第十九章 友達だから
お腹が空いて、辛かった。
喉が渇いて、辛かった。
寂しくて、苦しかった。
誰も居ない。自分のそばには、誰も。
ああ喉が渇いた。お腹が空いた。唾ももう出ず、裂けた唇に滲む血はない。三日物を食べないことなんて今までに一度もなかったが、まさかここまで苦しいものだなんて。食べたい、食べたいな。何でもいいから。でもそれより、喉が渇いたな。水が飲みたい。でもそれより、人に会いたいな。誰でもいいから。
歩く足は崩れ落ちる。
助けを求めて手を伸ばした先に掴んだものは、霧のように舞う乾いた砂。それも掌を開けば風に攫われる。結局、自分の手を掴んでくれるものはなく、自分が掴めたものも何もなかった。
何で、こんなところにいるんだろう。
どこだよ、ここは。こんな場所、自分は知らない。
涙ももう出なかった。
疲れた、疲れた。意識が夕闇に霞む。急激に、寒くなる。
寒いよ、寂しいよ。
ああ、お願いします、神様。お願いだから、どうかどうか助けてください。何でもします。何でもします。何でもしますから。
どうかどうか、この手を掴んで。
「どうしたんですか、裕二さん。こんなところで」
その声に顔を上げると、ぼんやりとした人影が裕二の傍へと近寄ってきた。聞き覚えのある声だったので、警戒はしない。灯りの灯らない薄闇の中から出てきたのは、案の定、寝巻きに着替えたサリアさんだった。白い装束だけが闇の中でもよく映える。幻想的にも美しい、まるでお伽噺から抜け出てきたようなお姿だ。お世辞の一つでも口にしたいところだったが、しかし不思議と気分が乗らなかったので、何でも、と裕二は小さく呟くだけにした。
切り株に座ったまま、裕二は小石を投げる。投げた小石は他の石とぶつかる音を続けながら、薄闇に紛れて消えていった。
テントや穴倉から離れた場所だからか、灯りは空に浮かぶ二つの月と星だけしかなく、茂る木々も相成って、辺りは暗闇に包まれていた。夜でも昼の明るさを持つ日本とは大違い。だけど、そんな暗闇の中でも隣に座ったサリアさんの顔はよく見える。心配そうに、こちらを窺っている。
「サリアさんこそ、どうしたんすか? こんな夜更けに。盗賊団のアジトっすよ、ここ。襲われちゃいますよ。サリアさんみたいに綺麗な人だと」
「大丈夫ですよ。一緒に食事を頂いて、お酒を飲んで、わかりましたけど。うん、何だか、いい人たちみたいでしたし」
盗賊にいい人っていうのも可笑しいですかね? と、サリアさんが茶目っ気たっぷりに舌を出した。それが、ひどく眩しくて、裕二は視線を逸らす。
「そんなの、わからないじゃないですか。いい人かどうかなんて。一晩で、わかるわけないじゃないですか」
「そうですかね? でも、一緒に御飯を食べて話してみると、何となく、その人の人となりってわかりません?」
「わかった気がするだけですよ、それは」
「あはは。手厳しい。いつもの裕二くんじゃないみたいですね」
それからまた夜の静けさが戻る。どこかで鳥の鳴き声聞こえた。ほー、ほー、と。フクロウでもいるのかな、と裕二は思ったが、そんなわけないかと首を振る。地球にいる動物も、ここにはいない。だって、ここは異世界だから。自分たちの知らない世界だから。
でも、俺は元の世界を、どれだけ知っていたんだろう。
鳥の囀りも、虫の声も、木の種類も、花の意味も、友達の気持ちも、何も知らなかった。
静けさに、居心地の悪さを感じた。
「何か、喋らないんすか?」
「裕二くんが喋るまではただぼーっと座っていますよ。夜風が気持ちいいですしね、ここ。眠くなりそう」
「そうっすね、本当に。……夜風とか、そんなもの感じたことなかったな、今まで」
「へぇ。裕二くんたちの世界では、風は吹かないんですか?」
「吹きますよ。だけど、何て言うかな。そこにあっても気づかないっていうか。ほら、例えば」
裕二は仰け反り、空を仰いだ。天球に散りばめられた星たちは異なる光を宿しながら、それぞれがそれぞれの強さで光っている。ここにも星はあるんだよなぁと感慨に耽りながら、裕二は独白のように言葉を紡いだ。
