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19 漠然




腕の痛みが感じない程度の麻酔は、ゆらゆらと現実と夢の境をさまよう心地いいものだった。


そんな曖昧な境界の世界で、自分は、草むらの中を裸足で歩いて誰かを待っているよう。どきどきと高鳴る胸の鼓動さえも心地よく、少なからず好感を持っている相手だろうということは、その高揚感で分かったが、同じぐらいの不安も胸に抱えていた。

逢えるのは嬉しいのだけど、相手に伝えたい言葉、これによって何もかもが大きく狂う。そんな迷いからの不安が大きかったのだ。

ざっと言う足音が聞こえ、待ちわびたこの瞬間、不安は拭いさられ頬を緩めた―――と思ったら、場面が草むらからうって変わる。

 あの後、私は待っていた人に何て言ったのだろう?相手の顔も反応も知ることが出来ず、穏やかな昼下がりから一転して、周りは火の海。ごうごうと燃え盛る炎の中に数人の人影が、死を目前に佇んでいる姿がある。



「僕が弱いばかりにお守りできなくて申し訳ありません…」


男女の傍で頭をたれる、幼さが残る可愛い顔の付き人が苦悶のもとかすれた声で絞り出した。


燃えているのは木造の建物のようで、その光景を見ているとなんだか切ないような、哀しいような、安堵するかのような、複雑な感情が入り混じって胸が締め付けられた。


(ああ、これは…いつも見る夢だ)


回りは完全に火の海で、彼らの助かる道はないだろう。一人は床に付して虫の息である男性、一人は幼くあどけなさが残る小学生低学年ぐらいの男の子。そして残る二人の男女は互いに抱き合い支えあっていた。

死を目前に佇んでいる姿がは痛いほどの悲壮感を打ち付けるというのに、彼らの途切れる運命を見続けなければいけないというのか。


今度は少し離れていたところで、息も絶え絶えの消沈しきった男が、


「振り向いて欲しかった…俺を見て欲しかっただけなんだ。それが、こんなことになっちまうなんて……すまない」


いつもなら自信に満ちた精悍な顔が、諦めも含めた後悔の色で染まっていた。


そして女性…自分を静かに抱き寄せる腕の持ち主は、


「何も言わなくていい。お前と一緒に死ねるなら本望だ」

死を間近に迫っているというのに、恐怖の欠片すら見せない、穏やかな微笑みに、私の心が少し軽くなった気がした。


燃える盛る炎、幾多の矢に奪われた命。

皆は「許せ」と言うけれど、本当に謝らなければならないのは私なの。


(もし私が私じゃなかったのなら、皆はこのような悲惨な結末を送るのではなく、もっと幸せな道を歩んでいたのかも知れない。そう、この瞬間も今生を諦めるのではなく――)


抱き込まれている彼の腕の中から視線を感じ、顔を上げると、幾重に取り囲う炎の向こう側、馬に乗って結末を見守る一対の瞳とかち合う。


「馬鹿な姫だ。こちらに付けば、こんな結末にはならなかったものの」


遠く離れていても聞こえてくる、機械的な冷たい声は馬上の彼だろう。

人を射て殺すほどの冷たい瞳に影が落ちる。こんな非道なことをしておいて、まるで私達が、いえ、私が道を踏み外したかのように哀れむなんて…彼もまた、悩んだ末の結末に悔いているのだろう…

やるせない憤りと哀しみが、彩っていたように見える…その顔も私の所為…


彼のいう通り、そちらについていれば何かが変わっていたのかもしれない……だけど、私たちの命はここまで…今更…遅いわね……

でも!――まだ、終止符を打つには早すぎるのよ!今生ではなしえなかった事柄は来世へ持ち越される。止めはいつか――!!


