第十八話 義と利
「よ、義経様は……失礼ながら、義のお方。
頼朝様は、理から義を目指されたお方……」
宝の必死の言葉に、義経の眉が険しくなる。
「つまり、宝殿は拙者が愚直なもの、そのように申したいのか」
慌てる宝。
しかし――
宝が語る戦略に、義経の凝り固まった心が、少しずつ解けていく。
正午を過ぎた強い日差しが、京の街を照りつけていた。
それでも通りは商人、武家、公家、僧などで分け隔てなく埋め尽くされ、街の喧騒は日に日に増すばかりだった。
二条城にも、多くのものが出入りしている。
内大臣として義経政権の政に参画するため、公家たちも御所と二条城を行き来した。
武器商人達も、積極的に売り込みに足を運ぶようになった。
特別な募兵も無いというのに、腕自慢の浪人たちが二条城に常に現れる。
日ノ本に並ぶものなき軍団となり、義経を頂点とした組織は軍事のみならず、経済も政も噛み合うようになり、相乗的により大きな影響力を発揮していた。
さらに、領国内の民は安寧を享受し、他国からの人の流入も多く、すべては領国の発展につながる好循環となっている。
外から眺める二条城は、その発展の象徴であった。
高く聳える天守は、京の街をどっしりと見下ろしている……
その頂点に君臨する義経は、街の喧騒も耳に入らず、若い軍師・源宝の言葉に耳を傾けていた。
宝は覚悟を決めたように声を出している。
「これまでは、敵対する武家のみに攻め込んで参りました。
頼朝様が京を目指す名分――
覇権のために他家を滅ぼそうとする信長様のお力を削ぐ。
そのように、ご決断されました」
「宝殿、それは拙者が痛いほどわかっておる。
だからこそ、どうやっても兄上の志を崩すこととなってしまうのではないか……
長宗我部を討つのは容易い。
だが、ここまで兄上について参った家臣、友軍、民は、一体どうなる」
宝は義経の一言一句を聞き逃さないように、義経を凝視していた。
義経の言葉の勢いに押されそうになりながらも、意を決して言葉を続けた。
「よ、義経様は……失礼ながら、義のお方。
頼朝様は、理から義を目指されたお方……」
「つまり、宝殿は拙者が愚直なもの、そのように申したいのか」
義経の言葉で、宝の顔が固まる。
宝は慌てて額を畳に擦り付けた。
「い、いえ、決してそのような……!
私は、そのような義経様が大好きなわけでして……あ、その大好きというのも色々とございまして……」
しどろもどろする宝の姿を見て、梓が義経に釘を刺す。
「義経様……
そうやって宝様に目くじらを立てるようなことはおやめくださいませ。
宝様の集中を切らしてしまっていいのですか」
「申し訳ない、宝殿……梓の申す通りじゃ。
拙者の戯れじゃ、続けよ」
宝は恐る恐る畳から額を離し、顔を上げた。
「た、民や友軍は、義が先でも、理が先でも――
安寧を保障されれば良い、そのように存じまする。
大事なことは、義経様が常に民のため、友軍のために力を尽くされている。
その証を立て続けることと、愚考いたしまする」
「それが、罪なき長宗我部を虐げることと、どうつながるのだ」
宝のオドオドした目線が、少し落ち着いてきていた。
「いずれ惣無事令を出されるおつもりであれば、実質、武家を従わせねばなりませぬ。
朝廷の発布のみならず、その発令に従わせるための力の拠り所がなくてはなりませぬ。
だからこそ――
帝も関白様も、日ノ本の半分を治めることを、惣無事令発布の最低条件とされていたのだと存じまする……」
「だからといって、長宗我部を屈服させるというのは、詭弁であろう……」
「いえ、義経様……長宗我部様を救うためでもあるのです。
長宗我部様には、臣従いただく他、お救いできる手立てがございませぬ……」
義経は顔を顰めて、宝に言葉を返した。
「信長が嘲笑しておった……
我らの“救うために滅ぼす”という得意な方法で、長宗我部を攻めよと。
同じことか、宝殿……」
頭の中で何かが巡っている宝に代わり、信長と義経の話に同席した大田牛一が口を挟んだ。
「いえ、義経様。
信長様は、義経様が長宗我部を攻めとることを煽っておいででした。
我らは、長宗我部に利をもって説得を試みたいと考えております」
「先ほどは、毛利とともに長宗我部を攻めると申していたであろう」
「義経様、宝殿が申されたのは毛利への“打診”でござる。
毛利に共同作戦の打診をし、ともに軍議を開いて時間を稼いでいる間に、長宗我部を説得いたしまする」
義経の気持ちの昂りが、目に見えて収まってきていた。
「そのような事ができるのか……」
