私と殿下と思考実験について。その2
いつの間にか浅くなっていた呼吸を戻すために、深く息を吸う。それから、声量を間違わないように息を吐いて調節する。
これはあまり、聞かれたくはなかった。だから少し身を乗り出して、扇子を手の代わりに口の横に添える。
殿下はすぐ察してくれたようで、ちょっと顔の赤みが増したけど、同じように顔を寄せてくれた。
「あの、……この実験で、殿下が私を——断罪したいほど憎むようなことになるとして、理由は何だと思いますか」
殿下は呆気に取られたような表情を見せた後、ひどく心外だという表情になった。
「僕が? 君を? なぜ」
そのなぜを聞きたいんだってば。
「逆じゃないのか?」
困惑を滲ませながら殿下が言う。
「ぎゃく?」
「いや、……何があってもそんなことは起こらないと誓えるが」
この大嘘つき野郎。何回そんなことが起こったと思ってやがる。
「僕がその、Aを好きになったと、君が勘違いしてるわけだから、憎……んではくれなくても、罪に問われるのは僕じゃないのか?」
……言われてみれば。
冷静な第三者視点ありがとう。当事者ではあるが、殿下はやっぱり頭が良い。
貴族の、それも王族相手の婚約となると勿論口約束とかじゃなくて婚姻契約書みたいなのがある。
ヒロインを傷つけたことで王宮侮辱罪か不敬罪かそれを通り越して反逆罪あたりが適用されちゃったんだろうなってこの前のヒロインと先生のやり取りで思ったけど、殿下は殿下で婚姻契約破ってるよなぁ……
乙女ゲームの世界だったら多分、キスくらいはするんだろうし。でも貴族の世界ではね、それも立派な不貞行為に入るんですよ。
許されるのはせいぜい、手へのキスくらいだ。
「絶対にありえないが、もしそれが勘違いでなかったとしたら、少なくとも契約不履行にはなるだろう?」
殿下の言う通り。だったらまた断罪されたら相殺してくれって言おうかな、なんて。
「……多分、争点が違うんです」
ポツリと漏らしたのは自分。
「どう違う?」
「私がAさんをいじめたと、誤解されて」
「しないよ!?」
殿下が声を抑えて語気を荒くするという器用な真似をした。
「するんです」
「どうやって!?」
「Aさんの教科書を破いたとか」
「君が本を破けるわけない」
殿下が太陽が西から登るわけない、みたいな至極当然のことみたいに言い切った。
確かに。間違ってちょっと破けただけですっごく落ち込むのに。
「Aさんのスカートを汚したとか」
「……どうやって?」
「さぁ……汚したと言うからには、何かの液体を溢したんじゃないでしょうか」
殿下がちょっと顔を引き攣らせた。
——あ。
「あの、あの、別にこれは、その、あの、王宮での」
「待て、言うな、他言無用だって言っただろ」
あれ私も含まれてたのか。
「君はAとお茶をするのか?」
「殿下を交えてお茶をしましたね」
「……3人で?」
「はい」
「君は僕をAから遠ざけたいんじゃないのか?」
「そうなんですが、何というか、こう……上手くいかなくて」
流石はヒロインと言うべきか、殿下とお茶してるところに偶然出会してくれちゃったりした。
内心頭を抱えたものの、「偶然ですね、ご一緒してもいいですか?」なんて言われて。
転生1回目や2回目で、誰かを傷つけまくることの後味の悪さを骨身に染みて味わった後、ニコニコ笑顔の女の子にそう言われては私の選択肢はイエス一択だった。
「その場で手が滑ったってこと?」
「そんなことしたら火傷するじゃないですか!?」
紅茶は熱湯で淹れるんだよ!?
びっくりして、私も先ほどの殿下みたいな器用な真似が偶然できた。
「だから君が誰かをいじめるとかできるわけないだろう!?」
信じてくれなかったくせに!
「でもそうなるんです。一番酷いのは階段から突き飛ばしたっていうのがあって」
「……どうやって?」
どうとは?
