第四十一話 本願寺顕如
長宗我部の侵攻をあきらめた毛利が、次に攻めたのは、義経陣営の友軍、本願寺家。
義経不在の二条城から、取り急ぎ手勢を石山本願寺に向けた。
それが何を意味するのか――
「毛利勢、石山本願寺を包囲。
緊急の援軍要請が、本願寺顕如様より来ておりまする」
太田牛一の急報に、武田梓は、思わず腹へ手をやった。
義経様が、おられぬときに。
近頃、少し重くなった身体の奥で、子が、静かに息づいている。
その温もりだけが、いまの梓の、拠り所であった。
同時に、かつて無いほどに用心深くもなっていた。
「四国の義経様の采配を待っていては、本願寺は落とされましょう。
有事には梓様と諮り、対処せよ――義経様より、そう言付かっております」
「なれど……同盟国どうしの、諍い。
勝手な判断は、できませぬ。
牛一様は、いかがすべきと」
牛一は、顔をしかめたまま、しばし考え込み、やがて顔を上げた。
「近頃の一連の動き……
きな臭う、存じます。
なれど――
本願寺顕如様のご息女は、源頼光様に嫁いでおられる。
いわば、我らの親族。
ここで見捨てるわけには、参りませぬ」
大きく一息つき、牛一が意を決した。
「京の守備兵を、動かしましょう。
我らが兵を出せば、毛利とて、容易には手を出せますまい。
時を稼ぎ、義経様とも、連絡を取り合いまする」
「京の守備は、どれほど」
「即応できるのは、およそ三千。
うち二千五百を援軍に。
信長様にも、万一に備え、出陣を願いましょう」
「……ひとまず、毛利が矛を収めてくれるよう。
祈りましょう」
梓は、もう一度、腹に手をあてた。
***
数日の後。
早馬が、二条城へ駆け込んだ。
「本願寺へ向かった援軍――全滅!」
「……どういう、ことです」
梓は、立ち上がった。
「石山本願寺の内へ入ったところで、待ち受けた僧兵の一斉射撃を受け……
さらに、毛利と本願寺の軍勢が、この二条城へ――」
梓の指先が、冷えた。
しかし――大内義興の目が、かっと見開かれた。
義興は、言葉を継がなかった。
ただ、その顔から、血の気が引いていく。
外から、鬨の声が聞こえた。
それほど、遠くない。
新たな伝令が、血相を変えて走り込む。
「本願寺・毛利勢、京の町を焼きながら、進軍しております!
この二条城を、攻めるものかと!」
「まさか……」
梓の膝から、力が抜けそうになる。
それでも、腹をかばうように、踏ん張った。
倒れるわけには、いかない。
義経の正室として恥ずかしくない振る舞いをしなければならない。
それに、この子だけは……
そこへ、また別の伝令が。
「甲斐方面の総大将、源頼光様――お倒れに!」
「頼光様が……!
いったい、何が」
「毒を、盛られたとのこと。
下手人は――」
伝令が、口ごもった。
言うべきか、迷うように。
「……本願寺悠様。
頼光様の、奥方にございます。
今は、姿が見えぬと……」
梓の、四肢から、力が抜けた。
頼光は誰よりも悠を大切にしていた。
戦場で頼光の傍らには、常に悠がいた。
親族と、信じていた方が。
なぜ――
問いは、声にならなかった。
義興が、天守から京の町を見下ろしていた。
炎に赤く染まる町並みへ、冷たく、厳しい視線を注いでいる。
「間もなく、この城も囲まれますな。
……見よ、あの旗の数を」
「某が、時を稼いで参る」
牛一が、残る五百の兵を率いるべく、立ち上がった。
その背に、梓が声をかける。
「牛一様……!」
牛一は、振り返り、いつもと変わらぬ穏やかな顔で、梓に頷いた。
「梓様は、腹のやや子とともに、必ずお逃げくだされ。
――なに、この老骨、まだ死にはいたしませぬ」
そう言い残し、牛一は部屋を駆け出ていった。
「義興様……」
梓は、声を振り絞った。
「義興様には……何か見えているのですか」
義興は、町から目を離し、ゆっくりと梓へ向き直った。
その口が、開きかけて、止まる。
言葉にすれば、それが真実になってしまう――そう恐れるかのように。
やがて、義興は、奥歯を噛みしめて、絞り出した。
「梓殿。
四国も、この京も。
毛利も、島津も、大友も……
すべては、一人の男が描いた、絵にございました」
「一人の……男」
「本願寺、顕如」
義興の声が、静かに、天守の闇へ落ちた。
外では、鬨の声が、刻一刻と近づいている。
炎に炙られた京の空が、赤黒く、揺れていた。
お読みいただきありがとうございました。
本願寺への援軍は、罠だったのか――
精強な二条城の近衛部隊は全滅。
毛利と本願寺の軍勢が、炎を上げて、二条城へ迫ります。
頼光は毒に倒れ、その奥方は、姿を消しました。
四国の乱も、この京の急襲も。
毛利も、島津も、大友も。
もしかしたら、東の騒乱も。
そのすべてを、たった一人の男が、盤上の駒のように動かしていた。
本願寺顕如。
問いだけを残して、二条城は、いままさに囲まれようとしています。
義経は、まだ何も知りません。
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




