第10幕 『この顛末をどうにかしてください!!』 1
「どうして…」
テミスは止め処もなく流れる涙を、止めようともしなかった。
こんなに人を好きになったことは初めてなのに――どうして?
どうしてああも、他人から言われなければならなかったのか?
私が何をしたというのか――。
「テミス…それはきっと、その場の邪魔が多すぎたせいかもしれないね」
「…イサリ師匠?」
柔らかい金色の髪に優しい紅い瞳。テミスはいつも自分に優しく、包み込んでくれるイサリが大好きだった。
この5年間、失踪した父の代わりに、いつも自分を支えてくれた。
イサリがいたからこそ、今の自分があるとも言える。
それだけ信頼し、敬愛する師でもあった。
「…君の兄上、ログスは優しすぎる。今のグリスィナ家を支えているのは君と言っていい。
ジン・エクリクスィ・フェンツィは、君に似て生真面目な少年だ。
強情で…それでも芯が強い。将来、ログスに代わってきっと君を支えてくれる男性に成長するはずだ。
それでもまだ15歳。君の美貌に魅入られて、恥ずかしくなり、どうしていいのかわからなかったのだろう。だから暴言を吐いてしまったのかもしれない。
まぁ、その少年の育ちを疑ってしまうが、それをいちいち真に受けていたら、君の方が参ってしまうよ。テミス。
それは君が彼を導き、悪い部分を直していってあげればいい。
僕はいつも君の味方さ。ジンは必ず、君の最高のパートナーになってくれるはずだよ」
「イサリ師匠……」
いつの間にか涙は止まり、テミスは頬を赤らめ、陶酔した表情でイサリの言葉を、天啓が下ったかのように疑いなく受け止めていた。
「もう一度、ジンに誠心誠意伝えてみよう。それでも駄目なら、次の方法を考えようよ」
「はい、イサリ師匠」
イサリの屋敷をあとにし、テミスは自分の部屋がある寮へと帰宅した。
「はぁー。毎度毎度、あんな歯の浮いた台詞が吐けるもんだ…。気持ち悪くならない?」
蝋燭1本だけが灯る闇から、1人の少年が姿を見せた。
7~8歳程度の少年――ブーロがイサリの背後に立っていた。
「こちらとしても、もう5年は我慢してるんです。あんないってるお嬢様相手に…その苦労はわかってください。ブーロ様……」
貴族のような風貌のイサリの姿で、子供であるブーロに敬語を使う姿は、見ている者があれば、きっと違和感を感じさせたに違いない。ブーロの姿は、このピサ島民の子供の普段着とほとんど変わらない、けして貴族の子息という姿ではないのだ。
「いいじゃないの、ブーロ。それでお嬢様は使えそうなの、イサリ師匠」
20代程の女――黒く長い髪を弄りながら、オルディナがどこか棘を含んだ言葉で、イサリをそう呼んだ。
イサリは苦笑を浮かべながら、オルディナに答えた。
「5年間、手塩にかけて育てたんです。『第3級』レベルの能力は発現しますよ。
先日使えなかったロイド王国の連中よりは…よほどマシでしょう」
「あれはクソだろう?」
ブーロが嫌悪感たっぷりにイサリに言った。
「そうですね。あれはクソ。今度はまぁ…ダイヤの原石ぐらいにはなるでしょうか?」
「原石ねぇ。でも価値の無いダイヤじゃ困るのよ…イサリ」
「オルディナ様から比べれば価値の無いダイヤでしょう?オルディナ様の輝きに敵う女なんて、この世に存在しませんよ」
「あなた…脳みそまで『イサリ』になっちゃったの?」
「5年程こんな生活です。脳みそも退化してしまったのかも」
イサリはオルディナの右手を軽く握り、その甲にキスをした。
「まぁ、イサリ様。光栄ですわ」
「全然感情が篭っていませんね。それでも見ててください。とりあえず、少年たち全員は始末してみせますよ」
「あのお嬢様も、あの少年たちなら納得して、協力してくれるかしらね」
オルディナは薄い笑みを浮かべ、窓からテミスの消えた路地の方角を見つめた。
