私と追憶について。
「それは——僕をAから遠ざけようとしてる?」
おそらく乙女ゲームの開幕となる義弟の入学式までに、あの物語を全部話してしまわなければならない。
今までより頻度を増やしたい。具体的に言うと週1のところを2にできないだろうか。
と言う理由は伏せたが要望に対しての、殿下の答えがそれだった。
それも、たっぷり間を置いて。あまりに置かれたので、これは柔らかな拒絶だろうかと思い始め、やっぱり今まで通り、それとも殿下はこの時間、楽しくなかったのかな、私に合わせて無理してたのか、いっそ会うこと自体やめた方が、昨日も怒らせたし、と考え始めた頃に、ようやく口を開いた殿下の答えがそれ。
目が点になるとはこのことだ。
「違うのか。じゃあこれだけは教えてほしい。Bは実在する?」
AとB、遠ざける、実在とくれば——殿下が言ってるのは昨日の思考実験のことだ。殿下がテーブルを殴って先生が来て護衛を付けて、その元護衛に禁句だと言われたので途中で終わった。
その後の怒涛のやらかしのせいで忘れていたけど、殿下からしてみれば唐突に始まり唐突に終わった思考実験は謎だらけだったに違いない。それに思考実験でその二人を同い年で一年生だと言った。実際私が殿下をAことヒロインから遠ざけようとし始めたのは二年生になってから、春の終わり頃というか初夏だったけど、時期を言ってない。
昨日の今日でこのリクエストは、関連付けるなという方が無理がある。
今の私の動機は逆で、来年度から私を殿下から遠ざけようと思って、そのために今ちょっと時間の前借りをしたかったんだけども、タイミングが悪過ぎた……大体私の行動って間違ってるんだよなぁ……
そう言えば後で質問に答えて欲しいとも言われたし、見返りがどうのとも言ってた。
「正体を教えろとは言わない。名前も聞かない。実在の人物かどうかを知りたいだけだ。追求しないと約束する」
これがその質問なのだろうか。
どこか必死な様子で言葉を重ねる殿下は、私が答えて良いものか迷っていると思っているみたいだけど、私はまずその答えに迷っていた。
誰か、と言うなら、答えは先生。だけど……実在、と言われると、どうなのだろう。
現在と乙前の先生、両方について話していた。両方というか、話しているうちに混ざったというか。
じっとこちらを見つめる殿下は、表情豊かだ。
物静かで、殆どいつも人形めいた笑顔を絶やさず、私が何を言っても怒鳴らず何をしても沈黙してる殿下は今はいない。
同じように、今の先生と、乙前の先生は、かなり違う。服装や髪型もそうだけど——
スクールでも、いつもおどおどした話し方で、笑顔は優しい。授業をサボった私を心配して、休憩になると駆けつけてくれて、一目で仮病だって見抜いたのに、「良かった」って心から安心したみたいにほとんど吐息混じりに言う。それから慌てたようにしかつめらしい顔をして、一応叱るけど、口調も態度もそんなだから全然怖くない。心配されるのが嬉しかった。毎回律儀に騙されて走ってくる先生が、「良かった」って言ってくれる時の、声と、表情が宝物みたいに大好きだった。
今思い返すと問題児のテンプレ行動過ぎて羞恥心で心が死ぬ。
いや実際の家庭に問題のある子供がそういう行動をするのは、まともな第三者の介入のきっかけになるから恥でもなんでもない。むしろ子供のうちにしっかりそういう行動をして欲しい。子供は守られるべきだ。私みたいに取り繕ったまま成長してしまうと、精神科のお世話になる羽目になるし死ぬほど生き辛いしお金にも苦労するし、なんでかこんなことに……いやこんなことになるのはレアケースだと思うけども。
そうだからつまり、私の場合は、最初の人生でアラフォーまで生きておいて、その記憶を持ったままその行動をしているあたりにこう、……ね。
