第十三話 臭い
秋山信友が、南信濃の武田勢の帰順を申し出た直後。
越後から、友軍・上杉家の筆頭家老、直江兼続が義経のもとを訪れた。
弔意を述べ、領土を譲ると申し出る、殊勝な使者。
だが、その兼続がふと漏らした一言に――
大内義興と源宝の、目の色が変わる。
「良くぞ参られた!」
義経は、直江兼続の訪問の目的を予想しながらも、素直に再会を喜んでいた。
「越前の織田軍を追い払った時以来ですな」
兼続も懐かしげに目を細めた。
すぐに義経の傍の梓に顔を向け、深く頭を下げた。
「梓様……
この度は誠に……言葉もございませぬ」
梓は力無く畳に手をついている兼続に言葉をかける。
「お心遣い恐れ入りまする……
叔母上は、力を落とされておりませぬか……」
上杉景勝の奥方は、武田勝頼の妹、菊姫であった。
「菊姫様は、常に上杉家当主の奥方としての模範を家中に示されておられる……
それゆえ多くを語られませぬが……ご心痛は計り知れませぬ」
「そうですか……
私も、叔母上を見習わねば……」
梓は微かなため息をしながらも、客人の前で努めて微笑みを浮かべている。
義経はその梓の横顔をしばらく見ていた。
「ところで義経様……」
兼続の声で、義経は前を向く。
「此度の武田内の混乱で、小県の真田、上野の国峰城主の内藤、箕輪城主の武田信廉、沼田城主の朝比奈――
我ら上杉に帰順の申し出をして参りました」
秋山信友から話を聞いていた大田牛一が、思わず声を上げた。
「重臣の内藤昌豊や、一門の武田信廉までが離反をしたと申されるか……」
真田は揺れていたことを聞いていたが、上野は信勝に従うと聞いていた。
牛一の言葉に、兼続は頷いた。
「武田の実情を聞き、警戒のために国境を固めておりましたが……
我らも驚きました。
これでは、何のためにこのような暴挙に出たのか、理解に苦しみまする」
兼続は、梓の顔色を気にしながら言葉を選んでいた。
改めて義経に視線を向ける。
「しかし義経様。
以前も申し上げた通り、今は義経様が領を広げねばなりませぬ。
我ら上杉は、帰順した旧武田領を守護するため兵は出しますが、甲斐を攻めとる意思はござらぬ」
「相変わらず、上杉家とは無欲な武家よ……」
「いえ、義経様。
お忘れなきように。
上杉は関東管領に並々ならぬ執着がございます。
そのために義経様のお力添えにおすがりしている、欲深き武家にござる」
兼続は口の端を上げながらも、続けた。
「そこで――
以前お話をしておりました、越前の一乗谷から大聖寺にかけて、義経様の領土としていただきたい」
「何と……貴軍の兵が血を流して手に入れた城を、我らに割譲すると申されるか……」
「はい。越前では頼朝様のお手伝い申し上げるために出陣いたしましたが、我が兵の猪突にて城を落としてしまいました。
しかし、今は北の最上との争いが絶えず、そちらに兵や人員を割かざるを得ない状況。
越前は、義経様に統治をいただきたく、我が主人からの言伝でございまする」
平伏する兼続に、義経は目を丸くしていた。
「何とも、殊勝なことよ……上杉とは……」
「いえ、義経様、お忘れなきよう。
我らは関東管領への復職の野望――片時も忘れたことはございませぬ。
何卒、お含みおきいただきたく」
上機嫌だった義経の顔色が僅かに曇る。
すぐには言葉が出なかった。
「兼続殿、ご安心を。
叔父上(上杉景勝)にもそのようにお伝えくださいませ」
代わりに兼続に返答したのは梓だった。
「ありがたきお言葉!
