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私とヒロインと先生の会話について。

 ……誰も来ない。


 朝は先生との会話が思ったよりも長引き、図書館は諦めてそのまま教室へ向かった。

 相変わらず私は遠巻きにされている。なので既に暗唱できる教科書を見るとも無しに眺めて過ごす。

 先生が入ってくると途端にぴたりとざわめきが止み、直後に、ほぅっとため息のような音がクラスの大半から上がる。

 先生の顔に傷痕がなくて本当に良かったと思った瞬間である。

 美人は3日で飽きると言うが、初日ほどの黄色みはなくなったものの、今日も変わらず大抵のクラスメイトは先生の見た目に見惚れるらしい。

 傷痕なんかあったらめっちゃざわついたろうし、熟、先生の傷の治りが早くて助かった。怪我の原因が私にあることなんて想像もしないだろうけど、それでも私の罪悪感メーターは間違いなく振り切れる。


 そんな1コマ目の授業を終えてから、最近訪れる人が増えたはずの四阿で、いつも通り本を読んでいたが、誰も来なかった。殿下との約束の曜日とは違うから、殿下が来ないのは当たり前なのだが、ヒロインも来ない。

 2コマ目の以下同文で午後に入っても誰も来ない。

 

 そういえばここ数週間、ヒロインと全然会ってない。

 クラスメイトでなくなると、接点がなさすぎて。

 合同授業みたいなものもないし。

 そういえば、彼女は昼食をどうしているんだろう。お弁当とかかな? 前にランチの話したけど、誰かと食べるのが当たり前みたいな感覚っぽかった。なら誰かと食べているんだろうし、その時間を邪魔するわけにはいかない。

 ……ここは、クラスへ行って尋ねないとダメかもしれない。



「えっ」

 いや、いきなりえって言われても……

 元クラスを訪ねると、目の合ったおそらく元クラスメイトが、目をまん丸にした。

「……あ……今、殿下は生徒会室へ、お呼びしてきましょうか」

「あ、いえ……お気遣いありがとうございます。ですがそれには及びません」

 用があるのはヒロインなので。

「あの、……お元気そうで、安心しました」

「……ありがとうございます。ご心配をおかけして」

「あの……もう、お体の方は……?」

 私の体質伏せるって言ってたけど全然モロバレでは?

「おかげさまで、大丈夫です。……皆様にご心配をおかけして申し訳ありません」

「いいえ、マリー様にまたお会いできて嬉しいですわ」

 わらわらと集まってくる人たちに挨拶しているうちに、刻一刻と時間が過ぎていく。

 あんまり休み時間に教室に残っている人って多くないイメージだった。

 なのに今日に限って結構いる、っていうか増えてる。

 ヒロインがどこにいるか全然見えない。

 私は小柄なんですよ。取り囲まれたらいるのかいないのかもわからない。

 というかもう無理。

 私のパーソナルスペースはめっちゃ広い。

 メイドが私の前に立ってある程度ガードしてくれているものの、流石に他勢に無勢。

 後退りすぎて、そろそろ廊下の反対側の壁にくっつきそう。


 助けて先生。じゃなくて社交の授業もっと真面目に受ければよかった! 話すときにあまり相手の顔を見つめない、というのはちゃんとマスターした(なんとなく下を向くようにしていたら今度はそっちが癖になってしまったけど)し、笑う時は手ではなく扇子で口元を覆うのも癖付けできたけど、大勢に取り囲まれたらどうやって抜け出すのかは教わってない!


「すみません、通してくださーい」

 おそらく居酒屋でも一発で店員が振り向くだろうよく通る声が聞こえて、割れた人垣からヒロインが現れた。

「マリー様、こっち。顔色良くないです。座れるところいきましょう?」

 神様仏様ヒロイン様。

 なんてふざけてる場合じゃなかった。

 ヒロインは廊下の先を指で指し示して、すでに歩き始めている。

 私は慌てて、周りの人たちに詫びて彼女の後を追った。



 ヒロインに先導されて向かった先は、いつもの四阿。

「ここで良かったですか?」

 身振りでベンチを示されて、同じように反対側を勧める。メイドは私のすぐ横に立った。

「……はい。あの、ありがとうございます」

 ヒロインはきょとんとしている。いやほんとめっちゃ可愛いな。

「あの、……先程。その、……人に囲まれるのは少し苦手で……助かりました」

「あぁ」

 ニコッと笑った顔も本当に可愛い。

「そうかなって思って。余計なお世話じゃなくて良かったです」

 ……いやほんと、殿下はなんでこれを喰らってヒロインに惚れてないんだろう?

