第四十話 戦人
京の梓のもとを、篠が訪ねていた頃――
四国では、義経がついに、河後森城へ着陣していた。
先遣隊、そして本隊二万。
じりじりと押されていた戦線が、ようやく、持ち直そうとしている。
「義経殿、自らのご出陣。
感謝に堪えませぬ」
長宗我部元親は、河後森城に着いた義経の前で、深く頭を下げた。
四国を治める大将でありながら、矢傷を負い、顔は土埃と硝煙で黒く汚れている。
戦況を聞くまでもない。
元親のその姿が、戦線の緊迫を物語っていた。
元親は、義経の傍らに控える、鎧姿の女子へ目をやった。
「軍師殿にも、ご同行賜り……心強きかぎりでござる」
視線の先で、宝がぺこりと頭を下げる。
その横には、眼光鋭い女武者が控えていた。
「これは、亡き兄の娘。
拙者の姪にあたる、里じゃ」
義経の紹介に、源里が元親へ会釈した。
「源氏ご一門の皆さまに、このような山深きところまで……」
元親は、あらためて深々と一行に頭を下げた。
「元親殿。
急ぎ着陣したのは、総勢二千ほど。
すぐに敵を押し返すほどの力にはなれぬ。
だが――我が軍でも、最も射程の長い鉄砲を扱う砲兵を連れて参った。
元親殿の水軍のおかげで、四万十川沿いに大砲の部品も、この城まで早う運び込めた。
この河後森は、天然の要害に守られた高台の城。
必ず、守り抜く」
「まこと、ありがたきことにて」
「して、元親殿。
丸串城が、早々に落とされたと聞いた」
義経は、すぐに戦況へ話を向けた。
「無念ながら……援軍を差し向けた折には、すでに」
元親の声が、低く沈む。
「信貴山にて、義経軍の大筒の力には、目を見張り申した。
なれど、大友がポルトガルより手に入れたという大筒は、我が丸串を、造作もなく瓦礫の山に……」
「なんと……
宇和島の水軍は」
元親は俯き、首を振った。
そこへ、宝が口を開く。
「あの、義経様……
ポルトガルやイスパニアは、信長様が力を失って以降、大友や島津に肩入れしているとも聞きます。
最新の武器の多くが、九州の勢力へ流れているやも……
特に、大友の“国崩し”は、船にも載る、射程の長い大筒。
油断はできませぬ」
煤けた元親の口元に、白い歯が覗いた。
「さすが軍師殿。
よう、ご存じで」
「……実は、信長様からの、お知らせでして……」
「ほう」
この緊迫の中で、元親は宝へ、笑みを浮かべていた。
義経は、ふと思う。
信長や家康のような一筋縄でいかぬ者たちが、この宝には、一目置く。
戦に貢献するだけではない。
家康、信長、そして元親の臣従――その立役者は、宝であったのかもしれぬ。
いまさらのように、義経は宝の横顔を見た。
***
義経軍の砲兵が加わると、戦は、わずかに息を吹き返した。
伏兵戦を続けてきた一領具足と雑賀衆は、島津の山岳兵に捕らえられる前に、進んできた敵へ一撃を浴びせ、離脱できるようになった。
他方から合流した一領具足も加わり、敵に捕捉されても、たやすくは崩れぬ。
それでも――戦線は、じりじりと河後森方面へ、下がり続けていた。
数日の後、大友・島津は、味方の屍を乗り越え、ついに河後森城の近くまで陣を進めてきた。
その時であった。
城のあたりから、金属を弾くような破裂音が響く。
頭上で何かが風を切り、次の刹那、爆風と土砂が、敵陣を吹き飛ばした。
「退けッ! 城からの大砲じゃ!
陣を下げよ!」
大友・島津は大きく退き、戦線が、押し戻される。
そして、さらに数日。
義経軍の本隊二万が、河後森城下に到着した。
高台から、義経は、味方の大軍を見下ろしていた。
言い知れぬ高揚が、その身を満たしていく。
「……やはり、拙者は。
戦うために、血を流すために、生まれてきたのか」
ひとり呟く義経の目は、土佐街道の、まだ見ぬ敵の先へ向けられていた。
京に残した妻のことは、この時、頭の隅にもなかった。
***
同じ頃。
月も隠れた闇夜。
どこからともなく、声が忍び込んだ。
「義経直属の軍、河後森に着陣した由にございます」
寝ていた男の目が、開く。
口の端が、ゆっくりと吊り上がった。
「……それは、上々。
いよいよ、じゃな」
男は、寝具の上で半身を起こす。
「抜かるでないぞ」
「万事、ご指示のままに」
男の口元が、さらに吊り上がった。
気配が消えると、男はまた、静かに横たわる。
闇の中で、その笑みだけが、消えずに残っていた。
お読みいただきありがとうございました。
四国に、義経の本隊二万が到着いたしました。
高台から味方の大軍を見下ろし、義経の胸を、戦人の高揚が満たします。
しかし、宝も義興も違和感を持ちながら見抜けなかったもの。
それが、動きだします……
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




