第四話 錆びついた避難所
魔物の襲撃があったその日。なんとか魔物を倒したものの、身体は限界まで疲れ切っていた。寝床に戻った俺は、倒れ込むように眠りについた。そして翌朝。全身を走る鈍い痛みに、俺は目を覚ました。
〈おはようございます〉
まだ覚めきらない意識の中へ、ゼロの声が静かに響く。
「おはよう」
二日目になり、頭の中に直接響く声にも少しは慣れてきた。それでも、まだ警戒する気持ちは消えていない。身体を起こそうとした瞬間、昨日の戦いで負った傷が疼いた。
「……っ」
思わず呻き声が漏れる。
〈大丈夫ですか〉
いつもより、ほんの僅かに柔らかい響きだった。心配しているのだろうか。
「このぐらいの怪我には慣れてるから、大丈夫だよ」
最近では少なくなってきたが、少し前まではスラムで暮らすためのルールも分からず、生傷が絶えなかった。
〈そうですか。では、早めに新しい魔道具を探しましょう〉
「この棒があれば、大丈夫じゃないか」
懐から棒を取り出し、軽く握り直す。
〈昨日の一撃は、本来の使い方ではありません。本来は、最初の長さで使用します。カイは訓練を受けていないため、一時的に出力を最大まで引き上げて使用しました。この使い方をした場合、すぐに使用できなくなってしまいます〉
「そうなのか。ちなみに、訓練すれば使えるようになるのか?」
〈訓練すれば使用できるようになります。ただし、昨日の魔物を倒せるほどの強さになるには、何十年もの訓練が必要でしょう〉
「新しい魔道具を見つければ、倒せるのか?」
〈新しい魔道具の種類にもよりますが、昨日の魔物であれば、見つけただけで倒せる可能性もあります〉
「そうなのか」
思ってもみなかった答えに、俺は驚きながら返した。
「またゴミ捨て場を探せばいいのか?」
〈いえ。もうゴミ捨て場にはありません。最寄りの反応は、ゴミ捨て場のさらに奥、西側の森林部にあります。徒歩で半日程度を要する見込みです〉
俺は思わず眉を寄せた。あの先に足を踏み入れたことは、一度もない。城壁による警備もなく、魔物が自由に出入りする場所だと聞いたことがあるだけだ。
「森か……。本当に行くしかないのか?」
〈現状の魔道具では、次に魔物に襲われた際、倒せない可能性があります〉
今まで、魔物に襲われたことはなかった。だが、昨日実際に襲撃を受けたことで、また同じことが起こる可能性も十分にあると思ってしまった。
「何はともあれ、まずは炊き出しに行こう」
森へ行くかどうか。その結論は、後回しにすることにした。炊き出しへ向かう途中、顔見知りのスラム住人たちが集まり、何やら騒いでいるのが見えた。話に加わるつもりはなく、そのまま横を通り過ぎようとした。そのとき、声を掛けられた。
「おい。今日の炊き出しは中止だってよ」
「中止? なんでか分かりますか?」
俺が炊き出しを利用するようになってから、中止になったことは一度もなかった。
「昨日、炊き出し中に魔物の襲撃があっただろ。その調査と、神子様の安全が確保できないと再開できないんだとさ」
スラムの住人にとって、一日一回の炊き出しは文字通り生命線だった。それが中止になったことで、皆どこか苛立っている。
「それだけじゃねえよ。紫の光のことも聞かれたぞ」
「なんで紫の光を調べているんですか?」
「紫の光は、どの魔法属性にもない色だろ。それに、教会の経典には災いの光として載ってるんだってよ」
「災いの光」
その言葉に、内心が大きく揺れた。それでも表情には出さないよう努めながら、教えてくれたことへの礼を告げる。そして、来た道とは違う道を選び、その場を離れた。
「ゼロ。災いの光って、なんだよ」
歩きながら、焦りを隠せず問いかける。
〈私にも分かりません。ただ、魔法とはまったく異なる力なので、警戒した教会が災いの光と呼んでいた可能性はあります〉
