第五話:共同経営者
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日が俺の瞼を叩く。
普段なら今日も村の家具の修理かな。と、重い体を起こすところだが、今朝は違った。
昨夜から続く小さくも湧き上がる期待感に胸を躍らせたままベッドから抜け出し、簡単な朝食を胃に流し込む。
俺の胸の中に、まだあの足湯の温もりと湧き上がる高揚感が燻っているのがわかる。
「よし、行くか」
荷物を纏め小屋を出た俺は、昨日の今日だが早速あの山へと向かうため、村長にしばらく留守にする旨の挨拶をすると、村の入口へと足を向ける。
とりあえず敷地の細かい測量でもしようか、どこから手をつけようか、などと、俺はまるで新しいゲームで遊ぶ子供のように湧き出る思考が頭の中を巡る。
だが、村の入口、馬車溜まりの近くまでやってきた俺は、その場に釘付けになった。
「……シーカ?」
思わず声が漏れる。
そこには、朝露に濡れる草木の中にぽつんと佇む、見慣れた少女の姿があった。
いつもなら小さな肩掛けポーチ一つで行動している彼女が、今日はどう見ても自分の体より一回り、いや二回りは大きい頑丈な布製のリュックを背負っている。
その重さに耐えるように、彼女は細い足を少し踏ん張らせて、小刻みに震えていた。
「あ………っ……リ、リョウさん……! お、おはようございます……っ!」
俺に気づいたシーカが、弾かれたようにパッと顔を上げる。
朝の冷気からか、彼女の色白の肌には薄く紅潮した頬が目立っていた。
「おはよう……って、なんだその大荷物は。これから引っ越しでもするのか?」
「い、いえっ! 引っ越しというか、その……! もし、今日もリョウさんが、あの……昨日の場所に行かれるのでしたら、わたし、わたしも連れて行って欲しくて……それで……っ!」
一生懸命に言葉を紡ぐ彼女の背後で、重そうなリュックからカラン、と魔術の道具らしき金属音が響く。
「昨日の夜、家に戻ってから、どうしてもあの温泉のことが忘れられなくて……あの成分は絶対に研究価値がありますし、でも、何より、その……リョウさんの作ってくれた足湯は、それ以上に素晴らしかったです……!だから、わたしもいつも村の皆さんのために進んで依頼を引き受けるリョウさんのように、誰かの役に立ちたい、その、お手伝いがしたい……って……思っ……て……」
語るうちにまた恥ずかしくなってきたのか、はたまた荷物の重さに負けてきたのか、シーカの声はみるみる小さくなっていき、最後はうぅ……と、言葉は小さな呻きとなっていた。
……仲間が欲しい。とは確かに昨夜思ったばかりだ。
だがまさか昨日は俺のせいで遭難しかけたというのに、
あの内気なシーカが自ら声をかけてくれた。
俺の作った足湯を素晴らしいものだと、俺のように誰かの役に立ちたいと言ってくれた。
この感情が嬉しさや照れ臭さなのかは分からない。
だが、昨夜の不安が徐々に晴れていくのを感じながら、俺は自然と笑みを浮かべていた。
「ああ、助かるよ!頼もしい共同経営者だ。よし!それじゃあその大荷物、馬車に積んじゃおう」
「は、はい………っ………!……ぱ、ぱーとなー……っ!? 」
シーカは顔をさらに真っ赤にしてフリーズしたが、俺がリュックをひょいと持ち上げると、「あっ……ありがとうございます……」とまた小さく縮こまった。
……それにしても、女の子に持たせるにはあまりに重い。
彼女の覚悟の重さが、まるでそのリュックに詰まっているかのような気がして、なんだかとても嬉しくなった。
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馬車に揺られること二時間弱。
とりあえず御者には昨日と同じ場所で待っていてもらうよう伝え、俺たちは再び山へと足を踏み入れた。
「……リョウさん、今更ですが、本当にあの場所まで戻れるでしょうか。昨日はペネロさんに案内してもらいましたけど、この山は本当に迷いやすい構造をしていますし……」
生い茂る木々を見上げ、シーカが少し不安そうに周囲を警戒する。
「ああ、そのことなら心配ないよ。実は昨日、ペネロの後ろを歩きながら、こっそり仕込みをしておいたんだ」
「仕込み……ですか?」
不思議そうに首を傾げるシーカに、俺は山道の脇に生えている一本の太い木を指差した。
その木の幹、大人の目線の高さほどの位置に、綺麗に丸く削り取られた『直径10センチほどの白い跡』がついている。
「これ、は…… 綺麗に樹皮が削り取られているようですが……」
「俺のスキル『材料加工』だよ。型抜きをするみたいに、歩きながら触れた木の皮をほんの少しだけ丸く切り取っておいたんだ。これなら、ただの傷と違って時間が経っても消えることなく目立つ印になるからね」
「なるほど……刃物も使わずに、歩きながらノーモーションでそんな目印を……本当にリョウさんのスキルは便利なんですね……!」
シーカは感心したようにその白い丸を指先でなぞっている。
昨日は遭難しかけて生きた心地がしなかったからな。ペネロが道案内をしてくれている間、俺は必死の思いで数十メートルおきにこの『白い道標』を木々に刻み込んでいたのだ。
「まあ、そんなわけで、この印を辿っていけばあの温泉地まで迷わず行けるはずだ。行こう」
シーカから向けられる関心に若干の照れ臭さを感じながら、俺たちは木々の間に点々と続く白い丸を目印に、迷うことなく確実な足取りで山の奥へと進んでいった。
