表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想旅遊記  作者: エニシ
2/25

第一章  魂の行く先

 『ここ』じゃない場所に行きたかった。

 『ここ』じゃないどこかに行きたかった。





 流れていく景色。移ろい行く情景。

 窓ガラス越しに映る景色には無骨な鉄骨の集合も、騒々しい人の群れも見当たらなかった。あるのは広大な畑の広がり。稀にすれ違う大型車。情緒のある古びた土産物屋。コンクリートに覆われない褐色の大地。

 山間へと向かうバスだからか、それともここが北海道という見知らぬ土地だからか、そこは今まで住んでいた都市部の光景とはかけ離れたものだった。バスの中でも感じる外の静けさは、何だか羨ましく思われる。


 日本は狭すぎるんだよなぁ。


 そんなことを宍倉礼二が考えていると、前の座席から太い眉毛がチャームポイントの赤松裕二が身を乗り出し、にやっとその口角を引き上げた。


「暗い顔だな。どうしたよ、礼二」

「うーん? 別に。昨日まで旅行の分頑張っていたから、疲れているだけ。あと、朝には有り得ないお前のテンションに疲れているだけ」

「頑張ったって、勉強?」

「うん、まあ」


 そう礼二が告げると、裕二は、かーっ、と大げさに天を――バスの中なので天井だが――を仰いでから礼二の肩をばしんばしんと遠慮なく叩いてきた。痛ぇよ。


「わかってない。君はまったくわかってない。受験を控えた僕たちにだって、休息は必要なのよ?」

「だから、来てるだろ。この受験生の天王山、夏休みに三泊四日の北海道旅行」

「来るのは当たり前。そして来るまえに勉強なんて野暮なことをしないのは暗黙の了解」

「……にしては、出席率は微妙じゃないか」

「そうでもないだろ? 28人。三分の二も来てれば上等だろ」


 確かにね、と頷き、礼二はリッラクスシートにもたれかかる。前の座席からちょっかいを出してくる裕二を無視して、ぼんやりと周囲を伺った。

 貸しきりバスの中にはちらほらと空席が見当たるものの、多くのクラスメートがこれからの道程に心弾ませ、談笑している。しかし、そうは言ってもやはり受験生の性は捨てきれないものらしい。少数ではあるが旅行中でも単語帳を見たり、友達とそっち系の会話をしたりと忙しい人もいた。まあ、うちは進学校だから、特殊なのかな。


 ふああ、と礼二はあくびをしながら目を細めた。しかし元気だなみんな、と少しその溌剌さに辟易する。


 他に自分と同じような人間はいないのかときょろきょろと細目のままに辺りを見回せば、ふと隣から聞こえてくる寝息。礼二が横目で窺うと、隣の女子生徒、霧島杏奈はすやすやと眠っていた。無防備に涎まで垂らしている。でも、そうだよなぁ。これが当たり前だよなぁ、普通。


 そう、当たり前だ。眠いのも、また眠いのも。


 なぜ五時起きで集合なんだろう。いいじゃないか、別に。四日も期間があるんだから。一日ぐらい移動で潰す余裕を持とうよ。

 憤然と抗議したい礼二であったが、旅行の計画に参加していないため、どうこう言える立場ではなかった。その計画者であり文句を述べたい相手は未だにちょっかいをかけてくることを止めない。


「起きろよ、礼二。旅行は家を出てからだ」

「違う。旅館で一息ついたらだ」

「馬鹿、お前。爺くさいこと言うなよ。ほら、若いだろ。元気にいこうぜ」


 何でこいつはこうも朝早くから元気かなぁ、とほっぺをうにうにさせる手を払い、凝り固まった眉間を揉む。

 そんなとき、裕二の隣に座っていた吉岡由紀がくすくす、とまあ現代の女子高生にあるまじき上品な笑いを溢した。

 背中まで届く鴉の濡れ羽色の長髪に、せせらぎのような清廉な雰囲気を持つ吉岡由紀は、この時代にはもはや絶滅危惧種と謳われる大和撫子的美貌を兼ね備えた美人さんである。クラスの中でも一位か二位を争う美少女だ。ああ、なるほど。だからこいつはハイテンションなのね、と礼二はうんざりとしながら納得した。


