第七話:小さな宿とプチ料理
山の朝はどうも早いようで、俺は小鳥のさえずりと、岩肌を伝う温泉の心地良い水音から持参した寝袋の中目を覚ます。
夜パチパチと音を立てていた焚き火はすっかり消え、燃え灰からは薄く煙が立ち上っている。
隣を見れば、シーカがまだ眠そうに目をこすりながうぅん、と寝返りを打っており、そのさらに隣ではペネロが丸くなって気持ち良さそうに爆睡していた。
やはりなんと言うか、人狼というよりは、完全に家犬の寝相だ。
「ん……ふぁ……っ……お、おはようございます、リョウさん」
「おはよう、シーカ。よく眠れたか?」
「は、はいっ、少し地面は硬かったですけど、獣よけの結界もペネロさんもいたので、すごく安心でした……あ、お顔……洗いに行きますか……」
シーカは眠そうな目をこすりつつリュックからタオルを取り出し、俺も後に続くように温泉の麓にある湯だまりへと向かった。
ここのお湯は源泉そのままだと熱いが、麓の湯だまりまで流れ落ちる頃には、肌に心地良いぬるま湯になっている。
ざぶざぶと顔を洗うと、温泉の成分のせいか、肌が突っ張るどころか、高級化粧水を使ったかのように驚くほどしっとりとした。
贅沢な目覚めのルーティンである。
俺たちが気持ちよく顔を洗っていると、背後からタタタッ! と大変元気の良い激しい足音が近づいてきた。
「あーっ! オンセン入ってる!! ボクも水浴びするーーっ!」
「ん? あ、ペネロ起きたか。水浴びじゃなくて顔を洗ってるだけ━━━」
タオルで顔を拭きながら振り返ろうとした一瞬、ペネロは俺の顔の横を信じられないスピードで駆け抜けて行く。
そしてその姿を視認するよりも前に、バッシャァァァン!! と、盛大な音と共に水飛沫が俺たちの視界を遮った。
「うわっ!? な、なんだ!?」
「ひ、ひゃああっ!?」
突然の爆音と激しい水飛沫に、俺とシーカは何が起こったのか分からず、ただただ目をパチクリさせるしかなかった。
やがて、水煙と湯気の向こうから、気持ちよさそうに水を浴びるペネロの姿がぼんやりと見えてくる。
白くなめらかで健康的な背中に、ピンと立った耳、くるりと丸まった柔らかそうなしっぽ。
そして、俺たちの足元に落ちた抜け殻のような衣服
「……はっ!?」
俺よりも数秒早く状況を理解したシーカが、驚愕したように目を大きく見開きながら一瞬で顔を真っ赤に染めた。
「リ、リョウさん! ダダダメです!!う、後ろっ!後ろを向いてください………っ!!」
「うおおおおおっ! !す、すまんっ!」
シーカに両肩をガシッと掴まれ、力づくで回れ右をさせられる。
小柄な彼女のどこにそんな力があるんだと思うほどの腕力だった。
そんな事はつゆ知らず、背後からペネロの無邪気な声が届く。
「ぷはっ!ぅん〜〜……っ!!気持ちいぃーーー! ん? あれー?ねぇねぇ、シーカどうしたの? お顔真っ赤だよ?」
「ど、どど、どうしたのじゃありません……っ! ペネロさん、女の子なんですから、男の人の前でいきなりお洋服を脱いじゃダメです……っ!!」
シーカは焦りまくりの様子であわあわと声をあげ、ペネロの元へ急いだのであろうか、バシャバシャとお湯溜まりの中へ突撃して行く音が聞こえる。
「えー? だって、みんなで朝のオンセン入るんでしょ?シーカたちは服着たまま水浴びするのー?」
「そ、そもそも水浴びじゃないです……っ!あっ……こ、ここでぶるぶるしないでください……っ! み、水が飛びますから! とにかくこれでお体を隠して、早くお洋服を着直してくださいっ!!」
シーカの焦り声と、犬が濡れた体を振るって水を飛ばす時のようなぶるぶるという激しい振動音と水飛沫の音が響く。
背後で行われているであろう慌ただしい奮闘に、俺はただただ、朝の青空を見上げて心を無にしたまま遠くを見つめることしかできなかった。
……そしてなんやかんやで数分後。
朝だと言うのに疲れ切った表情で、まだ耳まで赤いシーカに連れられ、きょとんと目を丸くした表情のペネロが焚き火を起こしながら何食わぬ顔を装う俺の元へ来ると、囲むように3人で輪になって腰を下ろした。
その後、シーカが淹れてくれた温かい月光草のお茶を啜ると、張り詰めていた空気がようやく少しだけ和らぐ。
「……コホン……え、えっと、気を取り直して、今日からの本格的な計画について話し合いましょうか、リョウさん……」
「あ、ああ、そうだな……えっと、なぁペネロ、お前この山には何度も遊びに来てるって言ってたよな?」
お茶の温かさに息を吐きながら、俺は気になっていたことを質問してみた。
「ん?うん! ここはボクの秘密の遊び場だからね!」
「実は、ここで宿を建てるにあたって、少し聞いておきたいんだ。この山で、俺やシーカ以外の人間や、魔族に会ったことってあるか?」
