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58.うんざりだわ

 頭のなかがぐちゃぐちゃで、なにも考えられない。


 現実を理解することを、感情が拒否していた。


 そんな彼女を打ちのめすかのように、イオは言葉を紡いだ。


「せっかくお姉ちゃんが戻ってきたのにさ、またあたしのところから引き離そうとするから、ロレッタさんを殺すしかないと思ったんだけど」


 ぎしぎしと教会の床をきしませて、妹が近づいてくる。


「さすがに強かったなあ」


 デシーカは自分の吐瀉物をただ見つめていたが、イオの足先がその視界に入って恐る恐る視線をあげた。


「そしたらお姉ちゃん、あたしよりもロレッタさんを選ぶんだもん。すごく楽しそうにしてさ」


 笑顔はそのままに、イオの目の奥の光はすっと消えていた。


「妬いちゃうよ」

「……っ」

「だからさ、やっぱり殺すしかないね。ずっとあたしの側にいてもらうには」

「イオ……」


 デシーカは妹の顔を、無言で見つめるしかなかった。


 その代わりに口を開いたのは、ロレッタだった。


「イオちゃん……」


 努めて冷静な声は、だがそれでも震えている。


「あのお面野郎があなたなんてね……悪い冗談だわ」

「ロレッタさん……冗談なんかじゃないよ」

「ええ、そうね。そうよね――」


 自分に言い聞かせるようにして、ロレッタは言葉を選んだ。逡巡し、それでも続ける。


「〈ティンパ商会〉の幹部を殺して回っていたのもあなたなの?」

「そうだね」

「あの女は何者?」


 白無垢鉄火の餌食になって死んでいるエルフ人の女を見やる。


 キルシェトルテの部下だったが、実際はそうではないのだろう。


 会話から推察するに、イオの雇い主とのパイプ役になっていたようだが。どうにもイオの扱いに手を焼いていたようにも思える。


「あたしもよく知らないなあ。あたしの依頼人はさ、色々な組織に内通者を送り込んでいて、あの人もその一人だよ。キルシェトルテに居場所がばれて捕まったときに、あたしが自力で脱出できるように魔術刀をもってきてくれたというわけ」

「そう。けれど、あなたはあまり言うことは聞いてなさそうだけれど?」

「あたしはもう報酬を受け取ったからね。依頼人はまだ何人か殺してほしいみたいだけど、〈ティンパ商会〉の幹部を殺してやる義理はもうないよ」


 イオは小首を傾げ、少し考えるような素振りを見せた。


「まあでも。律儀に魔術刀を寄越してくるあたり、依頼人はまだあたしを使いたいのかもね」

「そうかしら?」


 ロレッタは慎重に距離を取りながら、イオの横を通りすぎる。


 腹を抱えるようにして死んでいるエルフ人の女に近づき、軽く蹴り飛ばした。


 ロレッタは床に転がった死体がかけているサングラスを外した。


 なにが起きたのかわからないまま、かっと目を見開いて死んでいる女の顔。


 曖昧な記憶を辿り、ロレッタは肩をすくめた。


「イオちゃん、あなたの居場所をキルシェトルテに教えたのはこの女だと思うわ。あなたの依頼人は〈ラウ書店〉がはじめた戦争にあなたを巻き込んで、どさくさで死んでくれたらラッキーだと思っているみたいね」

「その人を知ってるんだ?」

「なんとなく見かけたことがあるだけよ。あなたの依頼人のことは、この場にケリをつけてから聞くとするわ。わたしの心当たりのとおりかどうか。はあ、もう、まったく――」


 ロレッタは拳をゆっくりと握った。


「うんざりだわ」


 イオを誰かに始末させるために、キルシェトルテに居場所を教えたのだとしたら、その誰かとはロレッタに違いない。イオは三億ロンガンの賞金首。〈ラウ書店〉のためにはその金が絶対に必要だ。だが、賞金首の正体がイオだったとして、彼女が白無垢鉄火をもっていなければ生きて捕えることもできた。ロレッタ自身、そうしただろうと思う。


 なにせ彼女はデシーカの妹で、ロレッタだってずっと子どものころから知っている。どんな事情があるにせよ、殺すことを真っ先に考えたりはしない。


「イオちゃん、あのときの続きをしましょうか」


 それでも、魔術刀を手にしているなら別だった。本気で殺し合うしかない。そうしなければ、ロレッタが死ぬことになる。


 イオの依頼人とやらはその結果、イオが死ぬことを望んでいるとしか思えなかった。言うことを聞かなくなった殺し屋など、なんの価値もない。


「今度は獲らせてもらうとするわ」

「へー、ロレッタさんにできるかな?」

「わたしにできないと思っているの?」


 ロレッタの声の温度が、すっと低くなった。


 ばしりと紫電が爆ぜる。


「よせ、ロレッタ……やめてくれ……」


 消え入りそうな友人のそんな頼りない声を、ロレッタは終ぞ聞いたことはなかった。


 殺し屋の末路なんてものはろくなものじゃない。


 デシーカはそのことをよくよくわかっている。だから、彼女の声にはすがるように響きがあり、どこか諦観しているような響きもあった。


「大丈夫よ、デシーカ。わたしがイオちゃんにわからせてあげる」


 それでもロレッタは、友人に向けて精一杯笑った。


「あなたが、どれくらい、妹のことを大切に思っていたのか」

「ふざけるなよ……!」


 そう言ったのはイオだった。


「あたしからお姉ちゃんを奪ったくせに――」


 白無垢鉄火をゆらりと構え、暗い光を宿した碧眼でこちらを見据える。


 鼻の頭に皺を寄せて、イオは殺意のこもった叫び声をあげた。


「――あんたが言うことじゃないんだよ!」

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