「―――っ!」


馬上の男は、炎に包まれようとした瞬間の彼女の瞳に息を呑む。


「姫……あなたは……」





「ごめんなさい…」


知らず知らず口に出していた言葉に、ゆっくりと客室に入ってきた人物が、雫のこぼした涙を指でふき取ると、手をとり自らの唇を当てる。


「違う。貴方の所為じゃない」

「…ごめん、なさい」


まどろむ雫には傍らの人物の言葉は耳に入らない。


「あの時は、皆が皆、自分のことしか頭になかった。いや、もう過去は忘れよう、雫、今を―――」


そう言って、そっと触れるだけのキスを唇に落とすと人物は部屋から出て行った。

暫くして眼を覚ました雫は、


「あれ、僕、泣いていたの?」


なんだか、とても悲しい夢を見たと感じてはいるが、まったく覚えていなかった。


「それに…」


誰かが傍にいてくれたような…暖かい気配だけを残す手の温もりに、再び意味もなく涙が溢れ出した。


「あれ?なんで?」


とても胸が苦しい、締め付けられる。とても大切な何かを奪われたかのように痛む胸を抱えて、残る麻酔に抵抗できず、今度は深い眠りに落ちた。





月曜日になり怪我は治っていないけど、僕はすっきりしない複雑な思いを抱えながらも登校した。


緑川さんの豪邸で目を冷めた後、養子のことを聞き、このまま家に留まらないかと言われ、突然のことで頭が付いてこなくて、兎に角自宅に帰ることにしたのだが、二日たった今も、頭と心の整理が付かない。

今までの生活が…といっても記憶がないから余り変わらないのだけど、一転するんだ。父のことを思うと、素直に「はいそうですか」とは言えない。

連日、父と緑川さんが話し合っていたのは、養子のことだったのだ、と今気づいた。


養子の事も早く返事をしなきゃいけないのだけど、すっきりして登校出来ないもう一つの原因は、通り魔である。

顔を見られる恐れがあるのに、執拗に僕を追いかけてきたことと、意味不明なこと言ってたことだ。

「復讐の一環」だの「籠に入れる」だの、「血が欲しい」だの。訳の分からないことばかり…他にも僕を「女の子」と…

記憶を失ってからの疑問は、膨れるばかりだ。


今日は、緑川さんの車で送ってもらった。これが毎日続くのなら、再び通り魔に襲われることはないのだろう。

通り魔のことがあるからこそ、急いで養子の件を進めようとしたのは分かるけど……漠然とだけど、僕の周りで何かが蠢いている気がするのだ。

このまま養子になって転校して、本当にいいのだろうか?何もかも捨てて、記憶と一緒に心機一転で新たな世界に行くべきなのだろうか?

そうすれば、煩わしいことは無くなるだろう。

眼鏡の奥で黒目がちの大きな瞳に翳りが落ちたとき、他者から「ごめんなさい」と大して悪いと思っていない声が僕の耳に届いた。


「え?」


僕に謝っていると気づいたときには遅く、体が宙に浮いていた。


何処に行くつもりだったのか、いつの間に僕は学校の階段を上っていたみたいだ。そして僕の謝った人は僕の脇すれすれに通り過ぎ、ぶつかったようだった。

謝ってくれるまで気づかないぐらいに軽くぶつかったにもかかわらず、注意散漫していた僕の体は、いとも感嘆に階段から放り出されていた。手すりに腕を伸ばすが、怪我をしたほうの腕では力が入らず、このままだと背中から床にたたきつけられて怪我する。

衝撃に備え咄嗟に眼をつぶったのだが、しかしながら痛みを伴う衝撃は一向に襲ってこない。それどころか、ふわっとした感覚が僕を包んだ。


「え!?」

「大丈夫ですか?」


下にいた人が僕を受け止めてくれたようだ。え?これってお姫様だっこという体勢じゃない!?凄い!!落ちてきた僕を受け止めるだけじゃなくて、お姫様抱っこ出来る余裕があるなんて、冷静かつ凄い腕力だ。って、感心している場合じゃない。


