37.お姉ちゃん……
ルールー・ウォンが言った戦争の大義名分をつくるには、少しばかり時間が必要だった。
こういう搦め手は、ロレッタとオードリーに任せておけばいい。
デシーカは「本当にこれで最後だ」と妹に告げてから数日ぶりに、自宅のマンションに戻ることにした。どんな顔をしてイオに会えばいいのかわからず、足取りはひどく重かった。
それでも彼女は、精一杯の笑顔をつくると妹がまつ家に帰った。
「ただいま」
鍵を開けて玄関に足を踏み入れ、デシーカは消え入りそうな声で言った。刑務所から戻ってきたときよりも、もっと長い時間を離れていた気分になって、デシーカはぞっとした。
まるで自分が招かざる客のように思えた。
人の気配を察したのか、部屋の奥から妹の声がする。
「はーい。どなたですかー」
その明るい響きに、デシーカはびくりとした。
軽い足音と一緒に顔を出したイオは、こちらを認めて少し離れたところで足をとめる。
「お姉ちゃん……」
困ったような複雑な笑顔を浮かべ、それでも彼女は仕方なさそうに言った。
「なに突っ立てるの? 自分の家じゃん」
「それはそうだが――」
妹と目を合わせようとして、きらきらとした碧眼を直視できない。
「もー、ほら、入りなよ」
だが、イオは呆れた声をもらすと、デシーカが勝手に感じていた壁を軽く飛び越えた。
永遠の距離にも思えた数メートルをぱたぱたと近づき、こちらの手を取る。
「お姉ちゃん、ただいまは?」
「……言ったよ」
「聞こえなかったんですけど?」
「ああ……」
手を引かれて一歩を踏み出したデシーカは、どんな顔をしていいのかわからなかった。
それでも、掠れた声でもう一度つぶやく。
「ただいま」
「うん、おかえりなさい」
イオは太陽みたいに笑った。
だが、出所したときに見た彼女の笑顔とはどこか違って見えた。
まるで役者の芝居を見ているような感覚だった。
薄暗い観客席に座る自分に、照明が当たる舞台から向けられている笑顔。
デシーカはそんな想像を打ち消すように頭を振った。
「ちょっとまっててー。お茶でも淹れるよ」
キッチンへと消えていく妹の背中を目で追いかける。
デシーカは腰の魔術刀を帯剣ベルトから外し、リビングの椅子にのろのろと座った。
出所した日に妹と一緒に食事をしたテーブル。
自宅の様子は数日前となにも変わっていないというのに、自分の居場所がないように思えた。イオと一緒に暮らすために用意した小綺麗なマンションよりも、薄暗い迷宮アパートのほうが、ゴキブリが這い回る安宿のほうが、自分には相応しい気がする。
「お姉ちゃんはミルクティーね」
イオはマグカップを二つもって戻ってきた。
ひとつはストレートティー。
ひとつは砂糖がたっぷり入った甘いミルクティー。
「我ながら子どもっぽいな」
「可愛いとこだよー」
差し出されたマグカップを手に取って、デシーカはそっと口をつけた。
向かい合って座ったイオが自分のマグカップを両手で抱え、息を吹きかけて冷ましていた。その様子のほうが自分よりも何倍も可愛いとデシーカは思った。
「またそんな物騒なものもってさー」
立てかけた魔術刀をちらりと見て、イオは咎めるように言ってきた。
「ラウさんからもらった、前の魔術刀とは違うね」
「ああ、縁があってな」
「そっか。あたしは前の魔術刀のほうが好きだったな」
あの老店主は、デシーカのことを妖精に見初められた、と言った。この魔術刀が天命として自分に出会ったのだとしたら、それは剣を手にすることが私自身の天命でもあるのではないか。そんなことを考えると、デシーカは気持ちが楽になる。それが恐ろしかった。
「お仕事は――」
マグカップに口をつけないまま、イオは不意に言った。
「――まだ終わってないみたいだね」
そこには糾弾するような響きはなく、ただ確認をしているだけのようだった。