「でもさ。デウス様も酷いよね。僕らに、あいつらの力がどの程度か調べるだけでいいなんてさ。僕の本気なら、あのとき間違いなく殺せてたのに……」
ブーロの愚痴を、オルディナはくすくすと笑って答えた。
「酷いよ、オルディナ」
「違うわよ、ブーロ。そうだなと思っただけ。でもデウス様にもお考えがあるのでしょうし。私たちは、それに従うだけだから……」
「まぁね」
「…私も早く、こんな退屈な役目から早く開放されたいですよ」
ブーロに続き、イサリもため息交じりに愚痴を漏らした。
「もうすぐ大きな花火が上がるわ。そうすれば、嫌でもイサリ様が大活躍できるわよ。
それに退屈な役割でも、あなたが齎したイロアス協会の情報は、結構役に立ったもの」
「…そう言っていただけると、我慢したかいがありますよ、オルディナ様。
でも早く、皆さんと、その大きな花火を見たいものです」
「そうだね。僕も楽しみなんだ」
ブーロの嬉々とした瞳が、夜空の星を映す。
狂気に満ちた純粋な眼は、いずれ来る大きな闇の到来を心待ちにしていた。
◆◆◆
その日の夜。
ミゲはプリムラとの会話で、かなり落ち着きを取り戻し、今は普段とまったく変わらない様子をみせている。
そのあと、スフェラがアーラの家を訪れた。
ヘベとの仕合のことはクーゼから話されていた、ということで不問にされた。
スフェラからは、昨日ミゲより相談されたという内容が、アーラとジン――そしてアーラの従姉妹というエペとプリムラに伝えられた。
プリムラは、アーラとジンが襲われたという事実と不安、アーラがライバルであるカメリアに取られるかも知れない、という常に感じていた不安定な感情が重なり、自分でもどうしていいかわからなくなったのだろう。と、分析した。
プリムラは心理療法師のような仕事もしているという。
それらを聞いたアーラは、ひどく落ち込んだ様子を見せたが、今までどおり普通でいること。と、プリムラはそうアドバイスした。
「ただ…」
と付け加え、
「アーラくん自体は、ミゲちゃんをどう思っているの?」
一度顔を俯けて、それでもアーラなりの誠意を表した表情を作った。
「好きです……でも、それは異性というより、たぶん…妹として。
それはカメリアも一緒です。すみません。自分でも酷いことをしているという……」
「それは2人がアーラくんに好意を寄せていても、君自身がそう感じている…ということだもの。どちらかを選ぶとか…そんな段階じゃないんでしょう?」
「…はい。正直に言うと……」
プリムラはじっとアーラを見つめた。
「…アーラくん…別に好きな人、いるでしょ?」
プリムラに指摘され、アーラの顔が一気に紅潮した。
「……はい、います」
これにはジンが敏感に反応し、右側に座るアーラへと顔を向けた。
「君には、すご過ぎるお兄様たちもいるけど…?」
「いいえ、兄ではありません。ちゃんとした異性です。でも…自分が6歳のときに、出会って、それ以来会ってもいないんです。でも、その人のおかげで、今の自分がいるし、命の恩人でもあります。名前もわからないけど……」
じっとアーラだけを見つめるジン。エペはそんなジンの行動を余さず見ている。
「…純情だね。そうか…それは見つけ出すのは至難の業か」
「はい」
「でも、正直にありがとうね」
「…オレ…兄たちとは本当の兄弟じゃないんです」
プリムラが話を締めようとしたとき、アーラからそんな話が漏れた。
「…正確には従兄弟になります。今の義理の…父の双子の兄が、どこかの村の娘に産ませた子供…それがオレなんです」
エペもプリムラも、アーラの出生の事実に絶句し、次の言葉を繋げずにいた。
「…今の兄たちと出会ったのは5歳のときです。オレの住んでいた村が、ディアボロスに襲われたんです。『アトスポロス』だったオレの力に引き寄せられて…村は全滅しました。
オレの母の顔は覚えてます。
