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39.つい手が出てしまった

 いまにも壊れそうな安アパートのドアをがんがんと叩く音。


 続けて若い男の声が響いた。


「フェイさーん、困りますよー。借りた金は返してもらわないと。フェイさーん、いるんでしょー。出てきてくださいよー」


 口調こそ丁寧だったが、端々から安っぽい暴力のにおいがする。


「おい! いるんだろ! ジリアン・フェイ! 出てこいや!」


 ロレッタは家具もなにもない薄汚れたワンルームでその声を聞いていた。


 部屋の中央に用意されたパイプ椅子に座って、涼しい顔で脚を組んでいる。


 その隣にはオードリーが影のようにして控えていた。


「……まんまとかかりましたね」


 耳元で囁かれる彼女の掠れた声に、ロレッタは視線だけで答えた。


 オードリーがいつもの猫背でのろのろと玄関に向かう。


 左腕を失ってしまったせいで、左袖が空虚に揺れていた。


 叩かれ続けるドアが壊れる前に、オードリーは鍵を外して借金取りに顔を見せてやった。


「やっぱりいるんじゃねえかよ、フェイさーん!」


 まだ若いエルフ人の男は、長く伸ばした金髪が似合っている長身の二枚目だった。


 ごつい金色のネックレスに、派手な開襟シャツ。


 いかにもチンピラといった風情の男を、オードリーは陰鬱な表情で値踏みした。


 ジリアン・フェイというのは彼女が前の組織にいたころに、大陸系の業者から買った経歴のひとつだった。偽造パスポートからカバーストーリーの用意まで完璧で、なにせ大陸に住んでいるという設定の両親に電話をかけると、本当に誰かが出る。


 オードリーはこういった別人の名前と経歴をいくつかもっていて、〈ラウ書店〉の店員になってからも情報収集などの活動に使っている。


「借りた金は利子だけでも返さなきゃあ。人として当たり前のことでしょ。百万ロンガン」

「……借りたのは十万ロンガンだったはずです」

「いやいやいや、利子ってものがあるからさー。フェイさーん。頭悪すぎ。なんだったらいい店紹介するよー。あんたみたいな身体の女の子が好きな変態もいるんだぜー?」


 男はにやにや笑いながら、竜鱗が剥がされたオードリーの顔をしげしげと眺め、なくなってしまった左腕へと視線を移す。


 そのままオードリーの身体に触れようとした男は、どごっ、という鈍い音を残して前につんのめるようにして部屋に転がり込んだ。


 オードリーが視線を巡らせると、男を蹴り飛ばしたデシーカが開けっ放しの入り口に立っていた。咥え煙草を燻らせて、ひどく殺伐とした空気を身にまとっている。


 乾いた笑み、重く濁った目の奥の光。そこにはオードリーが知っている身震いするような美しさがあった。暴力装置としての純粋な美しさが。


「……私がぶっ飛ばしたかったのですが、デシーカさん」

「すまない。つい手が出てしまった」

「……足だと思いますが」

「そうだった」


 デシーカは小さく笑って煙草を吐き捨てると、ずかずかと室内に踏み入った。

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