第七話 帰り道
〈おはようございます。充電が完了しました〉
ゼロの声が、深い眠りに沈んでいた意識を引き上げた。俺はゆっくりと目を開ける。夢すら見ることのない、深い眠りだったらしい。体を起こす前に、ふと背中へ意識を向ける。昨日まであれほど激しく痛んでいた傷は、鈍い痛みすら残っていなかった。
「おはよう。背中の痛みも、もうなくなったよ」
〈回復薬の効果が十分に現れたようですね。光学ブレードの充電も完了しています〉
言われるまま、俺は埃をかぶった机へ目を向けた。その上に置かれていた光学ブレードを手に取る。重さは変わっていない。だが、握った瞬間、あの戦いの記憶が脳裏によみがえった。牙を剥く狼。背中を切り裂いた痛み。そして、紫色の光。ただの棒だったはずのそれが、あの瞬間だけは命を繋ぐ唯一の武器になった。
「充電は終わったけど、この後はどうするんだ?」
〈この超重戦車にも確認しました。さらに遠方に、空戦艦BS-77《レヴィアタン》が存在することが分かっています〉
「空戦艦……」
〈はい。非常に大型の魔導具です。次は、そこへ向かいたいと考えています〉
ゼロは、まるで散歩の行き先でも決めるような口調で告げた。
〈ただし、数日は必要になると思われます。一度スラムへ戻り、必要な準備を整えてから向かうのが適切でしょう。いかがですか?〉
「問題ない。準備を整えてから向かおう」
自分でも驚くほど、迷いなく答えていた。もう、覚悟は決まっている。昨日までなら、森の外へ出ることすら考えられなかった。だが今は違う。知らない世界を見てみたい。自分が何者なのかを知りたい。そして、ここから出たい。
〈そのためには、再び森を通る必要があります〉
「そうだよな……」
あの獣たちの唸り声を思い出し、俺はわずかに顔をしかめた。正直、気は重い。それでも、戻らなければならない。俺は光学ブレードを腰へ収めると、超重戦車を後にした。再び、朝の淡い光が差し込む森の中を歩く。ゼロの指示に従い、時折、右へ進み、左へ進む。だが、不思議なほど魔物の気配がない。行きとは比べものにならないほど順調だった。
「来た時より順調じゃないか? たしか、このくらいの時間で襲われた気がするんだけど」
〈推測になりますが、先ほど交戦した狼型魔物の縄張りなのでしょう。彼らはカイに敵わないと判断し、こちらを避けている可能性があります〉
「あの狼たちが、逆に俺を避けてるから遭わないってことか」
俺は少しだけ驚いた。
「まあ、順調なら何でもいいけどな」
行きとはまるで違っていた。あれほど死を覚悟した道のりが、今は拍子抜けするほど静かだった。しばらく歩くと、木々の向こうから聞き慣れた音が聞こえてきた。人の声。遠くで交わされる怒鳴り声。ゴミを漁る者たちの話し声。そして、森の外へ出るにつれて鼻を突く、あの饐えた臭い。ゴミ捨て場。その向こうには、俺が暮らしてきたスラムがある。いつもと変わらない光景。いつもと変わらない場所。それを認識した瞬間、張り詰めていた肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。俺は小さく息を吐く。
「おい、お前」
不意に声を掛けられた。心臓が跳ねる。反射的に体が強張った。振り返ると、顔見知りの拾い屋の一人が、怪訝そうな表情でこちらを見ていた。
「珍しいな。昨日、お前の姿を見なかったぞ。どこ行ってたんだよ?」
「……別に。ちょっと遠くまで漁りに行っただけです」
「へえ……」
男の視線が、俺の全身をゆっくりと這う。
「服、えらく汚れてんな。何かあったのか?」
土と煤で汚れた服。ところどころ破れた布地。それを見られていることに気づき、俺の心臓が再び大きく跳ねた。
「まさか、お前……スラムの外から来たんじゃねえだろうな?」
「……違う。転んだだけです」
短く答える。それ以上は何も言わず、俺は足早にその場を離れた。背中に、探るような視線を感じる。それでも、決して振り返らなかった。静かに生きる。誰の記憶にも残らないように。目立たず、疑われず、ただ明日を生き延びる。それが、これまで俺が守り続けてきた、自分なりの生き方だった。




