第9幕 4
「じゃぁ、あなたはアーラの従姉妹なんですね」
「そう。母方のね」
こうも嘘がうまい人だとは思わなかった。
アーラの家に着き、ジンが淹れてくれた温かいお茶を啜りながら、クレイの質問を笑顔でこなしていく、エペと名乗る女性。
(そりゃ…血の繋がりはあるだろうけど…)
『二つ名』の『アイギス』でその正体はわかったが…。
これは自分の『素性』もバレてるだろうな――。
アーラの笑みはどこか不自然だった。
噂に名高いプリムラに傷をきれいに治してもらい、ヴノのテンションは微妙に高かった。
「私の治癒能力は、特に『アトスポロス』には有効的なの。あのぐらいなら、あとも残さず数泊(数分)もかからないで治せるわ」
プリムラも落ち着いた様子で、ヴノの質問に、こちらも天使の微笑で答えていく。
「とりあえず無事でよかったよ」
キートがお茶を口にしてようやく安堵したのか、肩から力が抜けたように呟いた。
「ほとんどアステのおかげですが」
「そうよ。あのぐらい大したこと無いわ。下僕たちが情けないのよ」
ジンの言葉に、アステはふんと鼻を鳴らした。
確かにアステのおかげで、犠牲もなく助かったと言える。
「…あれが『カタフ』ですか……」
クレイの声のトーンが2つ程低くなった。
今でも戦慄するそのおぞましい姿。クレイの表情もその思いを物語っていた。
「…そうあれが『カタフ』。もしかすると、イロアス協会でも今一番危険視している『ピラフティリ』という連中かもしれない」
「…ピラフティリ…?」
アーラがキートの言葉を再度なぞった。
「…『悪戯好き』っていうふざけた名前なんだけど…その詳しい内容はわかってないの。
ただ『カタフ』でも実力的には、『アトスポロス』のレベルで『第2級』程の連中が数人。
世界のあちこちで暗躍してる。
多くの『アトスポロス』も犠牲になってる。奴らに狙われて生き延びたのは、アーラくんたちが初めてかもしれないな」
クラッペのいつにない真剣な顔に、つい4人は互いの顔を見合わせた。
「でもこれで、君らが狙われていることははっきりした。
ジンくん。ミゲさんはたまたまスフェラ師匠のところにいたんだけど、これから彼女の屋敷に住まわせることにしたけど…いいかい?」
「はい。その方が俺も何かと安心できます」
ジンに了承を得て、キートは小さく頷くと、ヴノとクレイにその視線を移した。
「2人はしばらくここに留まってほしい。家の周辺は、我々と護衛役が固めることになるから。行動するときも、4人で行動してほしい。しばらく窮屈な思いをさせるけど…いいかな?」
「俺らは…なっ」
「はい。僕も異論はありません」
ヴノもクレイも頷き、アーラとジンも無言で頷いた。
「アステは君らの大切な女神様だからね」
「…当然だわ。よくわかっているわね」
プリムラに抱っこされ、アステは満足そうにキートに言った。
「アンテニー一家の皆さんは、イオの街に…と言ったんだけどね。君らが心配だと、ことが片付くまでは留まられるそうだ。イオにいる補佐役が皆駆けつけるから、あちらは心配なく」
事のついでという感じで話したキートの表情は、呆れているのか、笑いを堪えているのか、複雑そうな表情を作っていた。
「…で、本題」
と、キートが一息ついた。
「テミスさんは、どうやら敵に利用されている節がある」
「……えっ?」
4人の少年――特にジンの藍色の瞳が見開かれた。
「絶対に、彼女が近づいてきても、誘いに乗ってはいけない。寧ろ無視をしていい。
先ほどの奴らと繋がっている可能性もある。
『警護役』がその足取りを全力で追っているから、まもなく全容が掴めるはずだ。
いいかい。それまでは絶対に、彼女と関わってはいけない…いいね」
普段のキートからは考えられない程、厳しい口調で、4人に言い聞かせた。
それはジンへ向いていたかもしれない。
「…わかりました」
答えたのはアーラだった。ジンは俯き、終始無言のままだった。
◆◆◆
