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第四十五話 包囲網

四国、土佐街道。


義経の采配は冴え、敵は退き、戦線は丸串を望む地まで押し戻された。


――だが、軍師の目には、それが引っかかっていた。


「敵の負け方が、無理をしていないのです」

「さすがは義経殿。

これで、土佐街道から敵を追い払うことができ申した」


長宗我部元親は、義経の戦ぶりに、素直に頭を下げていた。


長宗我部・雑賀・源氏の連合は、山間の土佐街道を突破し、丸串を望む地まで戦線を押し返している。

そこに、新たな陣を築いていた。


「なれど、大筒を積んだ軍船を追うには、まだ足りぬ。

伊予、讃岐の長宗我部勢との繋ぎも、我らのさらなる援軍も、追って手配いたそう」


ここまで、義経の采配に迷いはなかった。

味方の損害を抑えながら、敵を押し戻す。

療養から戻った姪の源里も、雑賀の鉄砲隊とよく息を合わせ、その攻めの鋭さを取り戻していた。


敵の陣容を眺めていると、攻めと守りの手が次々と浮かび、おのずと最善が見えてくる。


挿絵(By みてみん)


ふと傍らを見ると、宝が口もとに手を当て、ぼうっと空を眺めていた。


「いかがした、宝殿。

何か、気になることでも」


長く共に過ごしてきた義経には、分かっている。

宝が口に手を当て、遠くを見ているときは、たいてい何かが引っ掛かっている。


「あ……義経様。少しばかり……」


宝は、不安そうに義経と目を合わせた。


「そなたの申すことは、常に的を射ておる。

申してみよ」


「敵の……負け方が。

無理を、していないのです」


言葉を探しながら、宝が続ける。


「こちらに隙があれば、島津は猛然と出て参ります。

しかし、数で押しかかりますと――

無理をせずに、退くのです」


「こちらの武器が優れ、地の利もある。

損害を抑えるために退いておるのではないのか」


「私も、初めはそう思いましたが……

この地形は、島津の“釣り野伏”に、向いております。

伏せて誘い、包み込む。

得手のはずなのです。


それでも、ただ真っすぐに退いてゆく……」


挿絵(By みてみん)


やり取りを聞いていた鈴木重秀が、口を開いた。


「宝殿の申されること、拙者も気になっており申した。

義経殿の軍が着陣してからというもの――敵が、別の軍のようでござる」



義経の眉が寄った。


「では――

敵は我らに負けたのではなく、わざと退いておると。

皆、そう申すのか」


その時であった。


重秀のもとへ、雑賀衆の早馬が駆け込んだ。

常に動じぬ重秀の顔から、話を聞くうちに、みるみる血の気が引いていく。


「いかがいたした、重秀殿……」


「……義経殿。

落ち着いて、お聞きくだされ。


京が、火の海にございます。

二条城も、大軍に囲まれておりまする……!」


にわかには、信じられぬ話であった。

二条城は、友軍に守られているはずである。


「本願寺と毛利が、大軍で京を制しております」


「本願寺……?

顕如殿は、我らと婚姻で縁を結んでおる。

何かの、間違いでは……」


「あっ」


その話を聞いた宝が、声を上げた。


「ああ……義経様……」


宝は頭を抱えてしゃがみ込み、そして、義経に額をつけた。


「申し訳ございませぬ……!

何かあると思いながら、そこまで、至りませんでした……!」


「宝殿。分かるように話してくれぬか……!」


そこへ、重秀が言葉を挟む。


「義経殿。

顕如は――源氏が信長を救うたことに、えらくご立腹でござった。


仏敵を討ち果たす、またとなき機会を……

源氏が、奪うたと」


「……信長を救うたがゆえに、京を焼くと申すか」


義経の声が、掠れた。


「なぜ、そこまで……」


「義経殿は、長島で何が起きたか、ご存じのはず」


「知っておる」


「では――」


重秀は、義経をまっすぐに見た。


「それが、何十年も人を縛りつける恨みになると。

お考えになったことは、ございますか」


義経は、答えられなかった。


知ってはいた。

だが、恨みとはいずれ手放せるものだと、どこかで思っていた。

兄を呪い、兄を憎み、それでも兄の志を継いだ己が、そう思わせたのかもしれない。


重秀もまた、あと一歩で信長の息の根を止めるべく、軍を起こした側の男である。

門徒の無念は、この男にとって、他人事ではない。


「いずれにいたしましても、義経様。

このままでは……」


宝が言いかけたところへ、今度は長宗我部の早馬が、血相を変えて駆け込んできた。


「毛利勢、大挙して伊予、讃岐へ攻め入っております!」


遅かった――

そう言いたげに、宝が肩を落とす。


挿絵(By みてみん)