日本で生きてて、心配はされる方じゃなくてする方だった。自分が怪我して血で服を汚せば怒られるから、応急処置を読んで学んで、あとは学校でしてもらった手当ての見様見真似。それに病院に行くほどでもない家族の怪我の手当てをさせられていたけど、女なら率先して手当てするのが普通だろ、心配もできないのか、早くしろとか怒られながら手当てするのは怖くて焦って手元が狂う。本当に心配されることとは無縁で、家族にとって私の体調不良は心配じゃなくて怒りが湧くらしかった。家事の殆どが私の分担だったから、滞るのが嫌だったんだろう。人としてどうなのかと今の私は思うが、当時の私はただでさえ身体中痛いのにさらに痛めつけられるよりかは動いたほうがという思いしかなかった。大人の言うことは絶対だと思っていたから。
だから先生が心配してくれるのは本当に嬉しかった。と、自己弁護に走りたい。昨日の先生みたいに怪我の手当てとかしてくれたわけじゃないけど(そもそも触れたことも触れられたこともない)、心配して来てくれて、打算も何にもなく、まず怒るんじゃなく安心してくれるのが、嬉しかったんだ。
お父様とお母様も、心配してくれるのは同じだけど、仮病を見破れるわけじゃないし、お父様とお母様が優しいのは転生1回目からわかってた。だから罪悪感の方が勝る。家でも外でもそりゃあ我儘放題に生きた1回目では、先生の困り顔しか見たことなかった。
今の先生は、仮に私がサボったとしても、同じ反応にはならない気がする。心配はしてくれるとは思うんだけど、退学騒ぎのことを考えると休学を勧められる可能性が高い。
それに、なんだったかな、何をどう言ったかは覚えてないんだけど、乙前の先生に殿下絡みで何か言った時は、「そんなことを言わないでください、不敬罪になってしまいます」って、殆ど困り顔に振り切れた笑顔を覚えてる。
黒歴史過ぎて死にたくなるが、かなり私比でも壊れてた部類に入る方の私は、多分そうやって宥められるのが好きだった。日本で生きてた私は、大人を困らせるようなことを言えば殴られる。私に振られた役割は、親を困らせることを言い始めた弟をなんとか宥め賺すことだった。
今世の先生は、私が殿下絡みで本音言ったって止めないし否定もしない。困ってる感じもしないしむしろちょっと安心したように笑う。
本音がわからなくなるっていうのは、結構メンタル的に危険なので、まだ大丈夫って感じの安心だと思う。
もちろん、乙前の先生が間違ってるってわけじゃない。あれはあれで正しい。
今世の私だって、心の中では散々殿下との婚約に対してぐちぐち言ってたし、それを心の中に留めたのは不敬罪になるからだ。
先生は——あの先生は、殿下に対して今の先生よりもずっと……言葉は悪いけど弱腰だった。
今の殿下の方が感情がはっきりしてるし、私はむしろ怖かったんだけど、先生は逆だったのか。
少なくとも今の先生みたいに、殿下に対して何か意見してるところは見たことがなかった。
ヒロインと仲良くしてる殿下を見た先生は、私が傷ついてると思ってか、「平民は立場が弱いですから」って、だから殿下の立場上仕方がない、不実なわけじゃない、みたいなことを言って殿下のフォローをしてたくらいで。
正直なところ、殿下から逃げ回るのに疲れていたし、毎回心配して来てくれる先生に申し訳なさもやっぱり感じていたから、むしろラッキーくらいに思っていたのだけど、先生の気遣いは嬉しかった。
多分嬉しくて、余計なこと色々言ったんだよな……それで先生を困らせて、……
ループしてるとか乙女ゲームだとかは気づいてなかったけど、女性だと勘違いしなかった分、懐きはしても、今よりもやっぱり距離はあった。
黙ってたことも多い。人に触るのも触られるのも苦手なんて言わなかったし、擽ったがりだとも話してなかった。人の見分けがつかないことも、名前が覚えにくいことも。
今世だと結構弱音や相談も含めて色々話してるけど、乙前の先生に話した内容は多分、殿下絡みの冗談めかした本音くらいか。それも、入学してから。
何を話しても嫌われるという思いは、壊れてても残ってた。だからこちらから話さなくても話題に事欠かず話しかけてくれるヒロインの存在が救いだったとも言える。
