最強の切り札
「『ベンイ』起動」
その言葉と共にシーモネイターが臍の部分を押し込んだ瞬間、まるでF1のエンジン音のような音が下腹部から鳴り響く。
「あれは!?」
「シーモネイター様のお腹が下っているのです!」
それを見て息を呑むエリザベスに、暁が力強い声で答える。
「……え?」
「シーモネイター様のお腹が下っているのです!」
「それは聞きましたけど……戦闘中に腹を下す意味があるんですか?」
「見ていれば分かります」
理解の及ばない言葉に、思わず二度聞き返してきたエリザベスの至極もっともな疑問に応じた暁は、シーモネイターへと視線を向けて唇を噛みしめる。
(あの技は諸刃の剣。――シーモネイター様の身体が保てばいいのですが……)
「なんだ……!?」
腹部から鳴り響く轟音を合図に、シーモネイターの身体が微細な振動を始めたのを見て取ったゾルグは、怪訝な面持ちを浮かべる。
「――『トイレットムーブメント』!」
しかし次の瞬間、ゾルグの視界からシーモネイターの姿が消失する。
「!?」
シーモネイターを見失って瞠目したゾルグは、それと同時に自身へと肉薄していた股間の剣を認識する。
「チンコスラッシュ!」
「ぐ、うっ!」
シーモネイターの股間にそそり立つ剣に斬りつけられたゾルグは、血を流しながら驚愕と困惑と動揺に彩られた声でよろめく。
斬撃が届いてから遅れて生じる音がシーモネイターの移動速度を物語っている。
(……疾い。自分を加速させる技か!)
一瞬にして間合いを詰めてきたシーモネイターのスピードに驚きを禁じ得ないゾルグだが、即座に冷静さを取り戻す。
ゾルグの双眸は、まるで空間を跳躍しているかのように感じられるシーモネイターの速度をしっかりと捉えていた。
「だが、その速さも一度見れば対応できる!」
音速すらも超過する駿足で迫るシーモネイターを見据えるゾルグは、触れるもの全てを破壊する暗黒の力を拳に纏わせて迎え撃つ。
「ヌン!」
「ハアッ!」
刃と拳が激突し、激しい力の火花を散らす。
決してせめぎ合うようなことはせず、刃で拳の軌道を逸らしたシーモネイターは、体勢を崩してゾルグの懐へとは入り込む。
瞬きよりも速いその動きも、見えているゾルグには十分に対応できるもの。
並みの者ならば、何が起きたのかも分からない内に両断されているであろう斬撃を暗黒の力を纏わせた腕で受け止めたゾルグは、反撃の拳を振るう。
「なんてスピード。目で追うこともできないなんて……」
目にも止まらぬ速さで繰り広げられるシーモネイターとゾルグの攻防に、ホワイトルミナスは息を呑んでその戦いを見守る。
立ち上がれないほどに深い傷を負った身体を癒しながら、ホワイトルミナスはシーモネイターの勝利を祈っていた。
「これなら、いけるかもしれない」
強力な大技を使わせないように超速戦闘へと持ち込んだシーモネイターとゾルグの攻防が巻き起こす衝撃波の竜巻に、ガーネットが期待を抱く。
『ですが、このままでは攻めきれないかもしれません』
その時、ホワイトルミナスとガーネットの耳に聞こえてきたのは、エリザベスからの通信だった。
「……暁さん?」
通信から聞こえてくる声が、シーモネイターの補佐である暁のものであると気づいたガーネットは、訝しむような声を零す。
その言葉に、ゾルグと互角以上の戦いを繰り広げているシーモネイターを見守るホワイトルミナスの瞳に一抹の不安が宿る。
『今、シーモネイター様が使っておられる「トイレットムーブメント」は、便意を催すことで超スピードを得る力です。ですが、この力は限られた時間しか使うことができないのです』
「そんな……」
通信を介して流れ込んでくるエリザベスと暁の会話に、ホワイトルミナスとガーネットは思わず息を呑む。
誰しも、トイレを催している時に自然と動きが早くなった経験があるだろう。
シーモネイターのトイレットムーブメントは、便意を催すことによって自らの行動速度を飛躍的に上昇させる技。
しかし、その加速は身体に大きな負担を強いるために、使用時間に制限がかかってしまうのだ。
「――ッ!」
その瞬間、シーモネイターの刃とゾルグの拳がぶつかり合い、強大な破壊音が大気を揺るがす。
シーモネイターの刃は、ゾルグの手に掴み取られてしまっており、決定打にはなっていない。
そして、先ほどの暁の話の通り、シーモネイターの腰部から蒸気が噴き出し、その身体の振動が完全に停止してしまう。
それが、トイレットムーブメントの停止を意味していることは誰の目にも明白だった。
「どうやら時間切れのようだな。――これで終わりだ」
勝利を確信したゾルグは、不敵な笑みを浮かべると共にその拳をシーモネイターに向けて振るう。
「シーモネイター!」
暗黒の力を纏ったゾルグの拳がシーモネイターに炸裂し、その身体を消し飛ばす未来を幻視し、ホワイトルミナスが悲痛な声を上げる。
しかし、そんなホワイトルミナスの想像は現実にはならなかった。
「っ!?」
ホワイトルミナス、ガーネット、戦いを見守る一般市民達はもちろんの事、ゾルグもまたその事実を前に、これまでにないほどに目を見開いていた。
(馬鹿な、攻撃をいなされた?)
