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第四十七話 それでも信じる道

甲斐、躑躅ヶ崎館。


縄を打たれた悠が、床に伏す夫の前へ引き出された。


――その名を呼んだだけで、女は泣き崩れる。


そして頼光は、こう告げた。

その縄を、解いてやってはくれぬか、と。

「頼光殿……道灌でござる」


頼光の部屋の前で、太田道灌が低く呼ばわった。


「……入られよ」


部屋の中から漏れた声は、冷えた廊下では、ひどく細く聞こえた。


道灌が上杉弓に目配せをする。

縄に縛られた本願寺悠が、部屋の中へ押し出された。

押し出した弓の手には、隠しようのない怒りがこもっている。


頼光は身を横たえ、目を閉じていた。

が、慌ただしい足音に、ゆっくりと瞼を上げる。


「……悠か」


床に伏したままの夫を見て、悠はその場に膝をついた。


「よ、頼光様……」


その名を口にしたとたん、悠は泣き崩れた。


「頼光様をこのような目に遭わせたのは誰だ!

今さら、泣きまねか!」


弓が激昂する。

いまにも斬りかからんばかりであった。


「……弓殿」


頼光が、ゆっくりと身を起こす。


挿絵(By みてみん)


「悠の縄を、解いてやってはくれぬか」


「なりませぬ、頼光様……!」


日頃は副将を抑える側の道灌までもが、思わず口を挟む。


「頼光殿。よろしいので……」


頼光は力なく微笑み、静かに頷いた。


「その気になれば、わしの命を奪うことなど、わけもなかったであろう。


悠は……わしを殺すつもりなど、なかったのだ」


「しかし頼光様。

毒を盛り、姿を消したことは、紛れもなき事実。

潜んでおった先でも、我らと刃を交えております。

それを……!」


「弓殿」


頼光は弓を見つめ、そっと首を横に振る。


「悠が毒を盛らねば――

ほかの門徒が、わしを殺めておったであろう。


悠はこうすることで、潜んでおった手練れどもを、引かせたのじゃ」


弓の言葉が、途切れた。


「武田家の混乱に紛れ、多くの一向宗徒が、この城の中にまで入り込んでおる。


配下の石川五右衛門がそれを聞き出さねば――

わしとて、見誤るところであった」


挿絵(By みてみん)


頼光は悠へ目を向ける。

だが悠は、畳に突っ伏したまま、顔を上げなかった。


道灌が、弓に目で合図をする。

弓は不服を残したまま、悠を縛る縄を、刀で断ち切った。


縄が解けた勢いで、悠が崩れ落ちる。

身を震わせたきり、起き上がろうとはしなかった。


「申し訳……ございませぬ……頼光様……」


泣きじゃくりながら、かろうじて絞り出した声であった。


頼光はその姿を見つめたまま、道灌と弓に向かって口を開く。


「この老体の命など、大したことではない。


それよりも――

何か、途方もないことが起きようとしておるのではないか。


戦のことばかり考えておったが。

いつの間にか、我らは内から崩されておる」


道灌が、厳しい眼差しを頼光へ向けた。


「宗徒は、武田家すら内から崩したのでござる。


頼光殿と我が隊を雪の中に縛りつけておるのも、謀のうちであらば――

まことに、恐ろしき者たちにて」


大きく息を吐き、頼光も哀しげに頷く。


「やはり、武田の悲劇には、一向宗徒が噛んでおったか……」


「拙者の推測にすぎませぬが。

悠殿を頼光殿の前へお連れすれば、何か聞き出せると存じました」


頼光は、なお泣き続ける悠を見て、ふたたび息を吐いた。


「我らをここに足止めするということは――

甲斐の外で、何かが起きておる。

そういうことであろう」


「いかがいたしましょう、頼光殿」


問われて、頼光は目を閉じた。

何を思うのか、しばらく開かなかった。


「……頼光様」


悠であった。


「私も、すべてを存じ上げるわけではございませぬ。

ただ、ひとつだけ」


頼光が目を開き、その眼差しをゆっくりと悠へ向ける。

悠は俯いたまま、続けた。


「梓様……梓様の、お命。


義経様のお心を責めるに、これに勝る策はございませぬ」


それまで穏やかであった頼光の目が、大きく見開かれた。


「……それが、仏に仕える者のすることか」


怒気を含んだ声を浴びながらも、悠は言葉を止めなかった。


「武田には、いくつもの罠が仕掛けられておりました。


勝頼様を亡き者とすることには、軍略の思惑もございました。

なれど同時に――梓様のお心を、狙ってのこと。


その後の工作は二転三転いたしましたが、行き着いた先は……

梓様のご親族を、ことごとく」


悠の声が、震える。


挿絵(By みてみん)