義経の問いに、牛一は目配せをして、あらためて宝に発言を促した。
「長宗我部様には、我らはどちらにも味方できない立場を伝えまする。
毛利は――
九州の島津や大友とも誼を結んでおります。
だからこその、万全の態勢での長宗我部様への宣戦布告。
長宗我部様は、我らの助けがなければ、豊後水道から九州勢、瀬戸内海からは毛利勢が大挙して攻め込むこととなりましょう……
我らが援軍を出す唯一の方法は――
形だけでも、我らに臣従する。
それ以外に、長宗我部様が生き残る道は無いのです。
当然、長宗我部元親様には、引き続き四国を半独立軍団として統治いただくことをお約束いたしまする……」
「しかし、宝殿も覚えていよう。
我らは、家康殿に戦いを挑む前に説得できなかった……」
そこで、大内義興が口を開いた。
「義経殿、あの時の徳川には、差し迫った危機はなかった。
どこかで勝算もあったのでしょう。
長宗我部元親が、よほどの阿呆でなければ――
我らの援軍無くして毛利、大友、島津を相手に太刀打ちできるとは思うまい」
大内義興の目が、さらに義経を射抜く。
「もし、長宗我部元親が戦うというのであれば……
四国は、我らも加わった草刈場となりましょう。
その時は、毛利には多くを取らせぬよう、我らが四国を抑えまする」
義経が言葉を失う。
そこに、宝があらためて口を開いた。
「あの、義経様……
長宗我部様が我らの説得に応じなくても……
毛利との軍議が物別れになりましたら、毛利を攻める大義名分ともなりまする。
その時は長宗我部と手を組み、四国、山陰、山陽から毛利に攻め込みまする」
義経が立ち上がる。
「……そういうことであったか……!
まずは毛利と時を引き延ばし、その間に長宗我部の臣従を試みる。
長宗我部や毛利との話の行方次第では、いかようにも中国四国を落ち着かせる事ができる……」
義経の言葉を聞き、義興は顔半分だけ笑みを浮かべた。
「まさに、義経殿のご理解の通りでござる!
決して、義経殿が、頼朝殿の志に傷をつけるようなことにはなりませぬ。
尤も、わしは口実など後からどうとでもなる、そのように申したのじゃが……」
義興の言葉に、宝がめずらしく、間を置かずに顔を上げた。
「い、いえ……義興様。
口実は、後からどうとでもなりましょうが……
長宗我部様をお救いすることだけは、方便ではございませぬ……!」
宝は言い切ってから、自らの勢いに驚いたように肩をすぼめた。
義興は一瞬目を見開き、それから破顔した。
「……これは、一本取られたわい」
義興は宝の横に近づき、その頭を撫でた。
「この変わった若き女子の知謀には、この老体は敵わぬわい。
はっはっは!」
義興が大声で笑う傍ら、宝は居場所を失ったように困り果てていた。
義経は梓に顔を向けた。
ほっとしたような、どこか寂しげな、複雑な表情を浮かべていた。
しかし、その義経の表情は、梓の心に重くのしかかっていたものを軽くするには十分であった。
「宝様、ありがとうございます。
ずっと、助けられてばかりですね……」
梓からの言葉であった。
「と、とんでもございませぬ!」
策を集中して語る時以外、自らが話題となると動揺する姿は、相変わらずだった。
義経も、心から破顔していた。
あらためて義経は襟を正し、口を開いた。
「そなたらの策に従う。
毛利、長宗我部との交渉の人選、いつでも出撃できる態勢、万事整えよ」
牛一、義興、宝は一礼し、急ぎ部屋から退出した。
部屋を出る三名の背中を見ながら、義経は梓に呟いた。
「これでは……君主など必要ないではないか……」
言葉ほどに、義経は不愉快な表情を浮かべてはいなかった。
「義経様、それは違うのですよ……
宝様が申されておりました。
義経様は、義のお人。
だからこそ、私もいつまでもお側に……
そして、義興様のお言葉――
大きな志は、君主一人が引き受けるものでは無いと。
このように家臣が必死にお支えするのも、義経様だからこそです。
お忘れなきよう……」
義経は苦笑いを浮かべながらも、部屋の外に目を向ける。
陽が傾き始めてもなお続く、京の街の喧騒が、義経の目に映っていた。
お読みいただきありがとうございました。
義経を苦しめてきた、頼朝の志の矛盾――
武家を守りながら、日ノ本の半分を抑える。
その相反する重荷に、宝の知略が、一筋の道を示しました。
張り詰めていた義経の呼吸が、わずかに和らぎます。
次回、場面は駿府へ。
冷や汗を流す家康に、宝の網は迫るのか。
この後の展開も、ぜひお付き合いいただけたら幸いです。




