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67.落とし前をつけてもらうぞ

 どこまでも続くかのような、コンクリートの堤防。


 真っ青な空から強い日差しが照りつけるなか、デシーカは海を眺めてのろのろと歩いた。


 サングラスに派手な半袖シャツ、ショートパンツにビーチサンダル。


 釣竿を手にクーラーボックスを肩から提げた格好は、地元の人間にしか見えない。


 目の前に広がる海は、まるで磨きあげられたエメラルドのようだった。


 沖に近づくにつれて深い藍色へとその表情を変え、空との境界線を曖昧に溶かしている。


 頬をなでる風は相変わらず生温く、ここでは磯の香りがした。


「総経理代行の仕事は余程暇なのか?」

「まさか。たまには息抜きも必要なのですわ」


 目的の人物は堤防の先端でクーラーボックスを椅子がわりにして釣り糸を垂れており、デシーカの言葉に振り返ることもなくそう答えた。


 麦わら帽子を被ったルールー・ウォンはノースリーブの白いワンピース姿で、田舎に引っ越してきた都会のお嬢様にしか見えなかった。白い肌に両腕の竜鱗がひどく目立っている。


「護衛もつけずに?」

「ふふ……わたくしはラウ師父(スーフー)の薫陶を受けた殺し屋ですの。そんなもの本当は必要ありません。取り巻き連中が点数稼ぎにつけているだけですわ」


 ルールーは海面に浮かぶウキから目を離さず続けた。


「よくここがおわかりになりましたわね」

「お前とのつき合いもそれなりに長いからな」


 デシーカはクーラーボックスをルールーの隣に並べると、同じように椅子がわりにした。


「ウォン大人(ダーレン)の秘密の釣りスポットで、一緒に釣りをしたことだってあっただろう?」


 いまにして思えば――レガード・ウォンは盟友であるシリング・ラウの元にいた、孫娘と年齢が近いデシーカとロレッタのことを重宝していた。子どものころはよく遊び相手に駆り出されたものだった。


「それで、どういった要件ですの、デシーカさん。昔話でもするおつもり?」

「落とし前をつけてもらうぞ、ルールー」


 デシーカはいままでと同じ調子で、世間話でもするかのようにして言った。


「今回の件では、ずいぶんと得をしたようだからな」

「あら? あらあらあら?」


 ルールーはわざとらしい声をあげて、ようやくデシーカを見た。


 柔和な笑顔だが、そこからはなんの感情も読み取れない。


「まるで、わたくしが悪の親玉のような口振りですの」

「実際、黒社会の親玉だろう。だが、私が言っているのはそういうことじゃない」

「わかっておりますわ。イオさんのことでしょう」


 まったく悪びれた様子もないことに、デシーカは感心すらした。


 子どものころからよく知っていて〈ラウ書店〉で一緒に兵隊をしていた彼女と、総経理代行になったいま

の彼女は、本当に別人のようだった。


「けれど、勘違いしないでくださいます? デシーカさんの刑期を早めて出所させてほしいとお願いしてきたのは、イオさんですの」

「ああ、知っているよ」


 廃墟となった教会で姉妹喧嘩――といっていいものかわからなかったが――をしたあとに、デシーカはことの発端をイオから聞き及んでいた。


 デシーカが刑期を終えればカタギになると約束して刑務所に収監されて、イオは自分が独りぼっちなのだと自覚した。五年もまてない。だから、〈ティンパ商会〉の総経理代行であるルールーを頼りにした。姉が出所すれば、二人で暮らす平穏な生活がまっていると信じていた。


「いまのお前が〈ラウ書店〉でわいわいやっていた昔馴染みのルールー・ウォンではないと、もう少しイオが理解していればよかったかもな」


 金と暴力で白黒をどうにでもできる〈ティンパ商会〉の大小姐(ダーシャオジェ)


 その力を借りるなら、対価を払う必要がある。


「イオが撃剣を使えることを知っていたのか?」

「あなたの願いを聞き入れて、ラウ師父(スーフー)はイオさんを決してこちら側の世界に踏み込ませはしませんでしたが――」


 沈んだウキに合わせて、ルールーが竿を引きあげた。


 餌だけがなくなった釣り針だけがある。


「万が一のときに自分で身を守れる術が必要だと考えたし、イオさんもそれをお望みでしたの。イオさんは聡い方ですから。いつかはあなたの役に立てるかも知れないと思ったのか、単に憧れだったのかも。あなたがラウ師父(スーフー)から魔術刀を受け取ったことは知っていたでしょうから」


