私と先生の約束について。
それからあと二つ、約束した。
合同授業のある日は、通学前に先生がうちに来ておまじないをかけてくれる。
先生も事情があって、しばらく休憩時間にあまり自由に動けなくなるらしい。
この時間が最後の例外。
家に来るのは殿下が嫌がりそうだなとチラッと思ったけど、手当てまでさせた以上断れなかった。
多分教師の方が生徒よりも朝は早いはずで、大変じゃないですかと聞いたけど、私がこうなってる姿を見るよりずっと良いみたいなことを言われたので、私が思ってるより酷い状態なのかもしれない。
それから、手紙を書くこと。
書ける範囲で良いからって言われた。
これは私の推測だけど、多分今までみたいに休憩時間にあんまり会えなくなるってことは、たとえばヒロインにちょっと勘弁してもらいたいくらいまで近づかれちゃった時や、殿下を怒らせて私がパニックに陥った時、今までみたいに先生の助けを望めないってことで、アフターフォローするにしても経緯がわからないとってのと。
代替行動として服か扇子を握り締めるように言われたけど、扇子壊れるから嫌だって言ったからだと思う。
質の良い物を選んでいるから、簡単には壊れませんよ、と教えてくれた上で、それでもどうしても壊したくないのであれば、次こうしそうになったら、気付いたら、なんでも良いから何か書く。説明しなくて良いし理由も書かなくていいから、感情を一つでも良いから、治るまで書くように。
辛いでも苦しいでも——気持ち悪いでも良いから、それだけで便箋を埋めれば良いと。
呪いの手紙みたいになるんですけど、それを受け取って先生は大丈夫なのだろうかとちょっとシュールな疑問が浮かんで笑ってしまった。
先生はそれで露骨にホッとしたような顔を見せたので、当然のことながらかなり心配させたのだと反省した。
「お嬢様に嘘を吐かれるのは思った以上に落ち込みます」
苦笑を浮かべたまま、ため息混じりに言われて固まる。靄がかかったようにぼんやりしていた頭を、なんとか働かせる。
先生に嘘って言ったっけ。気に入られようとして言った? 今世ではなるべく取り繕わないようにと思って先生の前ではそのままだったような。だからあんまり上手く喋れなくて先生が話しかけてくれるのを待つ感じのコミュニケーションになってたはず。
いややっぱり傷のことかな、返事してないなんて詭弁中の詭弁だから、先生的に騙し討ちみたいな感じだった?
「お願いですから、私を敵にしないでください」
瞳孔が開く、ぐりっとした独特の感覚がした。
先生は私を殺すけど、私は先生を敵だと思ったことは一度もない。
敵だと認識するには、何かしら自分の方が正しいと思う部分が必要だ。それに相反する部分を持った人が敵になるわけで。
でも私は、先生が間違ってると思ったことはないし、自分の方が正しいと思える部分もなかった。
家族と使用人を殺すのだけはやめてほしいから、それをなんとかしたくて足掻いているわけだけど、でもだからって敵だとは思わないし過去世の先生に対しても思えない。
そういえば、なんでだろうか。漫画や小説の中で敵認定とか結構気軽にやるキャラいるけど、あれってどういう感覚でやってるんだろう。
私にとっては義弟に対してくらいだろうか。敵と言われて多少斜めになりつつ首肯できるとしたら。私の家族に酷いことをしたと思ってきたから。でもこれも今世の義弟に対しては捻ってしまうかもしれない。
だけど乙前の先生にとって私は敵だったんだろう。最後には一致団結して私を葬ったわけだから。
だけど、まだ、違うよね?
義弟から見た3人はもう今までと違うらしい。でも私から見た3人は、まだ、私に優しくしてくれる。義弟の言葉が正しいと、思うこともあるけど、でもまだそうじゃないと、……思いたいだけなのか。
どういう意図で言われてる?
ヒロインに対しての私の行いへの牽制? それなら、敵に回さないで、か。敵に回すような真似はしないで、とか。そういう言い方になるはず。いやこれも希望的観測?
