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第三十一話 鳥取城の交渉

義経が信貴山で、長宗我部元親と対峙していた頃――


もう一つの交渉が、静かに動いていた。

毛利の居城・鳥取城。


大内義興と、毛利の智将・安国寺恵瓊。

腹に一物を抱えた者同士の、探り合いが始まる。

義経が長宗我部元親と話をしていた頃――

義経軍の大内義興と前田玄以は、毛利支配下の鳥取城にいた。


向かいには、常に薄笑いを浮かべる安国寺恵瓊。

その隣に、静かながら威圧感を漂わせる吉川元春が座っている。


挿絵(By みてみん)


元春は背筋を伸ばし、顎を引き締めながら、下から相手を見上げるような眼差しを、玄以に向けた。


「我らの将兵を、いまさら抑えることは難しゅうござる。

水軍同士で、長年の小競り合いもござった。

瀬戸内海を安んじる海路とするためにも、ぜひとも長宗我部への侵攻を、お認めいただきたい。


何より――源氏に、迷惑をかけることはござらぬ」


前田玄以は、元春に淡々と返す。


「しかし長宗我部家は、毛利家同様、我ら源氏にとって大切な友軍。

黙って見過ごすわけには参りませぬ。

どうか、お考え直しを」


恵瓊は、玄以の言葉にも、薄笑いを崩さない。

法衣をまとってはいるが、その表情は、利害に応じて変幻自在に変わる商人のようであった。


「実は、玄以殿――

九州の大友と島津からも、ともに長宗我部を攻めるという約定がござっての。


これは、大友と我ら毛利の争いを止めるための、またとない約定でもある。

長宗我部を攻めねば、我らは大友と、その大友と結んだ島津とも、戦わねばならぬ。


毛利の苦しい事情を、ご理解いただけぬか」


選ぶ言葉は頼み込むものであったが、そのにやけた表情は、値の交渉を有利に運ぶ商人そのものであった。

恵瓊は、黙っている義興にも、目を向けた。


義興は、恵瓊の視線を意識してか、ふっと息を吐き、口の端を上げた。


「では……

我ら源氏も、指をくわえて見ているわけには参らぬ。

――参戦いたす」


さすがの恵瓊も、突然の義興の言葉に、面食らった様子だった。


その一瞬、恵瓊と元春の視線が、ふと交わる。

義興は、それを目の端に留めたが、意味までは読み取れなかった。


挿絵(By みてみん)


静かに成り行きを見守っていた元春が、口を開く。


「急なお話でござるな……

先ほどは、大切な友軍と申されていた。

それに――長宗我部元親の娘は、頼朝公の甥・羽柴秀次殿に嫁いでおられるはず。

縁続きを、源氏自ら攻めると申されるか」


元春は、訝しげな視線を義興に向けた。


「戦国の世の習いとは、残酷でござるな……

頼朝公亡き今、秀次は御台所・羽柴篠様の従兄にすぎぬ。

頼朝公の義父であった羽柴秀長殿も、いまや退役の身。


それより、我らも帝より、領を広げよとのお言葉を賜っておるゆえな」


「民のために心血を注いでこられた頼朝軍らしからぬ、お言葉。

毛利も、この先どうなるか……わかりませぬな」


「……いかようにも」


真っすぐに切り込んでくる元春から、義興は視線をそらし、鳥取城の外へ目を向けた。


「元春殿も恵瓊殿も、ご存じではないかもしれぬが……


この時代に参る前、わしは元春殿の父君・元就殿とともに、強敵・尼子経久と戦ったものよ。

だが、この時代に来てみれば、尼子家は元就殿が滅ぼし――

わが大内家も、元就殿にとどめを刺されておるではないか」


恵瓊が、義興の話に、再び笑みを浮かべた。


「……義興殿、それは義興殿ご自身のお言葉か。

それとも、源氏を代表してのお言葉か……」


恵瓊という男は、皮肉めいた言葉を投げ、相手の反応を見るのが、楽しくてたまらないらしかった。


「老骨の、思い出話でござるよ。

一寸先は闇――

その世の理を、痛感したまでのこと」


「毛利が源氏に滅ぼされぬことを、切に祈りまする……

くわばら、くわばら……」


恵瓊は、わざとらしく数珠を鳴らす。

その音が気に障ったのか、義興は、あえて真剣な眼差しを恵瓊に向けた。


「新しき我らが主君、源義経とは――

表情こそ清廉な武人であるが、近くに寄ってみられよ。

……獣の臭いが、漂うておる。


あれが本物の軍神となってしまえば、恐ろしきことよ……」


義興は、そう言いながら、恵瓊を凝視した。

恵瓊は、背をわずかに後ろへ引く。


挿絵(By みてみん)