元親と重秀が、目を見合わせた。

そして元親は、これまでにない厳しい眼差しを、義経に向ける。


「まさか……

我らが源氏に従うたことで、源氏も我らも追い詰められることになろうとは」


周りの者たちが目配せで通じ合っているなか、義経ひとりが、まだ呑み込めずにいた。

それが、怒りと焦りを、いっそう煽り立てる。


「京が燃えておるのは、まことか……!

梓は――梓はどうしておる。

戻らねば……!」



その時、正面から大筒の弾が、陣の際に次々と着弾した。

大友の、これまでにない大掛かりな砲撃であった。


続いて、島津の鬨が上がる。

陣を構えたばかりで、しばらくは動くまいと思っていた矢先の突撃であった。


宝が、義経に叫ぶ。


「義経様。

これが、敵の狙いだったのです。


大友と島津は、私たちをここに足止めして――そして」


その顔が、恐怖に引きつっていた。


「そして、何じゃ。申せ!」


「京を焼き……

わ、私たちを、ここで……餓死、させます……!」


宝は、その場にしゃがみ込んだ。


「軍師殿の申されるとおりじゃ、義経殿」


元親が、続ける。


「大友も島津も――

義経殿の大軍を、この山奥へ閉じ込めるために、攻めて参ったのじゃ」


前面の敵を睨む元親の拳が、震えていた。


「我らを救わんとされたばかりに……

これも、長宗我部に力なきがゆえ、招いたこと……」


さらに、伝令が陣へ飛び込んでくる。


「勝瑞城、落城!」


「なんじゃと……!」


元親が、思わず立ち上がった。


「阿波の要ぞ。

あの城が落ちれば、淡路も岸和田も、我らとは切れる……」


言い終えて、元親は口を噤んだ。

それ以上は、言うまでもなかった。


挿絵(By みてみん)


義経は、己を叱咤する。

まずは、目の前で猛然と迫る敵を、追い払わねばならない。


「陣を整えよ!

敵が射程に入り次第、撃てッ!」


そこへ、宝が慌てて前に出た。


「義経様!

斉射は、第一列のみで!」


「それでは、あの敵を食い止められぬ!」


「いや、義経殿!

ここは、我が雑賀衆のみで撃ちまする!」


重秀までもが、割って入る。


「えぇい……!

好きにせよ!」


義経は、采配を投げ捨てた。



はたして――


挿絵(By みてみん)


雑賀の鉄砲が一斉に鳴ると、島津の兵は竹盾を掲げ、そのまま反転して引き上げていった。



義経は、その背を、呆然と見送った。



奪おうとしていたのは、陣ではない。

撃たせること、それ自体が狙いであった。


「……兵糧と、弾薬か」


宝が、涙をためて頷いている。


義経は、投げ捨てた采配を、拾わなかった。


ふと――

高台から、二万の味方を見下ろしていた、あの日が甦る。


言い知れぬ高揚に、身が満たされていた。

戦うために、血を流すために生まれてきたのか、と。


あの時。

あの、まさにその時に。


京では、妻が。


「……梓……」


誰の耳にも届かぬ声で、義経はひとり、呟いた。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


勝っていたはずでした。

敵は退き、戦線を押し戻し、義経の采配に迷いはありませんでした。


しかし、その勝利のすべてが、仕組まれたものだったのです。


京は炎に包まれ、毛利は伊予と讃岐へ。

阿波の要・勝瑞城が落ちて、補給の道も断たれます。

残されたのは、二万の大軍を山奥に閉じ込め、飢えさせる――

そのための、包囲網でした。


戦場では誰よりも先が見えていたはずの男が、

見ていたのは、敵の描いた筋書きだったのです。


采配を投げ捨てた義経の胸に、ふと甦るのは、あの日の高台。

味方の大軍を見下ろし、戦人の悦びに震えていた、あの時。


――あの高揚感すら、敵の描いた筋書きだったのか。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。

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