私と相違の小さな解明について。
あんまり綺麗だからちょっと見惚れてしまった。
丁度渡り廊下の終わり、校舎の入り口。出入り口は風が強くなる。
だから、風で先生の長い髪が揺れるのを、その髪が陽に透けて宝石みたいに綺麗な色合いになってるのを、ただ見つめた。
人に見惚れるってこういうことなんだ。
昔何かの小説で、大抵の女は口で笑うけど、目で笑うから君は良い、みたいな台詞を読んだ。
先生の笑顔が特別優しく感じるのは、多分それだ。目元もちゃんと笑ってる。でも、多分、授業中とかの先生は、口元だけで笑ってる。その違いだったのか。
きっと今まで私が見た中で一等、綺麗。
「安心しました」
柔らかく言われて、一瞬、何に? となった。
先生がまた歩き始めたので、私もそれに倣う。
「お嬢様は――私のあの姿はお気に召さないのだとばかり」
「いえ、そんなことは。あの、単純に私が、その、男の人が、怖い、だけで。先生だとわかってれば、怖くなかったはずです。あの、かっこよかったと思います、とても」
慌てて言葉を足す。私にとってあの姿は嫌と言うか怖い。自分の死と結びついてしまっているというだけ。
先生は空いていた方の手で顔を覆って、横を向いた。
「すみません、少しの間――こちらを見ないでください」
「え、あの、何か失礼なことを」
こっち見んなってそれめっちゃ怒ってるってことでは!?
「いいえ」
「すみません、あの、本当にその、先生が、来てくれると思って安心というか、あの頃の、私にとっては外から来る人の中で、先生が一番安心できる人だったから、知らない男の人がいてびっくりし過ぎて、あの、どんなにかっこいい人でも、本当に怖くて……」
「……その、わかり、ました、から。もう」
なら目合わせてくれないのはなんで。
なんて言えば良い?
「だって、怒って、ますよね?」
「違います、これは……」
「どうしたら許してくれますか」
「……お嬢様、こういう時に、そういうことを言ってはダメですよ」
……笑う時に口元を手で覆ってはいけないと教わった時と同じ言い回しで言われた。
「すみません」
先生は、私のこの厄介な性格と特質でもなんとか社交をこなせるように、色々アドバイスしてくれていた。
いまだにできていないことにショックで落ち込む。応用力ないからなぁ私……。
「あ、いいえ、その、……危ないので、気をつけてくださいね、ということで」
「……そんなに怒らせる言葉なんですね」
逆上させて危険ということだろう。謝罪の仕方くらい自分で考えろと。でもじゃあ先生になんて言えば良い?
「怒る……訳では……」
先生は言いにくそうに口篭って、立ち止まった。
……あれ、ここって前にも来たあの控え室かな? 方向音痴だしよく似た別の部屋かもしれない。
足元か先生しか見てなかったので、どうやってきたかも覚えてない。
先生がドアを開ける。
私も連れられて中へ入る。メイドも一緒。
前の時みたいに先生がドアを閉めて、多分鍵もかけた。
……良かった、今回は防音じゃなさそう。
「……少し待っていてください」
先生はドアの方を向いたままだ。前の時は後ろ手に閉めてたけど、今は多分――
「……まだ怒ってますか」
おまじないは、怒ってる相手にやるのは嫌だろうな……。
顔も見たくない相手だったら尚更だ。
「違うんです、本当に。……まだ、その……照れて、しまって」
照れる? 照れる要素がどこに?
照れるってあの、恥ずかしい的なあれだよね? 私が可愛いって言われてなってたみたいな。
「……見られない顔になっているかと」
「……何か、ありました?」
メイドがなんか、笑うのを堪えようと思って失敗したみたいな咳をした。
先生はまだドアの方を向いたままだ。
「……その……かっこいい、と言われると思っていなくて」
「……言われ慣れているのでは?」
しまった、驚き過ぎて心の声がそのまま出た。
「私の隣には大抵マルクスがいましたから」
あぁ……元護衛は確かに、かっこいいか。先生はどちらかというと綺麗。でも多分それ、先生が脳内で自分に言われた分も元護衛への分に変換しちゃってると思う。何割かは。
私は先生の学生時代を知らないけど、昔は男の子の格好をしてたって元護衛が言ってたし。まぁ別に今も女装してる訳じゃないけど。
あの時はトラウマスイッチが入っちゃってもう散々だったけど、お世辞でも嘘でもなく、あの見た目はかっこいいに分類されるだろう。誰が見てもそのはずだ。
というか私のせいで先生が正装しなくなったらと思うと恐ろしい。
ヒロインとのイベントを潰したら断罪ルートまっしぐらだ。ほら、特に礼装ってときめくらしいし! 読んだことあるやつ!
私は先生に理想の母親像を重ねてはいるけど、先生は普通に背が高いし手も大きし男性的な装いが似合わないはずはない。何より攻略対象だからね!
