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私と、思考実験の失敗について。

 ここまで難航してるのは、出だしの設定で行くべきだったのに、それを妥協しちゃったからだ。

 そもそも私の場合は外付けの影響力が大きい(筆頭公爵令嬢、お母様譲りの顔)から、殿下が恋は盲目という状態異常にでもならなければ、乙前みたいな行動も考え方もしないというかできないのかもしれない。

 殿下は頑なに誰かに恋をするということを認めようとしないし——まぁ立場とか倫理観とかあるしそれは仕方ないんだけども、目的を達成するためには、いっそ私とヒロインを入れ替えれば良いんじゃ? 殿下が好きなのはこの顔だけなんだから、思考実験的には私が平民でも?


「ええと、あの、設定を変えましょう」

「どう変える?」

「私がええと、平民だったとします」

「君を上級貴族の養子にする」

 顔を上げた殿下に、問題ないね、とばかりに微笑まれて、私はもうどうすれば良いのか。


 いや、考え方を変えよう。前向きに。とりあえず平民を上級貴族の養子にするということは、その後婚約する気があると考えて良いはず。なら平民に恋をした設定になってる。頭がこんがらがりそうだけど。

「で、殿下には、ええと仮定の話ですが、他にご婚約者がいるということにします」

 殿下がまた顰めっ面に戻る。

 他にいるご婚約者が実質私。私ということにした平民が実質ヒロイン。

 殿下の難しい顔は、その婚約者をどうしようか考えてるんだろうから、これでとりあえず好かれてはいないというか嫌われていた乙前の私に対する殿下の考え方をなぞれるはず。


 今の殿下は私が人に触るのも触れられることも苦手なのを知ってるし、本ばっかり読んでるのも知ってる。護衛を庇ったことも。だけど、乙前の殿下はそれを知らない。

 それに本ばっかり読んでてちゃんとした人付き合いをしないからいじめられるんだと言われた日前の言葉を思い出して、人前で本を読まないようにしていた人生もあったし。

 その状態でヒロインが訴えたような内容が起こったら、ヒロインを信じるよね。

 殿下の私に対する心証は最悪の一語に尽きるし。


 だからええと、私がヒロインでヒロインが私だから、他に設定として伝えるべき内容は……

「ええと、それでですね、私には恋愛感情を持った人が仮定」

 ですがいるとします、という前に、殿下がテーブルを殴った。

 大声のせいでも音の大きさのせいでもない、精神的に追い詰められた時に出る独特の耳鳴り。


 ……あ、うん、やばい。


 一斉に視線がこっちに集中する。

 殿下は俯いてるから表情がわからない。対して私は多分、強張った表情を周りに見られた。

 慌てて扇子で隠すが、後の祭り。

 俯いてくれてるのは幸運だった。断罪の時のような表情だったら、多分保たない。

 過呼吸起こして倒れるわけにはいかない。扇子に隠れて唇の内側を噛む。


 やらかした。どうしようもなく。

 試し行動だ。どこまでやったら怒るか試そうと無意識にする、愛情に飢えた子供特有の行動。

 なんで殿下相手にするんだよ。元々すぐ怒鳴る子供だったのに、かなり我慢して耐えてくれてたってわかるだろ。

 さっきから不機嫌だと教えてくれていたのに、まだ行けるとかまだ大丈夫とか甘すぎる。

 殿下は成長したとはいえ未成年の子供だ。相手が幼児ならともかく、アダルトチルドレンを受け止めるのなんか荷が重いに決まってる。

 カウンセラーっぽくて知識もある先生にすれば良いのに。親を信用できないからって友人に縋ろうとした?

 

 なんて自己分析&自責して現実逃避してる場合じゃない。出方をどうするか考えなきゃ。


 どうする。合同授業だ。大勢いる。前に殿下が机を殴った時は、教室だった。その前は四阿。今回は目撃者が多すぎる。ヒロインが近くにいなかったのは不幸中の幸いだけど——

 不仲だと思われてそれが万一子煩悩な両親の耳に入ったら物騒なことになってしまう。噂になるのすらまずい。

 とりあえず詫びて、いや、詫びたらまずい? どこからがDVの範疇? 日前の家庭科でドメスティック・バイオレンスについて習った時は、物に当たるのも含まれた。ならわざとテーブルを殴ったと思われたら? 

