私と、授業変更について。
このスクールには基本的に体育がない。
男子は武術の授業があるけど、女子はその授業時間にお茶会の主催について習う。
お茶会の主催は女主人の役目だから、確かに男子が習う必要はない。
ヒロインは何もかも初めてだろうから大変だ。
そういえば攻略対象に平民っていないような……いや、あと一人、誰だったか全然覚えてない人はもしかして平民なのかな?
その人以外と結婚すればヒロインも貴族の仲間入り。無益な授業ってわけじゃないからきっと頑張るんだろうけど。
私の方はといえば、殿下のご機嫌取りを兼ねたお母様主催のお茶会の準備を手伝う形で、予習はできてる。
おかげで運動音痴ぶりを晒す心配もなく、入学以来全科目好成績をキープ中。ちなみにほぼ二位。一位はもちろん殿下。私が一位なの殿下がいない科目だけだからね。総合成績は万年二位だよ!
だが、義弟がなぜ昨日あの話をしたのか、翌日私は痛いほど思い知った。
授業が一部変更された。
どう変わったかというと、ダンスの時間が週2回入った。
義弟は私の年間行事予定への全くの気の向いてなさに気づいて、覚悟しておくようにと言い含めてくれてたんだ。
ダンス。それは貴族にとって必修技能の一つ。
であるからには、ここにいる人間にとっては改めて習う必要もないほどの基礎の基礎。
だがヒロインみたいな平民や、まともに家庭教師を雇えなかったり、そもそも舞踏会と縁のない、ちょっと言葉があれだけどそれほど裕福ではない貴族家庭においては、習ったことがなかったり、習ってはいるが変な癖がついちゃってたり、いきなり来賓の前でさぁ踊れ、と言われても、みたいな状態だったりする人も中にはいる。
私だって入学式の時にエスコートの件で、エスコートも授業で習うから云々、みたいなことを思ったのに、頭からすっぽり抜けていた。喉元過ぎればなんとやらである。
初日はエスコートの練習。次がダンス。
次週からもそれを繰り返して、ダンスパーティーまでに全員、見られる形まで持っていく。
初日はパートナー決めもある。
私はダラダラと冷や汗を流し始めた。
殿下が。いない。このクラスには。
殿下は多分ヒロインと踊ると思うけど、私は誰が。
というか、私は誰に婚約者がいて、誰がフリーなのかも知らない。名前がわかればわかるんだけど、名札つけてくれてるわけじゃないし、顔を覚えられない自分が憎い。
助けてお父様お母様先生護衛その2。
正直言って今日までこのクラス内で私が交わした会話は「おはようございます」「ごきげんよう」「どうぞ」「ありがとうございます」だけである。
遠巻きどころの騒ぎではない。私が孤独を愛する人間でなかったら、世を儚んでいる。
時々、名前を呼ばれたと思って振り向いて返事をすることもある。すると相手は惚けたような顔をしていて、その人の隣の人が慌てたようにその人を突いたり引っ張ったりして頭を下げさせる。
私は一体何をされているのか、いまいちわからなくて悩む。
聞き間違いでしょうか、と何回かメイドに聞いたことがある。
「口が滑ったんでしょう」
と言われて余計わからなくなった。
そんなクラス内でパートナーなど作れるわけがない。
「練習は合同で行います」
……え。
私が瞬きするとほぼ同時くらいに、教壇で淡々と連絡事項の説明をしていた先生と目があった。
一瞬、ちょっとだけ口元と目元が優しいカーブを描いた気がした。
説明は続く。婚約者がいる人は婚約者と。決まっていない人や、年齢が離れていて在学中ではない人はいない人同士でペアを作る。
――ありがとう先生。
思わず両手を胸の前で組み合わせ、拝むようなポーズを取ってしまった。
私何回もループしてるせいで行事予定とかどうせ知ってるしって感じで読み飛ばしてたけど、よく考えたらほぼサボってた回数の方が多いんだよ。読まなきゃダメかもしれない。
周囲からちょっと歓声のような吐息のようなものがちらほら上がったけど、やっぱり合同なのはみんなありがたいよね。
気の合う幼馴染みたいな婚約者が同じクラスとは限らないしね。
多分、普通に婚約者のいる人たちは、思いがけず与えられた婚約者との触れ合いタイムに過ぎない。
だけど私に取ってはその前に済まさなければならないことがある。洒落にならない不始末をする可能性があるので。
私が現役高校生だった頃は、SHRって名前だったんだけどこの言葉ってもう死語? なんて言うのかわからないけど、まぁ1日の授業開始前にある、出欠の確認と伝達事項を担任の先生がお話する時間ね。
それが終わって授業に入ってから、私はふと気づいた。
……殿下って、誰と踊るの?
