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AM05:55 「羊と狼」


 男──ジャックと共に部屋を出る。例の女が、ソファに寝転がって前時代のボクシング専門誌を読み漁る光景が目に入ってきた。私に気付いた女は言う。


「なんだ、本当に折ったのかと思ったのに」


 一触即発で死にかけた私を差し置いて呑気に欠伸するその神経。正直なところ、丹田あたりが熱を発する程度、思うところはある。


「マッド。監視カメラの映像を持ってたな?」

「持ってるね」


 口を尖らせてる例の女の横では、サイボーグも含めた男三人が、3Dプロジェクターの前で密に話をする。好奇心に焼かれたからか、私もその話を注意深く聞いていた。

 浮かぶ映像、その中では驚異的な挙動でカーブを行うジャックの姿があった。⋯⋯そして彼の追跡するバンが、並走していた別のバンに入れ替わる光景も。


「やはりそうか。あの時だ、一瞬だけ見失った」


 一番予想を裏切ったのは、その事にジャック自身が冷静に納得していたところだ。さっきの尋問の様子も顧みれば、もっと慌てても良さそうなものだが。

 そんな風に何か自身の内で悶々としていたところで、ジャックは振り返って私を呼びかけた。


「お前は俺と来てもらう」

「探しに行く必要は無さそうだよ」


 老紳士はすかさず口を挟む。


「上。お客さんが来てるみたいだから」

『信号を切るのが遅れたな』


 老紳士が指差す天井では微かに電灯が揺れていて、不自然に埃が舞う。その場で私だけが訝しんでいるものだから、世界に取り残された気持ちになって周りの反応ばかりを窺っていた。

 顔を覆う雑誌を除け、天井を気怠く見据える女。

 腕を組んで壁にもたれ掛かるだけのサイボーグ。

 無言で自動拳銃の弾倉、薬室の確認を行うジャック。

 葉巻の先を専用のカッターで切り落とす老紳士。

 ⋯⋯やはり、動揺していたのは私だけだった。

 

「あの」

「ついて来い」


 現状を確認する間もなく否応なしにジャックが先導し、私は身の丈に合わない検診衣を揺らしながら覚束ない足で追うしかなかった。

 素足で、泥だらけの廊下を練り歩いてシャワールームにたどり着く。そこで彼が素っ気なく親指で指したのは、無造作に置かれた私の装備だ。


「信号はとっくに死んでる。インプラントはネットワークを切断しても自力で稼働できるが、本部においてそのナンバーは除籍されているはずだ」


 カーテンの向こうの声を耳に入れながら、先までの検診衣を手早く畳んで置く。そうして戦闘用のスーツに足を通し、張り付くラバーの感覚を通して、奇妙なことに安心感まで覚えてしまった。

 いや──抵抗手段が全く無い状態で凄まれるより今の方がずっと気が楽なんだ、当然だろう。


《接続不能。オフライン起動中──》


 アラート、アラート、アラート⋯⋯停止していたインプラントが再起動したものの、今までに見たことのない表示が視界に写される。彼が言ったように、本当に私は捨てられたのか。

 手のひらを握っては開き、それを繰り返して現実感の無さを補う。解放されたことに喜びなんて感じられない。

 だってこの先どうしたら良い? 自分でそれを決める方法なんて誰にも教えられてない。兵士らしく振る舞え(死ね)としか言われてこなかった。

 ああ、だから⋯⋯あのカーテンの先にいる人物に、少なからず望みを賭けてしまったんだ。


「調子が悪いのは分かるが、そろそろ行くぞ」

 

 布のへだたりから急に暴かれ、私の顔にビニールの塊が直撃した。咄嗟に受け取ったそれに驚きつつも、投手のジャックに問う。


「これは⋯⋯?」

「⋯⋯今は俺の娘より、お前の方が要る」


 エレクトリック・シープ。ライトグレーのパーカー。

 包装と張り付いていた値札を見た限り、流行の服なのだろうが、私はこういったものに縁が無かった。背面のデザインが妙に印象に残るもので、電気羊が鼻提灯を膨らませて眠っている。

 渡されたからには着てみるものの、サイズ感が合っていない。恐らくアメリアと呼ばれた娘は私より体格があるから、こうして布地が余りがちになるんだろう。


「今から俺たちが相手する連中は並の兵士の比じゃない。あの侍が、その最先鋒だ」


 外に出るまでの昇降機で、彼は初めて私の容姿をじっくりと見ていた。

 無言で碧い瞳を向けられることに耐えられず瞬きの回数が増えていくと、そんな私を察したジャックは穏やかに言う。


「アメリアより似合ってるかな」

「⋯⋯大きさが合ってません」

「あの娘も、もう十七だからな」


 階層表示が昇るのを背後に、彼は感慨深そうに壁にもたれかかった。


「同い年ですが」

「⋯⋯もっと幼いもんだと思ってた」


 橙色の点灯が一階への到着を表すと、邪念を取っ払うかのように頭を振って先に進むジャック。その後ろ姿を見ながら私はただ思った。

 欧米人と一緒にしないでほしい、と。



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