62.どんな顔で話せばいいのかわかってる?
デシーカは魔術刀を引きずり、教会の壁に空いた穴から外に出た。
生温い風。
モノクロの視界に色が戻る。
鬱蒼と茂る雑草のなかで、イオとロレッタが対峙していた。
ルチアーノを殺す際に告げられた言葉を思い出す。
お前が泥沼に沈む様子を、地獄の底から見ていてやるよ。
「ああ、まったく、うんざりだよ」
黒社会の泥沼に浸かった殺し屋の喜劇としてはぴったりの結末だな、と彼女は自嘲した。
だが、それでも。
そんな私にだって。
大切なものは、ひとつやふたつはあるんだ。
だから、本当にうんざりだ。
妹と友人が殺し合うなんてことは。
雑草を踏みつけ、歩き出す。
その足取りは少しずつ加速して、デシーカは気がつけば走っていた。
イオが手にしている白無垢鉄火の灼熱の刀身から無数の火花が散って、うねる炎の帯が何本も吹きあがる。
空間が歪む。
白無垢鉄火はかつての愛刀だ。イオがなにをしようとしているのかよくわかる。
魔術刀に練り込まれた妖精にもよるが、膨大なマギを喰わせてその力を解放する〈妖精幻想〉はひとつとは限らない。
デシーカが白無垢鉄火を使っていたときに解放できた力はふたつだけ。
ひとつは灼熱の鎖を顕現させて対象を拘束する〈黒犬鉄鎖友柄〉。
もうひとつは――
「ロレッタ! 距離を取れ!」
デシーカは思わず叫んだ。
「幻想世界に取り込まれるぞ!」
「デシーカ!」
「もう遅いんだよ、お姉ちゃん!」
こちらの声に、ロレッタとイオが口々に反応した。
イオを中心に歪んでいた空間が一気に広がり、景色が変わる。
空には夜の帷がおりて、世界は夜明けとも日没ともつかない薄暗がりになった。
生い茂っていた雑草が続くだけだった荒れた大地は、いつの間にかよく整備された石畳になっている。前にも後ろにも、それがただ真っ直ぐに延々と続く。
いや――イオが佇むところからは、道は三本に別れていた。
三叉路。
イオがこちらにちらりと視線をやり、まるで見せつけるかのように朗々と言葉を紡ぐ。
「夜辻に乙女が佇むならば、黒犬どもは皆殺しの雄叫びをあげよ――」
それに応えるように、白無垢鉄火の刀身が激しく燃え盛った。
「――〈黒犬三叉路遊遊逍遥〉」
イオの背後に伸びる三叉路のそれぞれに、巨大な炎の柱が伸びる。
無数の火の粉が舞い散り、熱くなった空気に肺を焼かれるようだった。
炎の柱のなかから、大きな獣がのっそりと姿を現した。
ぐるぐるという低い声を喉からもらし、鋭い眼光は肉食獣のそれだ。
鋭い牙、黒い毛並み、がっしりとした体躯。
それは犬に見えた。だが、身体は炎に包まれている。
「なんなの……?」
困惑した声を、ロレッタがもらした。
さすがに一歩、二歩と後退する。
そんな彼女を支えるように、デシーカは背後からそっと肩に手を置いた。
「白無垢鉄火に練り込まれた妖精の力を解放した妖精幻想のひとつだ」
「デシーカ……」
ロレッタは少しだけほっとしたような顔を見せ、それでも戸惑いは隠せなかった。
この妖精幻想は喰われるマギが桁違いで、デシーカもアヴァロン島に戻ってきてからは数えるほどしか使っていない。ロレッタも初めて見るはずだ。
「でも、こんなこと……現実なの?」
「現実は現実だ。ここは妖精がつくり出した幻想世界」
デシーカは彼女の耳元に囁きながら、イオとの間に入るようにして前に出た。
「この仮初の世界に相手を取り込んで、召喚した犬どもの餌にする。そういうものさ」