 泳いだ目線の先で、先生がこっちに向かってくるのが見えた。

 早急に言い訳考えないとやばい。いや私も婚約解消はしたいんだけど、穏やかな形での解消を望む。


「どうされました?」


 立ち止まった先生と、その向こうにも教師が何人か。私を叱れる教師はいないって護衛その2が言ってたっけ。合同授業だから各クラスの担任が来てるけど、気にはなったが、厄介ごとに巻き込まれたくないってことだろう。

 ただでさえ寄付金のせいなのか問題を起こした生徒(私)へのお咎めループ通して今まで一切なかったし。よく考えなくても漫画じゃないんだから、生徒がサボってたら大事である。何せ預かってるのは皆貴族(一名除く)。学内にもしいなかったら誘拐の可能性だってあるし、事件に発展してしまう。当然護衛騎士が探し回るわけで、護衛その2の業務妨害しまくってたんだよね……私よくあれで放校処分にならなかったな。

 さらに王家と公爵家のトラブルなんてどう関わっても面倒な未来しか見えないもんね。太刀打ちできるのは象牙の塔のトップだけ。

 押し付けられた先生には同情する。


 殿下が小さく「ごめん」と言った。

 顔を上げないままだったけど、敬語じゃないってことは、その謝罪は私に向けられたものだ。

 声音が後悔してると教えてくれた。

 なら、うん、大丈夫。まだ、断罪されない。怒りはしたけど憎んではない。さっきの殿下の言葉を信じる。

 私も後で謝る。

 出方は決まった。

 前に助けてもらったし、今度は私が。


 私は顔を上げて先生を見て微笑む。

「お話中に、少し体調を崩されたようで、手がテーブルに当たってしまわれたのです。——大丈夫ですか、殿下。痛そうな音がしましたけれど」

「……あぁ」

 殿下もうちょっと声の演技頑張って。意外そうな感じ出ちゃってる。

 私は殿下を見たまま、内心冷や汗かきつつ心配そうな声を出す。

「ご公務でお忙しいのでしょう? 立ち眩みでしょうか」

 って座ってるじゃん私のバカ! 気を抜かないでくれ、もっとできるでしょ!?

「大丈夫だ、もう問題ないから」

「でしたら、安心しました。——先生、大丈夫です。お騒がせして申し訳ありません」

 先生には私の嘘多分バレるとは思うんだけど、とりあえず笑って誤魔化せ発動。


 表情に出やすいとマナー講師に散々注意されて先生からは扇子を贈られた私の、どうかここは合わせてくれないでしょうか、という気持ちを前面に押し出して困り顔の笑顔を晒す。

 先生なら優しいから意を汲んで誤魔化されてくれるはず。


 果たして先生は、小さく苦笑した。

「わかりました。——殿下は念の為、保健室へ」

「少しふらついただけです」

 殿下は顔を上げて先生を見た。

 ごめんなさい殿下、私の下手な嘘に付き合わせて申し訳ない。

「見過ごせばこちらも責任を問われます」

 ……そんな言い方。

 私が悪いんだけど、でも、そんな義務感丸出しな言われ方したら、傷つく。

「今保健室へ行かなかったことで何か問題が起きたとしても、王家は責任を問わないと約束します」

 先生の後方にいる他の教師があからさまに安堵したのがわかる。

 ……ああ、なんだ、そうか。その言葉を引き出すために、あえてああ言ったのか。それに殿下も気付いてるから、特に悲しんだりしてる様子もなく、当たり前に求められた言葉を返した。