そういや乙前で、取り巻きっぽいのがいた時とかは、先生がかっこいいって言われてるのも聞いた記憶がある。
確かあれは……なんだっけ。スクールの何かイベント的なあれで、確か先生と元護衛が見本の……剣舞を披露したとか。確か元護衛もだけど、先生がすごくかっこよかった、とヒロイン? や、クラスメイトの女性達がきゃあきゃあ言ってた気がする。きっとギャップ萌えというやつだろう。あの時私は、先生が強いという前情報がなかったので、先生は頭脳労働専門だとばかり思っていたから、意外だと思いながら聞いていた。
ちなみに私は見てない。日前でもプロレスとか格闘技は見なかった。だって痛そうだし怖い。当然のように観戦をサボった。
「お待たせしました。もう大丈夫です」
言われて先生を見上げると、苦笑のような。
「もう怒ってないですか」
「……ええ。本当に、怒っていた訳ではないんです」
良かった。本当に。
「お嬢様?」
ごめんちょっと待って先生、今喋ったら私多分泣く。
「……すみません。不安にさせてしまいましたね」
私は頭を振ってから、頷いた。呼吸が震えないのを確認してから、それでもぼやきみたいな小さい声にはなった。
「嫌われ、たかと思って……」
先生はため息を吐いた。何が含まれたものかはわからない。
それから何も言わず、私の頭を撫でた。
――懐かしい。
あの頃と違い、私は殿下の髪留めを使ってる。日前の私は家族に似つかない髪質をしていたけど、朝セットする時間なんてなかったし、美容院に行くお金もなかったから、いつもいわゆる引っ詰めだった。長年の習慣のせいもあってか、視界に髪が入ると鬱陶しくて仕方ない。
今世ではストレートの黒髪を手に入れたけど、どうしても勉強中に視界に髪が入るとイラッとしてしまう。
貴族令嬢が引っ詰めと言うのはありえないので、ハーフアップに落ち着いているわけだけども、そこの結ってある部分に殿下の髪留めを使っている。なんかオシャレな感じにメイドが挿してくれてる。
で、多分、その髪留めを避けてくれているせいで、頭を撫でる先生の手は、あの頃のように頭頂部から後頭部へ、ではなく、側頭部の方へ動いている。
耳に若干触れられる感触があってくすぐったい。
ダンスの練習を始めたばかりの頃のように、ちょっと体が跳ねてしまう。
先生はやっぱりあの頃みたいに、ちょっとだけ楽しそうに笑って、それから耳に触れないようにしてくれた。
断罪云々の怖さも勿論あるのだけど、それを除外しても好きな人に嫌われるのは怖い。私にとっては嫌われていない状態というのはとても稀で貴重。その上この世界では期限付きだ。どうせあと数ヶ月もすれば嫌われるのだから、残された僅かな期間、しがみつきたくもなる。
「私も昔、お嬢様に嫌われたくなくて」
あぁ、……そう、言ってくれた。
すごく嬉しかったのを覚えてる。同時にすごく悲しくて辛かったのも。だから線引きしようって思った。
思ったのになぁ……
私は多分、母親からの愛が一番欲しかった。物心ついた頃にはもうそれが自分には与えられないものだと知っていて、それでも欲しくてしかたなかった。
三つ子の魂百までなんて言うし、もう刷り込みで、私は先生に何故か母親像を投影しちゃってるから、先生に顔逸らされただけであんな不安になる。
全然線引きなんかできなかった。
先生のこういうところも悪いのではと思ってしまう。
相変わらず私の他責思考は酷い。
前はすぐ、パッと離された手は、まだ私の髪を撫でていた。
泣きそうになっている子供の、頭を撫でてあやしてくれる。
理想の母親のように。
「お嬢様が嫌わないと言ってくださって、とても嬉しかったです」
「……私も、嫌われたくなくて、と言ってもらえて」
あぁ、やっぱり泣きそう。
「ずっとそうです。お嬢様に嫌われたくなくて……本来の仕事の半分もできませんでした」
……本来の仕事?
もしかして、賢者殿としての仕事ができなかったってこと? 私の家庭教師なんかしてたから……先生が辞めたら、私が嫌がると思って?