炎の柱から現れた三頭の燃える黒犬は、イオを守るようにしてその周囲をうろうろと歩いている。まるで飼い主に懐く犬そのものだ。
「幻想世界……はっ、まったくもって、エルフの魔術は底が知れないわ」
ロレッタは動揺を抑え込むように、わざとらしく強い口調になった。
「脱出できるの?」
「ああ。妖精の力を解放している撃剣魔術士のマギが尽きれば幻想世界は維持できなくなるし、あの犬どもを全滅させるでもいい」
デシーカは振り返ることなく、背後にいるロレッタに言った。
「ロレッタ、ここからは私が始末をつけるよ」
「結局、あなたに頼ることになるなんてね。わたしがなんとかしてあげたかったけれど」
「いや、これは私がやらないといけないことなんだ」
デシーカは魔術刀を握る右手に力を込めた。
「イオと、もう一度だけ話をしないと」
「そう……そうね……そうかも知れない」
ロレッタの手が、躊躇いがちにそっと背中に触れるのがわかった。
「でも、どんな顔で話せばいいのかわかってる?」
「ああ、私の顔さ」
〈ラウ書店〉の殺し屋〈耳長鬼子〉でもなく、大陸の〈課堂〉で殺し屋としての教育を受けた一人の生徒でもなく、ロレッタ・イェンに手を差し伸べられた世界で二番目に不幸なエルフ人の少女でもなく――ただ、イオの姉だったころ。
自分はどんな顔をしていたのだろう。
デシーカは友人の手に後押しされるようにして、一歩を踏み出した。
こちらに気づいた三頭の黒犬が、戯れていたイオから離れて鎌首をもたげる。
「お姉ちゃん……そこをどいてくれないかな。あの女を殺せない」
低く唸る黒犬をなだめるようにして、イオは言った。
「どくわけにはいかないな。ロレッタは私の大切な友人なんだ」
「ちっ」
イオはうんざりしたように頭を振った。
「そうだね……いつだってさ、お姉ちゃんはロレッタさんのことが大事だもんね」
「そうじゃない。お前と同じくらいに大切なだけだ」
「は? そんなのさ! あたしにはお姉ちゃんしかいないんだよ!」
犬歯を剥き出しにして、怒りに任せてイオが叫んだ。
それに呼応するかのように、黒犬たちも敵意を隠すことのない声をあげた。
「だから、お姉ちゃんもあたしだけ見てよ!」
三頭の黒犬が、獲物を狩る猟犬のように低い姿勢になった。
いつでも飛び掛かれるような体勢だ。
デシーカは黒犬どもを視線だけで牽制し、不可視の魔術刀をゆっくりと構えた。
「イオ、なんと言われようと、私には譲れないものがふたつある」
右脇を絞ったやや癖のある正眼。
自分は所詮、その命にゴミクズ以下の価値しかない殺し屋だ。
それでも、たった一人の妹と、たった一人の友人だけは。
「ロレッタもお前も、失いたくないんだ」
「いまさらさ、そんな都合のいい結末なんてないんだよ、お姉ちゃん」
まったくだ。そんな三流芝居を誰が見る。
そう思ってから、デシーカは不意に笑いが込みあげてきた。
ド三流の喜劇になりそうだな、と殺される前にルチアーノは言った。
もしそうなら、そんな都合がいい結末があってもいいだろう。
だから、デシーカは真っ直ぐにイオを見つめて、都合がいい言葉を口にした。
「イオ……もう一度だけ機会をくれ」
「バカ言わないでよ!」
イオが癇癪を起こしたようにして叫んだ。
白無垢鉄火を一振りし、射殺すような眼光を浴びせてくる。
「わからせてあげるよ、お姉ちゃん。そこをどこかないならさ」
三頭の黒犬が、その四本の足で音もなく石畳を蹴った。
次の瞬間――炎に包まれる獣の顎が、デシーカの眼前にあった。