ペネロはお茶の入ったコップを見つめながら、俺の問いにうーんと首を傾げた。
「えっとねぇ、ボクの仲間の事なら、たまーに狩人さんとか、木こりのおじさんたちが来てるのは知ってるよー。でも、ここみたいに奥の方には来ないかなぁ。だって、みんな山の中は不気味だし危ないから嫌だって言うんだもん」
「なるほど、やっぱり魔族側でもこの山は目的無しに滅多に来るようなとこじゃないって感覚なんだな」
魔族と人間のお互いの感覚があまり相違ないものであることを確認しつつ、人間についてはどうだ?と改めて問いかける。
「人間? 人間はねぇ、そーいえばあんまり見たことないかも。たまーに、なんか強そうな武器を持った人たちがこっそり歩いてるのを見かけるけど、ボクがちょっと草むらから近づくだけでみんなサッと逃げていっちゃうんだよねー、遊びたいとなーって思っただけなのにさー」
むぅ、と不満げに頬を膨らませるペネロを見て、俺とシーカは顔を見合わせた。
話を聞く限りどうやら人間側の冒険者たちは、人狼であるペネロの人間離れした気配を「凶悪な魔獣」と勘違いしていたらしい。
俺と違い、取り乱さずに俊敏な撤退行動を取ることができるのは、戦闘訓練をした冒険者だからこそ成せる技だろう。
そう考えるとある意味、ペネロが山の秘湯を守る防波堤になっていたわけだ。
「なるほど……村に立ち寄った冒険者さん達がこの山には危険な魔獣がいる、と言っていたのはペネロさんのことだったんですね……」
お互い納得したように顔を合わせると、俺に対してシーカが言葉を続ける。
「リ、リョウさん、ちなみになんですが、補足すると人間側でこの山に入るのは、わたしのような珍しい植物や鉱物を探す研究者か、その護衛の冒険者くらいなので、一般の人はまず近寄らない……はず、です」
「じゃあ、人間側にとっても魔族側にとっても、この温泉地は完全に盲点ってわけか。でも裏を返せば安全性さえクリアにできれば、どちらの領地からもお客さんを呼び込める見込みはある、かな」
根付いた偏見や価値観を変えよう、なんて大それた事ができるとまでは言えないが、温泉はその特性上無防備な状態で互いの距離が近くなる。
安全性に気をつけるのはもちろんなのだが、リラックス状態の付随に伴ってもしお互いに警戒心を薄めることができるのなら、顧客の問題についても解決の糸口になるのではないだろうか。
俺の頭の中で温泉宿計画方針がより具体的かつ鮮明なものと成っていき、それらは期待や高揚感となって脳をめぐる。
「ありがとう、知りたい情報はバッチリだ。よし…!それじゃあ……今日はいよいよメインとなる宿の『母屋』を建築してみようと思う……!」
宿の第一歩となる計画について宣言すると、2人はおおお、と興味津々と言った表情と反応で俺の顔を見つめる。
今回建築するのは、温泉宿の「顔」となるメインの建物だ。
想像としては、平屋の一軒家スタイルで、正面には立派な玄関を構え、扉を開けた先には広々とした受付とロビー、その奥に男湯と女湯へ分かれる入り口がついている構造だ。
浴槽の形など、銭湯の種類やレイアウトについては後日じっくり作るとして、まずはその土台となる建物を一気に形にする。
「ペネロ、昨日運んでもらった太い丸太を、あの岩壁の前に並べてくれるか?」
「いいよーっ!まかせてっ!」
朝の一服を終えた俺たちは早速作業に取り掛かった。
ペネロが凄まじい怪力で、様々な形の丸太をひょいひょいと指定の位置へ並べていき、そのスピードに合わせるように俺は『材料加工』のスキルを駆使する。
「『切り取り』……と、『接合』……!」
丸太の表面を必要な形に切り抜き、柱と梁を接合で噛み合わせる。
釘の一本も使わない、俗に言う木組みの技法だが、俺のスキルにより分子レベルで木と木を結合させているため、どんな地震が来てもびくともしない強度を誇っている。
「す、すごいですリョウさん! 柱が、一瞬で組み上がっていきます……!」
シーカが設計図のノートを片手に、建築の水平を魔法の光で測定しながら、驚嘆の声を上げる。
俺が壁となる板を切り出し、ペネロがそれを支え、俺が『接合』で固定する。
本来なら何ヶ月もかかるであろう建築が、俺たちの連携によって、驚くべきスピードで立体になっていく。
趣のある木造の玄関に設置された引き戸を開けると、中には受付カウンターとロビー、研磨された木目調の広い床。
そして、その奥には「男湯」「女湯」と書かれた頑丈な仕切りの壁。
「……ふぅ! よし、外枠とロビーの骨組みは、これで完成だな!」
作業開始から5〜6時間が経過したお昼過ぎ、温泉地の中心には立派な宿が堂々とその姿を現していた。