今まさにシーモネイターに命中せんとした拳が、その手によって軌道を変えられて空を切ったことに、ゾルグは驚愕を隠せなかった。
「バカな! こんなことがあるはずはない!」
自身の攻撃が無力化されたという事実に牙を噛みしめたゾルグは、即座にその力をシーモネイターに向けて叩きつける。
暗黒の力を宿し、その身体を引き裂かんとする爪の攻撃をものともせず、シーモネイターはその両手、あるいは身体そのものを流れる水のように動かしてゾルグの力を全て逸らしていく。
「なんだ、これは!? 先程までとは比べ物にならない精緻な動き! 俺の攻撃をいなし、無力化しているとでもいうのか!?」
力任せに攻撃を振るうも、その全てをシーモネイターにいなされるゾルグは、その場に立ったまま一歩も動くことのないその姿に戦慄を覚える。
シーモネイターの周囲はゾルグが力を振るう度にその暗黒の力によって消滅し、破壊されていく。
だというのに、シーモネイターだけはそこに佇んだままだった。
トイレットムーブメントを使っていた時は、スピードこそあったものの、その動きには荒々しさが感じられた。
しかし、今のシーモネイターはその逆。トイレットムーブメントが動ならば、まさに静の状態となり、緩やかな動きで、ゾルグの力そのものを受け流して無力化していた。
「ガアアアアッ!」
咆哮と共に、収束した暗黒の力を砲撃として放つが、その力すらもシーモネイターの手――その指先が触れただけで軌道を変えられ、上空の彼方へと消え去っていく。
「……馬鹿な」
「すごい」
あまりに信じがたい出来事に目を丸くするゾルグとは対照的に、ホワイトルミナスはシーモネイターの姿に目を奪われていた。
『見てください、シーモネイター様の表情を! 全ての感情が抜け落ちた様な、虚無の顔を!』
その時、通信越しに聞こえてくるのは、エリザベスと言葉を交わすシーモネイターの補佐――暁の喜色に彩られた声だった。
その言葉の通り、シーモネイターの表情を見たホワイトルミナスは、その無感情な顔を見て取る。
元々シーモネイターは、ホワイトルミナスやガーネットのように人の顔を持っておらず、ロボットのような顔をしてはいる。
だが、今のシーモネイターは普段感じられる人としての感情などが全て欠落してしまったように感じられた。
『それが関係あるのですか?』
顔が見えなくとも、クールな暁が興奮している表情を想像できるその声に、通信の向こうでエリザベスが疑問を口にする。
『シーモネイター様は悟りを開いたのです』
『悟り?』
得意気に言う暁の言葉に、エリザベスが抱く疑念と同じものを感じながら、ホワイトルミナスとガーネットは、その会話に耳を傾ける。
『トイレットムーヴメントが尽きた時。それは新たな能力が花開く時なのです。便意の果て、そこに至ったシーモネイター様は、無我の境地へと至り、万象を掌握するのです』
「それって……」
通信を介して聞こえてくる暁の畏敬の念が滲み出る説明に耳を傾けていたホワイトルミナスの口から、思わず率直な感想が零れそうになる。
『それ、漏らして賢者モードに入ったってことですよね?』
しかし、ホワイトルミナスが寸前で呑み込んだ言葉が、エリザベスの口から発せられる。
先にシーモネイターが使った「トイレットムーブメント」は、便意によって自らを加速させる技。
ならばそれが尽きた時が何を意味するのかは言うまでもない。