「ええと……突き飛ばすと言うからには、上からこう、ドンっと?」
手で押すような真似をしてみると、殿下がものすごく下手な笑い方をした。
「人に触れないのに?」
そうだった。
「それとも、Aには触れるのか?」
「……いえ」
ヒロインは私の死因のトップだからか、この前近付かれただけで大分怖かった。
「なら、少なくとも君自身は何もできないじゃないか」
——そうか。
ヒヤリと背中を這い上がる。
だから私が命令したことにされたのか。
「それでどうして君がいじめたなんて」
ごもっとも。と言いたいんだけど、その『どうして』を私も知りたいんです。
「私はAさんのことも好きですが、Aさ」
「は!?」
急にでかい声出されてちょっと耳鳴りがした。気圧されて体を引いちゃったけど、ちょっとだけ戻す。
「え、あの、Aさんを私が嫌っていると――違います、誤解です。私は恋愛感情はどなたにも持っておりません」
喋ってる途中で殿下が何を考えたか悟って慌てて訂正する羽目になった。
殿下も年頃の男の子だった。このくらいの齢の子って男女問わず好きに恋愛の意味を持たせがちなの忘れてた。
「そう……だよな」
「はい。あの、私が誰かに向ける『好き』に恋愛感情が含まれることはありません。特に前置きがなければ、人として好ましいという意味だとご承知おき下さい」
殿下が物凄く脱力した。
ご、ごめんね殿下。私ほら、長らく同年代の女の子と話さなかった上に自分が恋愛感情持たなくなって幾星霜っていう人間だから、私の中で「好き」っていう単語の希少性が暴落してて……
「Aさんを嫌っていると言う誤解が前提としてあったらどうでしょうか。傷つける可能性が」
「君がわざと人を傷つけるのは無理だってさっきから言ってる」
「……でも断罪されるんです」
殿下は呆れたような笑顔を浮かべてため息をついた。
「それもそういう設定だから? それならそれこそ争点が違うんだろう」
「そうでしょうか」
「護衛を庇おうとする人間が、誰かを意図的に傷つけるとは到底思えない。それこそ火傷するところだったのに、それでも庇ったんだ。万一階段から突き飛ばしたとしても、その直後に助けようとして一緒に落ちてる」
……まぁそれは……そうかもしれない。
「そもそも君がAを嫌う理由は?」
「嫌ってないですが、……誤解はされていて」
「そこだよ。誤解するに足るくらいの、何かそれらしい理由がなければ、誤解だってできないはずだ」
「Aさんがそう言ったのでは?」
「だとしても、それこそ誤解だろうと僕なら言うが」
「……一応婚約者ですし、殿下がAさんを好きになったと私が誤解してるわけですから、嫌ってもおかしくはないかと」
殿下はかなり不機嫌そうな……はっきり言うと不愉快だ、と言わんばかりの表情を浮かべた。
「一応?」
「すみません、不要でした」
この前婚約解消しかけたばかりでこの不機嫌は正当だと思う。余計な一言を、っていうかこの話題って今じゃない方がよかったのでは? 今更だけど!
「一応の婚約者なせいで、仮に君の言う通りだったとしても、君がそれでAを嫌う理由がないことはよくわかってるんだ」
本当に余計だった。
「僕が多少他の女と仲良くした程度で君が嫉妬して相手を嫌う? 思い上がりも甚だしい。君の想像する僕は随分自信過剰なんだな」
皮肉の連発である。めちゃくちゃ機嫌を損ねた。全部私が言ったことだから始末に負えない。人目がなかったら土下座を決めるべきかもしれない。
「……本当に、すみませんでした」
可能な限り頭を下げると、殿下は嘆息した。
「Aは関係ない」
え、と思って頭を上げる。随分苦いけど、それでも一応笑ってはくれている。
「君が知りたい理由に、Aはおそらく関係ない。問題はBの方だ。君がそこまで肩入れするなら、関係を疑う。ただ疑いだけで、僕がその……せっかく持てた君との時間を、手放せるとは思えない」
少なくとも、あの人生での殿下はあの時間を歓迎してはいなかったと思う。四阿で話を聞いてくれてる時の殿下と態度が全然違うから。
「僕の態度は――悪いことの方が多かったのは認めるし、反省してる。だけど憎んでるわけじゃなくて」
わかってる。流石に、今の殿下に現状憎まれてるとは思ってない。
今世では殿下の憧れであるお母様そっくりの顔で、性根の腐った私が浮かべる表情というのは見るに堪えないだろうし、殿下が嫌がるのも無理はない。それが態度に出たって仕方ない。そう思って生きてきたし、それを悪いとも思ってない。
時々ちょっと拗らせてるなぁとは思うけど。
あれだけ不機嫌にさせても、こうやって私に付き合ってくれることや、義弟や私の使用人、それからヒロインに対する態度を見ても、殿下はどちらかと言えば情状酌量を連発するタイプに思える。私がヒロインに危害を加えたとしても(冤罪だけど)、家族使用人諸共殺すだろうか。内乱阻止の目的があるとしても、それこそ修道院送りあたりで済ませてくれそうに思える、けど、家ごと潰すっていう発言がやっぱ気になる。冗談なのか本気なのか、前世を知らなきゃ冗談一択なんだけれども。