 あぁでもそうか、タイプの話か。お母様が好きなんだから、系統が違うよね。お母様は強気そうでプラス妖艶。ヒロインは正統派プラス可憐って感じ。

「それで、あの……なかなか、お会いできず、すみません」

 ヒロインは笑顔で首と手を振る。

「全然。それより、質問。大丈夫?」

「……はい、おかげさまで。体調は問題ありません」

「ほんとに?」

 真っ直ぐこっちを見つめる。

「急にクラス変わったのは?」

 強い視線に射抜かれそうだ。

 でもその問いに対する答えを私は持ってない。ペナルティだと思うけど、ちゃんと確かめたわけじゃない。

 いや、ヒロインが聞きたいのは私がクラスを変わったことじゃなくて、先生が変わったことの方か。それこそわからない。推測でよければ、それもお父様が多分私を心配してお願いしてくれたんじゃないかなと……。

 いやでも、どっちにしろこれを話すとまたお父様まで断罪されそうだし……確定するまでは黙っておきたい。でも私はあなたに対して含みは全くありません、というのだけは伝えたい。

 ぐるぐる考えていると、メイドが咳払いした。敬語使えってことだろう、多分。

「あー……どうしようかな」

 ヒロインが独り言のように呟く。

 どうしようって何を? もう断罪? 待って待って殿下じゃなくて先生ルート? お父様にお願いしたら先生ヒロインのクラスに戻れる?

「私もマリー様に会いたかったんです。だけど、足止めされてるっぽくて」

「足止め?」

「マリー様に会いに行こうとするたびに、誰かに声かけられるんです。マリー様が頼ん――ではないんだ」

 ……私の顔を見て断言。うん、頼んでない。てかなんで私が疑われるの。

「じゃあやっぱりあれかな」

 また独り言みたいに呟いて首を傾げる。

 あれって何?

「マリー様、アイザック先生から何かもらったものを身につけてたりします? ……アクセはなさそうですけど」

 私の首元や手、多分耳かな、を見てから、ヒロインが言う。私の中で唯一アクセサリーと言えそうなものは、ノートの鍵をペンダントトップにしたネックレスくらいだけど、見えない位置に収まっている。

 子供の頃、自分でペンダントにしてくれと頼んだのに、いざ首につけたら、首元に何か纏わりつく感覚がどうにも嫌で、鎖を長くしてもらった。そして今はブラウスの上、ジャケットの下にある。

「あ……ええと、はい、身につけるというか……持ち歩いている物があります、けど」

 ヒロインの顔が曇った。

 なんで? じゃ、ない。ヒロインがどのルートにいるのかわからないけど、多分先生のことも好きなはず。間違えた。怒らせた。どう、しようか。心配されることってほとんどなかったせいで、心配されると嬉しくて舞い上がる。ミュンヒハウゼン症候群みたいなところが私にはある。でもだからって、こんな特大の墓穴掘らなくても良いのに私の大馬鹿!

 そうだよね、多分、先生が本来プレゼントを贈る相手はヒロインであるべきで、私へのプレゼントは教え子へのものでそこに愛情は皆無というのはわかっていても面白くはないはず。

「ちょっと見せてもらっても良いですか?」

 ……嫌だ。弟に何度もそう言って取られて、壊された。弟だけじゃない。だから嫌だ。

「見るだけ。ちゃんと返します」

 言いながら、ヒロインは私が勧めた向かい側のベンチではなく、私が座っている方のベンチに腰掛けた。

 私は元々電車でもベンチでも端に座る。ここでももちろん、数人が掛けられるベンチの端に座っていた。その真横にメイドが立っている。

 そして、今までなぜか突っ立ったままだったヒロインは、一人分の空間を開けて、私の隣に座ったのである。

 この時点で私は若干硬直した。

 更に、お願い、と言わんばかりににじり寄られて、私は座ったまま体をのけ反らせる。だって膝の上に直にではないが顔が来てる。

 殿下の言う通り、この人距離感おかしい。

 他のクラスメイトならともかく、私を殺したキーパーソンにこんな近づかれるとか怖すぎる。絶対過呼吸起こせないんだから、勘弁してほしい。

 深呼吸を心がけようとして、肺の上に手を置いたつもりが、無意識に力が入って制服を握りしめる。皺になるかも、と思ったが、今更手を離せない。なんか下手に手を動かして、万一ヒロインの顔にぶつかったりしようもんならその時点で悪役確定である。妙にあり得そうな想像が怖すぎて、制服を握る手にますます力が入った。絶対皺になるこれ。ごめんなさいメイド。