問題児が問題行動起こす理由、自分がその立場だったから少しわかるような気もする。話したいのに何を話せば良いかわからないから、叱られるようなことあえてやって関心を引く。
私の場合は殿下と接触があるような行事から逃げるという別の理由が切欠だったけど、結果としてそうやってれば先生が心配して来てくれるって学習しちゃったから似たようなものだ。
スクールに上がるまでは、お茶会やお披露目会が予定されている日は授業がない。だけど入学してからは、行事として組み込まれてるから、同じように仮病使って逃げると、担任である先生の知るところになる。
だから家庭教師時代は真面目だったのに、スクールで急に授業をサボり出したこと、多分先生は戸惑ってちょっと悩んで……
あの先生の、……困り顔で微笑んでる時の、雰囲気が好きだったんだよな……。我儘を許された子供になれた気がして。
いや我ながら病みすぎだろ……まぁそんなだったから、最後は殺されたんだけどね。
先生もスクールの教師は一年目で、いきなり王族の担任とか、かなりプレッシャーもあっただろう。なのにその王族と仲の悪い、素行不良気味の筆頭公爵令嬢が元教え子とか、胃をやられててもおかしくない。そりゃヒロインに癒されたくもなる。
紛うことなく悪役令嬢街道を邁進してたよなぁ……。
殿下だって、先生の言う通り、不実とまで言われるようなことはしてなかった。別にいつも腕にヒロインぶら下げてるとかなわけでもなく、……まぁ乙女ゲームであるのであればどこかでキスくらいはしただろうけど、少なくとも先生が宥めてくれている頃までは、多分、普通に仲が良かったと言うレベルだろう。一般庶民的には。貴族的には、少なくとも私が傷つくと先生が思い込むくらいには仲が良かったのだろうけれど。
そもそも殿下にとっての私ってかなり謎だったよね。あれだけ子供時代避けて通して、入学後も逃げ回って、なのに学年が上がってちょっとしたら、急にお茶に誘ってランチも一緒、帰りも付き纏って休日にも誘いを入れて、その癖エスコートは断固拒否、その上休日の予定はドタキャン・リスケ常習犯。
改めて殿下の立場に立ってみれば、理解できなすぎて怖い。
「……答えたくない?」
殿下の声が漣のように広がり、怒涛の勢いだった追憶が波紋のように消えていく。
「いいえ、……ただ」
名前も顔も声も同じだけど、服装や髪型や性格は違う。
あれだけ違っても、同一視して良いのだろうか。何を以てその人とするのか。顔貌だけで判ずるなら、実在すると答えて良いのかもしれない。ただその場合、日本で生きていた私と、今の私は別人と考えなければいけない。
私を同一人物とするなら、必要なのは魂みたいなもの、あるいは記憶だろうか。それなら、毎回毎回リセットされているだろう私以外の人は別人になる。
何より、あの先生を知っているのは、もう私しかいない。こんな自分でも信用できないような、時々ありえないようなことをやらかす人間の、あやふやな記憶だけ。
スクールに入る前、服装や髪型は違っても同じ言葉で私を救ってくれた。入学式、同じようにヒロインをエスコートしていた。
でも今は、授業中の表情が違う。殿下に対する態度も、私への態度も微妙に違う。クリスマスプレゼントなんて、前の先生だったら絶対「不敬罪になります!」って言ってたのに。
私が過去と同じ行動を取っても、同じ反応はきっと返ってこない。
一拍置いて、殿下の溜息が聞こえ、慌てて顔を上げる。
「良いよ、答えなくても」
仕方ない、我慢する、みたいな苦笑に、何か言おうと口を開け、——結局、言葉にならない。
今この世界に先生はいる、けれど。
優しくて正しいのは変わらない。優しい笑顔も変わらない。
でも、あの先生には、もう会えない。
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