今世以外の殿下が何を考えていたかは私には全くわからなかった。私が何をどうしたところで、殿下は基本黙ったまま。
件の面倒な悪役令嬢というか悪質ストーカー的な行動に対しても、とにかく無視一択。
私は殿下に触ることはできないから、行動の制限なんかはできない。腕に取り縋るとか、いわゆる通せん坊とかすらも無理なので、振り払う必要すらなかった。
無視というか無言のほうが正しいのか。お茶に誘っても来なければ良いのだから。でも来はするんだよね。ただずっと無言で。
だからどういう人なのかわからなかった。
婚約者だからという一事だけで、好きでもない子の誘いを断らない。エスコートもダンスからも逃げ回っていた私と対照的に、殿下は婚約者の義務は果たしていた。
今世の殿下がさっき言っていたことと矛盾しない。
とすると、やっぱり殿下のベースというか、倫理観なんかは共通していると考えて良いだろう。
なら、この実験は、難航してるけどやる価値があるはずだ。
「……話の内容は?」
「え?」
「話しかけてくれるんだろう? その話の内容は、今まで通りだと思っていい? それなら僕にとって楽しいだけだ」
——違う。あの物語について話し始めたのは今世が初めてだ。今まではそうじゃなかった。
「いいえ。私は——」
「そうか、話す回数が増えるなら、物語は終わる?」
頷く。終わるというより始めもしなかったのだが、その違いはこの際どうでもいい。
「AさんとBさんがどれほど仲睦まじいかを話していたと思います。殿下の、その、気持ちを削ごうと思って」
殿下はそれでも納得がいかないという顔になった。
「でもそれなら、尚更憎みはしないと思う。その二人の仲が円満であることを君が話しているなら、Bとの仲を勘繰る可能性は低い。君が話すときに辛そうだったりしたら、疑うかもしれないけど」
どうだろうか。辛くはなかったはずだ。必死さはあったかもしれないが。
「君が僕の気持ちを誤解しているとして、その気持ちを削ごうとするなら、僕はむしろ喜ぶ」
は?
「さっきはああ言ったけど——少しは妬いてくれてるのかなって思えるから」
そうだった。殿下は拗らせてる。
照れくさそうにそう言った殿下は、私と目が合うと苦笑して見せた。
実際私は先生を応援したかっただけで、嫉妬はゼロだったけど、それをわざわざ口にしたりしなかった。だとすると、……いや、前提がそもそも……でも顔が好みなだけだから、私の性格や行動は考慮しなくて良いのか? とすると、……?
「この思考実験は無理があると思うけど、続ける?」
「……続けます」
「じゃあ幾つか確認させてくれ。君はBとどの程度仲が良い?」
さっきは殿下がめんどくさそうに言うから、ちょっと日前の親との会話を思い出して肯定してしまった。けど、仲が悪くは勿論ないけど、仲が良いというのはちょっと語弊がある気がする。
ずっと昔の手紙で、私がまだほんの子供だった時に、末長く仲良くしてくださいね、みたいな言葉はもらったことがある。
あれは幼児に対する保育士さんの言葉だ。私のような暗くて何を考えてるかわからないような子供の相手は大変だったろうから。
その言葉を免罪符のように懐いた子供を、突き放すでもなく寄り添ってくれるあたり、先生は教育者の鑑。
とはいえ、程度、程度か……。
「……ええと、家族のような」
私は先生に理想の母親像を投影してたし、先生には何度も救われてる。特に、悲しみを受け止めてくれるのなんて、家族のようだと思う。理想の。日前の親は、私が悲しんでいるとうるさがったし、怒るばかりで。
だから私はまともな家族の形なんて知らない。本で得た想像上の、絵に描いた餅でしかないけれど、程度を表現するのにはそれが一番妥当かなと思った。
特別親しいなんて言われるとどうにも違和感しかないが、家族と親しいという言い方がおかしいのと同じ違和感なのかもしれない。
「ごめん、憎むかも」
前言撤回早くない? 憎む要素それなの!?
多分私の中の道理が引っ込むくらいに先生に傾倒していたあの人生での私にとっては、多分義弟より先生を家族に近い存在として置いてたと思う。義弟との関係は最悪だったし。
もらった言葉を全て真に受けるほど子供じゃないし、社交辞令の方が多いってわかってる。だから先生から見た私は、良くも悪くも教え子でそれ以上でもそれ以下でもない。だからこれは、私がどう思ってるかっていう話。
だけど下手に訂正するのもちょっと藪蛇になりそうで怖い。
「休日に家を行き来する?」
「行ったことはないです」
「良かった」
「来てくれることはあります」
「良くないね。オペラを見に行ったりは?」
良くないのか。
「しません」
「スクールの生徒?」
……違うけど、まぁいいや。Bさんは先生ってバレそうだから、あえて違うこと言っとこう。
「はい」
殿下が意外そうな顔をした。
やっぱこれ先生ってバレてるよね?