「あ、有難うございます」

「いいえ、お役に立てたのなら嬉しいです」


なんとも柔らかい物腰の物言い。

そういや、お礼は言ったものの相手を見ていなかったことに顔を上げると、驚くことに黒崎君が僕を抱きかかえていた。

彼は僕よりもほんの少し背が高いとはいえ、それ程変わらない体型をしているのに軽がるとお姫様抱っこしている。

今も尚抱っこされていることに恥ずかしさがこみ上げ、バタバタと手足を動かす。


「暴れなくても、すぐ下ろします」


口で言えばいいものをどう思ったのか黒崎は苦笑していた。


「うう~」


幼稚なことをしてしまって、顔を合わせにくくて、階段の上を見上げると、ぶつかってきた相手が見下ろしていた。眼があうと、その人は立ち去ってしまったが、あの人は飯田さん…。


もしかして…という考えが浮かんだけど、確証もなしに疑うのは悪いから頭を振って考えを追い出す。


「どうしたのですか?頭でも打ちました?」

「ううん、助かったよ、有難う。ところで真君はどうしてここに?」

「僕は劇の準備に必要なものがあって、大学棟に行くところでした」


いや、そういう意味じゃないけど、ええと、そういう意味でもあるのか、な?タイミングよく真下にいたから何かあるのかと思ったのだけど、偶然だったんだ。

ん?だけど、大学?


「いつの間にか高校と大学の境目まで僕歩いていたんだ」


大学と高校の敷地は区切られているが、唯一この通りだけが、繋がっている。階段を上ると渡り廊下があり、そこから大学に入れるのだ。その途中に中庭に降りられる階段もあるそうだが、記憶を失ってからの僕は行ったことがない。


「先輩も大学に用事ですか?」

「違うよ。考え事をしていて…ところで、真君、華奢に見えるけど体とか鍛えているの?」


結構な高さから落ちてきた人の体を受け止めるなんて、そうそう出来るものではない。下手をすれば巻き添えで大怪我をする。それをお姫様抱っこの形で受け止めたなんて、僕にとっては神業だ。


「腕の力はあると思いますよ。昔弓道をやっていましたから」

「今はやっていないの?」

「そうですね。塾がありますから時間がなくて」


と真君は言っていたけど、僕の体重を軽々と支えていたのだから、体は鍛えているのだろう。

年下の子に負けているなんて、う~ん、僕も鍛えたほうがいいのかな。

言葉に出していなかったのだけど、自分の腕を見ていて察したのだろう真君が。


「先輩はそのままでいいと思いますよ。無理して筋力をつけなくてもその内必要になれば付くはずだし――」


「付くはずだし――」のその後に何かを付け足しそうな言葉尻だったが、彼は言葉を呑んでしまう。引っ込めた言葉は『役割というものがありますからね』だったのだが、黒崎はニッコリと微笑んでうやむやにしてしまう。


「う…っ」


うわ~真君って可愛い!可愛いだけじゃなくて、どこか気品もあるんだよな~。女の子が放っておかないだろうな。こんな子がコンテストに出ればいいのに。確実に優勝を狙えそう。


「先輩」


整った可愛い顔に見惚れていたのを分かっていたかのようにクスリと微笑まれ、僕は頬をほんのりと赤く染める。

更に煽るように、僕の耳元に来て。


「学年は分けあって一年下ですが、僕は先輩と同じ年ですよ」

「え?」

「その理由を見つけてください。みつけられたのなら―――」


真君が同じ年?この顔で??


「とてもいいことをお教えします。隠された本当の真実を見つけられたのなら、おのずと全ての謎が解き明かされるでしょう」

「え?何…?何を言って…」

「だから、緑川家に養子にいっても、学園には残っていてくださいね」


再びニッコリと微笑んで真君は迎えに来た友達と、いや、もしかしたら彼女かな?とても可愛い子と一緒に帰っていった。


その場に深い意味深な言葉を残して―――


一体あの言葉はどういう意味なんだろう?


真君の学年が一つ下の理由と、全ての謎が繋がっているみたいなことを言っていたような気がするんだけど…解釈が違うのかな?


謎めいた言動を残した真君が、立ち去った方向を見つめながら、僕は暫くその場から動けなかった。




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