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殿下の悪夢と私の推測について。

 結局何も言えず口を閉じてしまった私に、殿下は俯いた。

「良いんだ。今日は、……会えないと思ってたから」

 何故。

「……私日を間違えました?」

 殿下は喉の奥で笑った。

「いや。……でも、君は此処に来ないんじゃないかと思ってた」

 日を間違えてないのに?

「もう会ってくれないかもしれないって」

「あの……それは、ええと、会いたくなかったという……?」

 殿下は苦笑して、首を振った。

「あの、もし、……この時間がご負担なようでしたら、仰ってください。気遣いは無用です」

「違う」

「殿下は生徒会のお仕事もあってお忙しいのですから、ご無理なさらないでください。あの、……お顔色もあまり良くないようですし」

「君に言われたくない」

「……出過ぎた真似を致しました」

「違う! ……顔色が悪いのも、無理をするのも君の方だろうって言いたかったんだ。僕の方は昨日夢見が悪かっただけだ。心配いらない」

「夢見」

「そう、悪夢を見たんだ」

 殿下はなんだか苦笑してそう言った。

「それは……お辛かったですね」

 私も悪夢を見て飛び起きるなんてしょっちゅうだったから、他人事と思えず、心からの同情を寄せた。

 なのに顔を上げた殿下は、何故か少し人の悪い笑みに変わる。

「うん。本当に酷い悪夢だった。僕の婚約者がね、ある平民を虐めるらしいんだ」

 ……あの?

「僕は最初は全然信じなかった。僕の婚約者はあまり積極的に人と関わろうとはしないし、人を傷つけるくらいなら自分が傷ついた方がマシだと思ってそうなところがあって。婚約者としては胃が痛いよね」

 ……ええと。

「その婚約者が、僕とその平民の仲の良さに嫉妬したなんて、荒唐無稽も甚だしいだろう? よりによってなんでそんな理由なんだろうね。婚約者はまるで僕に興味がないのに」

 ……それは、あの、……嫌味というか皮肉というか……?

「夢の中の僕には2つの意識があった」

 そういう夢は、私もよく見る。夢の中の思い通りにならない自分と、それを思い通りにならないと思ってる自分だ。

「夢だからだろうが、妙だったんだ。婚約者に都合の悪い証拠ばかりたくさん出てくる」

 殿下は少し口調を変えてそう言った。まだ冗談めかしているけど、少し陰があるというか。私は背筋が寒くなった。

 それ、悪夢じゃなくて、未来を見てるんじゃ? この世界にそういう、ファンタジーな力があるのかはわからないけれど、乙女ゲームならありそうだ。特に王族なら、そういう能力が顕現してもおかしくない。

「その証拠も不自然だった。妙に完璧で穴がなく、過剰なくらい揃ってる。婚約者を陥れようとしてると、僕は思った」

 ……ああ、もう、きっとそれ、予知夢だ。

「なのにもう一つの意識は、それを信じた。ああやっと僕に興味を持ってくれたんだって。自分勝手で――気持ち悪くて」

 ――反吐が出そう。


 殿下の声と、かつての私の、悪役令嬢らしい自分がかつて言った言葉が重なる。

 確かに、何回目かわからないが、断罪された時に言った記憶がある。


 ――そんなことをして僕の歓心を買えるとでも思ったのか?

 ――まぁ、驚きました。気持ちの悪いお考えですこと。わたくしに愛されているとでもお思いに? ――反吐が出そうですわ。


 当然、殿下はそりゃあもう激怒した。うん、悪かった。認める。男のプライドって山より高いからね。特に見下してる相手に蔑まれるとそりゃあもう。知ってるのに何であんな言い方したかな私。いや、……あの時の殿下とはループの中でも特に仲が悪かったけど、いやほら、殿下は私の前では喋んないんだけど、私の悪口周りに言ってたのは知ってたのよ……でもだからって、婚約者に面と向かって言う科白じゃないでしょうが。もう破れかぶれだったんだろうけど……。


「そこからは最悪だったよ。嫌われるような真似ばかりして、心が離れていくのがわかって、焦った」

 ……いや、あの、私よっぽどじゃないと離れないよ? ほら何しろ自認できるくらいの根暗性悪メンヘラ気質だから。乙前の殿下は何考えてるかよくわからなかったし、離れるほど近づいてもいなかったけど、今の殿下――から離れようとしてますね。来年度からのつもりだけど。やっぱこれ未来視とかいうやつ? 

