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53.私も寂しかったよ

 ここまでやってきた盗難車の屋根に座り、デシーカは咥えた煙草に火を点けた。


 肺にたっぷりと含んだ紫煙を吐き出し、双眼鏡を覗き込む。


 風が吹き抜ける小高い丘の頂に、すっかり廃墟になった教会が見えた。


 かつて白かった石壁は黒ずみ、蔦の緑が建物を覆い尽くそうとしている。空に向かって伸びる尖塔は先が欠け、窓だった場所はがらんどうの眼窩のように虚空を睨んでいた。


「ヤク中も最後にはエルフの神様にすがるのね」


 同じように煙草を咥えて運転席から出てきたロレッタが、ボンネットに飛び乗った。


 マグ・メル王国が繁栄していたころは、エルフ人たちは独自の宗教と信仰をもっていた。だが、神聖帝国との同化政策によって土着の宗教や文化はすっかり失われてしまった。


 廃墟になった教会はまさしくその残滓だった。


 アヴァロン島はいまやすっかりガウロン人たちに開発されてしまったが、島内にはこういった場所が、誰からも忘れられたようにして残っている。


 双眼鏡から目を離し、デシーカは肩をすくめた。


「どうかな。マグ・メル王国時代の信仰を知っているエルフなんて、もう残っていない」


「かつての伝説では、常春の楽園であるアヴァロン島に住むエルフの寿命は何百年だと言われていたらしいわよ? 信仰されていたのは不老不死の女神だった」

「ああ、少しくらいは私だって知っている。信仰されていた女神は三姉妹で、それぞれ闘争・殺戮・友愛を司っていた。女神の祝福を得たエルフは全員が美男美女だったが、その代償として永遠に戦い、誰かを殺し、愛と友情を確かめる運命を課せられた。だからエルフは長寿で、誰もが常に若い姿を保っている」


 御伽話で語られるエルフ人の姿を想像し、デシーカは短くなった煙草を吐き捨てた。


「もし本当にそうだったなら。一度くらいは人生をやり直す時間もあるかもな」

「そんなわけないでしょう」


 ロレッタがボンネットから屋根にあがり、肩を並べてくる。


「時間は関係ない。その意志があるかないかだけよ。あなたはやり直そうとしたじゃない」

「だが、殺し屋の末路なんてろくでもないものだと相場は決まっている。ルチアーノに言われたよ。私が泥沼に沈む様子を地獄の底から見ているとな」


 いまごろ大層楽しんでいるに違いない、とデシーカは思った。


 もう一本煙草を咥えようとして、箱が空になっていることに気づいて舌打ちする。


 デシーカは力任せに空き箱を握りつぶし、軽く投げ捨てた。


「私がカタギに戻るなんてことを考えなければ、こんなことにはならなかった」

「そんなことないわ。まあ、わたしが言えた義理ではないけれど」


 人生をやり直そうとしていたデシーカの手を掴んで、引き戻したのは彼女だ。罪悪感があるわけではなかったが、そうしなかった世界線があったのかも知れないとも思う。あるいはそれでも、デシーカはこちら側に戻ってきただろうか。


 そういったあれこれを呑み込んで、ロレッタは紫煙と一緒に吐き出した。


「だから言ったじゃない。バカねって」

「ああ……そうだった」

「イオちゃんを助けたら、もう一度話せばいいわ」

「どんな顔をして話せばいいのか、わからないんだ」

「いつものとおりに」


 ロレッタから新しい煙草を差し出されて、デシーカはそれを手にした。


「あなたが本当にやり直そうとしていたこと、きっとわかってくれる。だってそうでしょう、デシーカ。あなたはそのために組織と話をつけた。そんなこと、誰ができるっていうの?」


 そこまで言って、ロレッタはわざとらしく唇を尖らせた。


「わたしは、少し寂しかったけれどね」


 そんな彼女を見て、デシーカは思わず笑った。


「どうして笑うわけ?」

「いや、私も寂しかったよ」

「本当かな?」


 疑わしげに半眼で睨んでくるロレッタに、笑いを押し殺す。


 本当に寂しかったし、不安だった。


 もし自分がカタギになってしまったら、お前と友人のままでいられるのか。


「エルフの三女神に誓って」

「さっき信仰なんて誰も知らないって言っていたわよ?」

「そうだったかな?」


 デシーカはロレッタからもらった煙草に火を点けないまま手で弄んだ。

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