35.わたしはやると言ったらやる女よ
生温い雨はアヴァロン島の名物のようなもので、貨物船がいき交う港湾の水面を叩き、街のビル群を幻のように霞の向こうへと押しやっていた。
デシーカは傘を差して、ぬかるんだ狭い通路を歩いた。
まるでそれが殺し屋の正装であるかのように、黒ずくめの格好だった。腰回りの帯剣ベルトに魔術刀をぶち込んで、腰の後ろには自動拳銃があった。
「もう着くわ」
前を歩くロレッタがそう言った。
同じように黒ずくめの格好だったが、その背中は差している傘に隠れている。
二人が歩く急な山の斜面は、無数の墓石が密集するアパートのようにして埋め尽くしていた。雨に濡れた大理石は黒々と光り、そこに刻まれた金色の文字が鈍い光を放つ。
一つひとつの墓碑には、生前の面影を写したセピア色の写真がはめ込まれ、その微笑みはアクリルのおおいの下で、時の流れから取り残されたように静止していた。
シリング・ラウの墓石も周りにあるものと同じで、なんの変哲もないものだった。
写真の彼は白いものが混じった黒髪を整髪料で撫でつけて、口髭を蓄えた厳しい表情だった。その鉄面皮は、デシーカが幼いときからよく知っている顔そのものだった。
「あなたは殺しても死なないような人だと思っていた」
少し弱くなってきた雨を確かめるようにして、デシーカは傘を畳んだ。
〈ティンパ商会〉がまだ小さな組織だったころから抗争の先頭に立ち続け、アヴァロン黒社会でその名を知らない者はいない、〈無二無三〉と畏怖されたあのシリング・ラウが。病に倒れてすぐに鬼籍に入るとは、刑務所で知らされたデシーカには信じられなかった。
「ラウ師父、デシーカが帰ってきてくれました。引退することを認めていたあなたは喜ばないかも知れませんが。わたしは嬉しい」
「ロレッタを責めないでほしい。私の意志だ。渡世の仁義は、あなたに教わった」
デシーカはカタギになったなら、ラウの墓を訪れることはしないでおこうと決めていた。それは彼女なりのケジメだったし、彼もそれを望んでいたはずだ。
だが、結局のところそうはならなかった。
「ラウ大哥、あなたが生きていればこんなことにはならなかったかも知れないが」
デシーカは煙草を咥えると安いライターで火を点けた。
濡れた墓石を手で払うと、線香のようにして煙草を置く。
ロレッタも同じようにして、別の煙草を隣に並べた。
「これが私の本当に最後の戦争だ。地獄の底から見ていてくれ」
ロレッタがちらりとこちらを見て、少し儚げに笑った。
その肩にそっと手を置くと、それが合図だったかのように彼女はさめざめと泣いた。
一度二人でここにきておきたくて、とロレッタは言った。
前の戦争で店員のほとんどが死に、シリング・ラウも鬼籍に入り、閉店を迫られている。そんな〈ラウ書店〉を必死に支えてきたロレッタにとって、デシーカが隣にいることがどれだけ心強いことなのか。声を押し殺して泣くその横顔を見るだけでよくわかった。
煙草の火が消えるまでロレッタは泣いていたが、大きく息を吐くと顔をあげた。
眼鏡を外して目に残っていた涙を拭うと、いつもの彼女の表情になる。
「デシーカ、わたしはやると言ったらやる女よ」
「ああ、よく知ってる」
横流しされた魔術刀から賞金首を追う線は、保管庫から魔術刀をもち出したセシリア・シアーシャの死と、賞金首に魔術刀を仲介した蒐集家が盲目だったことで切れた。
もう一本の線は、雇い主からあぶり出すことだった。
殺害されたセシリア・シアーシャを買収したのはアヴァロン警察とは別の勢力だろう。警察が殺し屋の雇い主なら、横流しなどせずに魔術刀を渡してやればいいだけだ。
〈ティンパ商会〉でルールー・ウォンの体制に反対している勢力の可能性は残るが、もしそうだとしたらとっくの昔にルールーが把握しているに違いなかった。彼女はそこまで間抜けではなかったし、そうでなければ総経理代行などという立場に就けやしない。
残された可能性は〈ティティス・レコード〉の残党で、状況証拠はいくつかあった。
ロレッタが系列組織〈シターン・レーベル〉のキルシェトルテ・ルクスに会いにいこうとしたときに襲撃されたこと。
セリシア・シアーシャが借金漬けになっていたのは系列の闇金だったこと。
そもそも全面降伏した〈ティンパ商会〉との協定に納得していない勢力もいる。ルールーが率いる新体制に打撃を与えるのは、フリーの殺し屋はもってこいだった。ましてやこの騒ぎのなかでデシーカは早期に出所して、まんまと黒社会に舞い戻った。これで連中は、大手を振ってルチアーノを殺したデシーカに報復できるというものだ。
だが、どれも決定的ではない。
「前の戦争でオードリー以外みんないなくなってしまって、わたしは〈ラウ書店〉らしいやり方を忘れていたかもしれないわね」
ロレッタはそっと笑った。それは自嘲のようにも見えた。
「少し弱気になっていたし、〈ラウ書店〉をどうにか守りたかったし、もう誰も失いたくなかった。でも不思議ね――デシーカ」
その言葉に応えるように、デシーカは軽く肩をすくめた。
「あなたが戻ってきたら、そんなわたしがバカみたいに思えてきたわ」
「いいや、ロレッタ。私が知っているお前なら、遅かれ早かれそうなっていたさ」
「そうかしら?」
「シリング・ラウの薫陶を受けた、〈ラウ書店〉の〈紫閃電〉。ロレッタ・イェンが訴えることなんて、後にも先にも鉄と血だけだ」
「まったく、もう。それだとわたしが暴力女みたいじゃない」
「暴力女だが?」
「ちょっと!」
どちらともなく吹き出して、二人はくすくすと笑った。
「私たちはどう転んだところで所詮は殺し屋。戦争屋だ」
デシーカは腰の魔術刀に触れた。帯剣ベルトの金属が擦れ、がちゃりと鳴る。
「頼りにするのはこれだけだ」
ロレッタを殺し損ねてから、賞金首は行動を起こしていなかった。
アヴァロン黒社会に賞金首はエルフ人の撃剣魔術士であるという噂は出回っていたし、ロレッタ・イェンがサシで勝てなかったという話も――本人は不本意だろうが――広まっていた。
〈ティンパ商会〉の幹部たちの警戒はいやでも厚くなるが、そんなことを気にする相手だとも思えなかった。だとすれば、殺し損ねたロレッタを殺すことが賞金首の次の目的に違いない。
向こうから仕掛けてこないのは、デシーカと組んでいるからだろう。
自分が逆の立場なら二対一になることを承知で迂闊に仕掛けることなどしない。
単独で動いているなら、どうにかして分断することを考える。
だが、誰かに雇われて〈ティンパ商会〉の幹部を殺害しているのだとしたら、ロレッタにこだわるのは奇妙でもあった。次の標的に切り替えることもできるだろうに。
「休戦協定を無視して〈ティティス・レコード〉に戦争を仕掛けるおつもりですの?」
背後からかけられた声に、二人はほとんど同時に振り返った。
よく見知った、それでいて遠くなってしまった顔がそこにある。
「ルールー」
デシーカは少しの懐かしさと、警戒感のこもった声でその名を呼んだ。