 これは私が、王族の健康問題を軽んじてるってことだ。……私の体質も伏せるって言ってたんだから、そりゃ殿下の体調は重大事だよね。

「婚約者のエスコートを誰かに譲るつもりはないので」

 ……おお、流石殿下。妥当な言い訳を捻り出してくれた。

「入学式では辞退されたかと」

「ええ。緊張するでしょうし、彼女の体調を考え、近親者にお任せした方が良いと判断しました。ですが、今ここにはいない」

「わかりました。但し——念の為、護衛騎士をお側に付けさせていただきます」

 先生が私の後ろへ視線を向ける。

 振り返ると、護衛その2がすぐ後ろに。

 ——びっ…くりした。こんなに近づかれてたのに、全然気づかなかった。

「もし異変がありましたら、保健室へお連れしてください」

「は。殿下もご了承ください」

「構いません」

 先生はそのやりとりを見ながら、私の方へ顔を寄せた。

「大丈夫ですか?」

 耳元でのほとんど囁きに近いそれに頷く。

 やっぱバレてる。

 合わせてもらって助かった。同じようにお礼を言った。

 先生は少し微笑んでから、私の後ろ——護衛その2に多分アイコンタクト? をして、殿下の方へ礼をして離れていった。



 ぽつりぽつりと次第に周囲のテーブルから会話が戻る。

「……悪かった」

 それに紛れ込ませるように、殿下が小さく言った。殿下は悪くない。あれは私の落ち度だ。

「いいえ。……私が、……すみませんでした」

 同じように小声で返したそれに、殿下は軽く首を振った。

「……庇ってくれると思わなかったから、嬉しかった」

 なんでよ。

「婚約者ですから。前に殿下もそう仰ったでしょう?」

 殿下は目を瞠って、それから、目を細めて笑った。顔、赤くなってるけど、この笑顔で怒ってるってことはないよね? いや怒ったからテーブル殴ったんだとは思うけど……

 私が殿下の感情を計りかねていると、護衛その2がぐるっと円形テーブル沿いに回って、殿下と私のちょうど中央くらいに立った。

 これで普通に顔が見える。護衛その2は苦笑してた。

「マリー様、驚かせてすみません」

 あぁうん、すっごいびっくりした。

 いつからいたのだろうか。

「それから殿下。気持ちはわかりますが、ありゃあよくないですよ」

 随分声量を絞ってるせいで、途切れ途切れにしか聞こえない。

「……わかってる。ごめん」

 殿下は聞き取れるのか。私はやっぱり低い声の聞き取りに難があるらしい。

「あんな訴えがあった後です。本来なら別室で話を聞かなきゃならなかった」

「ごめんなさい」

 護衛その2はちょっとため息をついた後、今度は私に顔を向ける。

「マリー様も。最後のは禁句ですよ」

 顔を向けてくれたからか、なんとか聞き取れた。

「……すみませんでした」

 最後に言ったのは、恋愛感情? 言い切れてなかったと思うけど、あれが禁句。

 そう言えば王宮のお茶会でも、殿下はなんか捨て台詞みたいなこと言ってたし、その後も他人と仲良くするのは嫌だって言ってた。

 恋愛感情を持つことはないって言ったのに、嘘だったのかって、思われたのかもしれない。その辺は——また四阿での時間にお詫びして訂正しておこう。

「とはいえまー、おっもしろい話してましたね」

 ……それはあの、面白い冗談とは違って、単純にfunnyって意味で良いんだよね? あの、死にたいのかって意味じゃないよね? あの、別に殿下に不満があるわけじゃなくて、ただなんでいつも私を家族使用人諸共殺すのかなって言うのを知りたいだけなんだけど、いやこれ不満って言えば不満か。不満だわ。今世の殿下に対してじゃないんだけども。

「ミーハー精神を刺激してくれたおかげで、思ったよりパートナー決めは早めにケリが付きそうですよ」

 ……ミーハーって私が知ってるあのミーハーの意味で合ってる? 私が日本で生きてた頃でさえ既に死語になってた気がするけど、芸能人とかの動向にやたら注目する人みたいな意味だったような?

 この国で言うなら貴族の動向か。そういえば中世英国が舞台の妖精絡みファンタジー小説、ゴシップ誌に載るのは貴族の恋愛模様だったような。

 さっきはヒロインを探してたせいで意識に入ってなかったけど、随分こちら側に人が集まってきてる。これだけ集まると護衛も必要か。

 南側に目をやれば、まだ人はいるものの、さっき殿下に促されて見た時よりはだいぶ減ってる。

「殿下とマリー様の笑顔の大盤振る舞いは結構効き目ありましたねぇ」

 殿下はちょっと憮然とした顔で紅茶を口にした。

 ……そっか、殿下は計算してた? だから割と大きめの声で話してたのか。

 笑顔→何話してるか気になる→近くに行くため手近な人と組む→ペア決めを早く終わらせる。

 みたいな感じか。

 流石殿下。ちゃんと全体を俯瞰して自分の役目を考えてたんだ。

 ってことは、さっきのはやっぱり相当怒らせたんだ。注目されてるとわかっていて……それでも抑えられなかった。

 どんなに仲良くなれたように思えても、やっぱり私は決定的に人と上手くやれない。

「ただ、あのお嬢ちゃんはやっぱ妙ですね」

 多分ヒロインのことだろう。

「……妙、と言うのは?」

「あれほど物怖じしない性格なら、自分から声かけに行ったって不思議じゃない。なのにずっと突っ立ったままで動きもしないんですよ」

 ……攻略対象が来るのを待ってる? 殿下はここにいる。義弟はまだ入学前。先生と元護衛は……どう動く? いや、もしかしたらもう一人いた筈の攻略対象者、その人を待ってるのか?