シーモネイターが普段トイレットムーブメントを使用しないのは、お漏らしをしてしまうというリスクを伴う諸刃の剣だからなのだと想像できた。
『――無我の境地に至ったシーモネイター様は、世界の事象を把握する。あらゆる攻撃を紙一重で回避し、その弱所を突いて無力化し、いなすことができるのです』
『無視しましたね』
「グオッ!?」
力強い暁の声にエリザベスが淡泊に応じる最中、シーモネイターと戦うゾルグは、自らの身体に打ち込まれた股間の刃の一撃に苦悶の声を上げる。
身体に刻まれた斬り傷――シーモネイターの股間に生えた剣の切っ先に付着した己の血を見て取ったゾルグは、焦燥に駆られながら暗黒の力を波動として放出する。
「くっ! こんな……こんなことが!」
まるで蛇のように束ねられた暗黒の力が無数の帯となってシーモネイターに襲い掛かるも、円を描くような両手の動きに導かれて、その軌道を変えられてしまう。
「チンコインパクト!」
「ガハッ!」
そこに打ち込まれる股間から伸びた棍棒の一撃に、ゾルグは血を吐いて悶絶する。
(攻撃の威力が変わったわけじゃねぇ。なのに、さっきまでよりも効いてやがる)
そこに追い打ちをかける追撃を回避したゾルグは、身体に残る攻撃の痛みに顔をしかめる。
「だが! こんなもんで俺を殺せると思うなよ!」
身体に奔る痛みを無視して吠えたゾルグは、暗黒の力を両手に収束させると、これまでとは比較にならない極大の球体を作り出す。
それは、シーモネイターの力を認め、ここで滅ぼしておくべき強敵と定めたが故のゾルグの攻撃だった。
「いや、これで終わりだ」
しかし、まるでその時を待っていたかのように、シーモネイターは全てを見透かしたような静かな声を発する。
「『金玉魂力』!」
その言葉と共にシーモネイターの股間の二つの玉からあふれ出した金色の光が刀身に注ぎ込まれて輝きを放つ。
「エクストリーム・チンコスラッシュ!」
瞬間、金色の斬撃が迸り、賢者モードに入ったシーモネイターの的確な斬撃が、暗黒の力ごとゾルグを袈裟懸けに斬り裂く。
「グアアアアッ!」
その身に刻まれた傷から血を噴き出したゾルグは、苦悶の色を帯びた咆哮を上げながらその場に倒れ込む。
ゾルグの身体が重厚な音を立てて地面に落ちるのを見て取ったシーモネイターがその身を翻すと、それを見ていた人々から歓声が上がる。
「ウオオオオオオオオオオッ」
シーモネイターの勝利に人々が発する熱気の混じった声が大気を震わせる。
圧倒的な力を見せつけたデスバース四天王。その一人を倒したという事実と勝利に、人々から惜しみない賞賛の嵐が送られていた。
「よかった……」
そんな中、未だダメージの抜けきらない身体を起こしたホワイトルミナスは、強敵との戦いを切り抜けたシーモネイターの姿に安堵の声を零す。
「っ、シーモネイター!」
しかしその瞬間、ホワイトルミナスの双眸に映ったのは、シーモネイターの背後でゆっくりと立ち上がる獅子の頭を持った存在だった。
「っ!」
ホワイトルミナスの鋭い声が発せられるのと、シーモネイターが異様な気配に気づいて振り向いたのはほぼ同時。
「ガアアッ!」
「ぐああッ!」
しかし、その瞬間にはすでにゾルグの拳はシーモネイターを捉えており、絶大な破壊力を持つ一撃が鋼の身体を砕いてまるで塵のように空中へと吹き飛ばしていた。
「シーモネイター!」
(優雅君!)
シーモネイターが銀の破片をまき散らしながら吹き飛ばされる姿に、ホワイトルミナスは――雪月はその表情を絶望の色に染めるのだった。