プリムラの申し出で、エペとアーラたちと一緒に行動したいということから、キートとクラッペが共に泊り込むことで、しばしの集団生活が始まることとなった。
いずれにしても、エペやプリムラも狙われる可能性は高い。
のちに2人の補佐役であるフランやキスカも、合流するという話になるだろう。
纏まっていてくれた方が、補佐役としても何かと安心かもしれない。
キートの中には、そんな考えも存在していた。
だが問題はミゲとカメリアかもしれない。そんな危機感もあったことは否めないが。
今夜は用意ができていないと、屋根裏部屋で、4人で寝るのは明日以降ということで、今日はアーラとジンは自分の部屋に落ち着くことになった。
が、ジンはいつもアーラの部屋で寝ているので、周囲が落ち着くと、そっとアーラの部屋に入り込んだ。
「…こんな日までもか?」
「こんな日だから…」
まだ横にはならず、ジンはアーラのベットの上で、後ろから覆いかぶさるように、アーラを抱きしめた姿で会話をしていた。
「…なぁ。訊こうと思ってたんだけど、ジンはまた背が伸びたか?」
「どう…だろうな。ここに来てから2~3センチは伸びていると思うが……」
アーラは一向に身長は伸びないが、ジンの顔の位置がまた少し高くなった気がする。
ジンの腕周りもさらに筋肉がついて、逞しさを増したような。
「何見てんだよ?」
「またお前の腕が太くなった気がした。鍛え方は一緒なのにな」
「食べてるものも一緒なのにな」
「…うっさい」
耳元でくすくすと笑うジンに、アーラは頬を赤らめて抗議した。
「なんかさ…」
「ん?」
「こんなかっこ…恋人同士みたいじゃないか?」
「…恥ずかしいか?」
「……男同士だろ?オレら」
「…レユアンじゃ当たり前なんだがな」
「…なっ……」
ジンの爆弾発言に、「なんだとーっ!!」と叫びたくなったが、今日はお客さんがたくさん来ているので、なんとか声を喉の奥に押し込んだ。
「…嘘じゃないだろうな……」
「親しい友人、恋人。俺らで言えば、お前は俺の大切な親友だ。そんな親しい相手とこんなふうに過ごすのがレユアンでは普通なんだよ」
「…どういう国なんだよ、レユアンって国は……」
「だから…そんな国」
そんな情報、今まで知らなかったぞ。アーラは混乱する心の中をなんとか落ち着かせる。
またからかわれているのではないか――と。
「キスもそうさ。親しい相手へ、親愛の情を示すためのひとつの手段だ。
異性、同性関係なくね」
本当なのかよ。眉唾じゃねぇのか?!ジンを驚愕の思いで見続けるアーラの物言わぬ瞳がそう語っていた。
「でもそれは…本当に心を許した相手じゃないと、できない行為なんだ。
俺にとっては、アーラのようにね……」
ぎゅっとアーラを抱きしめるジンの腕の力が増した。
そんな関係が、アーラにはこそばゆい。
アーラは頬が火照ることを実感しながら顔を俯け、ジンから視線を逸らした。
「…アーラ」
「ん?」
急に呼ばれ、ジンの顔を見上げるように自分の顔を上げた。
そこに用意されていたのはジンの唇だった。
――しばしの沈黙。
「く……苦しいっ!!」
体勢もそうだが、驚いて呼吸を止めてしまったせいもある。
アーラはいかにも苦しそうに、ぜーはーぜーはーと肩で大きく呼吸を繰り返した。
「…お前さぁ。ムードを考えろよ……」
ジンの不服そうな声。無性に腹が立つ。アーラは怒りを心の中に押し込める。
「いきなりやるからだろうがっ」
力いっぱい叫びたいほど恥ずかしい。が、今日はお客さんが―(以下同文)。なんとか自制するので精一杯だ。
「…じゃ、やるぞ」
再びのキス。今度は――。
「し…舌入れるなっ!!!」
「さらなる親愛の情。慣れろ」
アーラにこれ以上有無を言わせず、ジンはキスを続行した。
――再びの長い沈黙。
「なっ。慣れればこんなもんだ」
な、長い。長すぎる。
開放されたアーラは放心状態だったが、それでもジンから50センチ程遠のいた。
キートさんから話を聞いていたときの、あの心痛な面持ちはなんだったんだよっ!!
