69.すぐに馴染めそうでなによりだわ
天井が低い狭い飲食店の一角。
換気が悪い店内は調理と煙草の煙が立ち込め、床は油でベタベタだった。
だが、客たちはそんなことはまったく気にしてない。
怒鳴り散らすようなガウロン語の会話が飛び交っている。
ここは迷宮アパートにある名前のない飲食店で、〈ラウ書店〉が昔からいきつけにしている店だった。デシーカはこの誰もが生きることにギラギラしている空気が、どんな高級店の洗練された空気よりも好きだった。
丸テーブルには注文したいくつかの料理と、生温い瓶ビールが運ばれてきている。
ビール瓶を手にして、ロレッタが言った。
「イオちゃん、ビール飲む?」
「ダメダメ、あたし苦手なんだー」
「でもこの店、あとは生温いコーラしかないわよ?」
「なんで全部生温いの?」
イオが渋々といった様子でコーラを注文する。
「……イオさん、イェン小姐のお酒が飲めないなんて頭おかしいんですか?」
半眼になったオードリーが、掠れた声で言った。
「息するくらい自然に悪口言うじゃん」
同じように半眼になって、イオは言い返した。
「えー、じゃあオードリーさんはロレッタさんに言われたらなんでも飲めるわけ?」
「……もちろんですよ。たとえビールに見せかけたおしっこでも」
「黙りなさい、オードリー。ビール瓶でぶん殴るわよ」
小さなテーブル席には、四人がぎゅうぎゅうになって座っていた。
デシーカは笑いを噛み殺した。カタギになった自分が妹と暮らす家に、友人が遊びにくる。そんな妄想はもう二度と現実にはならないが、案外といまは似たようなものなのかも知れない。
「お姉ちゃん、これなんの肉?」
隣に座るイオが多少の困惑を浮かべつつ、串焼きを手にしている。
「食べても死なない肉だ」
丸テーブルにはなんの肉なのか定かではない串焼きや、なんの野菜か定かではない炒めものや、卵以外はなにが入っているのか定かではないスープなどが大皿で並べられていた。
「……大丈夫ですよ、イオさん。意外といけます」
そう言って躊躇なく料理を口にするオードリーに、イオが懐疑的な視線を向けている。
「ホントかなー?」
「迷宮アパートは怪しい店しかないが、味は確かだぞ」
デシーカは慣れた手つきで謎の炒めものを自分の皿に取りわけた。
「お姉ちゃんってこんなものばっかり食べてたわけ?」
「ツケが効くからな。ロレッタも私も、昔は本当に金がなくてよくきたものだ」
「そういう、あたしが知らない思い出みたいなの腹立つなー」
イオはわざとらしく唇を尖らせて、ロレッタを睨んだ。
「あら、ごめんなさい。わたしとデシーカはずっと一緒にやってきた、戦友みたいなものだから。イオちゃんが知らない思い出がたくさんあるの」
「勝ち誇るなよー。あたし、ロレッタさんがカタギになろうとしていたお姉ちゃんに、戻ってくるように言ったことは許してないから。悪い女だ」
「ええ、わたしは悪い女なのよ」
「ぐぬぬ……正妻の余裕みたいなの出すなし」
べーっと舌を出して、イオがこれみよがしにデシーカの腕にしがみつく。
その様子を眺めながら、ロレッタはビールの入ったグラスを掲げた。
「イオちゃんがすぐに馴染めそうでなによりだわ」
それに合わせるようにして、デシーカも、オードリーも、グラスを掲げる。
「あたしの歓迎会なんだから、もっとオシャレな店がよかったよー」
イオも遅れてコーラを注いだグラスを掲げた。
その言葉のとおり、この場はちょっとした歓迎会のようなものだった。
デシーカがルールーと話をつけ、晴れて〈ラウ書店〉はロレッタを新しい店長として存続することになった。だが、まったく人手不足だった。
そこでイオを正式な店員にすることにしたのだ。
デシーカは反対しなかった。妹とこちら側の世界で一緒にいることに決めた。




