私とヒロインの帰り道について(序章)。
「——っ」
角を曲がった先に、ヒロインと先生がいた。
漏れそうになった悲鳴みたいなものは何とか飲み込んだけど、逃げを打とうとした体を押し留めるのがちょっと遅れて、後ずさってしまった。
「あ、偶然ですね!」
ヒロインと目が合い、笑顔になった。ただその直前、一瞬睨まれたように感じた。
私はばっと音がしそうな勢いで俯く。
嬉しそうなあの声も親しげなあの笑顔も覚えがある。
今、横にいたの、先生だよね? こちらに殿下と元護衛。
——4人。
また吊し上げか。
……護衛はいない。メイドを撒いとくべきだった。私の巻き添えでまた何言われるかわかったもんじゃない。
言われる、だけで済めば良いが——メイドだけは守って、今度こそ——
ああくそ、落ち着け。
だめだ。いつもより視界が狭い。また耳鳴り。なんでこんな時に。これじゃ逃げきれない。
——逃げ切る? 違う、ちゃんと話をする、と、決め、て?
呼吸が浅くなってる。視界がどんどん狭くなる。このままじゃまずい。
何がまずいんだっけ。ええと義弟との約束だ。それを守るために倒れるわけにいかなくて、義弟? 義弟は……待て今は——いつだ?
「……マリー?」
殿下の小さな声を、かろうじて耳が拾った。
不思議と耳鳴りが止む。
——こんな心配そうな声で、私の名を呼ぶ殿下なんて今までいたためしがない。
大丈夫。落ち着け。
まだ、義弟は入学してない。まだ、大丈夫。
聞き間違いでなければこれは今世の殿下だ。
大丈夫と口にする代わりに身振りでちょっと待ってもらう。
深呼吸を繰り返す。
さっき一瞬見えた先生の髪は長かった。服はローブ。だから大丈夫。これは多分現実で、ならまだ、何も起こらない。
吊し上げられるわけじゃないし、きっと冷たい目を向けられたりさえしない、はず。これが夢じゃなくて現実で間違いなく今世なら、先生よりメイドのが強い。
「マリー様?」
若干不審そうな響きを帯びたヒロインの声。やばいやばい、私がこんなじゃ、また殿下に疑いが向く。
ちょっとだけ待っててね、今、スイッチ入れるから。
「……ええ、偶然ですね。今お帰りですか?」
顔を上げながら笑顔で、そう返す。なるべく隣の先生の方は見ないように、意識して周辺視野を殺す。
俯瞰してる分には是非見たいんだけど対面はしたくないのよ。今までの経験上。今度からは覚悟決めとくから。今日はちょっと不意打ちというか、……来年度からはこうやって対面することも増えるだろうけど、今年からとは思ってなかった。考えが甘かった。しかも放課後だから、あとは帰るだけと気が緩んでたっていうか。
殿下にも謝ったし、いつもの物語をちょっと捲きで話そうとしたら殿下にバレて、主人公の台詞再現する約束は? とか突っ込まれてやばい忘れてたと内心焦りつつ語り直したりして、殿下に週2の二日目はいつが良いかとかの相談もしてたから、なんかもう正直精神的にへとへとだったというか。
「はい! アイザック先生と色々お話ししてたら遅くなっちゃって」
ヒロインが笑顔で先生を見上げる。声からも不審さは消えたし、誤魔化せたかな。
自分の仇のツーショットにビビり散らかしてたなんて言えないから、突っ込まれたら詰む。……というか、記憶混ざりすぎだろ。最近本当に情緒不安定すぎる。保つかこれ?
「マリー様はアーサー様と?」
言葉を返そうとしたら、殿下が不意に私の前に立った。視界を遮るように。
「ああ。あまり遅くなると彼女の家の者が心配する。君も早く帰った方が良いだろう。もう暗くなる」
代わりに答えてくれた殿下の背中をちょっと呆気に取られて見つめる。
……勘違い、かもしれないが。なんだか庇われたように感じて、涙が出そうになる。
って、殿下が庇ってるのはヒロインの方だよね。でも実際ちょっと助かったとは思う。ちょっと冷静になれたと言うか。
大丈夫ですよ殿下。私はヒロインが誰を選んでも断罪されてきた推定悪役令嬢ですけど、なんとびっくり、過去一度もヒロインを攻撃したことがないんです。基本的に人に嫌われるのも人の不機嫌も避けたい臆病者だから、読んできた小説の悪役令嬢のように、愛ある忠告とかもしたことがないんで。……ほら私、人間性底辺だからさ……もう良い加減この役回りから解放してくれないだろうか……
心の中でつらつら考えていると、殿下が促すように窓へ顔を向ける。
確かにもう、夕暮れというよりは陽が——
「そうですね。アーサー様、また明日」
「ああ」
って、ああじゃないのでは? 暗くなるのに女の子——いや、話してたのが先生なら先生か?
