第四話 真の鬼
「くだらぬ」
義経の家臣達に向けられた信長の言葉。
その場は凍りついていた。
しかし――
義経は静かに信長の言葉に耳を傾けていた。
信長は続けた。
「頼朝に心服するのは勝手だが――
わしの家臣も、随分と心を奪われたようだな」
信長は、お市の方の顔を見て、微笑む。
お市の方は信長の目を見れず、下を向いた。
「もう頼朝は口を利かぬ。
それをいつまでも頼朝様、頼朝様……聞き飽きた」
梓の手が、わずかに膝の上で握られた。
「目の前の軍神は、頼朝ではない」
義経は、吐き捨てるような信長の言葉に耳を傾けた。
信長の言葉に、不思議と自らへの悪意を感じなかった。
信長は、口の端を上げる。
「何も変わらぬであろう――」
信長はさらに身体を前に出す。
「わしが目指した天下布武と」
愉快そうに語る。
「惣無事令発布を目指す。
関白との約定は、日ノ本の半分の支配とも聞いた。
だが――
今残っている武家は、決して臣従などせぬ。
家康やわしのようにな。
毛利、長宗我部、さらに、これまで守ってきた武田、上杉を滅ぼす。
さすれば天下静謐は、源義経のものとなる」
信長はさらに身を乗り出す。
「出来るのか、それを……。
皆は”武家を守る”頼朝に心服していた。
破綻を迎えるところで、頼朝は逝ったのだ。
軍神には良い土産であったな。
そうではないか、源義経……」
「……兄を愚弄する事は許さぬ」
義経は静かに立ち上がった。
「だが……貴様の言う通りだ、信長。
この先に待つ道のりは、第六天魔王が歩んだもの、目指すものと変わらぬ。
貴様は――
拙者の力量が劣るを知り、楽しんでおるのか」
しばし、義経が向ける厳しい眼差しに合わせるように、信長も見返していた。
そして――
「はっはっは!」
吹き出したように信長は笑いだした。
「当たり前であろう。
我を滅ぼした憎き敵が苦しむのは、誠に愉快。
だが――」
信長の笑いは消え、あらためて義経を見た。
「源義経は、頼朝と違う。
それでこそ、この先面白いというもの。
頼朝の志を語るようであれば、仕官はせぬつもりであった」
義経の腹の底から、なぜか、おかしさが込み上げてきた。
「普通の漢では無いとは思っていたが、可笑しきことを申すものよ。
拙者の至らなさが面白く、仕官すると申すか」
信長は一段と大きな声を出した。
「夢物語で膨らませたものの後始末こそ、難儀。
失礼ながら、源義経という軍神――同じ臭いがする」
義経は訝し気に信長を見る。
「少なくとも、貴様の目は節穴では無さそうじゃ……申せ」
義経の目を覗き込んだまま、信長はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「鬼」
義経は微動だにせず、信長の言葉に耳を傾けていた。
「血なまぐさい、真の鬼の臭いだ」
日差しが雲に隠れ、天守に差し込む光も薄れる。
空気が冷え込むように感じられた。
「……わしも、同じものを飼っておった。
だから、その臭いが分かる」
梓は憎悪の眼差しを信長に向ける。
しかし信長はなおも続ける。
「裏切られ、捨てられ、その心には復讐の鬼が居座っておる。
それを、兄が上手く手なずけたようだが」
義経は口の端を上げながらも、信長を睨みつけた。
「良く見えているではないか、信長……」
「この先は……
鬼を”語る”ものには進めぬ。
真の鬼――軍神・義経と、わしでなくては進めぬ」
義経をじっと見据え、信長はゆっくりと跪いた。
「源義経公。
この信長――家臣になってもよい」
義経はしばらく跪く信長を眺めていた。
そして、お市の方に顔を向ける。
「実の妹であるお市殿でさえ、どうにかできる漢ではなかった、ということか」
「まことに、申し訳ございませぬ」
お市の方は、信長の横で平伏した。
「ただ、信長だけに見えているものもあるようじゃ。
……興味がある」
義経は信長に目を向ける。
「信長、貴様の言う通りだ。
武家を守るための静謐。
しかし静謐のために日ノ本の半分を手に入れる。
それが兄の”土産”。
だが実際は――
静謐のために武家を滅ぼすか、
武家を守るために静謐をあきらめるか、
それしかないではないか。
兄は、この先の罪と向き合い、覚悟を決め……旅立った。
まだ……鬼ではなかった」
天守の中に、しばし沈黙が流れた。
お市の方は息を呑み、梓は義経の横顔を見つめる。
さらに、信長に顔を近づけた……
「だが――
拙者の中には、真の鬼がいる」
梓が耳にした事もない、義経の低く、地を這うような声だった。
信長の目も、鋭く義経を見据えている。
義経はふと顔を和らげ、立ち上がった。
天守から見える、京の景色に目を向けた。
「家臣達は、覇権を捨て、この時代で心優しくも強かった兄を慕っている。
いずれは……」
その先の言葉を呑み込んだ。
しかし、信長は義経の意図がわかるかのように、口を開く。
「光は影を好まぬ。
だが、影を創り出すのは光だ。
影を消したくば、この世を照らすものを全て消すのが良い」
信長は、わずかに口の端を上げた。
「……気づかぬ者は、気づかぬままにしておけ」
「兄・頼朝が光、作り出した影が拙者――光に照らされていた家臣は影を好まぬ……
そう言いたいのか」
「……ご随意に」
義経は跪く信長に近づき、見下ろす。
「貴様の言葉には感服した。
しかし、信用はできぬ。
反乱をしても良い。
それでこそ――我が心の中の鬼が喜ぶであろう」
「はっはっは!