乙前はいつもヒロインと踊ってた。私は婚約者ではあったけど、関係はいつも悪かった。殿下は喋らないし、私は威嚇ばかりしていたような。
多分何回かは、触るな、気持ち悪い、近づくな、みたいなことを、私が殿下に言った気がする。
——ああああああ猛烈に良心が咎める!
親に言われて嫌だったことを殿下に対して私が言ってた。
いや、もう、ほら、なんていうの。とにかくフラッシュバックしないようにするには遠ざけるしか方法がなくて。
あの頃先生におまじないかけてもらうなんて習慣はなかったから。
だけどそりゃ、ヒロインと踊るよねぇ……。
気持ち悪いとか、……今世で一回だけ殿下に言われたことあるけど、やっぱ傷つくよねあれ。
前世までは殿下がヒロインと踊るのは当然だとして、今世の殿下は誰と踊る?
私と踊ってくれるのだろうか。
オペラ見に行った時にエスコートしてくれたせいもあって、その前提で考えてたけど、本当にそうか?
入学式のエスコートを辞退してくれるほど律儀な殿下だよ?
だったら練習も本番も辞退してくれちゃわないか?
とすると、私は誰と踊る?
いや、踊りたいわけじゃないけど、パーティーには参加したい。
卒業パーティーの予行演習を兼ねて。
だって義弟の入学後に殿下の婚約者も辞めてスクールも辞めるって気になってたけど、義弟が王女殿下との結婚やだって言うんだから仕方ない。
穏便に卒業パーティーを迎えて、殿下にはヒロインとゴールイン(死語)してもらって、私とは穏便に婚約解消してもらう。
そのためには、卒業パーティーってだけで取り乱すような精神状態じゃダメなんだよ。
慣らしておかないと。
と言うわけで、パーティーには参加したい。
知らない誰かよりも殿下の方が百倍マシなのは確か。
クラス替えの後、殿下はあまり怒鳴らなくなった。オタク語りをしてる間は、と思ったけど、オペラの時も怒鳴られなかったし。何があってそうなったのかはわからないけど、私にとって、それはかなりありがたい変化だった。
一緒にいて楽しい、と思う。これはまぁでも多分、日前で小さい頃ちっとも話を聞いてもらえなかった私が、ニコニコ聞いてくれる殿下に、心理学でいうところの投影をしてるせいもあると思う。
でも楽しいと思ってるのは事実。
だけどそれとは別で、触れ合うことは。
先生が塗ってくれたコンシーラー? は、昨夜顔の化粧を落とす時に一緒に落ちた。
メイドが今朝、先生のを再現して塗ってくれたけど、朝見た時はまだ若干赤かった。みみず腫れになりかけてたらしい。
どれだけ強く引っ掻いたのか。
いつも通り図書館で本を返却して、新しく1冊選んで四阿で少しページを捲る。ただ生憎気もそぞろで頭に入ってこなかった。
字面を目で追って、左ページの端に辿り着いたのでページを繰ろうとして、ふと頭に入ってないことに気づいてページを戻す。
そんなことを数回繰り返した頃。
「マリー・アン嬢」
顔を上げると、他人行儀な呼び方とは違う、いつも通りの温度のある笑顔の先生がいた。
私はほっとして息を吐いた。
やっぱりここで待ってて正解だった。
先生の後を追いかけようかと思ったんだけど、元護衛が言ってた噂がちょっと気になって思いとどまった。
「こちらへ」
待ち合わせには良いけど、場所変えたほうが良いのかな。
……あぁ、まぁ、確かに、あれは淑女に許される距離じゃないか……。
言われるまま立ちあがろうとして、差し出された手にお礼を言って手を重ねる。
あの日も思ったけど、先生は人を動かすの上手いな。介助とかも上手そう。なんて、貴族はそんなことしないよね。
