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第三話 信長

義経と梓は、二条城の天守から京の街の賑わいを眺めていた。


「お父上・勝頼様のお苦しみが、今なら分かる……

偉大な父が突然亡くなられ、皆はその影を追い続ける」


そこに、お市の方が姿を現した。


旅から戻った織田信長――

かつての天下人が、義経との対面を望んでいた。

冬空の雲の間から、青空が覗いていた。

陽の当たる場所では雪が解け始め、ぬかるんだ京の道を、商人や旅人が気にも止めずに往来している。

日陰には、まだ厚く雪が残っていた。


秀長が美濃で提唱した楽市楽座は京でも運用された。

兵農分離も進み、噂を聞きつけた商人、浪人たちが雪解けとともに京や岐阜、近江に集まっていた。


朝餉が終わり、義経はいくつかの訴えに目を通していたところであった。

二条城内には、すでに賑やかな街の音が伝わっていた。

義経は書に目を通す手を止めた。


「梓、天守に参らぬか」


那古野城を家康の軍団に組み入れ、梓は自らの部隊と副将を二条城に移し、義経とともに政務をこなしていた。


「きりがありませんね……是非参りましょう」


梓も書を置き、義経とともに部屋を出た。



京を取り巻く山々は白く着飾り、街は昇り切る前の日差しを受け、雪解けの雫を反射させてキラキラと光っていた。

威光を見せつけるため、不必要に高く築かれた天守からも、人々の往来が目に入る。


「ここに参ると、あらためて兄上や、秀長の力を思い知る」


義経の声は沈んでいる。


頼朝のために力を尽くしていた義経は、前を見て真っ直ぐ突き進む清廉な武人だった。

義経の声も迷いなく、心にある言葉を勢いよく口から出していた。


軍団のおさとなってから、義経は言葉を選び、その言葉に合わせて口を動かすようになった。

口数が減ってきた義経であったが、梓は義経が背負うものの重さだけは感じ取っていた。


挿絵(By みてみん)


「民が集まるというのは、なかなか難しきことでございます。

甲斐では、重税と厳しい掟が周辺にも知れ渡り、民など寄り付きませんでした。

それが、気がつけば徳川様との力の差にも現れたのでしょう」


義経は、梓の話に表情が和らいだ。


「お父上・勝頼様のお苦しみが、今なら分かる……

偉大な父が突然亡くなられ、皆はその影を追い続ける」


義経の言葉を聞いて、梓ははっとした。

今の義経の眼差しを見て、富士川にて梓の涙を拭いた時の父・勝頼の眼差しが目に浮かんだ。


「武田の家臣は、今でも瀬田に旗を立てる、祖父・信玄の志を胸に刻んでおりました……」


梓は、わずかに目を伏せた。


「父も、いつも信玄公と比べられておりました。

ご自身でも、比べておられたのかもしれませぬ」


義経は、そっと梓に微笑みかけた。


「……そなたも、苦労が絶えぬの。

父も夫も、偉大な影に怯えておる」


挿絵(By みてみん)