しかと、主人に伝えまする!」
その義経と梓の様子を、大内義興が静かに見据えていた。
小さくため息をつき、再び息を吸い込み口を開いた。
「兼続殿、大内義興と申す。
僭越ながら一つお伺いしたく、よろしいかな」
兼続は、笑みを浮かべて義興を見る。
「この源氏の軍団には、あの大内義興様までいらしたとは……
これだけの家臣に恵まれては、今の日ノ本でどの武家も太刀打ちできませぬな」
「兼続殿……確かに優れた家臣に恵まれておりますが……拙者は敗軍の将でござれば」
「何を申される……
ところで、拙者でお答えできることであれば、何なりと」
「上杉家の忍は……何か武田の内情を、事前に掴まれておりませんでしたかな」
兼続は俯き、しばし言葉を整える。
「残念ながら、我らにも寝耳に水でござった。
ただ――」
義興に身体をゆっくりと向けた兼続。
「真田信綱の手のものが信綱に報告したのが、謀反首謀者の一人、武田信豊の狼狽。
“話が違う”――そのように信豊が口にしていたと」
義興が身体を前に乗り出す。
「それは、多くの武田家臣が信勝に従わなかった事に対してか、
それとも、別の計画でもあったのか……何かお分かりか」
「義興殿、恐縮ながらそこまでは……
ただし、此度帰順した旧武田の重臣たちも寝耳に水だったと聞きました」
言い終わった兼続は、首を捻っていた。
しかし、義興の目がピタッと止まった。
「いや、兼続殿。
これはありがたいお話をいただいた。
御礼申し上げる」
「さようでございますか……」
兼続は何かが義興に腹落ちしたように感じたが、何が有益だったのかは想像がつかなかった。
兼続は立ち上がった。
「では、拙者はこれにて急ぎ越後に戻りまする。
越前の引き渡しについては、またあらためて」
一礼をして、兼続は梓に顔を向けた。
「お力を落とされぬよう……」
梓も丁寧に兼続に一礼する。
「しかし義経様。
梓様や我が菊姫様にはお辛い話なれど――甲斐は義経様の領とされよ。
三河、遠江、駿河に加え、信濃、甲斐、越前をも義経様の領国となれば……
朝廷もこれまで以上に無碍にはできぬでしょう」
「誠に、上杉家には頭が上がりませぬ」
義経の言葉に、兼続は笑みを返した。
足早に兼続は越後への帰路を急いだ。
直江兼続が去り、義興、牛一、宝が義経と梓の元に集まった。
「来ていたのか、義興殿!
京を嫌っていた義興殿が腰を上げてくれたとは、ありがたい限りじゃ」
義経の言葉に義興は静かに頭を下げた。
「京の街並みを見ると、少しばかり心の古傷が痛みましてな」
自嘲気味に口の端が上がった。
「しかし、早速に退屈はせぬ事ばかりにて」
ニヤッとしたまま、義興は宝を見た。
何か考え事をしていた宝は、突然の義興の眼差しに狼狽する。
「あ、何か……」
「宝殿が、兼続殿が話していた真田の報告を耳にされてから、口が開いたままだったゆえ。
軍師殿に何かが見えたのかと思いましてな」
「え……!」
宝は慌てて口を手で押さえた。
「はっはっは!」
義興は宝の様子に噴き出さずにはいられなかった。
しかし、宝に返答を促すように、すぐに真顔で宝の目を覗き込んだ。
「……では、僭越ながら……」
宝は大きく息を吸い込んだ。
「義経様の命を待たずに甲斐に攻め込むものがいたとしたら――」
宝は、怯えながらも義興に顔を向ける。
「そのものこそが……怪しいのではないかと……」
その場のもの達が一斉に宝に目を向ける。
大内義興だけは、宝を見て満足そうに笑みを浮かべていた。
お読みいただきありがとうございました。
不可解な勝頼の死。
その謎に、義経陣営が静かに迫ります。
「命を待たず、甲斐に攻め込むものこそ怪しい」
宝のその読みは――はたして。
この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。