「じゃあ、アイザック先生、明日もよろしくお願いします」
「ええ。お気を付けて」
え、ちょっと待って。完全に見送り態勢に入ってますけど?
殿下が私の前に立ったのと同時くらいに、殿下の横、私の斜め前に移動してた元護衛の顔を見ると、めっちゃ苦笑いしてた。だよね? ええと、あってるよね? 学内の騎士は学内に宿舎があるから多分言いたくても言えない。わかった私が代弁する。
「マリー様、バイバイ」
ひょこっと殿下の後ろを覗き込むように上体を横に倒したヒロインが手を振ってくる。わぁ可愛い。
「あの、徒歩でお帰りに?」
引き止められると思ってなかったらしいヒロインが、不思議そうに再度体を倒してこっちを見た。
「うん。うち馬車なんてないし。走って帰ります」
「……よろしければ、お送りします」
苦虫百匹噛み潰したみたいな声になった。
ヒロインはきょとんとした顔をした。
「おい」
殿下が低い声を出してこっちを見た。わぁ見返り美人図みたいな構図だけどめっちゃ怖い。
違う、あの、敵意はない。本当に。ヒロインへ対する害意はない。むしろ善意。
「ちょっと来い」
……ヒロイン絡むと怖いからやなんだよ。
既に後悔し始めた。でも若い女の子を一人暗い夜道に放り出すわけにいかないじゃないか。彼女が転生者でもし都市部出身だったら、暗いだけで怖いのでは? 走って帰るっていうのもそれ含まれてそう。
後を追うと、結構三人から離れてやっと殿下が立ち止まった。因みに元護衛はヒロイン側に残った。……怖いからなるべくあっち見ないようにしよう。
「何を考えてるんだ」
防犯か安全か日前の田舎の常識だろうか。
「苦手と言っていただろう。逃げ場のない馬車の中で耐えられるのか?」
私だって見なかったこと聞かなかったことにして脱兎の如く逃げ出したい。何が怖いってヒロインの地雷が私にはわからないことだよ。毎回彼女(とその周り)の不興を買って殺されてるし。
「あの、殿下が彼女を送っ」
「できるわけないだろう! 査察でもないのに平民街に王家の馬車を入れたら騒ぎになる」
それはそう。
馬車には各家の紋章が入ってるし、何より王族が使う馬車は目立つ。馬車自体少ない平民街なら、音に驚いて外に出てきたり窓を開けたりする住民もいるだろう。
それに殿下は忙しい人だし無理か。
「あ……先生に頼」
「正気か?」
……いや確かに私も、死んだと思ったら乙女ゲームっぽい世界にいてしかも何度もループしてますとか、正気なのかどうかかなり疑わしいとは思ってるよ? でもだいぶ暗いのに女の子を一人歩きさせる男の方にそう問いたいが?
と思うのは、私が現代日本のど田舎から来たせいだろうか。基本車社会だったから、送ったり送られたりは普通で、雨の中傘なしで歩いてる時とか、大抵声かけてくれたしな……。
「賢者殿は婚約してないんだぞ。婚約者のいない女性を馬車に乗せられるわけがないだろう」
めんどくさいな貴族の柵。そこはもうちょっと乙女ゲーム的なアレで融通効かせて欲しい。
「キャロル嬢を婚約者に選んだと見られる。平気でいられるのか?」
懇切丁寧な説明をありがとう。
物凄い呆れ混じりに額を抑えて言われた言葉に、私はやっぱりこの世界と相性が悪いなと思った。
貴族の体面が大事なのはわかってるつもりだったのに、やっぱ安全というか防犯というかを天秤にかけられると私には呑み込み難くなってしまう。
……夜中窓開けた私の部屋というかバルコニーへ、どういう経路かわかんないけど飛び込んできた元護衛は、少なくとも人命に関わる場合の判断基準は私に近そう。
それと。
過去何回も実際そうなってるんだよなぁ……今更だ。
「……何度も申し上げておりますが、私は先生に対して恋愛感情は一切持ち合わせておりません」
元護衛が噴き出した。あれ、聞こえてた? 距離もあるし一応声抑えてたんだけど。
私もなんでこんなこと宣言しなきゃならないんだとは思うけど、正気かとか言われて実のところちょっとだけ腹が立っていた。
多分売り言葉に買い言葉みたいになってたんだと思う。
「あんな顔しておいてよく言えるな」
「は?」
「——なんでもない。だとしても、キャロル嬢を送るように君が言うのか? 賢者殿に同情するよ」
——わからねぇ男だな。
「先生はこんな小娘相手にしません」
自分を手で示して言えば、元護衛が今度は噎せた。まぁそうだよね、先生に変な噂が立たないように、私が小さい頃からあんなに気を遣ってたのに、殿下がこれだもの。
殿下はなんというか、絶句という言葉が似合う表情を見せた。