「あ、ごめん。うるさかった?」


 照れたように頭をかいて自分の座席に腰を下ろす裕二。気を引きたいからって僕を使うな、と礼二はそう口を開きたい衝動を何とか抑え、目を瞑った。まあこれで睡眠が確保できるだろう。


「いえ、そんなことないですよ。とても面白いです。お二人は、仲が良いんですね。去年も同じクラスだったんですか?」

「一年から同じクラスなんだ。いやあ、腐れ縁っていうの。同じ『二』繋がりだし」

「『二』繋がり?」

「いや、名前のこと」

「ああ、なるほど。でも、いいなあ。羨ましいです。私、このクラスに知り合いがいなくて。今では、お友達もできましたけど……」


 薄い付き合い、ってことね。

 うっすらと瞼を開く。さっきまで眠かったのに、今度はなかなか寝付けなかった。くそ、アホ裕二が散々うるさく喚いたせいだ。礼二の心の奥に燻りだす怒りの火の粉。それは前の二人の『何だか良い雰囲気』という火薬に着火、爆発した。

 やられたらやり返す。二倍に三倍、四倍に。歯には目を。目には首を。それが礼二の信条であった。


「ねえ、吉岡さん」


 にっこりとお姉さま方からは可愛いと言われる笑顔で礼二は二人の間に割り込んだ。その無邪気な笑顔の裏に隠された悪意を知り尽くしたはずの裕二は、しかしクラスでも一位、二位を争う美少女との何だかいける? 的な空気を前に浮かれきっていたため、押し黙ることなく文句を言う。


「なんだよ、眠いんだろ。寝てろよ」


 そんな文句も当然無視して、礼二は吉岡に微笑みかける。


「由紀、でいいですよ。宍倉さん、ですよね?」

「うん、わかった。じゃあ、僕も礼二でいいよ。そういえば、あんまり由紀とは話したことなかったね」

「そう言えば、そうですね。こうやって仲良くなれるのも、旅行の特権ですよね。嬉しいな」


 花開く笑顔で笑う由紀。それに何だか焦りだした裕二は、傍目から見ても何だか気が気ではなさそうだった。何だ、本気だったのかな。と目は向けず裕二を観察する礼二は、心の奥でほくそ笑む。では、ミサイル投下といこうか。らじゃー。


「ところで、ね? 由紀はさ、こいつのことどう思う?」


 くい、と親指で裕二を指す。「え?」と呆けた由紀。一瞬呆然とするも「な、馬鹿!」と騒ぐ裕二。押さえつけようとする裕二の腕を難なくかわしてにこやかに聞けば、由紀は困ったような顔をした。


「どうって言われても。まだ、あまり話したこともないですし」

「あー、そっか。そうだよねー。ごめんね、変なこと聞いちゃって。よかったなー、裕二。お前、何でもないって。意識されてないって」

「おい、こら」


 もう寝てろよ、とそこで後ろに押し返された。ここで無様に慌てれば墓穴であることを裕二はさすがにわかっていたようで、「ごめんねー、あの馬鹿が」と何だか爽やかに返している。額に流れた汗は冷房完備のバスの中でもきっと暑さを感じたせいだろう。由紀は由紀で、少し視線を泳がせて「いえ、気にしていませんから」なんて、ぎこちなく対応していた。

 何だかほのぼのカップルっぽいね。うん。


「随分友達思いだね」

「あれ? 何だ、起きてたの?」


 肩までの伸びた跳ねっ返りの黒髪に、アーモンド形の大きな瞳。犬好きの礼二とは永遠のライバルである猫派っぽい、と礼二が勝手に決め付けているそんな隣席、霧島杏奈は臆面と隠すことなく大欠伸をしていた。礼二はどう反応すべきか迷った。涎の件といい、恥じらいというものをこの少女は持たないらしい。


