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第十話 月明かり

継いで初めて知る、偉大な先代の志の重さ――

義経は、梓の父・武田勝頼の背負ってきたものを、ようやく理解する。


義経は梓に語る。


「……いずれ勝頼殿と、盃を交わしたいものよ」


その頃、甲斐では……

雲に隠れていた月が、静まり返った京の街を照らし始めた。

雲の間から顔を出す月にさえ、義経は厳しい眼差しを向けていた。


トモミクの失踪の知らせ。

そればかりか、これまで軍団を支えていた羽柴秀長の、因幡いなば国・山名家にて療養の申し出の書も届いた。


トモミク、秀長、姿を消して久しい出雲阿国……

頼朝を支え、軍団の屋台骨と呼んでも、誰も反対するものはいない。


その三人が、頼朝の旅立ちから一年も経たずに、義経の前から姿を消す事となった。


見捨てたか――

一人一人をよく知る義経であったが、自然と湧き出る言葉を抑えるのは楽で無かった。


義経の心の闇――

日ノ本全てのものが自らを見捨て、自らの命を狙った鎌倉の時の心の痛み。

月明かりはその闇を再び照らすかのような、おぞましき薄明かりだった。



「こちらにいらっしゃいましたか……」


静かな夜の闇に、梓の着物の擦れる音だけが耳に入る。

天守から外を眺める義経の傍らに、静かに寄り添った。


「眠れませぬか、義経様……」


挿絵(By みてみん)


義経は梓に微笑み返そうとするが、強張った頬が重い。

梓に目を向ける。

自らの心が見えているのか、梓は案じるような眼差しを向けている。


月明かりが照らすもの全て、義経は恨めしかった。

しかし、その薄明かりに浮かぶ自らの妻は、はっとするほどに美しく目に映った。

心の中のうごめきを覆い隠すような美しさだった。


「……義経様?」


長く一緒にいる妻に対して、込み上げる感情が今晩の美しさと相まって、義経を突き動かした。

義経は荒々しく梓の帯をほどき、着物を大きく開いた。


そこで義経の手が止まる。


「……そなたは、美しい……」


突然のことで動揺していた梓は、義経の言葉を耳にして、目を閉じた。

着物は落とされ、また義経の手が止まる。

梓は義経の目線に困惑して、両手を義経の首に伸ばした。


身体が触れると……堰を切ったように義経は梓を激しく求めた。


荒々しい義経は、これまでの夫では無かった。

それでも――義経が、心底自らを貪るように求めている。


「……離れないでくれ……梓……」


ふと、義経が囁いた。

意図せず、梓の両眼から涙が溢れる。

そして、義経の背中にしがみつくように手をまわした。


挿絵(By みてみん)


梓の嗚咽は、いつしか、寂し気な吐息に変わっていった……。


***


寝所の障子には、朝日が差し込んでいた。

目を覚ました梓が横を見ると、義経はすでに目を覚まして、天井に目を向けていた。


「眠れませんでしたか、義経様……」


梓の声を聞いて、義経は微笑んだ。

昨晩のような頬の強張りは無かった。


「いや、久しぶりにぐっすりと……」


義経は梓の髪を撫でる。


「そなたさえいてくれたら、それで良い……」


梓を引き寄せた。


「私は何があっても、お傍を離れませぬ」


梓も義経の胸に顔をうずめた。

義経の鼓動が直接伝わる――静かだった。


「……だが、梓」


義経は静かに口を開いた。


「日々感じるのだ――信長は正しい、と。

……悔しいがな」


「いえ、義経様は決して……」


言いかけた梓の口を、義経が抑える。


「もし、拙者が信長の言う通りのものであれば、そなたも去るか」


梓は上体を起こし、着物の襟を直した。


「申し上げた通り、決して離れませぬ。

若いそばめを置かれても、離れませぬ。


それに……義経様は信長の申すような”復讐の鬼”ではございません」


信長の名を出すと、梓の息に怒気が混じる。

義経も体を起こした。


梓に微笑むが、義経の声は沈んでいた。


「……皆がいなくなったのは、拙者が兄上の“陰“だからであろうか。


阿国殿やトモミクが、わしをこの時代に連れてきたのは、兄上のためであったのか……

秀長にせよ、かつて刀傷が治らずとも、兄上のために尽くしていた……」


静かだった義経の呼吸が、肩を揺らしはじめた。


「あの方達の事です。

きっと何かあったに違いありませぬ……」


「では、なぜ顔も見せず、一言も残さず去るのじゃ……!

あの者達だからこそ……悲しいではないか」


義経の拳に力が入った。

しかし、すぐに顔が和らぐ。


「もう一つ、気付いたことがある……」


梓は、不安そうに義経を見つめている。


「……梓の父上・勝頼殿のこと……

今になって、わかった気がするのじゃ。


偉大な父が亡くなろうとも、志は生き続ける……」


「義経様……」


「その志の重さーー継いだもののみが、それを思い知ることとなる」


梓は思わず義経の胸に飛び込んだ。

義経はしっかりと腕に包む。


「我が軍団内でも、勝頼殿への不信の声が多くあった。

かくいう拙者も……


いずれ勝頼殿と、盃を交わしたいものよ」


義経の胸に顔を埋めたまま、梓は何度も頷いた。


挿絵(By みてみん)


***


「佐竹、伊達との戦況は」


家康が布陣する川越まで、闇の中を駆けつけてきた斥候に、家康が問いかけた。


「進軍を止めております。

ただ、陣を引き払うまでは行かず、睨み合いが続いている模様」


篝火の音だけが、パチパチと陣所内に響く。

家康が腕を組みながら呟く。


「我らに警戒をしているのであろうが、いつまでもこのままでは……」


そこに、別の斥候が家康の陣所に飛び込んで来た。


「武田家にて、一大事!」


家康は床几から立ちあがる。


「謀反でございます!

勝頼様お討死!

信勝様を旗頭に、武田の家臣団が決起した模様」


「何……!」


挿絵(By みてみん)


家康は思わず声をあげた。

突然、本多正信に顔を向けた。


陣所内で篝火の灯りが直接当たらぬ場所に、静かに座していた。

何事も無いかの如く、微動だにしない。


家康は苦々しく陣幕から外に出た。

暗闇に向けて微かな声を発する。


「何があった……」


「武田信豊、穴山梅雪の一門衆が決起し、信玄の遺言を盾に、信勝を担ぎ上げ、山縣昌景が甲斐を制圧……

勝頼は家督を譲らず、斬られた模様」


服部半蔵の報告に、家康の顔が一段と強張る。


挿絵(By みてみん)


「これが……正信の仕掛けか……!」


「確証はありませぬが、役者は一致しております」


家康は天を見上げた。

欠け始めた月が、自らの周りだけを力無く照らしている。


「……節穴であった。

これが――狙いであったか」


挿絵(By みてみん)


家康は目を閉じ、呼吸を整える。

目をゆっくり見開くと、一点を見据え、陣所に戻った。

お読みいただきありがとうございました。


次回、揺れ動く義経を必死に支える梓に、凶報が届きます。


あるいは――

本多正信が、手の者にこう漏らしていました。

「武田の姫の支えなくば、義経は立ち行かぬであろう……」


正信の計略だったのか、それとも必然だったのか……

継ぐ者にも、それを支える者にも、試練は続きます。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。

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