者……」


毛利の急襲に、味方の援軍が届くのはまだ先――

そう見積もっていたはずであった。

それなのに、思いもよらぬ言葉が、口からこぼれていた。


「ふん。

長浜では、ようもわしを殺しかけおって。


……その面で、遅いはなかろう」


秀吉は、そう言って笑った。

笑いながら、弟の身を抱き起こす。


「安心せい、秀長。

頼家殿も、篠も――わしが守る」


秀長は、力を振り絞って、その袖を掴んだ。


「……いったい、どうして……」


「信長様じゃ。


本願寺と毛利が怪しいと、越前の軍団長をしておる犬――前田利家に、話があっての。

いつでも出られるよう、支度をしておったのじゃ。


……誰も、信じてはおらなんだがの」


「……信長、様……」


薄れゆく意識の中で、秀長の口の端が、上がった。


秀吉は、しばらく動かなかった。


やがて、顔を上げる。


「――何をしておる、そこ!

敵はまだ谷におるぞ、追え!」


兵に向かって、秀吉はいつもの調子で声を張った。


そして、また俯く。


「秀長よ……


これでは、久々の盃が、交わせぬではないか」


秀吉は、光の消えた弟の瞼を、そっと手で閉じた。

そして、その身を抱きしめる。


嗚咽は、戦場に満ちた無数の声の中に、かき消されていた。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


毎朝、袴を着けては縁側までしか歩けなかった男が、

最後に選んだのは、輿の上でした。


秀長の築いた砦は、最後まで落ちませんでした。

戦略家として、この人は負けていません。

ただ、病魔には、秀長の戦略は通じなかったのです。


「二手に分かれよ。回り込め……!」


けれど口から出たのは、声ではなく、血でした。


言葉と知略で生きてきた男から、最後に言葉が奪われる。


――そこへ、大軍の鬨。


長浜で刃を交え、殺し合った兄が、弟を抱き起こします。

恨み言も、赦しの言葉もありません。

ただ、笑って昔をひとつ、持ち出すだけでした。


そして、その援軍を用意させていたのは。


「……信長、様……」


薄れる意識の中で、秀長の口の端が上がります。


久々の盃は、とうとう交わせぬままでした。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。

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