梓は静かに首を振った。


「父は……いざとなれば武田を討つように……そのようにも申しておりました」


「そうであったか……

武田を止めるーー難しき事を、梓に頼んでしまったな」


「いえ……父は昔の父のままでした。

それが分かって……私は救われたのでございます」


梓は微笑み返し、義経の腕に自らの手を回した。


「それも、義経様が小牧を織田の猛攻から、必死に守っていたからでございます」


自らの腕を掴む梓の手に、義経は空いている手をそっとのせる。



そこに、お市の方があらわれた。


「義経様、参りました……」


義経の眉間が狭まり、表情がこわばる。


「ちょうど良い、この天守にて話をせぬか、お市殿」


「よろしいかと存じまする。

では、こちらに連れて参ります」


お市の方が部屋を出ようとしたところ、梓も一礼して部屋を出ようとした。


「お市殿、梓も同席してかまわぬか」


お市の方は振り返り、義経に微笑みかける。


「兄は、義経様の家臣でございます。

それにーー

あの難しき男、是非梓様にも目にしていただきましょう」


「かたじけない、お市殿」


一礼し、お市の方は音も立てずに部屋を後にした。


「お市殿の申される通りじゃ、梓にも一緒に信長という男、拙者の横で見ていてほしい」


「かしこまりました」




どかどかと、勢いのある足音が聞こえてきた。

大きな音を立てるが、敵意は感じられない。

ただ、そういう男なのだ、義経はそう感じながら、音のする方向に目を向けていた。


勢いそのままに、義経の前に姿を現した。

義経の前まで進み、牢で義経と顔を合わせた時同様、立ったままニヤリと義経を見た。


義経は、楽にせよ、と言葉を用意していたが、呑み込んだ。


挿絵(By みてみん)


「京が一望できますな……

京の街に雷を落としながらも、この賑わい。

大したものだ」


義経に構わず、信長は天守からの景色に目を向けた。

一通り見渡し、満足したのか、膝をついて義経に頭を下げた。


「あらためて、信長でござる。

諸国を周り、少し時間がかかりました。

ご容赦を」


義経はすぐに口を開かなかった。

そこに、信長の傍らに控えたお市の方が、口を開いた。


「ご決意されましたか、兄上」


信長はお市に顔を向け、またニヤッとする。


「さて……」


信長は、義経に顔を向ける。


「源義経……次第」


「兄上! 失礼な物言いは控えられよ」


お市の方が慌てていた。


「未練は無い。

気に入らぬなら、斬れば良いだけのこと」


義経は信長を眺めながら、一言だけ伝えた。


「では、何しにまいった」


敵意も無ければ、信長への気遣いも無かった。

信長は薄く笑みを浮かべたまま、義経に少しだけ近づく。


いにしえの、軍神と話をしてみたくて参った……」


挿絵(By みてみん)


梓が信長の横から、口をはさんだ。


「戯言にお付き合いする時間はございませぬ。

お引き取りを」


信長は、梓に顔を向け、しばらく凝視していた。


「奥方は、武田の姫であったな。

さすがの気骨でござるな……!」


信長は愉快そうに笑った。


「兄上!」


お市の方が声を張り上げた後、義経に向けて詫びるように頭を下げた。


「いやはや、長い間媚びへつらわず、強がって参った。

ご容赦を」


信長は頭を下げた。


「だが――話をせねば、心も決められぬ。

家臣も志も失った、わしごとき者との時間が無駄であらば、このまま失礼申し上げる」


義経は、頭を下げた信長を見下ろした。


「いや、長きにわたり敵対していたものと語るのは、悪くない」


ここで口の端が上がる。


「ただし――

拙者は皆が敬愛する兄とは違う。

愚弄したものに頭を下げてまで、臣下となることは願わぬ。

”古の軍神”とは、戦しか知らぬ単純な男よ」


信長は頭を上げ、義経を無表情で覗き込む。

そして突然笑い出した。


「はっはっは、これは結構!」


「何がおかしい!」


梓が立ち上がる。

しかし、義経は梓に手を上げ、抑えるように合図を送る。


挿絵(By みてみん)


「そんなに可笑しいか、信長殿」


「いやいや、大変失礼いたした。

お話できて良うござった……!


何せ、お話を伺った家臣のもの達は、皆頼朝の志を語る。

いかに日ノ本を静謐にすべきか、そのためにどれだけの覚悟をしてきたか」


信長の顔が真顔になった。


「……くだらぬ!」


梓の耳は赤くなり、逆にお市の方は血の気が引いていた。


天守に差し込む光が、わずかに陰った。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


「くだらぬ」


吐き捨てるような信長の言葉に、

梓は耳を赤くし、お市は血の気を失いました。


しかし――

義経の心は、なぜか、その言葉に揺れていました。


ようやく現れた、自分を見抜く者の声。

それが救いなのか、毒なのか。

義経自身にも、まだ分かりません。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。


雪は降り止んでも、山々を覆う白は、まだ消えません。

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