 落ち着け、相手は女の子一人。護衛はいないけど、メイドがいてくれる。

 ――だけどやっぱり怖い!


 と、思ったのも束の間。

「お願い」

 漫画なら絶対、「キュルン」とか擬音が入っているであろう、大きくつぶらな瞳で拝まんばかりに低姿勢から上目遣いに見上げられ。

 声も可愛いんだよねこの子。こう、私のなんていうか、木材的な声じゃなくて、テグスみたいな、ちゃんと通る……聞き取りやすい声。

 攻略対象じゃなくて悪役令嬢であるはずの私でさえなんでも叶えてあげたくなってしまう。

 私は背が低いので、誰かに上目遣いされるとかほぼない。殿下や先生が膝をついたときだけそれに該当すると言えるけど、二人とも礼儀作法のお手本になれるような人たちだから、上を見るときは顔ごと上げる。

 それに、女の子にされると、こう、なんというか。

「ぅ」

 ……まぁ、ヒロイン、だし。人の物壊したり、しないよね。


「マリー様を困らせるようなことには絶対しないから」


 絶対いつも殺してくるじゃないですか!

 もうやだ。あっさり攻略されかかった私は、その発言で我に返る。扇子は私のライナスの毛布。壊されたら絶対怒る。ヒロイン相手に怒ったら断罪ルートまっしぐら。日前の弟に散々物壊されて泣いて怒って、でもその度に私が悪いと叱られたの忘れたの!?

 道理なんて通用しないんだよ! 怒った時点で悪者。理由を言っても屁理屈言うなと火に油を注ぐだけ。怒りを正当な感情として受け止めてくれるのなんて、お母様と——



「マリー・アン嬢に無闇に触れられては困ります、と申し上げたはずですが」

「――あれで確定っぽいかな」

 ぽそりとヒロインが言いながら、先生の方を振り向く。つられて私もいつの間にか四阿の入り口の先にいた先生を見る。

 確定なの? ぽいの? どっち? っていうかあれってだからなに?

「お話してただけですよ?」

「それにしては距離が近かったようですが」

 ありがとう先生。大正解。それを私も言いたかった。前に殿下も言ってた通り。なのに可愛さに目が眩むとかありえない。確かに過去私の周りの男性陣全員寝返ったけど、私まで私を裏切らないでほしい。

 姿勢を変えて普通に座り直し、先生を見上げるヒロインは、さっきの比じゃないくらい可愛さに磨きがかかってる。

 ……可愛いよね、うん。先生は私にも可愛いって言ってくれるけど、内面の可愛さを持たない私には、こんなヒロインみたいな可愛さはとても出せない。

「アイザック先生もマリー様とお話する時、このくらい近くないですか?」

 言われてみればそうかもしれない。おまじないかけてもらう時と同じくらい? いや、それよりかは離れてたかも。

 そうだ、前に——ここで、ヒロインと先生が図書館へ行くのを見送る前。先生が「また後ほど」って声かけてくれた時は、あのくらい近かったかもしれない。

 でも微笑んでそう言うヒロインは、やっぱり私と先生が近づくのは嫌なんだろう。

「対策済みでない方はご遠慮ください、とも申し上げました」

 先生はそう言いながら近づいてきて、私とヒロインの間に体を割り込ませるようにして、私の方へ手を差し出した。

 ――なんか前、ヒロインが殿下と私の話中にしたことに似てる。

 そう思いながら、差し出された手に反射で手を重ねる。

 しまった。ヒロインが嫌がると思ったばかりなのに。もう刷り込みと言うか、……エスコートやダンスの練習で何回も繰り返した挙句に身についてしまった反射なので許して欲しい。