元護衛からあの……思考実験の話が伝わったとか? 一応名前は伏せてたけどやっぱバレるか。私はそもそもぼっち属性すぎて、会話する人が限られてるから。でもあれが伝わっても応援するよって意味のはずなんだけど、やっぱあれかな、倫理観的な問題? でも確かこの世界では問題にならなかったんじゃなかったっけ。ヒロインの真横に立ってたこともあったから。
考え込んでいると先生の苦笑が深くなった。
「すみません、言葉が足りずに。お嬢様が殿下を庇われた時のことです」
ああ! やっぱ先生には簡単にバレるよね、あんなの。でも確かにうん嘘言ったけど、あれはだって……
「お嬢様は正しくお立場を守られました」
……ええと、じゃあ良いってことかな。
「公爵令嬢として、殿下のご婚約者として、立派な振る舞いです」
……先生じゃなかったら確実に嫌味の部類なんだけど、どうなんだろう。そのまま受け取って良い?
「ただ、私にとっては見慣れなくて……大丈夫ですかとお聞きした時も、頷かれたのが思いの外寂しかったようです」
ええと、あれかな。私が授業中の先生の表情を見慣れなくて、時々ヒヤッとするのと同じような感じということだろうか。めちゃくちゃ注目浴びてる場面だったから、当然それらしい表情を浮かべなきゃならない。作った笑顔が多分見慣れなかったってことだよね。その後にすぐ、懇願めいた顔見せたけど。
「そんなに変でしたか、あの時の私の顔」
「いいえ。ご令嬢らしい完璧な笑顔でしたよ。マナー講師も満点を付けるでしょうね」
そう言われたので安心して口元が綻んだ。
「……こちらの笑顔を見慣れているので、敵とみなされたようで落ち込んだんです」
と言われても鏡がないのでわからない。まぁ令嬢っぽい笑顔として作った笑顔と普通の笑顔はやっぱちょっと違うんだろう。
最近異様に体調を気遣われるので、元々鏡を意図的には見なかったけど今は意図的に見ないようにしてる。なんかもう実際見て顔色悪いなって自覚したら一気に体調崩しそうで怖い。元々日前で土日祝日三連休みたいな時ばっかり体調崩してたから。気力が物を言う面があったかもしれないし、とりあえず義弟の入学式までは倒れたくないので。
だもんで、普段の自分がどんな顔で笑ってるのか記憶にすらない。
「あの、私誰も敵とは思ってなくて、あの時は……ああするしかないと思って」
「ええ、正解です」
「あの、そんなに違和感ありましたか? その、周りの人にもそう思われたでしょうか」
「周囲にいたのはお嬢様の元クラスメイトばかりでしたから、お嬢様が殿下を庇われたことに対しては意外に思われたかもしれませんね」
「え?」
「殿下の普段のお振舞いが……」
「あ」
そうだった。最近の殿下は私にとっては友達枠で、尚且つお父様とお母様に不仲が知れるとやばいから表向き仲良く見せなきゃと気張っていたけど、よく考えたら元クラスメイト達は、殿下が私にだけ口が悪いのも、机殴るのも、知ってる。
それに対して私は時々固まったり睨みつけて走り去ったり、俯いてたり会話してたりしてた、ということも知ってる。
どこをとっても仲の良い婚約者と思われる要素がない。
あの周りのうるささはそれか。
自分たちの知らない間に何が? みたいな感じか。なるほど納得!
そりゃ野次馬したくもなる。
「……私、……」
そっか女神って、あれかな、暴言を吐く殿下(言い過ぎにも程がある)に対しても他の上級貴族に対しても下級貴族に対してもまるで同じ態度だからって意味も含んでか。
あんなに気負わなくても良かったんだ。
「表情に関しては、どうでしょう。私が見慣れているお嬢様の笑顔と、他の方では違うでしょうから」
「……私誰に対しても態度が同じって言われたんですが」
あ、でも先生と特別親しいとも言われ——
「お嬢様にとって私は特別ということですね。嬉しいです」
……うん、そう、……なるほど、あの態度なのにって殿下が言ってたのは、これか。
確かにこれは——多分、この年齢の女の子に向けて良い言葉と笑顔じゃないかも……。
真っ当に育ってる女の子だったら恋に落ちてもおかしくない。
納得とともに、おかしくなって笑えてきてしまった。
これは他の女の子にはできない。してたらそれこそ刃傷沙汰が起きてそうだ。それもかなりの頻度で。
先生はこの通り綺麗な人だし、優しいし、憧れてる女子も多いらしいから。
殿下がああ言ったのにも、一定の理解は示そう。