「ランチを一緒に摂ったり?」
「しません」
「良かった。お茶は?」
「あります」
っていうか殿下も一緒だったけどね。
「やっぱり憎むかも」
お茶もアウトなの?! 日前だったら一時期「お茶しない?」はナンパの意味合いもあったけど、この世界でのお茶は挨拶とほぼ同じなんですが!?
「休憩時間を一緒に過ごすこともあるってことだよね」
「……あの、でも、二人きりでとかはないです」
「公爵家の使用人は優秀だ」
皮肉られてる気がするのは気のせいだろうか。
「Bのことをどの程度好き?」
また程度? 好きの程度?
「恋愛感情はないんだろう? 僕と比べて」
殿下の後ろの令嬢が振り返った。私と目があって慌てて逸らす。
「……あの、好きという感情は比較できるのでしょうか……?」
待ってもしかして私恋愛云々じゃなくて、好きっていう感情自体も私人と違う可能性ある? ラベリングはしても順位付けしたことないんだけど? 恋愛の好きは種類が違うと思ってたんだけど、好きの中の1番が恋愛になるとか、そういう感じ?! もしかしてティールームでしたあの顔の好みについての話もそれで!?
殿下は今度は口だけじゃなくて顔全体を覆った。
「ごめん、今の質問は忘れて」
これってオペラの行き帰りで見たような。
「Bは本当にAのことが好きなのか?」
少し間を置いてから、殿下に問われる。そんなこの思考実験の基本を?
ちょっと驚いてすぐに言葉が出なかった。そのせいか殿下が胡乱気に顔を上げた。
「絶対好きです」
「君の勘違いではなく?」
「間違いなく、勘違いでもありません」
「……BはAとどの程度仲が良い?」
「ええと……一緒にいると、すごく二人とも、幸せそうに笑うんです」
「面白くない。けど憎むまではいかないか」
「え?」
「いや。君にするのと同じようなことをAとする?」
「ええと……家の行き来、でしたね。どうでしょう。私が知る範囲ではないと思います」
この世界、家庭訪問はなかったような……?
「ランチは?」
「それも私の知る限りではないかと」
そういえば教職員の方々はどこで食べてるんだろう? 食堂にいるのは学生だけだったような……制服姿の人しか見たことないし。
殿下の表情が曇り始めた。
「お茶は?」
「ええと……それも、私の知る範囲では……」
「休憩時間?」
「それはあります。二人きりです」
「片方は下位でも貴族だろう。メイドはどうした?」
……しまった。生徒って言っちゃったから……
「……とはいえ、根拠が薄いな」
「でも、あの、二人とも素敵な人なんです。お互いに惹かれ合うのがすごく自然で、隣にいるのがしっくりくるというか」
「君は二人の仲睦まじさを話すと言っていたが、それにしては抽象的過ぎないか? 休憩時間はほぼ毎回一緒に取るくらいでないと」
「あ、いえ、毎回というわけでは……」
「Bは君と休憩時間を過ごしているわけだからそうなるだろう」
「あの、私との休憩時間もそれほど多いわけでは」
「わかってる。この思考実験では僕とほとんど過ごすんだろう? 話す内容を具体的に言うと?」
「あ」
「あ?」
……そうだ。二人の仲睦まじさなんて、私はそのくらいしか知らなかった。だから話した内容はそうじゃない。そうじゃなくて。
「……Bさんを褒めてました」
ティールームで話してくれたことから推測すると、殿下はそういう、特定の人に対する賛美みたいなのはあんまり好きじゃない。ならあれは――悪手だったかもしれない。
殿下が深呼吸を始めた。
……これは、ええと。
やがて浮かんだのはやっぱり、前世で馴染みの、あの笑顔だ。
「何故?」
「……あの、Bさんはこんなに素敵な人なんだから、Aさんが好きになるのも当然だ、と言うような論調で……延々……」
「それだろ」
「あの、……そんなことで、憎むまで行きますか?」
「君の論調だと、Bと僕を比較して、Bの方が素敵だと言っていることになる。少なくとも——婚約者に他の男の方が良いと面と向かって言われて、何とも思わない男なんていないと思うが?」
「……そんなつもりは」
「君の考えでは、僕はありえないがAに好意を持ってる。それを諦めさせるためにBを褒める。そこには優劣がなければならない。違う?」
なんでだ。
素晴らしいものを人は好きになる。
Bは素晴らしい。
したがって人間AもBを好きになる。
って感じの三段論法で先生を延々褒めてただけなのに。なんでそこに優劣が?