「その行動が間違ってるんだからやめれば良いのに、もう少し、もっとやれば、きっと戻ってくると、思ってた。だってこれで興味を持ってくれたんだから」

 ――誤学習、またはコンコルド効果。私も身に覚えがある。途中で気づいても、引き返せない。

 そういえば、それもゲームの強制力とやらに似ているかもしれない。

「そうやって間違いを重ねて、気付けば引き返せない所まで行ってた。……婚約を……」

 殿下は言葉を濁したけど、破棄、だろうな。

「その意識はそこまですれば……縋って、くれると、思ってた」

 殿下は耐え難いというように言った。でもその感情は夢の話だ。出来事自体はこれからの予知の可能性が高いけど、殿下は実際、そんなふうに考えたりしない。今の殿下はなんというか、ツンデレではあるが真っ直ぐなお人だ。それほど親しくない私でもわかる。

「そしてもう一つの意識は、ずっと焦ってた。止めたいのに思い通りにならなくて歯痒かった。どこまで愚かなのかと思った。それに、そこまで行けば、嵌められたのは僕だと気づく」

「え?」

 殿下は苦しそうな顔をした。

「整い過ぎた証拠を疑わない。再調査もしない。鵜呑みにしておいて、解決しようともしなかった。婚約者に見張りをつけるか、平民に護衛を付けるか、どちらかするべきなのに」

 ……言われてみれば。エスカレートする前に何故しなかったんだ? ヒロインが我慢強くて、命に危険が及ぶまで言わなかった? 器物損壊の段階で言ってくれれば、きっと殿下なら何か手を打ったはず。

 いやでも、今の殿下の話だと、証拠を見てからも放置してたような……

 平民にわざわざ王宮から騎士を呼んで護衛につけるとなると大事になるし、難しいかもしれないが、私のでっちあげられた所業は、全部スクール内だった。それなら、昨日の先生がやったように、スクール内護衛担当騎士を一人付ければ良い。王立のスクールは人員に余裕くらいあるだろ。カツカツの人員配置で、一人減った見回りの穴埋めに一苦労なんて一般企業じゃないんだから。

「あの証拠を信じるなら、まず安心して学べる環境を確保してやるべきだ。婚約者の不興を買うような真似をやめて、その間に婚約者と話し合いの場を設ければ良い。なのにそれもしなかった」

 被害者の安全確保が最優先ってのは確かに。特待生の立場なら、授業態度が支援継続の可否に繋がる。虐められたから休みます、みたいな登校拒否はできないだろう。あれって逃げ場がなくて、心が病む。

「虐めを見過ごして、婚約者の汚名も雪げない。無能にも程がある」

「……言い過ぎでは」

「良い足りないくらいだ。スクールの揉め事一つ、碌に解決できない男を王位に就かせるわけには行かない」

 ……ああ、殿下の立場じゃ、そう、なるのか……

「でも、まだ、……殿下は、生徒ですから。手に余ることだってあります。解決には大人の助けが」

「その大人が、……この異常さを見抜けないはずがない。なのに僕の間違った行動を咎めもせず、婚約者を糾弾するのを黙って見ていた」

 ……実際問題として、王族の暴走を止められる大人がいるのか、というと、今世なら、セキュアさん、先生、元護衛。あと、お父様。今世の殿下は、人の話を聞き入れる柔軟性がある。使用人が話に割り込んでも怒らない度量もある。筆頭公爵とはいえ、臣下が不遜な物言いをしても相手を立てることさえある。 

 先生と元護衛は、ヒロインに恋したらもう私の言うことなんて欠片も信じてくれなくなるから、殿下を咎めるどころか応援するだろ……セキュアさんは、どうだろう。ていうかあの人、今までいたっけ? あんま記憶に残ってなくて……

「あれほどの失態だ。もう取り返しがつかない」

 殿下はそう言って、苦笑してみせた。

「僕が用意できる答えはこのくらい」

 ――え?

