私と、合同授業後の休憩時間について。その4
最初の人生を思い返してみると、私はお気に入りの本を手に持ったまま眠りにつく癖があった。
ぬいぐるみを与えられたことはなかったし、ぬいぐるみも人形も欲しがらない子供だった。
だから、それらを抱きしめて眠りにつくことはなかったが、代わりに本を……幼少期は小型絵本を、長じれば漫画本とか文庫本とか、判型の小さめの本を、寝る前に読めば普通枕元に置いて眠りに就くのだろううけど、そうではなく、閉じて手にしたまま寝る癖があった。
本を読めなくなるまでそれは続いた。
多分元々は、何もかも弟に奪われてきたから、それだけは取られたくなくて、寝ている間も気が抜けないという思いだったのだろうけれど、今となっては判然としない。
なにしろ、この世界ではそんなこと一度もしなかったので、そんな癖すら今の今まで忘れていた。この世界の本は、漫画や文庫本のようなソフトカバーではなく、いずれも立派なハードカバーだ。
それも文芸書ですら私があの世界を去る頃には滅多にお目にかかれなくなっていたような、立派な装丁。祖父の家にあった古めかしい百科事典を彷彿とさせる。
という、現実逃避はいい加減やめよう。気が遠くなるというのは私にとっては別の記憶を持ってくるらしい。走馬灯のようなものだろうか。何回も死んでいるがそういえば走馬灯というのは経験したことがなかった気がする。
――ええと、うん、だから、……うう……
私の手は、どう贔屓目に見ても、……先生の服を掴んでいた。
……辛うじてマシな点を挙げるとすれば、掴んでいるのは服の生地であって、先生の腕ではないってところだろうか。
指示語が「それ」ではなく「これ」になるわけだ。ゼロ距離。呆れてものも言えないよ。空いた口は塞がらないし。
先生この服ではって言ったけどあれ優しさだよね。率直に言えば「この状態では」だよ。身動き取れないだろこれ。
いや私くらい性格が悪けりゃ全力で引き抜くけども、優しい先生は物理的にできても心情的にそれをできるとは思えない。
前もこうやって先生の服を握り締めるというか、心情的にはしがみついたことがあった。
あれ何年前だよ少しは成長しろよマジで。
いやでもあれは護衛その2とのツーショが怖すぎるという恐怖心から阻止するためにやった。
退化してる。むしろ退化だよこれ。赤ちゃん返りかマジで自分がキモいんだが。先生はテディベアかなんかと突っ込みたいが、それを掴んで寝たことがないんだからよりおかしい。
寝相はいい方だったでしょ? 本が床に落ちてたこと一度もなかったもんね! つか寝ない方が良いんだけど!
人の服掴んで寝るとかやめてくれ!!
「あの、服も……すみませんでした」
次第に脳内の自責がヒートアップしてるのには理由がある。
呆れて物も言えなかった口をどうにかこうにか動かして、深々と頭を下げる一方で、握り締めている先生の服から、手を離すことには失敗した。
子供の頃と同じだ。手が自分で離せない。指を開こうとしてるのに動かない。ばね指とかリウマチとかこういう症状が出るらしいけど、って三度現実逃避してる場合じゃない。
っていうか前どうやってこれ外したんだっけ。
テンパって泣いたことは覚えてるんだけどその後はもう覚えてない。肝心なところなんで忘れるかな!?
外れないんですがどうすれば良いですか、と先生に訊くしかない。自分の体なのに何で思い通りにならないのか。
「気にしないでください」
先生の声は本当に何にも気にしてないみたいに優しい。
気にします! いくら孫枠でも甘やかさない方が良いですよ私みたいなのは!
際限なく付け上がりますからね!? 現に今これだし!
「でも時間とか……大丈夫ですか?」
私が起きたのはメイドが多分、茶器をテーブルに……ちょっと荒く置いたから。だとすれば、今までの経験上まだ休憩時間はそれほど過ぎてない。私はてっきり先にメイドが来ると思ってたくらいだったから、先生が先に来たのには驚いた。大体教師は生徒よりすることが多いから、先生がここを通りがかるのもいつでもたいてい、私が図書館に行って本を借りて読み始めて暫く経ってからとかが多かったのに。
多分眠いなと思った直後に寝落ちしたんだと思うけど、この指がいつ外れるのか私にはわからないので助けて欲しい。
「この時間は教師も比較的自由が利くんです」
「……でも服が皺に……すみません、指が……」
「服のことは本当に気にしないでください。する気がないだけで、このままこれだけ脱ぐこともできるんです」
え?
これ分類上はコートって護衛その2が言ってたから、そりゃ普通に上下着てるし脱ごうと思えば脱げるんだろうけど、できるの? 座ってるし私が掴んでるのに? さっき出来ないって言ってたのに?