例えば、人に話す時に「娘は無愛想で可愛げがなくて私も子育てに悩みましたけど、息子は明るく良い子に育ってくれたのでそれが救いです」とか、本人に向かって「少しは弟を見習って素直になったらどうだ、屁理屈ばっかり捏ねやがって」とか言うなら優劣をつけられてると思う。実際言われて育って私はその都度泣きそうになったし実際一人になってからちょっと泣いたし、それ以前にやりきれないくらい腹立たしくて自分の腕を引っ掻いたりもした。
でも、少なくとも私は、殿下と先生を比べてどっちが上とか、考えたこともない。
「あの……例えば、Bさんは、分け隔てなく優しい人で、こんな私にも優しくしてくれて、だからAさんもBさんを好きになる、そんな話の運び方だと思います。それが優劣になりますか」
「すごくなる」
「すごく……」
なら、私は酷いことをしていたことになる。体の痛みでは泣くこともほとんどなくなったけれど、心無い言葉の方がどうしようもなく辛くて、一人になってから頭の中で繰り返すそれに何度も泣いた。
やっぱり、あの環境で育って、元々性格も悪くて更に歪んだ私のような人間は、外付けの真っ当な価値基準を必死で詰め込んでも、まともにはどうしたってなれないのか。
「罪悪感から詰られてる気分になる。そこに嫉妬が混ざって劣等感が生まれる。憎むまで行くかどうかはなんとも言えないが」
「そう……ですか」
だったら、ヒロインがいじめられたというのも、私の言葉が意図せずずっと彼女を傷つけていたということだろう。
私が落ち込んだことに気づいたのか、殿下は少し苦笑して、語気を和らげた。
「例えば僕が君に向かって、そんなことは絶対思わないが、Aは僕に対しても優しいしいつでも可愛く笑ってくれる、だからBもAが好きだろうと言ったらどう?」
子供に言い聞かせるような声音に、私はつい、ポロッと本音を言ってしまった。
「そうなんです、Aさんは本当に可愛くて、優しくて、みんながAさんを好きになるんです」
私と違って。
殿下は沈黙した。やめて殿下、その笑顔で沈黙されると昔を思い出して怖い。
「……あの……わかってもらえて、嬉しいなって……思って」
殿下は珍しく、テーブルに肘を付き、組んだ両手に顔を埋めた。なんだっけ。めちゃくちゃ有名な漫画でなんかそんなポーズがネットミームになってたような。
「君がAに対してそのスタンスなら、僕は少なくとも君には何もしない。Bを徹底的に調べ上げるくらいはするかもしれないけど」
……いや、実際は逆だった。
先生は殿下と一緒に断罪する側にいて、断罪されるのは私だけ。
待てよ? Aに対してのスタンス? ヒロインを褒めたっけ? いやヒロインのことは褒めなかったはずだ。
私だったら、っていうか私が誰か好きな人に嫌われた時に自分を納得させるパターンだと、ってこれも勿論恋愛は関係なく友愛とか尊敬とかそっちの方だけど、あんなに素敵な人からしたら、こんなゴミクズに近くにいられたく無いのは当然だよね、って良くやる。
それを適用するならヒロインを褒めてあんな素敵な人にお前なんか不釣り合いだ、っていうやり方もあるかもしれない。
でも殿下相手にそれは……できないでしょ。
殿下は乙前での私への態度に関してはちょっとばかし難ありではあるけれど、他は文句のつけようがない人だ。ヒロインとも釣り合う。
だから特にヒロインのことを褒めたりは……しなかった。
それにヒロインを褒めて尚更殿下がヒロインを好きになっちゃったら本末転倒じゃないか。
やっぱりヒロインとの関係が鍵?
それに——殿下の足止めは毎回してたわけじゃない。だって私は、子供に懸想する大人は気持ち悪いと思うタイプの人間で、……特に——ヒロインは、何回かは私の友人に近いポジションにいた。なんなら殿下を嗾けるほうがいっそ私らしい。殿下の倫理観はかなりしっかりしてるし私への微妙な態度以外に欠点はないんだから。
あれは結構ループの中でも壊れてた方での行動だったはず。
ならこの前提での質問は——あまり意味がないかもしれない。
殿下の基本的な考え方は共通してるっていう収穫はあったけど、殿下が私の家族を殺すかどうかを知りたいなら、設定を変えないとダメだ。