見覚えのある茂みを抜けると、そこには昨日と変わらない幻想的な空間が広がっていた。
湯気の立ちこむ開放的な草原に、周りを岩壁、そして岩肌を伝ってきらきらと輝きながら流れ落ちる温泉。
「わあ……明るい時間に見ると、本当に綺麗ですね……」
その光景にシーカが感嘆の声を漏らす。
俺たちは作戦会議のため昨日作った足湯の前に荷物を下ろした。
足湯には絶え間なく温泉が注がれており、オーバーフローのようにお湯の入れ替えが行われていることから、衛生の観点は良好だろう。
また、足湯の縁を撫でてみると、研磨された効果がばっちり残っており、滑らかさを保っていた。
足湯の状態を確認した俺は改めてシーカに全体の計画について話す。
「よし、シーカ、俺たちはこれからここに温泉宿を建てたいと思っている。なのでそのための具体的な計画を立てよう。俺のスキルは素材を加工したり繋げたりできるけど、全体の設計図がないと始まらない」
「は、はい……!それでしたらわたし、昨日の夜にこの場所に宿を建てる上で起こり得る問題点を少し考えてきたんです……っ」
シーカはいそいそとリュックの中から、何冊かの分厚い本と地図、筆記用具を取り出した。
「まず、ここは国境の山奥です。人間領からも魔族領からも隠れた場所なので、人や魔族はあまり来ないと思いますが、逆に言えば野生の獣の危険が高い、と思います。ですから、建物を建てる前にまずはこの空間全体の防壁、あるいは結界を張るための基盤を作るべきではないでしょうか……?」
シーカの取り出した地図にはこの場所の簡単な地形が記されており、入り口である茂みに赤く丸を描いた。
「確かに、ここは深い山の中だし、猛獣や獰猛な獣がいてもおかしくはない。対策は必須だな」
「情けない話ですがわたしは攻撃や撃退のような魔法は上手く扱えません……ですが簡易な獣除けの触媒なら作ることはできます……!なのでリョウさんはそれを埋め込むための石柱を四本ほど、この入り口付近に作っていただけないでしょうか? リョウさんの『材料加工』なら、頑丈な石を綺麗に切り出せるかと……!」
「なるほど、分かった。防衛線の構築だな」
俺はノートに「1. 結界用の石柱作成」と書き込む。
「そして次に、この宿のお客さんとは、一体誰になるのか。です」
シーカからの問題提起に俺は納得する。
俺の感覚だと、温泉宿は「そこにあるもの」として旅行客がやってくるものだが、ここは国境の未開の山奥だ。研究目的の人間やペネロのような考えの魔族はいるかもしれないが、そもそもこの場所へと繋がる道がない。
いくら最高の温泉があり、宿があっても、辿り着くことのできない場所では、お客さんどころかこの宿を周知してくれる人もいないだろう。と言うのは俺も考えていた。
趣味で始めてみた、とは言えそれは流石に悲しい。
「この場所は人間領側の麓からだと、まともな道がありません。岩場も多くて危険ですし、なにより昨日のわたしたちのように遭難するリスクが高いです……それだけでなく魔族領との国境近くであることから多くの人は躊躇いを感じてしまうかもしれません……」
シーカの指摘は的確だ。
二つの種族の間には刷り込まれた偏見のようなものがあり、お互いを危険だと思う感覚が強い。
かく言う俺も、ペネロと出会うまではそう思っていたし、なんならペネロが例外なんだろうかと疑ってしまったりも正直ある。
魔族と会ったことのない人間なら尚更、いくらこの場所がどちらにも属さないような場所だったとしても、自ら近くへ寄るようなことはしたくないだろう。
俺はノートに「2. 安心性の確保のためのインフラ整備」と記入する。
「となるとこの問題については、道の整備と安全性の確保かな。まずは人間領側の麓からここまでの隠れ道を整備することを最初の目標にしよう。幸い、俺のスキル『材料加工』の『切り取り』と『研磨』を使えば邪魔な岩を削って階段にしたり、歩きやすい石畳の道を即席で作ることができる」
「あ……で、でしたら……!わたしが植物の魔法を使って、道の周囲に目隠しとなる茂みを作ります! 外からはただの獣道に見えるけれど、一歩踏み込めば安全で歩きやすい秘密の街道……というのはどうでしょうか?」
「最高だな! まるで隠れ宿へ続く秘密の通路だ」
ただの一般成人男性だった俺の発想に、魔法使いである彼女の知恵が加わることで、机上の空論だった温泉宿計画が、みるみる現実味を帯びていく。
集客のためのアプローチ道路の確保。これが、俺たちの温泉宿開拓の、本当の第一歩になりそうだ。
「リョウさんのスキルがあれば、大工さんが何ヶ月もかける作業が、一瞬で終わってしまいますね……。本当に凄いです」
シーカが尊敬の眼差しを向けてくる。昨日までは有って無いような能力だと思っていたスキルが、彼女の知識と合わさることで、まるで最強の建築チート能力のように思えてくるから不思議だ。
「よし、計画は決まった。今日の目標は二つ。まずは入り口に結界用の石柱を四本作ること。そして、宿の土台にするための太い木材を、森からいくつか切り出してくることだ。……シーカ、改めてよろしく頼むな」
俺が右手を差し出すと、シーカは一瞬目を丸くしたあと、嬉しそうに、今度はしっかりとした力でその手を握り返してくれた。
「はい……!よろしくお願いします、リョウさん……っ!」
木漏れ日が降り注ぐ無人の秘湯に、俺たちの温泉宿開拓の、本当の第一歩となる音が響き始めようとしていた。
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加藤カト