先生がちょっと笑った。相変わらず綺麗な声。
「お嬢様が起きた時に、私がいつもと違う服装でいたら怖いでしょう?」
——そりゃあもう。
パニック起こした時は先生で今の時間軸を認識してる私が、さっきの503エラー起こした状態で、いつもと違う服装の先生なんか見た日には、ブラウザエラーどころではない。ブルースクリーン出るわ。
学内で護衛がいないのは当然としても、メイドすらいなくて、先生の服装が乙前寄りだった日には、過呼吸待ったなしでしょ。しかも今世でいつも助けてくれる先生が原因で過呼吸起こしてるんだから救いがない。
多分この世界で初めて意識を取り戻した日と同じ行動に出ると思う。
手当たり次第物を投げる。多分ティーカップとかソーサーとか。ティーポットは流石に、中身入ってたら危ないから投げないと思うけど。そもそも大前提として、陶器類は人に投げたら結構な確率で怪我するからやめるべきなんだけど、その状態の私がどこまで理性残ってるかわからない。当たるようには投げないという最低限の理性はあったけども、今世で義弟に扇子を当たるように投げてるからもう信用できない。
先生は勿論そんなこと知らないので、前の休憩時間にした話から、私が先生を知らない人だと思ってパニック起こさないようにって意味だ。
で、後で人に会うとか正式な場に皺だらけの服で行くのは貴族的にやばいので、私が服の皺を延々気にしてるのは日前の感覚プラスそれもある。それに関しても、日前の感覚で言うならビジネスカジュアル以上の物を私がダメにするかもしれないこれの下に着込んでるから大丈夫ってフォローしてくれてるわけで。
自分が腹立たしくて指を開こうとすればするほど、震えるくらいに力は入ってるはずなのに指は動かない。むしろ閉まってる気がする。
脳なのか神経なのか筋肉なのか知らないが、バグるのもいい加減にしてほしい。舌打ちしたくなってきた。
「服なら、もし破れても繕えますし、扇子なら、壊れても修理できます。どちらも買い替えることだってできますから」
上からそう、静かな声が降ってくる。その声のトーンはなんだか、少し悲痛な感じもした。そしてその内容は、……私の自分でつけた爪痕のことを、含んでるんだろうなと思える程度には、かろうじて私の脳内メモリには余裕があったらしい。
自分を罵倒していた脳が少しクールダウンする。
先生の服を握りしめたままの、私の腕に先生がそっと触れる。その感触で気付いた。制服と肌の間に何かある。……手当て、してくれてたんだ。寝てる間に。何も聞かずに。
血が苦手だった私の母は、私が怪我すると「気持ち悪いものを見せるな!」と怒鳴り、追い払った。
だから子供時代は舐めときゃ治るを地でいくしかなかったけれど、今泣きそうになるくらいには、最初の人生でのあの扱いに傷ついていたんだろう。
……繕うのは手間がかかるし、買い替えるのはお金がかかる。でもあの程度の傷なら勝手に塞がる。人の怪我に対しては絶対思わないのに、自分の怪我に関してはそんな認識しか持てなかった。
傷跡に触れていた掌は、私が泣きそうになったからか、まだ先生の服を握り締めたまま力の抜けない私の手に重なる。
外してくれるかな、と思ったけど、そのまま包み込むみたいにそっと覆われた。
引き剥がされることもなく、冷えていた指先にいつしか温度が戻る。
意図せず触れてしまったことと、指が思うように動かないことで、ヒートアップする脳内とは裏腹に血の気が引いていたんだろう。
覆われた時、先生の温度との差にびっくりするくらいには指先が冷たくなっていた。
これはパブロフの犬と同じアレかな。先生の声と温度は、私を落ち着かせる効能があるらしい。
力が籠って抜けなくなっていた指は、いつしか服から離れ開いていた。
それから、やくそくをした。
またこうしそうになったら、腕じゃなくて、服か扇子にすること。
扇子はこわしたくないから嫌だと言うと、先生はうれしそうに笑った。笑った後に、新しいものを用意するって言ってくれたけど、私はごうよくだからこれもなくしたくないと答えた。
先生からもらった初めてのプレゼントだ。本当は使いたくなかった。箱にしまって、時々ながめるくらいが良かった。元々私は物にも執着が強いから。執着が強いのに、義弟に向かって投げたりして、大切に扱えないから、しまっておきたかった。
だけど大切なものはしまっておきたい私の気持ちは理解されにくくて、気に入らなかったのかと思われてしまうことも知ってる。だから、使ってるけど、本当は大切に取っておきたい。
それは強欲ではなくて、愛着があると言うんですよ、と教えられた。
愛着ってそういえば元々そう言う言葉か。
それから、こわれたらその時に。こわれなくても、次の誕生日には新しいものをお贈りしますと言われたから、クリスマスプレゼントにしてほしいとねだった。
次の誕生日はもう来年、きっとゲームの開幕後。だからそのやくそくには意味がない。きっと先生に守る気はなくなってるだろうし、義務感からくれるにしても、私はそれをうけとらない。殿下みたいに家に送られてきたらさすがに送り返すまでは、できないけど、先生は今までずっと手渡ししてくれてたから、会わなければいい。お父様にお願いして、先生には元のクラスの担任にもどってもらう。
だから今年のクリスマスにほしい。そうしてくれるなら、もし次にこうしたくなったら、ちゃんと扇子にする。
あたまの中のうるさい声をだまらせる手段を一つ手放すのは心許なかったけれど、やぶられることのないやくそくと引き換えならがまんできる。
りゆうは言わずにそうお願いしたら、先生はちょっと驚いたみたいだったけど、とてもうれしそうに目許をゆるませて、ではそうしましょうと言ってくれた。
それが殊の外うれしくて、わたしは笑った。笑って、やくそくですよ、と言った。先生は誰もが見惚れそうなとびきり綺麗な笑顔で、同じ言葉を返してくれた。
この時私は、クリスマスがこの世界でどんな意味を持つか忘れていた。思うに多分、色々ありすぎて、頭のネジが飛んでたんだと思う。
リアクションありがとうございます。嬉しいです。お陰様で更新できます。文章量は今まで通りに多分戻ると思います。(時々場面転換的に短い時もあるかもですが)




