第四十九話 信長と顕如
京は、かろうじて守られた。
――だが、天守に運び込まれた重傷の弥助の傍らには、
白い布に覆われた男が、静かに横たわっている。
信貴山城から軍勢を率いた織田信長は、二条城を囲む本願寺・毛利勢の背後を突いた。
あと一歩で本丸を制圧しかけていた寄せ手も、その苛烈な攻めの前に、京からの退却を余儀なくされる。
源氏は、京の支配を、かろうじて守った。
だが、街の炎はいまだ収まらず、二条城も本丸を残して大きく崩れ落ちている。
数日の戦いが残した爪痕は、深かった。
幸いというべきか、本願寺も毛利も、入京の後を考えてのことか、御所には手を出さなかった。
多くの公家が居を構える五条から御所に至る町並みにも、火を放ってはいない。
***
重い傷を負った弥助が、織田信長と大内義興に両肩を支えられ、二条城天守の一室へ運び込まれた。
部屋には、白い布に顔を覆われた、口を利かぬ太田牛一が横たわっている。
その前に、武田梓が立ちすくんでいた。
「牛一も貴様も、このような目に遭うとは――
わざわざ、この時代に戻ってきた甲斐がないの」
信長は弥助に呟きながら、義興とともに、その身をゆっくりと下ろした。
「誰かある!」
梓は侍女を呼ぼうと声を上げる。
だが城内は死傷者であふれ、侍女たちも散り散りとなって、誰も来なかった。
「……大事ござらぬ……梓様……」
弥助は息も絶え絶えに、それでも声を絞り出した。
そして信長へ顔を向け、ニヤリとする。
「……ふたたび、生きて……
信長様と、お会いできました……
何よりで、ございます……」
「わしを裏切った男が、何を申すか」
言葉とは裏腹に、信長は目を細めて弥助を眺めていた。
「……助かりました」
梓が、信長に頭を下げる。
義興も、それに合わせて頭を垂れた。
これまで梓は、義経をたぶらかす者として、敵意を込めて「信長」と呼び捨てにしてきた。
京を救われた恩は感じながらも、いまさら「信長様」とも、言えなかった。
信長は何も答えず立ち上がり、煙の立ち込める京の街を、天守から眺めた。
「京からは、追い払うた。
なれど――
土佐に閉じ込められた軍神を助けるには、力が及ばぬ」
町並みから、義興へ視線を移す。
「大内義興ともあろう者が、坊主の罠も見抜けず。
二条城の守りを、石山で失うとはの」
「まこと……某の、不徳の致すところ……!」
義興は己を恥じるように、畳に額をつけて平伏した。
牛一と弥助へ目を落としていた梓が、その言葉に顔を上げる。
「……この事態を、予測しておられたのですか」
「あの坊主は信じられぬ。
わしの首を再三求めておったが、軍神殿が断り続けた。
怒り心頭であったのは、手に取るように分かる」
「それほどまでに、顕如様は……」
信長が、ゆっくりと梓に近づいた。
「頼朝の甘さよ。
わしの首を刎ねておれば、このようなことにはならなんだ」
梓は、返す言葉をすぐには見つけられない。
その様子を見て、信長は口の端を上げた。
「だが――
わしを殺したところで、あの坊主を生かしておけば。
いずれ、取り返しのつかぬことになっておったであろう」
「申される意味が……」
信長の私怨から出た言葉なのか、梓には測りかねていた。
「あの坊主どもは、危うい。
根切りにせねば、内から蝕まれるのは目に見えておった」
「根切り、などと……」
「加賀を見よ」
信長は、京の街へ目を戻した。
「守護が滅ぼされて、九十年になる。
国がひとつ、消えたままじゃ。
あれを一揆と申すか。
……国盗りよ」
その声には、憎悪も、弁解の色もなかった。
ただ、見てきた事実を並べているだけであった。
「越前もそうなりかけた。
三河では、家康の家臣が真っ二つに割れたわ。
主君を取るか、仏を取るか――
そう迫られてな」
信長は、わずかに目を細める。
「兵は、数えられる。
城も、数えられる。
なれど、隣の男が明日どちらにつくかは、数えられぬ」
梓は、何も言えなかった。
「長島では、弟を殺された」
言葉は、そこで途切れた。
それきり、信長はその話をしなかった。
「頼朝は、わしから救うべき弱き者として、坊主を手放しに受け入れた。
源氏も武田も、野放しにしすぎた。
源氏の中にも、とうに入り込んでおろうよ。
……奴らは、忍びより手強い」
梓の脳裏に、源頼光が妻に毒を盛られたという報せが甦った。
「なぜ、事前に本願寺のことを、お話しくださらなかったのですか」
「わしが何を申したとて、源氏はわしの私怨と見て、坊主をかばうだけであろう。
この手で、数え切れぬ門徒を殺しておるしの」
信長は、わずかに肩をすくめた。
「だが――
昔なじみの犬、前田利家には伝えてある。
山陰の毛利の動きに、警戒せよとな」
義興が、顔を上げた。
「四国への出陣を断られたのは……
京を守るためで、ござったか」
「……さあな」
信長は、ふっと笑ってみせる。
だが、すぐに顔つきが厳しくなった。
「なれど――
大友と島津までもが、軍神を陥れるために出てくるとは。
夢にも思わなんだ」
拳に、力がこもっている。
「坊主め……」
誰に聞かせるでもなく、信長は低く呟いた。
「梓様!
まずは、我が軍団の中で何が起きているか、急ぎ調べまする。
何よりも――義経様を、お助けに参らねば」
義興はそう告げ、部屋を後にした。
梓は、しきりに腹へ手を当てていた。
取り乱すまいと、深く息を継ぐ。
信長は、その様子をしばらく眺めていた。
「……大事にせよ、武田の娘」
そう言い残し、部屋を出ようとして――ふと、足を止める。
白い布へ、目をやった。
「牛一……」
呼びかけたきりであった。
その先の言葉はない。
信長は、そのまま部屋を出ていった。
入れ替わりに、医者と、梓の警護の兵が入ってくる。
信長の部隊から遣わされた者たちであることは、梓の目にも明らかであった。
***
数日の後。
京の周りには、近江方面から北条早雲、赤井輝子、里見伏の率いる部隊が、続々と到着した。
いずれも、頼朝が遺した精鋭たちである。
京の危機は、乗り切った。
それでも梓は、不安げに腹へ手を当てたまま、修繕の始まった天守から、空を眺めていた。
「義経様……」
お読みいただきありがとうございました。
京の危機は、去りました。
けれど街の炎は収まらず、二条城も本丸を残して崩れ落ちています。
天守の一室には、重傷の弥助と、白い布に覆われた牛一。
かつて本能寺で信長を守れなかった二人が、今度は梓を守ろうと命をかけて戦いました。
そして――その二人が守ろうとしたものを助けに来たのが、信長でした。
三年かかった。
囲みの内から、自分の兵が寝返った。
弾圧、謀略、暗殺……
する側にも、される側にも、それぞれの見てきたものがあります。
どちらが正しいのかを、この物語は決めません。
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