「たとえ武田という虎が意のままにならずとも。

義経様をお支えする力さえ削げばよい。


その力の源こそ、梓様であると」


「貴様らのいう御仏とは、悪魔のことか!」


弓が立ち上がり、声を上げた。


悠は涙をためたまま、弓を睨み返す。


「此度の悲劇は、武家のひと握りの者たちの悲劇にございます。


その武家が、己のために、これまでどれだけの民を殺めてきたか。

上杉とて――一向宗徒を弾圧してきたではありませぬか……!」


涙声のまま、悠は噛みついた。


挿絵(By みてみん)


「止めよ」


弱々しい声であった。

だが頼光の眼光は、悠と弓の双方を射た。


そして、悠へ向き直る。


「武家には、武家の道がある。

信じた道を、進むしかあるまい」


言い終えて、頼光の面持ちが、哀しげなものに変わった。


「一向宗徒もまた、信じた道を進む。

我らも、頼朝殿の志を信じて進むだけじゃ。


分かり合えぬときは――」


頼光は一度目を閉じ、そして開いた。


「戦うしかあるまい」


掛具を払いのけ、頼光が立ち上がる。

足元は定まらず、数歩よろめいたが、それでも踏みとどまった。


「悠。

我らに捕らえられながら無事でおったと知れれば――次はそなたが狙われよう」


「いえ……私のことは……」


深く頭を下げるが、嗚咽で言葉が続かない。


「弓殿。

しばらく悠を男装させ、そなたの小姓として置いてはくれぬか。

そなたの傍であれば、安心じゃ」


「……私、でございますか」


つい先ほどまで刀を向け、罵倒を浴びせていた相手である。


弓は、悠を見なかった。

ただ、袴の上で拳を握りしめる。


頼光は、亡き夫・坂田金時にとって、父にも等しい人であった。

その人が、頭を下げようとしている。


弓は、息をひとつ、深く吸った。

そして膝をつき、頭を垂れた。


挿絵(By みてみん)


「かたじけない、弓殿」


頼光もまた、弓に頭を下げた。


「道灌殿。

我らは雪に阻まれ、何もできぬ。

まさに、本願寺顕如の手の上よ。


なれど――雪が解けたのち、義経殿や梓殿に何かあれば」


頼光の拳に、力がこもる。


「わしは、この世のすべての一向宗徒を、根絶やしにする」


泣きじゃくっていた悠が、弾かれたように顔を上げた。


「それでは……!

これまでの仏敵と、変わりませぬ……!」


反射で出た言葉であった。


だが、悠を見つめる頼光の眼差しは、揺るがない。


「悠よ。

確かに、武家は多くの民を犠牲にしてきた。

門徒の怨嗟にも、同情を禁じ得ぬ」


頼光は、悠を見据える。


「じゃが――

わしは、藤原のまつりごとを見た。

鎌倉の武家の世も、この目で読んだ。

そして頼朝殿が、新しき形を模索しようとしたのも、傍らで見てきた。


どれも、完き(まったき)ものではない」


おぼつかない足取りで、頼光は悠に歩み寄る。


「これが正しいと、わしにも言えぬ。

――なれど、これより他を、わしは知らぬ」


言葉が、途切れた。


「いずれ、この剣は、今の世に生まれた者たちへ渡す。

それまで、預かっておるにすぎぬ」


頼光の声が、低くなった。


「大義のためとはいえ――

正しき心を持つものすら暗殺するような卑怯者に……

我らが剣を渡すわけには参らぬ」


挿絵(By みてみん)


道灌が、深く頷く。

そして、自らも口を開いた。


「雪で動けぬあいだに、甲斐へ入ってのち志願した兵、城中の者ども。

ことごとく、洗い出しまする。


甲斐善光寺からは、蟻一匹這い出られぬよう囲みましょう」


「道灌殿。よろしく頼む」


***


皆が退いたあと、頼光は力なく座り込んだ。


「頼朝殿……

義経殿を守れぬ時は……

腹を切って、お詫びいたす……」


甲斐の雪は、しんしんと降り積もっている。


――軍を動かせぬ者たちの焦りなど、気にも留めぬかのように。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


毒を盛ったのは、殺すためではありませんでした。


悠が手を下さなければ、城に潜んでいた門徒たちが、頼光の命を奪っていた。

夫を生かすために、夫に毒を盛る。

それが、あの女に選べた唯一の道でした。


五右衛門からの報告で、それに気が付いた頼光は、縄を解けと言います。


打ち明けられたのは、もうひとつ。

武田の悲劇は、梓を狙ったものでもあったこと。


勝頼の死も、親族の全滅も――

義経を支える力を、根から断つために。


「それが、仏に仕える者のすることか」


しかし、悠も、退きませんでした。

武家が己のために殺めてきた民の数を、悲劇を、突きつけます。


己の道が正しいとは言えない。

悠の言葉も理解した。


なれど、これより他を知らぬ――


頼光は、退きません。


雪は、まだ深く。

軍を動かせぬ者たちの焦りなど、気にも留めぬように、降り積もります。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。

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