 そして手を乗せたは良いものの、いつもと違う方の手。

 先生のいつもと同じ方の腕は、ヒロインと私の間を通って、私の背中側に回っている。

 立った方が良い、と言うことだろうか。手の左右が逆というただそれだけで、応用力のない私は立ち方がよく分からず戸惑う。

 戸惑いついでにいっそ手を離してしまおうかと画策したが、先生はどこをどうしたのか、簡単に私を立ち上がらせた。

 呆気に取られてポカンとしてしまう。

 人を立ち上がらせるのってめちゃくちゃ力がいるのに。

 そのまま、私の許容範囲までヒロインと距離を取らせる。これもまた、気づけば、といった感じで、自然過ぎる不自然さにますます私は呆然とした。

 ……この前殿下に言う相手間違ってると思ったばかりだが、多分先生も相手を間違っている。

「やだ、先生まるで嫉妬深い彼氏みたい」

 ギョッとしてヒロインへ視線を戻す。

 一点の曇りもないヒロインスマイルで、クスクスと笑っている。トスっとハートの矢が刺さりかねない可愛さだ。この世界がなんの乙女ゲームなのか私には見当もつかないが、男性ファン向けにヒロインのイラスト集とかがあったらちょっと見てみたい。

 余りの発言に血の気も失せたが、それがどうでもよくなってしまう可愛さだった。

 だというのに、先生は表情を全く変えなかった。先生といい殿下といい、この世界の貴族の鉄面皮は凄いな。

「面白い冗談ですね」

 ――いや、声は少し……僅かに、不愉快そうな……?

 耳に快い笑い声を収めると同時、ヒロインは口の前に広げていた手を下ろした。私がやめるよう繰り返し注意されたその仕草も、ヒロインがやると少しも魅力を損なわない。

 口元はまだはっきりと弧を描いている。

「そうですよね。教え子に手を出したなんて、貴族の世界でも醜聞ですよね?」

 ……いや、多分、……あなたと先生が付き合ってもきっとこの世界では醜聞にはならない。この世界はあなたのためにあるんだから。

「それ以前に殿下の婚約者様ですよ」

「わぁ、醜聞じゃなくて実刑判決ですね。王宮侮辱罪?」

 ……私? 私の話してるの?

「貴族令嬢は屋敷内でも一人にならない、という常識もご存じないとは、あまり考えたくありませんね」

「アイザック先生ならその美貌で使用人くらい籠絡できるんじゃないですか?」

 いかに空気を読むのが苦手な私でもわかる。今目の前で勃発してるのは多分侮辱合戦だと思う。王宮云々とかじゃなくて、お互いへ対しての。

 それと、私のメイドがものすごく怒っている。舌打ちした。怖い。あとなんか熱い? 怒りを表現するときに周囲の温度が下がったなんてのがあるけど、こう、なんか、メイドのいる方から、熱、のようなものが。

 先生も感じたのか、一瞬メイドの方を見た。とすると、これは私の勘違いじゃない? それとも舌打ちに反応しただけ?

 先生がまた一歩移動する。メイドから私を遠ざけるように。

「殿下の婚約者たるマリー・アン嬢は準王族に当たります。その使用人を侮辱したとなれば、王宮侮辱罪に近い罪になりますよ」

 ……え、私、そんなに立場強かったの?

「じゃあそのマリー様に手を出したら、確実に死刑ですね」

 ……そうか。法律よりも校則優先って護衛その2が言ってたのに、私が殺されたのは、きっとそのせいだ。

 あの時点で殿下の気持ちはとっくにヒロインにあった。断罪と共に婚約者は私からヒロインに移り、その時点を以て私の特権もヒロインに移った。

 とすれば、遡って、婚約者となったヒロインを傷つけたとされる私には、校則ではなく法律が適用されたということだろう。

 なるほど納得。ヒロインは怒らせない・傷つけないに限る。

 ……差し当たって、微笑みながら怒ってるっぽいヒロインを、どうすれば良いのだろうか。

 というか、先生と、あとメイドも。私以外全員怒ってる。え、どうすれば良いのこれ?

 何を言うのが正解?

 でもヒロインに何を言っても過去いじめたことにしかならなかった私が口を挟んで、事態が好転する可能性ってどのくらいあるの? 那由多分の一くらいはある?

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