心の中でそう叫ぶアーラの気持ちを踏みにじり、離れたアーラを近くに手繰り寄せ、ジンは満面の笑みで再び抱きしめてから――こう言った。
「今度はもう少し長くしような」
◆◆◆
ミゲはまだ眠れず、じっと夜空を廊下の窓から見上げていた。
「お前は枕が替わると眠れない性質か?」
「そういうわけじゃありませんけど…」
「なんか悩んでそうだな?!」
たまたまスフェラの屋敷に明日の講義の確認に来ていたミゲは、駆けつけたクラッペからアーラたちが襲われた事を聞き、ヴノが怪我をしたが、すぐに駆けつけた腕の良い医術師によって完治したことも聞いた。
そのときあのアステが活躍し、それだけの被害で済んだ。とも。
そのままスフェラの屋敷に当分泊まることになってしまった。
本当は今すぐにでもアーラの家に行き、アーラと兄ジンの無事をこの目で確認したい。
それは任せてくれとクラッペに諭されて、不服だがここにいる。
「師匠は恋人とかいるんですか?」
「…コイバナか?いいねぇ。私は、今はフリーだよ」
ぶどう酒のビンを抱えているスフェラでは、いまひとつ信用と言う面で安心できないのだが、この際、色んな意見を聞こうとミゲは覚悟を決めた。
「今日の話…なんですけど」
「あぁ。『銀の乙女』か。色んな意味でいっちゃってる乙女らしいね」
色んな意味って――。
「ジンも気の毒だよな。その乙女も、あの仏頂面のどこがお気に召したんだかねぇ」
「…師匠。それでも私の兄なんですが…」
「あ…わりぃわりぃ」
相談した相手を完全に間違えたようだ。ミゲは確信したが、今更止められない。
「アーラって…カメリアのような女の子が好きなんでしょうか……」
「…そうだねぇ。あいつは生まれながらの苦労人だろうし。あんまり苦労しないで済む相手がいいのかもしれないな」
なんだ、それ?
「あいつは異性の気持ちに意外と敏感なところがあるから、カメリアのような繊細そうな性格の女の子に、気持ちがいきやすいのかもしれないな。でも、それはあくまで、『好意』ではなく『気配り』というだけでね。
私から見ると、この1ヶ月半で、随分あいつも、お前たちを意識してるように見えるけどな。ミゲはどう思うよ?」
「…それは……」
ミゲもそう感じる部分はある。少しは自分を異性として、意識してくれるようになってきたのかと。でもアーラは自分たちに気を使いすぎている。とも感じている。
「あいつはお前たちに言ったんだろ?今は自分のことで精一杯だとね。だったら、急がず、じっくり構えたらどうだ?
サリッサがその乙女に言ったらしいじゃないか。
好きな人にどうしたら喜んでもらえるか、学べって。
お前は考えて、今は料理を作れるようになろうと、努力して学んでいるんだろ?」
「……そうですけど…」
「さっきも言ったけど、アーラは異性の気持ちに敏感なところがある。
お前のそんな頑張りを、あいつはちゃんと見ていると思うぞ。
焦る必要は、今はないんじゃないか?」
「……はい」
変なところでこの人は師匠っぽいんだよね。と、そう思いかけて、ミゲはぶどう酒を、ビンからぐびぐびと直接飲んでる師匠の姿を見て――幻滅した。
「まぁ…私から言わせると、気にしなきゃいけないのは、寧ろお前の兄貴の方だろうな。
あれは強敵になるかもしれないぞ」
「……意味が?」
酒の匂いをぷんぷんさせているスフェラのたわ言か。ミゲはそうとしか思えなかったが、それを実感するには、もう少しだけ――ミゲには時間が必要だった。
◆◆◆
『アカデメイア』へ、通いなれた道。
「もっとくっつかないと…それらしく見えないよ」
「…はぁ……」
エペがジンと腕を組み、楽しそう――というより、困惑を隠しきれないジンを置いてけぼりで、エペは笑顔で歩いていく。
ここへ向かう前、シェルクに連れられた――否。シェルクを連れたミゲとカメリアが、早朝からすごい剣幕でアーラの家にやってきた――否。押し掛けてきた。
そこで今後の話し合いを(ミゲ主導で)行い、今回の作戦となった。
エペをジンの偽者の婚約者として、テミスを諦めさせる。という作戦である。
あまりに安易な作戦に、アーラの心配は、気乗りしていないジンの対応に向けられている。
「…ミゲ。なんか朝から調子が悪いのかい?」