——小娘というのは、令嬢らしからぬ言葉選びだったかもしれない。だけどほら、短所や欠点ならいくらでも上げられるがあんまり私自身を罵ると、私を選んだ殿下へも累が及びかねないので、使えるのが年齢くらいしかない。これでも言葉は選んだ方だ。クソガキと言いそうなところをなんとか変換したんだけども、匙加減が難しくて。
殿下はその後、私を指さしてセキュアさんの方を見て口をパクパクさせていた。
言いたいことがあり過ぎて言葉にならない、とでも言いたげだ。
……ああそうだ、先生が私をどう思ってるか、殿下に言ってない。昨日気づいたばっかりで。他人の心のうちを勝手に口にするのもなぁとは思うけど、なんか度々昔から同じようなこと言われてる気がするし話すべきだろうか。
それにしても、と殿下を見て苦笑しそうになる。
先生が好きになるのはヒロインだ。似ても似つかない。そもそもこんな性格悪いの好きになる物好きなんていない。殿下だって好きなのはお母様でお母様譲りのこの顔だけでしょうが。
女房妬くほど亭主もてずって言うだろが。
立場が逆だし婚約者だけど。
多分私のは依存で、先生のは養育。先生は知識がある分、助けようと思ってしまうんだろう。気持ちはわかる。私も得た知識で人が救えるならと、いや、家族の役に立ちたくて知識を得ようとして、——まぁ意味なかったんだけど。先生は優しいから尚更、途中で放り出したりできなくて、今も何かと助けてくれてる。
家庭教師することになったのが私みたいな人間だったのは本当に運がないというかなんというか……
医者としての知識があるなら、私の精神状態ヤバめなのもわかってるだろうし、わざわざそんなのプライベートでまで背負い込みたくないでしょ。好きになるわけがない。
ヒロインも言ってたけど、立場的に横恋慕で手が後ろに回る世界なんだよな……
文句なしに可愛い守ってあげたくなるような、明るくて優しい婚約者なしの平民の女の子。
美少女に分類されるはずだけど吊り目の低身長、根暗性悪メンヘラ気質、過呼吸・不眠・食欲不振の殿下の婚約者の公爵令嬢。
比べるべくもない。
……いやなんかほんとなんで私選んでるの殿下。やめようよ。不良債権事故物件だよこれ。
人の見分けがつかないとか触られるとパニック起こすとかまだあるからね。
まぁ殿下も可哀想だよね、知ったの婚約者に指名した後なわけで、王命だから云々みたいな捨て台詞吐いちゃった手前、引くに引けなくなってるんだろう。
まぁだから婚約破棄からの断罪になるんだろうけど、穏便にお願いしたい。何卒。
セキュアさんは処置なし、と言いたげに首を振った。だよね、気持ちわかる。
その後殿下は、元護衛に向かって同じことをした。距離があり過ぎてどうだろう。
現実逃避は置いといて、殿下も先生ももちろん護衛も送らないなら、消去法で私が送るしかないじゃないか。
私が先生と元護衛をなるべく視界に入れないように、横目でヒロインの方を見ると、殿下が額を抑えて下を向いたまま「ノートン!」と苛立たしげに言った。
「はい」
「彼女に付いてて」
「かしこまりました」
「え、あの、ど……」
「公爵邸に迎えの馬車をやらせる。それに乗せて送り返してくれれば良い」
そんな物みたいに言わんでも。
「隣にも正面にもキャロル嬢を乗せないように」
……いや、馬車の中でヒロインいじめたりするつもりはないよ?
「何かあったら途中で摘み出せ」
誰を!?
「御意」
セキュアさんが返事したってことは私かヒロインの二択。っていうかセキュアさんは物凄く良識的な人だと思ってたのに、女性を摘み出せとかいう指示に従う気なの? 本気で?
「ねぇねぇマリー様、本当に送ってくれるの?」
どうやら待ちかねたらしいヒロインが、声を張り上げてくる。窓から見える陽はこっちで言い合っているうちに黄昏というか逢魔時を越えてもう完全に沈んだ。
結局送りませんなんてなったらヒロイン的には大迷惑だろう。
一応令嬢としては大声で返すわけにはいかないので、てくてくと廊下を戻る。
「はい。……護衛とメイドと、……従者も同乗するので、少し狭くなってしまいますが、それでもよろしければ」
「全然良い! ありがとう! 貴族の馬車って一回乗ってみたかったの!」
メイドが舌打ちし、ノートンさんがお小言を発射した。
敬語を使わないようなら馬車から落とす、というような内容を、ちょっと丁寧に言ってる。
下ろすじゃなくて落とすの部分に、並々ならぬ怒りを感じた。
あれかな、やっぱこの世界の貴族にとって、平民に常体で話されるというのは耐え難い屈辱なのだろうか。
リアクションありがとうございます。嬉しいです。お陰様で更新する勇気が湧いてきます。




