私と、合同授業後の休憩時間について。その3
ガッシャン、と言う陶器類のぶつかり合うような音で、私は目を覚ました。
そう、目を覚ましたのである。
つまり、眠っていた。学内で。
嘘だろ。
私が寝惚けることは殆どない。最初の人生で寝惚けられるほど平和な家庭に生まれなかったから、寝る前より体が疲れているような状態が日常化しても、頭がはっきりしないなんてことはほぼなかった。
だけど状況が把握できなくて、目を開けたのに固まってしまった。
いや、把握はできる。座ったまま、何かに凭れかかるようにして眠ってた。
斜めっている視界に入ってきたのは見慣れた四阿の床とベンチとテーブル、自分の制服。
それから、薄く開いた視界に薄ぼんやりと自分のじゃない服も見えるような気がする。
把握はできるが認めたくはない。
あとテーブルの上に茶器がこう、乱雑な感じで置かれていた。多分さっきの音はそれだ。
そして凭れている何かが温かく、かつちょっとだけ柔らかさもあり、それが背もたれとか肘掛けとかの無機物ではないことを物語っている。
しかもそれが少し動いたのが、振動として伝わってきた。凭れている部分に動きはなかったけれど、他の部分が動いたことがわかる。
認めたくはないが、——加えて嗅覚が、容赦無く現実だと突きつけてくる。
だらだらと内心冷や汗かきながら、そろりと視線をその温かい方へ向けると、唇の前に人差し指を立てて、しーってやってる先生がものすごい近距離で見えた。
そしてそこでまた私の頭は考えることを放棄したいと言ってきた。ブラウザで言えば503エラー。
いっそ気絶。気絶したい。そんで次に目を開けたら自室のベッドの上で日付変わってて欲しい。
予想はしてても現実として認識するとまた違う。
見た目幼児時代はまだしも。いや確かに眠いなとは思ったよ。思いはしたよ。でもガチで寝ないで頼む。色々アウトだろやばいでしょ。何やってんの。
ああもう、503じゃなくて404エラーにしてほしい。Not Found. 私の存在を消してくれ。
きっとこの分だと、覚悟してるつもりでもやっぱり私は来年度ボロボロ泣く。
絶賛現実逃避中の私が見ている前で、先生は人差し指を下ろした。たったそれだけでも優雅だ。現実味がないくらい。いっそ非現実であれ。いやでも、その優雅さは寝てる私を起こさないようにの気遣いの為せる技かもしれない。既に起きてるけどもなかったことにできないだろうか。
私の思いを他所に、先生はこちらを見下ろした。
ふわりと、笑顔が浮かぶ。
その笑顔で我に返って、私は頭を起こそうとした。いつまで凭れかかってるの自分にドン引きだよ。
「あ……急に動いては」
先生が先ほど下ろしたばかりの手を、少し上げて留めるように動かす。それで私は動かしかけた頭部を留めた。
ほぼ囁きのような小声は、直前まで寝てた私を慮ってだと思う。
「……眩暈がするかもしれません」
斜めってたからね。耳石が偏ってて多分そう。
っていうか……やっぱりこれ私先生を脇息というか枕にしてた……んだよ……な……
「……すみませんでした」
私は元々口癖並みに謝る方ではあるけれども、今日は心から申し訳なく思うことが多すぎる。
慚愧の念がたっぷり乗った謝罪を口にしながら、お言葉に甘えてゆっくり頭を起こす。支えを失った頭が重い。
「少し安心しました」
安心?
ああそういえば、さっき行儀悪く突っ伏してたのを倒れたと勘違いされてたっぽかった。眠かっただけだと思って安心ってことかな。……いや流石にここで眠れるほど神経太くな——かった、んだけどなぁ……
「以前、食欲にムラがあると仰っていたでしょう? 睡眠もそうなのでは?」
バレてる。……まぁ大体、精神的に追い詰められた人っていうのは、何かしら睡眠に問題抱えてる人が多いから、最近の私の情緒不安定ぶりを知る先生からしたら、予想はできるよな、そりゃあね。
頷こうとしたけど、それをきっかけに目眩が起きたら嫌なので、素直に「はい」と答えた。
寝つきが悪くて明け方やっと眠りに落ちるから朝眠い日と、その帳尻合わせなのか異様に長時間眠り続ける日がある。
笑顔の種類が心配そうなものに変わる。
「午睡は短時間でも疲労回復になりますから、もう少し……」
いや流石にそれはっていうか頭起こして重いと思ったっていうことは、私かなりの比率で先生に体重かけてたと思う。
「いえあの、……重くて申し訳ないので」
重かったですよねすみません、と言いたかったんだけど、重いに決まってるのに訊くのもなぁと思ったら、また体重かけますよっていう宣言みたくなってしまった。なんか墓穴掘りまくってる。今日はだめだいや今日もだめだ。寝ぼけてなくても頭が働いて無さすぎる。
「……どうでしょう?」
間があった上に疑問系とは如何に? いや少女漫画的な台詞を予想していたわけでは断じてないのだけど、疑問で返されるとは思ってなくて。
「久しぶりに寝顔を見られたので」
心配そうな笑顔が申し訳なくて、それから眩暈したらやだなと思って目を閉じてしまったから表情はわからない。笑みを含んだ声で言われて、やっぱ寝落ちした時のこと先生も覚えてるんだと落ち込む。なんかこう、……頭を抱えて叫びたい気分。
「可愛いとしか」
……ええと、それは、……なん、ええ……?
重さまで気が回らなかったとかそういう? こと? で、合ってる?
日前の、親戚の——祖父の兄弟に当たる人が、大学入学祝いに、大きな本屋さんに連れて行ってくれて。大好きな小説の化粧箱入り18巻セットを買ってくれたことがあった。当然重いはずなんだけど、嬉しさのあまり重さを感じず、むしろそれを抱き抱えて歩いて帰ったその足取りは羽根が生えたように軽かった。
重さを意識しない、で私が共感できる思い出というのはそのくらいしかない。
……いやあの、え、あのレベルで? 相当舞い上がってないとならなくないですかそれ?
寝顔が可愛くて?
頬が一気に熱くなった。
居た堪れなくなって、多分先生がさっきシーってやってたのは私を起こさないようにメイドに伝えたんだろうから、そっちを見た。
……待って、なんで後ろ姿なの? しかも明らかに遠ざかって行ってる。めっちゃ走ってるし。明らかもう声届かないでしょ。私ぼーっとしてた時間長かった? もしかして?
「体調はどうですか?」
「大丈夫です」
というかそれどころじゃない。置いてかないで。っていうかこれ殿下的にアウトなんじゃ? 絶対アウトだよね? 殿下は私の親しいの基準が高いとか言ってたけど、殿下の基準が低すぎるんだと思う。その低い基準を軽く飛び越えそう。
私の視線を追ったのか、「ショールを取りに行ってくださったのだと思います」と教えてくれた。
……寝てたから? 確かに肌寒いなとさっきまでは思ってた。というか起きてから、と言うか夢現で片側があったかいなと思ったのは、反対側が寒かったからだ。眠ると体温下がるから。
「この服では上着をお貸しすることもできませんし」
先生が微苦笑を浮かべる。
ああこれ確かに、ジャケットみたいに短くもないし、座ってたら上だけ脱ぐのは不可能——これ?
自然と『それ』ではなく『これ』という指示語が浮かび、それに違和感を持った私は、一度目を閉じてもう一度開く。
……うん、やっぱり都合の悪いことはそう都合良く瞬きした程度じゃ消えなかった。




