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第二十二話 命の重み

二条城では、太田牛一、大内義興、源宝の参謀本部が、毛利・長宗我部対策を講じていた。


そこに、甲斐の凶報が飛び込む。

大内義興は源宝を連れ、覚悟を決めて梓に報告にあがる……

二条城の参謀本部は、毛利、長宗我部への対応に追われていた。


太田牛一は中国、四国の地図を広げながら、大内義興、源宝と向き合っていた。


挿絵(By みてみん)


「まず、毛利との交渉でござる。

これまでは前田玄以殿に諸々頼っておりました。

しかし、この先の交渉は実直な玄以殿には、少しばかり荷が重いかと……」


牛一は義興と宝の顔を覗き込んだ。

義興が腕組みをしながら口を開く。


「我が軍に有能な人材は多くとも、何枚も舌を持ち合わせるのは、早雲殿だけじゃ」


牛一も義興の言葉に頷いていた。

しかし義興の表情は重かった。


「じゃが、われらのような年寄りの中でも、早雲殿は一段と歳を取られておる。

娘同様に育てて来られた桜殿(頼朝の娘)も、人が変わったようにふさぎ込まれたまま。

……早雲殿のご心痛はいかばかりか」


牛一も同調する。


「常に頼朝様を陰にひなたに支えられた秀長殿、早雲殿も顔を出されなくなり……

我らを集められたトモミク殿、阿国殿も行方不明。


我らとて、長くはもちませぬな……」


義興と牛一の話を聞きながら、宝は身の置き場が無く落ち着かない様子だった。

その様子を見て、義興が微笑む。


「しかし、このような若き至宝を得たのは、不幸中の幸いであった!」


義興は笑いながら宝の背中をたたいた。

宝は驚きと恥ずかしさで肩をすくめる。


義興はあらためて牛一に声をかける。


「のう、牛一殿。

牛一殿は、ここを動くわけには参らぬ。

毛利は――わしが参ろう」


「感謝申し上げる、義興殿。

長宗我部はいかがいたそう。


義経様に長宗我部元親とお会いいただきたいところではあるのですが……」


牛一の顔が曇る。

義興は牛一の表情を目にして、静かに口を開く。


「……義経殿が、ご心配か」


牛一は言葉を発しなかったが、その沈んだ顔つきが義興への答えとなっていた。


「牛一殿、ご心配には及ばぬ。

梓殿と――」


義興は、ニヤッと宝の顔を見た。


「宝殿がおれば、問題あるまい」


「え……私は、が、外交は……」


慌てる宝。

しかし義興は続ける。


「聞いておる。

あの頑固な家康を帰順させたのは、宝殿と。

元親ごとき、どうということはあるまい」


「いや、あの時はまた……たまたまと申しますか……」


「断るのか、宝殿」


「いえ、参ります……はい、参ります。

ただ、私だけでは力不足……」


宝の眉がこれ以上無いほどにハの字に寄っていた。

牛一も、微笑んでいた。


「某も、宝殿のご同行賛成いたしまする。

梓様と、宝殿が義経様の脇を固められたら……真っすぐな義経様が、切れ味鋭い両刀を手にされたようなもの」


「はあ……」


宝は困ったように俯いた。

義興はあらためて地図を指さす。


「いつかは、毛利と事を構える事を考えねばならぬ。

そのためには、何があっても阿波、讃岐、土佐は我らが手中に収めねば。

毛利が三方面から我らをうかがえるか、我らが三方面から毛利ににらみを利かせられるか……

ここは勝負よ」


そして宝に再び言葉をかける。


「長宗我部を怒らせても構わぬ。

今毛利と事を構えるよりは、長宗我部に攻め込む方が、よほど我らには都合がよい」


宝も、あきらめたように地図に目線を戻した。


「そうですね……今毛利と事を構えても負けないと思います。

でも、四国を守りながらも山陽、山陰に本格的な軍勢を配置するのは、難しいですね……」


宝も、地図を指した。


「毛利が讃岐、阿波を手に入れ、そこからも軍を派遣されたら、面倒ですね」


宝の目が地図に見入り始めた。

その様子を見た義興。


「そうじゃ、その調子じゃ、宝殿!

はっはっは!」


牛一も、目を細めていた。



そこに――

使者が部屋の入口に現れた。


「信濃の頼光様から!