微笑んだ先生に軽く手を引かれる感じがして、気づいたら立ってたっていう感じで。
きっと先生とだったら、ヒロインも生まれながらの貴族令嬢みたいに踊れるんじゃないかな。
それはきっと、大勢の人が見惚れる美しさだろう。
想像したらちょっとワクワクしてしまって、早く見たいな、と思った。
「何か楽しそうですね?」
顔に出てたらしい。
恥ずかしくなって下を向く。
促されるまま歩いていたけど、そういえばどこに向かってるんだろう。
「教えてくださらないのですか?」
いやえっと、妄想してニヤけるとか我ながらキモいなって思ったので……言いたくない……
何かそれっぽい嘘を……
「あの、……先生が踊っているところを、見たことがない、と思ったんです」
先生は瞬いて、それから少しだけ笑い声を漏らした。
「昔、お嬢様と何度も踊りましたよ?」
確かに。私の練習相手になってくれた。でもあの頃、私はくすぐったいのを我慢するので一杯一杯だった。
元護衛に笑われた不思議な訓練のおかげもあって、なんとかそれを克服した頃には、もう日が迫っていたから、先生の踊りの綺麗さとかを堪能する心の余裕はなかった。
またちょっと恥ずかしくなって俯くと、「可愛くて昔を思い出しました」と言われた。
やめてほしい。
耐性がないので本当に。首から上が真っ赤になってる気がする。
「確かに、私はお嬢様としか踊ったことがないので、他の方と踊っている所をお見せしたことはありませんね」
「――え?」
「やっと目が合いました」
「……すみません」
だって恥ずかしいんだよ!
照れるとかそういうレベルではない。なんかもう変な汗まで出てくるレベル。手が汗ばんできた気がして、ちょっと手を離そうとしてしまった。
「いいえ」
先生こそどこか何故か楽しそうな表情をして、離そうとした手を引き留めるみたいに添えるだけだった手をちょっとだけ握る形にした。それで諦めてそのまま留める。
「あの、おど……」
誰とも踊ったことないってことはないんじゃあ、と思って、私の前で手本として、って意味かなと思って途中で切った。不自然になってしまったけど。
「私は爵位も低かったので、舞踏会には縁がなかったのです」
「あ……」
いやでも、先生だってスクールの卒業生じゃあ……?
「スクールのダンスパーティーは舞踏会の予行演習も兼ねています。それに倣い、ダンスの申し込みは男性が行い、可否の選択権は女性にあります」
……先生が申し込んで断る女性なんているのだろうか?
身分が低いとはいえ、頭も良いし見た目も良いし。遠慮しちゃうパターンはありそう。
「そのため、女性が最低2曲申し込みを受けるのは義務付けられていますが、男性は、すべて断られたことにすれば、許されるんです」
先生がイタズラっぽく笑った。
「なので、私は誰にも申し込みませんでした」
そんな裏技があったのか。
「ただこれは、女性であるお嬢様には使えない抜け道ですね」
「……ずるいです」
入学式でも思ったけど。男子生徒は一人入場OKなのに、女子生徒はエスコート必須とか。その時と同じずるさだ。
あ、いや待って、制度に対して言ったんであって、先生がずるいみたいに受け取られたらまずい。
慌てて先生の顔を伺うが、先生は楽しそうに笑っている。
「そうですね、すみません。秘密にしてくださいね?」
悪戯っぽい笑顔はそのまま。それがおかしくて、私も笑ってしまった。
「はい」
スクールの教師が過去にそんな抜け道を使っていたというのは、確かによくないだろう。私はもちろん聞かなかったことにする。
となると、私と先生はお互い初めてのダンスだった?