東の民のような黒い髪に、黒い瞳…堀の浅い特徴をしてました。
とても優しくて、おおらかな女性で……母も『アトスポロス』だったようです。最後までオレを護って戦ってくれてました。でも…目の前で母がディアボロスに…。
そんなとき、駆けつけたパイク兄さんに助けてもらったんです。
でも母や村の人を殺されたショックで、オレ1年程、話すこともできませんでした。
あんなに優しい良い人ばかりの家にも、すぐには馴染めなくて。
オレ、村に帰りたくて逃げ出して…そんなとき、その人と会ったんです。
話せないオレを、その人は面倒見てくれて…そのおかげでオレは言葉をもう一度話せるようになりました。1ヶ月くらい一緒に暮らしたんですけど。でも、オレが何もできないせいで、またディアボロスに襲われても、その人を助けることもできなかった…。その人はオレを庇って、右目を失うことになった……。それから…会えていないんです」
アーラの体をプリムラがぎゅっと抱きしめた。
「だから君は…強くなりたいのね。その人も、そして自分を助けてくれた、家族も、大好きな人たちを護れるように……」
「それまでは…自分に余裕がないのはわかってるんです。ミゲもカメリアも…オレにとっては、大事な大事な人であることには代わりはありません」
「ねぇ、アーラくん。でも君は1人で戦ってはいないでしょう?」
「……プリムラさん?」
「君は素敵な仲間に会えたんでしょう?なら、その仲間たちと一緒に喜んで、悲しんで。
いっぱい楽しいことをして。君はまだ15歳なんだぞ。
やらなきゃいけないことはたくさんあるかもしれないけど、今だからこそやれることもたくさんある。その中には恋だってあるんだよ。
どちらを選べとか、そういうことを今決める必要はない。選べないから、酷いことをしてるなんて思わなくて良い。だから…よく考えて。一緒にたくさんの時間を過ごして。
そうして決めてもいいんじゃない?!」
アーラはプリムラの胸に顔を埋めた。そして自然と湧き上がる暖かな微笑み。
「…はい、ありがとうございます」
「うん。いつかその人と出会えるかもしれないけど。それでも、今の君は、君が両手に抱えられるだけのことで考えればいい。その精一杯の中で、先を見つめてみればいい。それもゆっくりとね」
「…はい」
プリムラから離れたアーラの満足そうな顔に、プリムラも納得したような笑みを浮かべていた。
「それからジンくん…君もアーラくんに負けず劣らず抱えているものは大きいでしょ?」
「……俺のは…自分でなんとかできます。それより、俺の大切な親友の…妹の心を救っていただいて本当にありがとうございます」
ジンは誠意を込めて、プリムラに頭を下げた。
「アーラくんも、良い親友を持ったね」
「真面目すぎるんですよ、こいつ。ミゲとオレ、両方護るって言って聞かないんですから」
呆れ顔のアーラの様子は、どこか照れ隠しにも見える。
「ジンくん。苦しくなったら、いつでも相談に来ていいんだよ。君もまだ15歳なんだから。君の場合は思い込みが強すぎるようだから。無理は絶対にしないでね」
「自覚してます。でも、俺は今が一番充実しているかもしれません。やりたいことをやってますし、アーラだけじゃない、ヴノやクレイ…楽しい仲間たちにも出会えました。
それにプリムラさんやエペさんのような、素敵な人たちとの出会いもここではあります。
まだまだ大丈夫です」
プリムラはうーんと、まだ納得のいかない様子だったが、無理強いはせず、とりあえずここは引き下がることにした。
「こいつは無理だよプリムラ。大人の汚い面を知っていて、達観しているところがあるからな。寧ろ、アーラやヴノ、クレイなんかの仲間の方が、吐露しやすいときもあるだろ」
「スフェラ師匠…率直すぎますよ。そういうのは俺たちのいないところで話してください」
「そうか?」
苦笑しながらも、戸惑うジンに、スフェラは開き直っていた。