「婚約者を断罪するほど憎むようになる理由。答えは、婚約者の気を引きたかった。自分を見て欲しかった。思い通りにならなくて、間違った方法に固執した結果、周囲にも見限られて、自滅した。嵌められたは言い過ぎかな」

 それじゃまるで、立場があべこべだ。それは悪役令嬢の役割だし、この殿下が、そんな馬鹿げた理由でそんな真似するわけない。

「君への断罪は見せかけで、内幕は僕の廃嫡。周りはただ見てるだけで、僕は自分で申立書にサインする羽目になる。誰も不敬を働いてない。すごくよく出来てるよ。賢者殿と君の共謀?」

 ちょっと待て。急に冤罪でっち上げないでくれます? 特に先生は悪役令嬢側じゃないぞヒロインのつまりあんたの側だよ?!

 私に家族・使用人以外の味方はいない! 人望ゼロですから! 言わせるなよこんちくしょう!

「それとも、君は関与してない? そのくらいの情はあると思っても良い?」

 ——本気で言ってる?

「……公爵令嬢の断罪よりも、殿下を廃嫡する方が大問題でしょう。私も、まして先生がそんな」

「君が傷つくようなことを、賢者殿が黙って見てるわけがない。ならその断罪劇は見せかけに決まってる」

 ……これはあれかな、思考実験の時の私の三段論法の仕返し?

 あのね、殿下は今の先生しか知らないからそんなこと言えるんだよ。ヒロインに恋した先生がどんなに冷たかったことか。本当に怖かったんだよ。今世で乙前と同じ格好の先生を一目見ただけで、恐怖で声も出なくなるくらいに。

 ——あ。いや、そうか、……今の先生の態度は、殿下が勘違いする程度にはちょっと……メンタルへなちょこ過ぎる私のせいで、ええと、まぁ周囲が勘違いするような態度なんだった。

 となると、今の先生がヒロインに恋したら今までより輪をかけて私が邪魔で、ヒロインが勘違いしないようにもっと冷たくするよなぁ……今の私の懐きっぷりで今まで以上に冷たい先生か……耐えられるかな私……

 この殿下もまたああなるわけで。

 ……情があるかってそんなの、私が訊きたい。

 私なんか大概ちょろいんだから、今の殿下が何か窮地に陥ったら大概のことは何でもするに決まってるだろ。

「……情がなかったら、お父様とお母様の申し出を取り下げるようお願いしませんわ」

 情がないのは殿下の方だろ。確かに私は、碌でもない人間だったけど、そっちから婚約者に毎回毎回ご指名くださりやがるくせに、どうして毎回その手で殺すんだよ。婚約解消すれば良いだけの話じゃないのか。

 半分恨みまじりに告げれば、殿下が目を見開いた。

 ついで、……太陽みたいに、笑った。

 私は本当にバカみたいにちょろいので、その笑顔で心の中の恨み言も消える。なんで今その笑顔なのかもわからないけど。

「それに——……夢の、話でしょう?」

 殿下はちょっとハッとしたような顔になって、でも笑顔のまま、子供っぽく言う。

「ああ、酷い悪夢だろう? だから、あの物語を聞かせて。きっとまた良い夢が見れる」

 ……ああ、そういえば、雲に乗って飛ぶ夢を見たって、教えてくれた。

「はい」

「週2回で頼む」

 夢じゃなかったのかもしれないと、ちょっと思った。私が思いつきで行った思考実験の答えを、寝不足が顔に出るくらい忙しいのに考えてくれたのか。

 指を2本立てて微笑む殿下に頷いた。

 この人には敵わない。

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