甲斐の主だった首謀者、お討ち死にとのこと。

頼光様、仁科盛信様が急ぎ甲斐に軍勢を進めております」


義興の目が見開かれた。


「信勝殿はいかがされた!」


「信勝様も、信勝様を担ぎ上げられた首謀者同様……!」


「なんということじゃ!」


義興が思わず立ち上がる。

牛一も俯きながら首を何度も横に振る。


挿絵(By みてみん)


「梓様は……お父上・勝頼様を亡くされたばかり……

それでも、義経様を必死にお支えされて……


弟君、さらに多くのご親族を失われたとは……」


下を向いたまま牛一は呟いた。


義興が意を決して言葉を発した。


「わしが……義経殿と、梓殿のもとに参る!」


義興は、足取りも重く、部屋を出ようとした。


「お、お待ちください……!」


宝だった。


「わたくしも、参りまする……

わたくしごときでも、女子おなごもいたほうが、よろしいかと……!」


義興は、宝に振り返る。


「……良き心がけじゃ、宝殿。

参ろう!」


部屋を出る義興に、宝も急いでついていった。


***


一年近い徳川領侵攻の間、宝は梓の近くに常にあった。

その宝が目にしたことの無い、梓の空虚な眼差しだった。


甲斐の報告を聞き、梓は怒ることも、悲しむこともなく――

当初は背筋を伸ばして耳を傾けていた。


それが突然体が傾き、眼差しが一点に向けられていた。

目は動かず、梓の知性にあふれる眼の光は消えていた。


空っぽの目――宝には、そのように映っていた。


「あ、梓様……」


宝は声をかけずにはいられなかった。


「梓……!」


義経も梓の肩を抱きとめるが、梓の眼差しは変わらない。


挿絵(By みてみん)


そして――

突然梓が頭を抱えて、声を出した。


空っぽだった心に、何かが突然流れ込んだようであった。

絶叫するでもなく、言葉もなく、”声”、が梓の口からあふれ出ている。


義経は必死に梓を抱きしめ、義興は頭を下げたまま拳を握りしめている。


宝にとっての梓は、憧れと尊敬の理想の存在。

その梓が、心の形を失い、言葉を失ったかの様に、うめいている。

宝の目に涙が浮かぶが、自分でもその理由がわからない。


「梓様、しっかりしてください……!」


無力で、適切な言葉ではないと分かっていた。

でも宝は、梓を呼び戻したかった。


次の瞬間、梓は前に突っ伏した。

激しい嘔吐を繰り返し、そのまま意識を失う。


義経が絶叫する。


「い、医者だ!医者を呼べ!」



血相を変えた医者と侍女たちが、梓のもとに駆け寄った。

「お部屋に運ばれよ!」と医者が指示を送る。

目が閉じられ、ぐったりして動かなくなった梓を侍女たちが持ち上げる。


「手荒く扱うでない!そっと運ぶのじゃ!

……急ぐのだ!」


義経も冷静さを失っている。

梓の後を追って、部屋から出た。



部屋に宝と義興だけが残される。

義興は、ようやく頭を上げた。


義興は甲斐の惨状の報告以来、ずっと頭を下げたままだった。


宝は呆然と座り込み、義興も厳しい眼差しを畳に向けたままだった。


挿絵(By みてみん)



どれほどの時が経ったことか……

部屋の入口に侍女が走り寄ってきた。


「お部屋においでくださいませ」


「よろしいので……」


義興が重い口を開いた。


「はい、梓様のお言葉でございます……」


困惑しながらも、義興と宝は義経たちの寝所に向かった。

寝所の前に到着すると、侍女が声をかけた。


「義興様と宝様です」


「……お入りを」


中からか細くも梓の声が聞こえてきた。

侍女が戸を開ける。


空いた戸の先に、義経に支えられながらも、力なく座る梓がいた。

それでも、宝は梓の目線を感じた。

涙がたまっていても、宝が知る梓の眼差しだった。


その梓の眼差しを見て、宝の目からも、自然に涙があふれた。


「先ほどは、お恥ずかしいところを……」


梓が再び声を発した。

静かに宝と義興に頭を下げる。


思わず宝は梓の近くに走り寄った。

梓は、宝に向かって手を伸ばした。


宝は恐縮しながらも、梓の手を握り返す。


梓が再び静かに口を開いた。


「多くの命を失ってしまいました……本当に多くの……


でも……

あらたな命を授かりました……」


「え……?」


宝は、横にいる医者の顔を見た。

かすかに微笑み、宝に頷き返した。


「あ、梓様……もしかして……」


「はい……」


気が付くと、宝は梓の胸の中に飛び込んでいた。

人目をはばからず、嗚咽とともに梓の着物を涙で濡らした。


「どうしたのです、宝様……」


声を上げて宝は泣いていた。


梓の境遇への同情なのか、子供を授かったことへの喜びなのか。

梓が心を取り戻したことへの安堵なのか……

宝自身もわからなかった。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


父を喪い、弟を喪い、一族を喪い――

それでも気丈であろうとした梓の心が、ついに折れました。


その梓を、ひとつの小さな命が、つなぎとめます。


失うばかりだった物語に、芽吹いた命。

この後の展開も、是非お付き合いくださいませ。

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