「夜になると、星が見えますよね。俺たちの世界でもそれは同じなんすよ。だけど、星なんて久々に見た気がするんすよ、俺。こっちの世界に来てからやたらと見上げる回数は増えましたけど。だけど、向こうの世界では、何か、足もとばかり見ていた気がするから。太陽の照りつける青空とか、星の輝く夜空とか、そういうもの、全部見落としていた気がするんすよ。身落とさないために、足もとばっか見ていたはずのに」
「………」
「わかりませんよね、こんな話。すんません、馬鹿なこと言って。ちょっと、詩人な気分だったもんで。のすたるじー、ってやつだったんですよ。うわ、恥ずいなー、俺。何言ってんだ。やっぱ、なし。なしにして」
「………恥ずかしくなんて、ありませんよ。むしろ、真面目な言葉を茶化しちゃうことが恥ずかしいです」
押し黙りサリアさんを見ると、真剣な視線が裕二に突き刺さった。母親を思い出すような目だった。いたたまれず、すいませんと裕二は頭を下げる。いえいえ、とサリアさんは許してくれた。
「………友達だった奴がいたんですよ。にこにこ笑って、だけどその裏では何考えているかもわからないような奴」
突然の話題の変換にもサリアさんは気にしたような様子はなく、ただただ真摯に耳を傾けてくれる。胸に突っかかっていたものが、するりと喉から吐き出るように、言葉になった。
「二年前からの知り合いで。笑ってても、心の底から笑ってないような奴で。正直、嫌いでした。壁作ってて、取っ付き難かったんですよ。だけど、席近かったし、成り行きっつーか、一応嫌われたくはなかったし、表面上の友達みたいなのが続いていました。暇なときに話して、笑って、はい終わり、みたいな。マジで困ったときになったら助けてくれないだろうし、こっちだって助けないだろうって、そんな関係。多分、クラスが変わったらそこで終わりの薄っぺらな友情」
だけど、と擦れた言葉が喉についた。サリアさんが傍にいることも忘れて、ただ口が勝手に動いてくる。
「だけど、違った、ううん、違ってはいなかっただろうけど。けど、あのときは違った。マジで困ったときに、あいつは俺を助けてくれた。両親が離婚して、頭の中がぐちゃぐちゃになって、人に辛く当っていて、友達だった奴も皆離れたときに、あいつは残ってくれたんすよ。そんで、話しを聞いてくれた。俺も何で話したかわからないんですけど。二人だけだったし。勝手に、こっちが話していただけなんですけど。そんでもあいつ失礼なことに、めっちゃつまんなそうに、どうでもいいって顔して、話しを聞いてやがったんですよ。そんときばかりは、嘘みたいな顔で笑ってなかったんですよ。そんで、俺が何でお前はここに居んのって言った時、あいつは、ここじゃない場所が欲しいからって、意味わかんねぇこと言って。そんで、付け加えたみたいに、お前友達少ないしな、って言って。ばっかじゃねーの。俺のほうが、友達は多いんだよ。確かにそんときは疎遠になっていたけど、あいつのほうが、少ないくせに。表面上の付き合いしかしてねぇの、俺ぐらいになれば丸わかりだっつーの。でも、でも、俺」
そっと、肌の温もりが裕二を覆った。温かかった。サリアさんが、自分の頭を抱いてくれているんだ、ラッキーだなあ、なんて頭のどこかで考えた。とくん、とくん、と心臓の音が優しい音色で聞こえてくる。オルゴールみたいに、子守唄のように。それが余計に、溢れ出した感情に拍車をかけた。止まらなかった。涙だけは出さないように気をつけて、裕二は鼻を啜った。
「俺、俺、信じない。あいつが、村を襲ったとか。そんなこと、信じない。あいつは、確かにいい加減で、上っ面だけで、情なしだけど、だけど、あいつは優しいから。だから、俺信じない。あいつは、あいつは、友達だから」
だから信じねぇよ畜生、と叫んだ。小さな叫びだった。最後は尻すぼみになって、深い暗闇の中に消えて行ったけど、だけど、きっと、サリアさんには聞こえていたと思う。それが、裕二にとっては救いだった。
シリアスかコメディかわからなくなってきました。一応コメディメインだったはずなんですけどねぇ。
小説ランキングもどっち登録すべきかわからないっす。
その辺りも含めて感想もらえると嬉しいです。加熱剤になって執筆速度大幅上昇しますから、たぶん、ええ、本当に、たぶん。