 その言葉は憶測でしかなかったが――妹が銃ではなく剣を選んだのは、案外そんなことなのかも知れない。


「あなたが〈課堂〉で教育を受けている間、ラウ師父(スーフー)はイオさんに少しばかり手解きをした」

「道理で。癖の強い我流剣術なわけだ」


 シリング・ラウは八卦功夫の達人だが、剣はお世辞にも使えるとは言えなかった。


「わたくしがこの秘密を知ったのは、ラウ師父(スーフー)が鬼籍に入ったあとですわ。彼が生前、魔術刀を探していたことを知りましたの。ふふ、イオさんのためにね」


 ルールーが釣り針に新しい餌をつけて、再び糸を垂らす。


 あの金魚屋か、とデシーカは思った。


 ひょっとしたら、朧月夜はそのためにあの老店主が見つけてきたものかも知れない。


 だが、イオ自身は姉が使っていた白無垢鉄火を望んだ。


「それで、私の早期出所と引き換えに、お前はイオを利用したというわけか」

「利用だなんて。これは取り引きですの」

「出自不明の殺し屋が、〈ティンパ商会〉の幹部を次々と殺す。まさかその依頼人が、当の〈ティンパ商会〉の大小姐(ダーシャオジェ)とはな」

「陳腐ですが、よくできたシナリオだと思いません?」

「殺された連中はお前の支持者だと思っていたよ。少なくとも表向きはそうだった」

「兵隊がお似合いのデシーカさんにはわかりはしませんわ。組織なんてものは、笑顔で握手をしてくる者ほど、もう片方の手でナイフを突き立ててくるものですの」


 ルールーはレガード・ウォンほど組織を掌握できていない。


 盤石な体制を築くためには不穏分子を迅速に始末する必要があるが、大っぴらにやっては内部抗争に発展してしまう。だが、そんなに急ぐ必要がどこにある?


「ウォン大人(ダーレン)は……長くないのか?」

「さあ、どうかしら。けれど、あのラウ師父(スーフー)ですら呆気なく亡くなりましたもの」


 ルールーは感情が読めない微笑を浮かべた。


「まったく、呆れたな。どこまでがお前の手の内なんだ、ルールー」


 照りつける太陽の光にうんざりして、デシーカは汗で額に貼りつく前髪をかきあげた。


 イオからの頼みごとの対価に、正体不明の殺し屋として敵対していた幹部を殺させる。


 一方で殺し屋に賞金を懸け、デシーカが〈ラウ書店〉の賞金首狩りに巻き込まれるように、それとなく出所の情報をロレッタに教えた。殺し屋の雇い主が〈ティティス・レコード〉だとミスリードして戦争を仕掛けさせ、〈シターン・レーベル〉を壊滅させた。


 警官を買収して白無垢鉄火を金魚屋にもち込ませ、事故に見せかけて殺したのも。


 イオが身を隠していたオードリーのセーフハウスの情報をもらしたのも。


 すべてルールーの差配に違いなかった。


 キルシェトルテの部下として潜入していた女エルフを思い出す。死体のサングラスをロレッタが外したときに確かめた顔は、ルールーの部下として見覚えのある顔だった。


 敵対組織にも、アヴァロン警察にも、彼女の息のかかった者がいる。


「わたくしはそんな名脚本家ではありませんの」

「いい脚本家はそう言うものさ」

「いいえ。実際、デシーカさんが出所して、カタギになる約束を守っていればこんなことにはならなかった。〈ラウ書店〉に戻ってくるようにあなたに言ったロレッタお姉さまを、イオさんが殺そうとしなければこんなことにはならなかった」


 そのときのことを思い出したのか、ルールーは小さく嘆息した。


「本当に難儀しましたわ」

「はっ……それでキルシェトルテを利用して、あわよくば私かロレッタにイオを始末させようとしたのか。まったく、見事な機転だな」


 デシーカは吐き捨て、クーラーボックスから腰をあげた。


「だが、ひとつ忘れているぞ、ルールー」


 留め金を外してフタを開ける。


 なかには氷や餌と一緒に、無造作に自動拳銃が入っていた。

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