だけどこれは殿下が思ってるような特別じゃない。
その逆だ。
前に殿下絡みでちょっと落ち込んでたと言うか恥入ってた時に、護衛その2が自分を笑い物にすることで慰めてくれたことがある。これはどちらかというとそれと同じ。護衛その2と親友なだけある。
勿論先生は私にとって特別だ。何回も救ってくれた恩人という意味で。そして私のこの難儀な性格と特質を先生は知ってる。
まとわりついてくる小さな子供相手に、好きだから何々してあげるとか言われても大抵は「ありがとう。嬉しいです」と微笑んで返す。日前で私もそうやって接してきた。
先生にとって私は多分そのくらいの発達段階の子供と同じだ。
幼児である教え子への態度と、甘えられなかった母親への憧憬を乗せた私の態度。
本来ならどこかで反抗期とか迎えて、子供扱いしないでとか言ったり、それこそ普通に思春期とかあってギクシャクしたりして変わったはずのもの。
それが親に甘えられず子供扱いされたことのない、中身とっくにモラトリアム期間さえ終えた私は、当然反抗期も思春期も迎えなかった。
だから反発することもなく奇跡的に噛み合ったままこの歳まで来てしまった。
情緒面に問題なく育った子は、このくらいの年齢になれば、相手がそんな扱いをしてるとはまさか思わない。だから特別なものに思えるんだろう。
殿下は私のこの厄介な特質に合わせてくれるし、かなり配慮もしてくれる。だけどそれでも、理解してもらうのは難しい。
まぁ人生讃歌は大抵高らかに恋を謳い上げる。それをどうしてもできない人間がいるなんて、想像しにくいのだろう。
元護衛が私と先生をあんまり喋らせないようにしてた理由がよくわかった。
先生は悪くない。子供扱いを喜んで享受してる私がおかしいだけ。
だけど一般的に見ると多分アウトなんだ。
私もヒロインから見てどうなのか、という意味でアウト判定出してたしさっきは殿下基準で出したけども、私のすることがアウトなんであって、先生がすることに関しては全くの慮外。盲点だった。
実際、殿下の言葉がなきゃ、こんな考えも浮かばなかった。今みたいに笑いながら、でも内心は全然違ったろう。思いを受け止めてもらえるというのは嬉しいものだ。多分、嬉しくて、少し泣いたかもしれない。先生には救われてると伝えたことあったけど、先生はそれをお世辞みたいに受け取ってた気がするから。どれだけ感謝しても足りない。
そういえばみみず腫れもどき隠してもらった時、老若男女誰もが恋に落ちそうだ、と思いはした。但し書きで私は除くと入るけど。
殿下には、私は恋も愛もわからないと話したことがある。先生を慕ってはいるが恋慕ではないとも。だけど先生が私をどう思ってるかは殿下は知らない。
だからメンタルへなちょこ過ぎる子供への気遣い故の優しさが、特別親しいとかいう発言になる。
でも私は知ってる。
先生が好きになるのはヒロインだ。
私への好きとは種類も大きさも違う。そもそも嫌われたくないとは言ってくれたけど、私は人に好かれる人間じゃない。
私とヒロインは全然違う。見た目も中身も、人としての格さえも。私みたいな人間は何回やり直してもあんなふうになれない。
だから先生が私を好きになることはあり得ないし、私も先生にそういった意味で好きになってほしいとは思わない(っていうかゾッとする)からヒロインを真似て演じる努力もしない。だからその可能性はゼロ。
でも殿下が知るわけないんだよ。私みたいに何回も繰り返してるわけじゃないんだから。
見た目めちゃくちゃ綺麗な人(男)が、婚約者と傍目に仲良くしてたらそりゃ胸中穏やかじゃなくても仕方ない。
もしかしたら殿下は、私の愛も恋もわからない、が『今は』だと思ってるのかもしれない。申し訳ないがこちとら通算すれば下手すりゃ百年越え。それでわからないんならもう永久にわからんに決まってる。
前提が違うとこうまで見方が変わるのか。
日前の私は恋愛絡みであり得ない誤解をされると、何故か酷い笑いの発作に見舞われた。疑問程度ならそこまでいかないのだが、決め付けられると大抵、相手が困惑するくらい、ちょっとあり得ないくらい笑い続けてしまう。
殿下の前でこの誤解に気づかなくて良かった。あの時は何で殿下があんなこと言ったのか理解に苦しむだけで済んだけど、流石に不敬に取られるレベル。
私が笑ったことで先生も安心したのか、浮かんでいる笑顔が柔らかくなった。
