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36.始めましょう

〈ティンパ商会〉総経理代行のルールー・ウォンは、こちらに合わせたかのように黒づくめの格好で、シリング・ラウが好きだった酒の瓶を右手にもっていた。


「お久しぶりですわね、デシーカさん」

「ああ、いまや総経理代行だなんて恐れ多いよ」

「お気になさらないでくださいな。いま、ここでは、わたくしは末っ子のようなものですわ」


 アヴァロン黒社会に名を馳せた〈ラウ書店〉の〈三人娘〉。確かに彼女はデシーカにとっては後輩のようなものだったし、ロレッタにとっては文字通りに妹弟子だった。


大小姐(ダーシャオジェ)、どうしてこちらに?」

「そんな呼び方はおやめください、ロレッタお姉さま」


 ルールーは少し寂しそうに笑い、シリング・ラウの墓石の前に立った。


「こう見えても心配しておりましたのよ。なにも言ってくれないものですから」

「もうわたしたちは気軽に会える立場でもないでしょう」

「そんなことはありませんわ。わたくしは常に門戸を開いていますもの」

「それはあなたに利益をもたらす者に対してでしょう、大小姐(ダーシャオジェ)

「ええ、もちろんそうですの」


 ルールーが手にしていた酒瓶の蓋を開け、無造作に墓石に浴びせていく。


 ロレッタ・イェンを殺し損ねた賞金首が、再び彼女を狙う可能性は少し考えればわかることだった。ルールーは抜け目なくこちらの行動を監視していたのだろう。賞金首が現れれば横槍を入れられるように。


「お姉さまが少し危なっかしいことをしでかしそうですから。忠告しにきましたの」


 空になった酒瓶を墓石に添えて、ルールーはこちらに向き直った。


「けれど、一度くらいは三人でここに並ぶべきだと、わたくしだって思っていましたわ」


 そう言ったルールーは少しばかり感傷的で、以前の彼女を思い起こさせた。


「わたくしだってシリング・ラウの弟子であり、〈ラウ書店〉の店員だったのですから。草葉の陰のラウ師父(スーフー)も、少しはお喜びになるでしょう」


 違いないとばかりにロレッタは肩をすくめた。


「ルールー、それでも、ラウ師父(スーフー)はにこりともしないわよ」

「そういうところはお姉さまではなく、デシーカさんがそっくりですの」

「それは少し前までの話だ。私は素敵な笑顔の練習をしたからな」

「無駄な努力になりそうですわね?」


 半眼になったルールーが懐疑的な視線を送ってくるので、デシーカは不満げに腕を組んでむっつりと押し黙った。


「はいはい、もう、そうやってすぐにデシーカをからかうのはやめなさい、ルールー」

「そうだそうだ。私は傷ついたぞ」

「デシーカさんはメンタルお化けですから傷つきなんてしませんの。お姉さまこそ、すぐにデシーカさんをかばうのはよくないですわ。ひいきです」

「別にそういうつもりではないけれど」


 少し困ったように眉尻をさげるロレッタに、ルールーはわざとらしく言った。


「あら、お姉さまのそういう顔、お可愛いこと」


 三人はそれぞれに視線を交わすと、誰ともなしに小さく笑った。


 まるでほんの一瞬だけ、昔に戻ったようだった。シリング・ラウが健在で、〈ラウ書店〉が〈ティンパ商会〉の暴力装置として誰からも恐れられていたあのころ。


 だが、そんな時間は再び強くなった雨にすぐに洗い流された。


 ルールーが不意に無表情になる。


「お姉さま、賞金首をあぶり出すために〈ティティス・レコード〉と戦争しようというのですか。デシーカさんがお戻りになったとはいえ、開店休業状態の〈ラウ書店〉だけで?」

「はい、大小姐(ダーシャオジェ)


 ロレッタはもうルールーとは呼ばなかった。


「それがなにを招くのか、お姉さまならおわかりでしょう。〈ティティス・レコード〉からすれば言いがかりで協定を破られたようなものですの。協定に不満をもっている連中が暴れ出しますわ。いまの共存共栄路線の幹部連中では抑え切れないでしょう」

大小姐(ダーシャオジェ)らしくもない。いい機会と思っては。〈ラウ書店〉を捨て石に、〈ティティス・レコード〉内の不満勢力を一掃して、完全に従属させてはいかが。もし賞金首の雇い主がエルフどもでなかったとしても、悪い話ではないでしょう」


 ロレッタは雨に濡れる黒髪をかきあげ、不敵に笑った。


「ただし――賞金首をあぶり出して獲ったなら、閉店の件はなしにしてもらうわ」

「……お姉さま、まったく、しょうがないお人」


 ルールーは目を閉じて数秒だけ黙考し、芝居がかった仕草で残念そうに息を吐く。


「その覚悟を尊重して、最早とめはしませんわ。好きにおやりなさいな。けれど――建前は大切ですの。どんな些細なことでも構いませんわ。賞金首を雇っているかも知れないなんて言いがかりではなくて、戦争をふっかける大義名分をつくっておやりくださる?」


 冷たい目でロレッタを一瞥し、ルールーは踵を返した。


 こちらの返答をまつことなく、雨に消えるようにして歩いていく。


 その後ろ姿が見えなくなるまで、二人は口を開かなかった。


 雨がさらに強くなるなか、デシーカは独りごちた。


「では始めるとするか、ロレッタ」

「そうね。始めましょう」


 ロレッタもつぶやくようにして答え、自身に語りかけるようにして続けた。


「ラウ師父(スーフー)曰く――南方に戦い、北方に死す。野死して葬られず、鴉食らうべし」


 それはシリング・ラウが、戦争がはじまる前にいつも口にしていた言葉。


 戦争屋が、殺し屋が、自分たちのために誰かを殺す。徹頭徹尾、敵を皆殺しにする。


 そんなことをやる者の末路など、シリング・ラウが語るとおりに違いなかった。


 デシーカは腰の魔術刀にそっと手をやり、ロレッタの言葉を引き取った。


「我が為に鴉に謂え。且く客の為に豪け。野死して諒に葬られず。腐肉安くんぞ能く子を去てて逃がれんや」


 二人の言葉を呑み込むように、ざっと雨が本降りになった。


 大きな雨粒が大地を打つ音は、まるで号砲のようだった。

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