それを見ていた元春が、二人の間に割って入る。


「して、源氏はいかがなされる」


「これは、戯言が過ぎましたな、元春殿。

はっはっは!」


義興は破顔し、元春に向き直った。


「毛利家は、播磨より西に広大な領をお持ちゆえ、伊予から攻め入るのがよろしかろう。

我ら源氏は――讃岐と阿波から攻め入るのは、いかがであろうか。


我らは本願寺、鈴木とも、強いよしみを結んでおるゆえな」


“本願寺”の名を出した瞬間、恵瓊がわずかに反応したように、義興には感じられた。

だが、それは、ほんの一瞬だった。


元春は、義興の話に、首を横に振る。


「御心配には及ばぬ。

間もなく播磨の別所家は、我らに帰順いたす。

のう、恵瓊殿」


「元春殿、それは口外せぬ約束でしたぞ」


わざとらしい言葉と、小馬鹿にしたような恵瓊の薄笑いに、義興の視線が厳しくなる。


「よいではないか、恵瓊殿。

我ら毛利と源氏の仲。

毛利とは、もともと頼朝公の腹心・大江広元を祖とする家。


大事なことこそ、包み隠さず話さねばの」


元春が恵瓊に返した。


――別所が、毛利につく。


義興の頭の中で、盤面が塗り変わる。


播磨を治める別所が毛利の手に落ちれば、讃岐への道は、毛利が握ることになる。

義経陣営が毛利との対立に備えるうえで、讃岐は要であった。

その要を、先に押さえられる。


さらに、播磨の北で毛利と境を接する山名家は、南からも毛利に迫られることとなる。

臣従したばかりの友軍が、南北から挟まれる。


だが義興は、それを おくびにも出さず、大仰に破顔してみせた。


「それは毛利家、ますますのご発展ではないか。

友軍として、喜ばしい限りじゃ!


しかし――わが主、義経公に、もっと早う進言しておくべきであった。

別所を、攻めておくべきと……」


義興の言葉に、元春が頭を下げる。


「それは、ご容赦を、義興殿。

毛利も、別所には力を尽くしてまいった。

いくら義経殿といえど、そこは、お譲りいただきたい」


「いやはや、元春殿。

どうも年を取って、戯言が増えてしもうたわい。

毛利のこれまでの労を、無にするようなことは致さぬ」


「感謝申し上げる」


そこに、前田玄以が、あらためて口を開いた。


「では、我らは長宗我部攻めの許可を得るべく、急ぎ主に諮りまする。

しばし、お時間を」


吉川元春の表情は、厳しかった。


「こちらは、すでに準備が進んでおる。

長くは待てぬ。

なれど――義経殿のご裁可を、賜りたい」


元春に対し、義興は大仰に返す。


「元春殿、我らも攻めるとなれば、話は早い。

それまで、お待ちを!」


***


義興と玄以が城を出て、宿場へ向かっていた。

鳥取城の天守が、燃えるような紅葉の中で、城下を見下ろしている。


「立派な城じゃの、鳥取城は……

そうは思わぬか、玄以殿」


「誠に……

櫓も城壁も、鉄の城門も、いつの間にか備えが整うておりましたな。

城から大筒を放てる箇所も、あったように見受けました」


「敵に回すのは、やはり難儀か。

――しかし、玄以殿」


義興は、声を低めた。


「……何か、引っかかるのじゃ」


「何か、感じられましたかな、義興殿」


「真面目に長宗我部を攻め取るにしては……

我らの参戦を、思いのほか、あっさりと受け入れた」


玄以は、義興の言葉に、首をかしげる。


「拙者には……毛利は、我らの参戦に難色を示していたように見えましたが」


「難色を示しはした。

だが――本気で嫌がる者は、あそこまで、きれいに引かぬ」


義興は、鳥取城を、あらためて振り返った。

しばらくして、玄以に、ぽつりと漏らす。


「……気のせいかもしれぬがな」


義興は、馬を進めた。

だが、宿場までの道中、義興が再び口を開くことは、なかった。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


長宗我部元親は、ひとまず臣従を受け入れました。

その報せは、まもなく毛利にも届くでしょう。


守るべき友軍・長宗我部が、義経のもとへ下る――

これで毛利は、侵攻の口実を失います。


なれど、鳥取城を辞した大内義興の胸には、

拭いきれぬ違和感が、残っていました。

毛利が見せた、あまりにきれいな引き際。


その裏に、何が隠されているのか。

毛利との交渉は、これで収まるのか、それとも――


この後の展開も、是非お付き合いくださいませ。

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