先生のこの変わらない優しさに私はずっと救われて甘えてきたけど——
笑い過ぎたせいでちょっと涙まで滲んできた。先生が自由な方の手でハンカチ出して拭いてくれる。
やっと治まってきた笑いの合間にお礼を言いながら、そう言えば護衛その2的には、手ずから拭いてくれるのはセーフか? いやでも、あの人自身と先生じゃ基準違うもんな、と思ったところで。
聞こえてきた足音に、そちらを見やれば、ブランケットを持ったメイドが、すごい勢いで駆けてくる。
「お嬢様!」
「はい!?」
びっくりして大声で返してしまって恥ずかしい思いをしていると。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい」
頷き、心配させたことを詫びた。
メイドはほっと息を吐き、それから「失礼します」と言って、持っていたブランケットを私の肩に掛けた。
「先ほども申し上げましたが……いえまず、それは”おまじない”ですか?」
「え?」
言われて目線を辿る。ハンカチはもう仕舞われてたけど、そっちじゃない方の……先生の手が、今離れた。
……そうだ。手、繋いだ(?)ままだった。掴んではいなかったけど、先生の服の上から私も手を移動する。
「手が冷えていたので」
先生が説明してくれる。確かに指先冷えてたから嘘じゃない。
「あの、少し時間が……かかったようですが、何かありましたか?」
ナイス話題転換。ちょっと強引かもだけど。手が動かなかったとかあんまり心配かけたくないし伏せてくれてありがとうございます。と言うか結構時間経ってたのか。先生ちゃんとそれ把握してて、私何にも考えてなかった。
「……この季節にブランケットは用意していなかったんです。お嬢様はうたた寝することもありませんでしたから」
確かに気温的にはそんなに寒くないはず。夏の盛りは過ぎたが、冬はまだ遠い。
……ってことはあれか、私かなり体温下がってるのかも。それか風邪ひいてる時みたいな感じになってるのか。
「保健室で借りることになってしまって……申し訳ありません。次からは持参します」
「いえ、あの、もう、眠ったりしないので、大丈夫です」
多分私の昼寝の誘因は先生だよな? 子供の頃の昼寝もそうだったし。先生はこれからあんまり休憩時間自由にならないらしいから平気だと思う。
「いいえ。ご用意しておきます。先生のお手を煩わせるわけにはいきません」
メイドはキッパリとそう言って、それから先生を睨んだ。先生が立ち上がる。
「お嬢様、少し——お嬢様の睡眠と食事について、お話ししてきても良いですか?」
先生がメイドを示しながらそう言う。
ムラがあるって言ったことをメイドに確認取るのかな。
「……はい。でもあの、あの、」
返事は先生にして、それからメイドの方を向いて視線で訴える。
先生に怪我とかは嫌なんだけど大丈夫かな、今日前の休憩時間で燃やすって言ってたばっかりだし。
メイドはなんかあの怖い殿下に似てる系統の圧のある笑顔を浮かべた。
「私が燃やしたくなるようなことがありましたか?」
「ないです」
即答した。どっちかっていうと私が先生を害したというか……
「……今は信じます。先生に訊かなければならないことがあるので」
今は? え、メイドに裏切られるのだけはマジ勘弁してほしいんだけど、私の信用もうないってこと!?
涙目になりかけながらオロオロしていると、立ったままの先生がちょっとだけ屈んで、少しだけ困り顔で微笑んだ。
「怪我はしません。大丈夫です」
……本当に?
「少し離れた所へ行くだけです。お嬢様から見える所で、お嬢様を悲しませるようなことは出来ませんよ」
……確かにあれは、私が見てない時だった。ならきっと大丈夫。
頷くと、メイドも先生も一礼して、姿は見えるけど声が聞こえない辺りまで離れた。
多分日前の私だと裸眼じゃ誰なのか全くわからない距離。そもそも人がいるのすら見落としそう。
でも今の私の視力なら、先生とメイドだとわかる。
……ここはよく声が通るって聞いたけど、全然聞こえない。風向きとかの問題なのかな。
偏西風みたいにいつも同じ側に風が吹いてる? こちらからは聞こえないけど、こちらの声は風に乗って向こうへ届く、とするなら、舞台に打って付けだ。
来年になったらやっぱりここは通り過ぎるだけにしよう。
リアクションありがとうございます。嬉しいです。お陰様で更新頑張れます。