アーラの心配はもうひとつ。いつもなら真っ先にアーラと腕を組み、ジンの様子を窺いそうなものだが、アーラの右横で、控えめに大人しく歩くミゲに、アーラの心配は尽きない。
「…オレたちなら大丈夫。オレは絶対ミゲを護るし、ジンも護ってみせるから。ミゲはジンの心配だけをしていてくれ」
それはアーラの本心。
スフェラは言った。アーラは異性の気持ちに敏感だと。だから、こうした自分の態度も心配してくれる。そう『気配り』として。
「…私はアーラを護るから。兄さんだって。だからアーラは私のことは心配しない……」
直後、アーラの左手が、しっかりとミゲの右手を握りしめていた。
「…行こう」
ミゲの手を引き、アーラは歩き始めた。
アーラから伝わる温もりに、ミゲは涙が出そうになり――出た。
「ミゲっ!?」
こんなにも我慢していたのか?アーラに迷惑を掛けたくなくて、声を出さずに泣く為に、声は嗚咽とひきつけとなって、ミゲの涙に拍車をかけた。
「ジンっ!!来てくれっ!!」
アーラの尋常ではない声に、ジンがエペの手を振り解いてミゲとアーラへ向かう。
「どうした、ミゲっ!!?」
どうしよう、兄さんまで来ちゃったよ。と、ますます止まらない涙。
「すまない…そんなに心配をさせていたんだな……」
悲痛な表情のジンに、ミゲはただただ、うっ、うっと咽るだけである。
「アーくん、一度家に帰りましょう。ミゲちゃんを落ち着かせてから、これからのこと考えればいいわ」
「…そうですね」
違う、違う。そうじゃない。でも声が出ない。
「大好きなお兄さんが大変な目にあって、大好きなアーラくんも危険な目に合ってるんだもの。気丈に振舞っても…ずっと我慢していたんだね。気が付いてあげられなくてごめんね」
そう言って優しくエペに抱きしめられ、ミゲは何も言い出せない。
もう何がなんだか。ミゲはひゃっくりが止まらず、ますます涙も鼻水さえも止まらない。
ひとり涙と格闘するミゲは、ジンたちに連れられ、アーラの家へと戻ることになった。
「ミゲも可愛いとこあったんだな。っていうか、兄貴と大好きなアーラがそんな目にあっていれば、心配でいられないよな」
昨日、結構ひどい怪我をした自分のことは棚に上げて、ようやく落ち着いてきたミゲの様子に、ヴノが小声でクレイに話しかけた。
「自分もそんな目にあってなかったっけ?」
クレイの突っ込みに、まぁねとヴノは口元を引きつらせた。
「今、考えるとさぁ、怪我したのがアーラやジンじゃなくてよかったよなぁ」
「馬鹿言ってんじゃないわよぉっ!!」
と、ヴノの話が聞こえたミゲは、大声で突っ込みを入れた後、わぁと再び泣き出した。
「やっと落ち着いてきたんだぞ、この馬鹿っ!!」
アーラからも頭ごなしに怒られ、ヴノは「ごめんなさい、気をつけます」とミゲの前で謝る羽目になった。
「……ミゲは皆の心配をしてたんだよ。優しい子だから」
「…自覚します」
クレイの前でも、ヴノは頭が上がらなかった。
ジンはミゲをずっと抱きしめて、ミゲの髪を撫でていた。
「いつもお前の髪を梳いていたのに…最近はほったらかしで本当にごめん」
深紅の痛みを知らない美しい髪。しかし、今はそれが毛先に枝毛が見えている。
ブラコンの妹。そうミゲをしてしまったのは自分だった。
「……もう…大丈夫」
「よくない。甘えてていいぞ。俺はお前の傍にいつも居るって言ったろ」
「…うん」
アーラは昨日のことを思い出した。
ジンの言葉は本当なんだろう。どんな形であれ、大切な相手に対し、ジンは底なしの愛情を持って接する奴なんだ――と。
それが家族、恋人、友人。大切と感じた相手には、じっとしていられないのかもしれない。そんな慈悲深く、優しい心根を持った存在なのだと。
レユアンがそういう国かどうかは、今後じっくり調べるとして――。
一度、ジンをミゲに返そう。アーラの気持ちは固まった。
「アーラ」
そんな時、ジンから呼ばれた。
「お前も俺の傍にいろ。2人まとめて護るから」
「お前なぁ…ミゲがこんなに……」
呆れ顔のアーラに、涙のあとが痛々しいミゲがアーラに向かって顔を上げた。
「そばにいてぇ…」
「……はい」
アーラの反論はそこまでだった。
「今日は『アカデメイア』を全員でお休みだな」
「いいんじゃない。補佐役も少しは安心させてあげないと」
「そうですね」
ヴノ、エペ、クレイが顔をつき合せて笑った。