「へえ。でも、赤松って吉岡のこと好きだったんだ」

「いいなあ、って思ってるぐらいじゃないの? ま、知ったこっちゃないけどさ」


 こそこそと小声で話す礼二たちにも、前の二人は気付いていない様子。傍から見れば、つい先日付き合い始めた初々しいカップルのよう。何人かの男子生徒はそんな裕二に殺意という名の視線を向けている。


 ありゃりゃ、逆効果だったかな。


 鞭ではなく飴を与えてしまった礼二は、自分の迂闊さに舌打ちをしそうになったが、友達思いだね僕って、という意識の改革を試みることで自己の行為を正当化することに成功。

 そんな礼二に霧島は何だか不躾な視線を向けていた。それに気が付き、礼二は口を開く。


「何?」

「うーん、何だかね。宍倉はよく来たな、って思って。この旅行」

「何? 来ちゃ悪かった?」


 別にそんなこと言ってないじゃん、と苦笑いの中デコピンされた。何でデコピンをされたのかを礼二は本気で考えた。


「何か、こういう団体行動っていうの? そういうの、嫌いそうな雰囲気だったから。宍倉って」

「好きじゃないけど、嫌いでもないよ。まあ、どうせこの後苦しいお勉強が待っているし、息抜きだよ。息抜き」

「息抜き、か。はぁ。やっぱまずいのかなぁ。この時期に旅行って」

「何? 志望校やばいの?」


 礼二が霧島のほうを振り向くと、大真面目な顔で頷かれた。


「結構半端ない」

「どこ目指してんのさ?」

「外大だよ。将来、外国で働きたくて」


 外国、ね。と礼二は遠い目を虚空に向けた。礼二は一度も国外を出たことがない。

 一番遠くて北海道。そして今回も北海道だ。このまま永遠と日本から出ることのない運命を何だか礼二は感じている。面倒臭い、ってこれから海外には旅行にも行かないだろう。それはただその不精を直せば何とかなることだとわかっているが、礼二はあえてそこに目を瞑る。これは新婚旅行も熱海になるね。


「宍倉はどこ目指してんの?」

「うん? 僕は――」


 特にその先の言葉を考えていなかった。『ここ』じゃない場所に行きたい、とそう言いたかったのかもしれない。外国とか、そういうんじゃなくて。今までの自分を全部、捨てられる場所。

 よほど気を許さないと言えない言葉が、なぜか霧島の前だとすんなりと言えそうだった。これが旅行マジックだろうか。



 ただ、それは実行されることはなかったのだけれど。



 開いた口が、続きを紡ぐことはなく。

 突然の衝撃に、顎が鳴った。



 痛い! と叫んだかどうかもわからない。バスの前方から後部までを貫く謎の衝撃に、座席のみならず窓ガラスまでもが盛大に揺れた。安っぽい効果音のような音が聞こえ、揺さぶられる視界の中で礼二はガラスの破片が空中に飛び散っているのを見た。

 地震、何てものではなかった。そう、きっと揺れは一瞬であった。しかしその衝撃を感じたものは永遠にも近い刹那を味わっただろう。

 その揺れはもうどこかへ消え去り、今は、傾いている。


 隣の霧島が礼二の胸へと『落ちた』。礼二は胸に霧島を抱えながら通路を挟み、向こうの男子生徒へと『落ちる』。バスの中にいる生徒は皆何が起こっているかを理解できないまま、しかし悲鳴はちゃんと誰かが上げていて、礼二はちゃんとその悲鳴を聞いていた。


 礼二の目に唖然とした裕二と由紀の顔が映る。誰かと誰かの悲鳴の交響曲。押し潰されていく身体。割れたガラスは牙を生やし、その向こうの景色はぽっかりと穴が開いている。


 ああ、崖に落ちたのか。

 頭の片隅で、冷静に礼二は理解はした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