この老体は、軍神にささげよう」
「その言葉、今日のところはありがたく受け取る。
家臣として迎えよう」
信長は愉快そうに、笑っていた。
梓は怪訝な眼差しを信長に向けたままであったが、努めて冷静に聞いた。
「義経様、信長の処遇はいかがいたしますか」
「しばらくは、信貴山城に戻り、旧領を整えよ。
信貴山であれば、有事にはすぐに京まで駆けつけられるであろう……」
信長は、静かに頷いた。
しかし、梓の眼差しは変わらなかった。
信長が、部屋を去った。
お市の方はその場で平伏したままだった。
「誠に申し訳ございませぬ。
歳をとり、手がつけられぬものに……」
義経の傍の梓も、深呼吸をしていた。
「兄・頼朝と、手に縄を巻かれたお市殿が、天下について話していた時のことを思い出した。
拙者もあの時は兄の想いを必死に追いかけていた……」
お市の方は顔をあげた。
「兄は、頼朝様に命を救われていたことなど、思いもよらぬこと。
数々の恩知らずな発言も、どうかお許しくださいませ」
義経は声を和らげた。
「それを伝えたとして、あの者は一笑に伏すだけでしょう……」
「恐れ入ります」
お市の方は寂し気な眼差しを義経に向け、静かに言葉を紡いだ。
「義経様……兄は知った風な事を申し上げます。
しかし、頼朝様は、全てをご存知でした。
最後まで、義経様を気にかけておられました……」
「お市殿、お気遣い痛み入る。
拙者は、兄の想いを大切に生きている。
約束を何としても果たしたい……そのように思わぬ日は無い。
しかし、この先の道のりは――あの者の申す通りかもしれぬ」
義経の表情がわずかに陰る。
「差し出がましい事を申し上げました。
家康様も、何があっても義経様をお支えすると、常に申しております。
お忘れなきように……」
「それは心強いかぎりじゃ」
お市の方は深々と頭を下げて退出した。
傍の梓は憮然とした面持ちのままだった。
「義経様は、断じてあの者と同じではございませぬ」
常に冷静な梓は、今は子供のように膨れた顔をしている。
義経は梓の後ろ髪の乱れを整えようと、そっと手を伸ばした。
「しかし梓、信長は言い当てていた――
拙者が怖くて言葉にできなかったことも」
義経の言葉を耳にして、梓の怒気が漏れ出た。
「承服、いたしかねます!」
さらに梓の面持ちは膨れた。
義経は梓を抱き寄せた。
「拙者のために、怒るでない……
そなたがいてくれたら、大丈夫じゃ……」
(鬼には戻らぬ――)
そう告げたかった。
だが、義経は、その言葉を口にすることができなかった。
お読みいただきありがとうございました。
「鬼」
信長が嗅ぎ取った臭い。
頼朝が手なずけていたもの。
頼朝が照らした光――
その陰から鬼の息遣いが聞こえ始めました。
しかし、共に歩むのが、信長で良いのか。
義経は鬼なのか――
梓の不安は、まだ晴れません。
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。
雪は降り止んでも、山々を覆う白は、まだ消えません。