まだ内装や浴槽はこれからだが、立派な玄関の備わったその佇まいは、どこからどう見ても立派な温泉宿、その第一歩と言えるだろう。
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「うあーー! 動いたらお腹空いた! リョウー、お昼ごはんはー!?」
ペネロがくたくたになった様子で、ロビーの真新しい床にごろりと仰向けで寝転がる。
シーカも、魔法による補助と建築物の測定で頭を使ったためか、柱に背中を預けてふぅ、と小さく息を吐いていた。
「よし、それじゃあお待ちかねの昼飯にしよう。2人は休んでいてくれ」
俺はリュックから、村で仕入れてきた大きめの鍋と、簡単な調理器具、そして食材を取り出す。
午前の休憩時間に近くの川で獲っておいた淡水魚の塩焼きと、道中でシーカが見つけてくれた山菜と持ってきた干し肉をベースにした豚汁風スープ、そして村から持ってきた麦飯を使ったおにぎり。まあラインナップはこんなところだろう。
パチパチと燃える焚き火の上で食べやすい大きさにカットした山菜と干し肉を投入した塩味ベースのスープを煮込みながら、内臓を抜いて表面に軽く塩を振った川魚を串に刺して焼き、その隣で麦飯を炊く。
仕込みさえすればあとは同時に調理できるから、手早く作るにはピッタリだろう。
小一時間ほどするとやがて美味しそうな湯気と、パチパチと音を立てて川魚の焼ける香ばしい匂いが立ち上る。
「いい匂ーい……まだかなまだかなーー!」
いつのまにか匂いに釣られてくんくんと鼻を鳴らしながらペネロが俺の周りをぐるぐると回り始めていた。
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「よし!お待たせ、2人とも。簡単なものだが味は保証するぞ」
俺は切り取りで作った木のお盆と皿に料理を乗せて2人に配膳する。
「わああ!!!すごいすごいっ!いい匂い〜っ!おいしそぉっ!」
「ほ、本当にすごいです……リョウさん……っ!3人分の食事をこんな短時間で……!しかもとっても美味しそう……!」
舌を出しながらキラキラと目を輝かせるペネロと、感嘆の表情で料理と俺を交互に見つめるシーカに若干のむず痒さを感じながらも、俺たちは手を合わせて食事を始めた。
食事の合図も後に、ペネロは焼きたての魚を構わず頬張り、スープをズズズッと啜ると、握り飯にかぶりつく。見事な3点食べである。
「んんん〜〜〜……!!おいひっ……!!おいしぃ〜っ!!!全部ぺろっと食べれちゃうよー!!!」
はち切れんばかりに尻尾を振りながら豪快に食べ物を口に運ぶその姿は、さながら漫画やゲームの大食いシーンを見ているかのようで、ここまでいい食いっぷりとリアクションを貰えるのは作り手冥利に尽きるというものだ。
ペネロの隣でシーカもフーフーと丁寧に冷ましながら、スープを口に運んだ。
瞬間、彼女の瞳が小さいながらもふわりと見開かれる。
「……リョウさん、このスープ、味付けはシンプルなのに、なんだか、驚くほど体に染み渡るというか、すごく美味しく感じます……」
「おおそうか!実は、わざと塩分を強めにしてあるんだが、口にあったならよかったよ」
俺はスープを持ちながら、知識として知っていた栄養学の豆知識を2人に語り始めた。
「人間も魔族も、これだけ汗をかいて激しく動いた後は、体の中から塩分やミネラルが水分と一緒にたくさん抜けるんだ。ただの水を飲むだけじゃ、体のバランスが崩れて逆に疲労が抜けなくなる。だから、汗をかいた後の食事は、しっかり塩分とミネラルを補給してやることが一番大事……ってことだな」
「水分だけじゃなくて、お塩も……」
シーカはスープを飲む手を一瞬とめ、じっと器の中を見つめると、ぱっと目を輝かせて俺を見つめる。
「わたし、薬学の観点から疲労回復のための薬草なんかについては勉強していましたが……毎日の食事の栄養が、これほど直接的に体のコンディションに関係しているなんて、考えたこともありませんでした。ただお腹を満たすだけじゃなくて、失われた成分を補うための食事……すごいです、やっぱりリョウさんは、お医者様のような知識も持っているのですね」
「いやいや、ただの豆知識だよ。ほら、ペネロなんて本能で分かってるみたいだしな」
隣を見れば、おいしい!おいしい!と繰り返しながら、もの凄い勢いで鍋をおかわりしていた。
塩分が体に染み渡る感覚が心地良いのだろう。
一から自分たちで作った真新しい宿のロビーに腰掛け、温かい料理を囲みながら、俺たちはしばらくの間緩やかな空気の中で談笑を続けていた。
ご覧いただきありがとうございました。
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加藤カト