「基本的にアイコンタクトしてから近づくのが礼儀でしょ?」


 そういえばヒロインに足止め疑惑かけられたけど、あれ普通にパートナーの申し込みをされてたのでは?

 なんかあんまり思い出したくなさそうな感じではあったけど……殿下みたいにちょっとツンデレっぽい人が多かったのか、平民だから軽んじるような発言が混じった誘い文句に辟易したのかもしれない。


「なのに俯いてるんですよ。あれじゃ声のかけようがない」


 美醜と爵位で態度を変えないってだけで私なんかを女神扱いするくらいだから、学内の平民への風当たりは私が思ってるよりずっと強いんだろう。だとすれば、俯いてるのはそれでじゃないかな。


「……君の言う通りかもな」

「え?」

 顔を上げると、殿下がこっちを見ていた。

「賢者殿にその気はないにしても」

 ——そうか。

 男女数に差があれば、教師が入っても不思議じゃない。日前の中学のフォークダンス、私達の学年は女子の方が多かったから、男性教師が穴埋めに入ってた。

 そしてきっと、そうなるなら、ヒロインをエスコートしたことのある先生が優先的に入るはず。

 先生なら多分その辺の差別は……いやどうなのかな、私一度信頼したり好きになるとその人のすることは全部正しいと思い込む癖あるから……

「なぁる。狙いはあいつか」

 殿下はティーカップの中へ視線を落とした。

「恥も外聞も気にしないで済むのは平民の特権か」

 それは——入学後半年以上を過ごして、誰とも交友関係をもてなかったと見做される、つまり人品に難ありと評される、と言う意味だろうか。


 前世までの殿下は、だからヒロインへ声をかけたのかな。殿下の性格なら放って置けないだろう。

 どのみち私は、誰かと踊るのもエスコートも真っ平ごめんだった。今世みたいに殿下が私を選んだとしても、今世みたいに先生からのおまじないというプラシーボ効果を望めない以上、お披露目会と同じように仮病使ってサボるしかない。

 殿下に触れられて嘔吐くわけにいかないじゃないか。関係は酷いものだったけど、殿下を傷つけたいわけじゃなかったから。


 俯いて皮肉に笑えてきた顔を隠す。殿下がいなければ私こそそう評されていた人間だ。

 何回もあったループと、今世も。

 殿下の婚約者を他の人が誘える訳ない。いくら仲が悪くても。

 そしてその私には不釣り合いな肩書きがなくても、私がまともに話した人なんてたかが知れてる。しかも令嬢たちに限定される。

 令息とは唯の一人も交友することができず、人品にも難がある。評されると言うよりその通りで、どうしようもない人間だ。

 殿下は皮肉のセンスもあるな、なんて被害妄想で内心笑う。


 ただ——紅い水面を眺めていた殿下に、らしくないなとも思っていた。

 私が殿下の何を知ってるんだと言う気もするけど、少なくとも、ヒロインに対しての物言いとは思えなかった。

 揶揄するような言葉選びも、沈んだ声音も。


 ヒロインはもしかしたら、元護衛の言うとおり純粋に先生を待ってるだけかもしれない。元の乙女ゲームを知ってる転生者ならその可能性だって確かにある。

 だけど——


 彼女は、あの頃……仲の冷え切ったように見えていただろう婚約者の私に謝ってくれた。私はそれに気にしないでと答えた。殿下への罪悪感を彼女のおかげで埋め合わせできたように感じていて、私は心からそう答えた。多分笑って答えた。

 殿下の邪魔をしようなんて考えてもなかったから。

 殺されるなんて欠片も考えてなかった頃。


 聞き咎められないように細く長く息を吐き出す。利き手の小さな震えを止めるように左手で掴んだ。爪を立てていたことには自分でも気付いていなかった。

ブクマ、評価、リアクションありがとうございます。すごく嬉しいです。お陰様でなんとか更新続いております。

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