いやでも、先生も練習では誰かと踊ってたんだろうし、そんなわけない。あんなに上手だったのに未経験とかありえないだろ。
「先生、ダンス嫌いだったんですか?」
「ダンス自体は嫌いではないですよ。お嬢様と踊るのは好きでした」
……私と先生だと結構体格差あって踊りにくい方だったと思うんだけど、先生すごいな……。
私にとってあんなに踊りやすかったのは、先生の技量でカバーされてた部分がかなりあったと思う。
「先生が踊ってるの、こう、俯瞰して見れたら良いなって思って、……ダンス、逃げたいと思ってるのに、見たいなって想像した自分がおかしかったんです」
どちらかと言えば、スポーツ全般、やるより見る方だった。
それに、女の子たちが目一杯着飾った姿を見るのは、純粋に好きだった。正装のヒロインはきっと可愛い。殿下達が恋に落ちるのはヒロインの性格が大部分を占めるのだろうけど、やっぱり外見だってね。一目惚れなんて言葉もあるし。
フルメイクしたヒロインはきっと物凄い美女になるだろうし。
でもそれを言うのは流石に気持ち悪かろうという自覚があった。
だけど、先生のダンスを見たかった、と言うのはそこまで変でもないだろう。話の流れ的にもおかしくないはず。
私が先生に懐いてるのは自他ともに認める所だし。
私が心の中で正当化を行なっていると、先生の笑顔が苦笑に変わった。
「俯瞰ですか」
あ。俯瞰って、上から見るって意味だ。なんでそう言ったんだろ。やっぱり、先生にエスコートされるヒロインを、上から見下ろしてたことがあったから、あれのせいか。ちょっと離れたところから冷静にみたい、って意味だったんだけど。
「練習の時は、私かなり、焦っていたので……先生のダンスはとても綺麗だと思うので、一度くらい落ち着いて見てみたかったな、と」
私は人に触られるのが死ぬほど苦手なのであって、ダンス自体が嫌いなわけではない。ってあれ、これ先生も言ってたな。私は接触が嫌だったんだけど、先生は何が嫌だったんだろう。
ともあれ、そんななので、一人での練習はみっちりやってた。なにしろ殿下の足を踏むなんて恐ろしいし、先生の足だって絶対踏みたくなかった。
日前で読んでた小説で、社交ダンスの練習をしている女の子に対して、従者が相手を痛めつけているのかと思いました、と言う部分があった。
社交ダンスと縁のない日前の私は大いに笑ったが、今世の私には笑えない。
だから頑張って練習して、ダンスの講師にも褒められるくらい、型は頭に入っていたので、先生との練習は最初から実践形式だった。
そもそも見取り稽古を入れるにしても、先生は男性なので私とは動きが違うから、見る機会はやっぱりなかったわけだけども。
「お嬢様のお願いは叶えたいのですが……お嬢様は、私の正装した姿は……」
先生がちょっと悲しげ? 気遣わしげ? に言う。
――そうだった。先生が乙前と同じ格好で現れた時、私はパニック起こして声が出なくなった。
「すみませんでした」
ダンス・パーティーは正装に決まってる。自分がイブニングドレスを着るのが嫌だと言うことも手紙で愚痴ったのに、それなら当然男性陣だって正装だと言うことを何故忘れていたんだ。
練習の時に先生がこの服装のままで踊ってくれてたからって、本番でこの格好なわけがない。乙前でヒロインをエスコートする先生は正装だったし。
「いいえ、責めているわけではないんです」
先生が慌てたように否定する。
「一度お願いを断ったばかりですし、もうお願いをしていただけなくなりはしないかと、不安で」
……お願いをしていただくってなんか敬語がとっ散らかってるような印象だけど、もしかして私のお願いって先生の中ではされた方が嬉しいものだったりする? 私と先生はなんとなく園児と保育士さん的な感じだと思ってたけど、もしかして私孫枠に入ってる?
いやそれよりも。
「あの、……、私、その……人の、見分けが、付きにくくて」
先生が少し不思議そうな表情をしたけど、それでも頷いてくれる。
「知らない男の人が、急に来たみたいに思えて、それで、あの……怖くなって」
真実じゃないけど嘘でもない。今の先生と乙前の先生がごっちゃになった。
「先生に会えると思って、気が緩んでいたんです。だから、その、反動なのか、あんなに、……取り乱してしまって」
気づけば足元を見ていたけど、先生が急に立ち止まったので驚いて先生を見上げる。
「せ、」
……あぁ、私、男の人に対しても綺麗って思えるんだ……
綺麗なのはわかってる。ただそこに、ヒロインを見た時のような、うわ、可愛い、みたいな情動は伴わない。記号的なものだった。
見惚れるような、と思うのはいつも仕草や動きの方。
だったのだけど。
先生が、何か重荷が下りたような、解放されたみたいな、あぁダメだな。私はやっぱり、男の人に対して美辞麗句は浮かばないらしい。
だけど、見上げた先生は、すごく綺麗に、微笑んでいた。