「あぁいえ、そうではなく」
多分私が落ち込んだというかものすごい自責の念に駆られたのを見てとってか、先生は否定してくれた。
「本当は、……この服装を止めるべきだったんです。スクールは男性も多いですから。制服の男子生徒や、他の教師や職員を見ても、お嬢様が動揺しないで済むように」
――なるほど。
あの日先生が急に断罪の時の格好で現れて私はパニックを起こしたけど、お父様お母様からしたら、私は物凄い男性嫌いで、スクールに入ったら怯えてしまうと思われてたわけか。
……いや実際、確かに苦手ではあるのだけど、そこまでじゃない。
長年の謎が解けた。どうして今世でだけ先生がこの格好なのかわからなかったけど、女性の先生が良いって言ったからだったんだ。
先生には本当に色々迷惑かけて申し訳ない。
となると、ここはお願いを……しないと。現状私は気が動転すると先生で今の世界線というか時間軸を認識してるところがあるから、先生が前と同じ格好したら、今よりもっと精神状態がやばくなってしまう。先生には申し訳ないとちゃんと思ってるけど、私の家族と使用人の平穏のためにも、ここは一つ。
「あの……私本当に、人の見分けが、苦手で」
先生は私の急な話題転換にも微笑んで頷いた。
「また急に、あの時の服装をされると、多分怖い……です」
「お嬢様はもう入学されていますから。その役目は、代わりにマルクスが果たしたようですし」
良かった。そっか、そうだよね、行き当たりばったりでも大丈夫だったから、わざわざあの服装する必要もないってことか!
「やはりこちらの方が良いですか?」
顔に出過ぎたらしい。是非とも。と言いたいところだけども、……先生女扱い嫌いって言ってたし、もしかして……
「あの、先生は、今の服装はあまり……」
先生はふっと笑った。
「もう慣れました」
最初はやっぱ嫌だったってことか……。
「私、あんまりその、ファッション、的なことがよくわからなくて」
無理はしてほしくないけど、でも私の正直な気持ちも伝えよう。
「徐々に、その、……慣らしていけば、誰かわからなくて怖い、はなくなるとは思うんです。でも」
全く同じ格好だけはやめてほしい。私の中で今の先生とわかるこの服装がありがたいのも事実。
「ええと、……なんて言ったら良いか……」
「私とお話しするときは、言葉を選ばなくて大丈夫ですよ。私が聞きたいのはお嬢様の本音ですから」
あぁ、本当に先生って私のことよくわかってる。人の機嫌を損ねるのが怖すぎて、いつも言い回しを探してる。
優しい、ちょっとだけ悪戯っぽい笑顔でそう言われると、ちょっと楽になって頷く。ちょっとだけ手を伸ばして、今までたくさん助けられた先生の、服を緩く掴む。
「あの時の先生も本当にかっこよかったと思います。だけど……この、先生が私にとっての先生……というか、なんだか……私の先生がいなくなっちゃう気がして」
やばいな。語彙が小学生か。日前の家族相手には一生懸命頭使って小学生レベルに落として話してたのに。
本音を言い慣れないせいで、逆に小学生みたいな拙い言葉しか出てこない。日前じゃ一生懸命気に入られるような言葉並べてたから、本音って私には逆に難易度高いんだよなぁ……
っていうか私の、は不味かったか。上手い言い回しが見つからなかった。私なんかに色々心を砕いてくれる先生はもうすぐいなくなる。だけどそれを説明するのは難しい。先生はものじゃないしどちらかと言えばヒロインのものになるわけだけど、先生も『私の教え子』って言うんだから私も私の先生って言って良いよね?
と、思ったんだけど、頭を撫でる手が停止した。
さっきまで、泣きそうな私を宥めるように、言葉を探す私を落ち着かせるようにずっと撫でてくれてたんだけど。
掴んでいた服を見てたけど、顔を上げて先生の顔を見る。
……わぁ、照れてる?
すごい、ものを見てしまった。
「……見ないでください」
やばい、また顔に出てたっぽい。先生が私から顔を隠すように私を抱きしめた。先生の服にとん、と顔がつく。
え……?
……抱き……?
頭がフリーズする。
「――良い加減にしてください。燃やしますよ。覚悟はしてるんでしょうね?」
地の底から響いてくるようなメイドの声。先生はパッと私から手を離して、一歩後ずさった。
「あ、あの、これは、」
「どう考えてもアウトでしょう? 二度とお嬢様に触れられないように火の加」
「待ってください!」
先生が懇願するみたいな声を上げる。
あ、やっぱり先生よりメイドの方が強い?
「お嬢様が!」
先生がそう言ったのと私が振り向いたのとはほぼ同時。
メイドは私の顔を見て、先生に翳すように上げていた手を下ろした。
「……お嬢様、大丈夫ですか」
「え、あ、びっくり、しました、けど、平気です。どこも。痛くないですし、気持ち悪くもないです」
害されてないから燃やさないでほしい。大丈夫大丈夫。相手は先生だし全然違う。フラッシュバックしたりしない。それをむしろいつも封じ込めてくれる。
驚きはしたけども。抱――いや、うん、なんか、良いやもう。言葉にするのはまだちょっと無理。
あの、経験値がね、私、園児よりもないから。普通の人が親から与えられたであろう触れ合いって私の場合全部先生頼みだったんだよねそういえば。この感じはあれだ。膝に抱き上げられた時から全く変わってない。
「先生、おまじないを、お願いしても、良いですか?」
最近輪をかけて情緒不安定気味なので。