「スフェラ師匠。私もこの子たちに協力させてください。
直接戦闘には加われませんけど、大きすぎる力はときに、精神に多大な負担をかけるときがあります。それを聞いて、負担を減らすことぐらいはできると思いますから…」
「それはありがたいよ。仲間は多い方が良い。エペは戦闘に入れるんだろ?」
「それは。アーくんも頑張ってますし、従姉妹としてほっておけませんから」
だから、ねぇ。と、アーラはエペに色々言いたいことを、胸にしまい、小さなため息をついた。
「エペは戦闘の経験も豊富だ。お前らの良い先輩になるだろ。
これで私の負担も減ってくれるわぁ」
「師匠はそれが狙いですか?」
ジンの突っ込みに、スフェラは「他にある?」と、あっけらかんとした態度で接した。
ドアの外にはヴノとクレイ。スフェラの言いつけで、部屋の中の会話を一部始終聞かされていた。
気配は、スフェラの魔導術で消している。
感覚の鋭いジンやアーラが気付いた様子もなく、とりあえず2人は、会話が終了したことに安堵した。
「…ねぇ」
ヴノの苦笑いがクレイに向かう。
「…僕らは運命共同体…らしいね」
「…ねぇ。そうらしい」
クレイの言葉の意味を、ヴノも嫌がらず、素直に受け止めたようだった。
「でもさ…1人よりはいいよね」
「それは言えるだろ。でも、2人よりは3人…4人の方が良いだろ?」
「それも言える」
クレイは納得し、ヴノも笑顔で頷いた。
◆◆◆
特別塔、補佐室。
日付はすでに翌日。深夜にも関わらず、部屋からは灯りが漏れていた。
「5年も前から?!嘘だろう?」
クラッペの告げた事実に、さすがのキートも声を張り上げた。
「本当らしいです。5年前から、『イザリ』が『イサリ』とサインされているそうです。
筆跡はまったく一緒ですが、事務官たちも、気が付いた者もいたらしいですが、大した間違いでもないから、そのまま放置されていた……と」
クラッペの報告に、キートは顔を両手で覆った。
「そうだとしたら…どれだけイロアス協会の情報が駄々漏れになったと思うんだ」
「ナル室長が調べたら、同じ5年前から、『アトスポロス』への被害が大きくなったと。その前の年から比べて、3割増しになり。その頃から、『ピラフティリ』という名も、出てくるようになったそうです」
「……最悪だ」
キートの呟きが、キート自身、そしてクラッペの胸中を物語っていた。
「協会は、補佐役全員の再調査を始めるそうです。
私たちは、ナル室長の計らいで、それが免除されるとのことで……」
「…それでは全員ではないだろうが」
「私たちの補佐する対象の多感な年齢を考慮して……ということと、ナル室長全幅の信頼だとか。ナル室長のそれは冗談でしょうけど…それ以上のことは私も……」
俯くクラッペの様子に、ようやくキートは、混乱している自分に気が付いた。
「そうだったな…ごめん、悪かった」
「それからこれはアーラくんたちには…」
「わかってる。ただ、ニキティス本家には……」
「ナル室長が直々に報告済みです。本家も了承し、現状維持で頼むと」
「…優しいな。優しすぎるだろう」
キートの繰り返される呟きが、クラッペの耳には痛い。
「信頼している。と…そう言われたそうです」
「…『フォス』を預かっているんだぞ。それでいいのか?」
「キートさん、それは…」
憔悴気味のキートへ、クラッペが自制を求める発言をする。
「ん、すまない。僕がこれでは駄目だね。わかってる…了解したよ」
「私…頑張りますから。あいつらなんかに負けないですから……」
眼鏡の越し。クラッペの瞳が、涙で溢れそうになっている。
声も微かに震え、書類を持つ手も僅かに震えていた。
「うん、頑張ろう。僕らが彼らの盾にならないとね」
「…はい」
クラッペを胸に引き寄せて、キートはそう呟き、クラッペはキートになんとか聞こえる声で返事をした。