「教会が探すなんて、よっぽどだぞ」
〈カイが使用したという証拠はありません。また、もう一度使用しない限り、気付かれる可能性は低いと思われます〉
ゼロの説明を聞き、確かにもう一度使わなければ大丈夫なのかもしれないと考える。だが――。
〈ただし、もう一度魔物の襲撃があった場合、現状では対応が難しい状況です〉
その言葉に、俺は黙り込んだ。
「……分かったよ。森の中に探しに行く」
元々、いつまでもこのスラムで怯えて暮らすのは嫌だった。ゼロを信じて、ここから抜け出す。そう、覚悟を決めるように、深く長い溜め息を吐く。
〈それは良い判断だと思います。いつ行きますか?〉
「炊き出しもなくなったしな。これから行くよ。ゼロが、また助けてくれるんだろ?」
わざと軽い口調を作る。胸の奥にある怖さを、押し隠すためだった。
〈任せてください。全力でサポートします〉
ゼロは、いつもと変わらない声で答えた。俺はスラムの中を抜け、ゴミ捨て場の奥へ向かって歩き始めた。その先には、誰の手も入っていない荒れ地が広がっている。さらに遠く。黒々とした森が、地平の向こうまで続いていた。ここから先は、スラムの誰も足を踏み入れない場所だ。足が竦んだ。一歩踏み出せば、もう後戻りできない。そんな気がした。何度も踵を返しかけては、立ち止まる。それを何度繰り返しただろう。
〈深呼吸してください。そして、昨日の魔物との戦いを思い出してください。魔物が出たら、また倒しましょう〉
「分かった」
俺は奥歯を噛みしめた。震える足を無理やり前へ出す。境界線を越えた瞬間、空気の匂いまで変わったような気がした。
荒れ地を抜け、森へ足を踏み入れる。木々の間は薄暗い。時折、獣とも魔物ともつかない鳴き声が、遠くから響いてくる。そのたびに心臓が跳ねた。ゼロの指示に従い、森の中を進んでいく。右へ進んだと思えば、不意に足を止める。少し戻ったかと思えば、今度は左へ進む。
「なんで、さっきから行ったり来たりしてるんだよ」
〈魔物との遭遇を避けています。時間はかかりますが、安全を最優先に進んでいます〉
驚くと同時に、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜けた。
「なら、魔物に会わないで済むんだな?」
〈会わないように進んでいます。ただし、遠距離からこちらを察知するタイプの魔物は、避けきれません〉
「結局、どっちなんだよ」
安心と不安が交互に押し寄せる。頭の中を整理できないまま、俺は困惑した声で返した。
〈現在の魔道具では、索敵範囲に限界があります。魔物との遭遇を避けながら、安全かつ可能な限り早く進みましょう〉
納得はできなかった。それでも、しぶしぶ頷く。
「分かったよ」
その後も、俺はゼロの案内に従って森の中を進んでいった。そして――。
〈魔物に、囲まれています〉
それまでとは明らかに違う。ゼロの声に、硬い緊張が混じっていた。
「魔物を避けてたんじゃないのかよ!」
魔物を避けていると思っていたのに、囲まれていると知らされて、焦った声が漏れる。
〈どうやら、遠距離からこちらを察知する魔物のようです。囲んでいることを考えると、群れで狩りをするのでしょう〉
ゼロの声は、一瞬だけ硬くなったが、すぐに元の声に戻った。この状況にあっても、落ち着いた声で話す。感情の揺れはほとんどなく、いつもと変わらない冷静さだった。
「何、落ち着いてるんだよ! どうするんだよ!」
〈カイ、落ち着いてください。焦っても何も変わりません。私が指示を出します。冷静に対処してください〉
俺は無理やり息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出した。それを何度か繰り返し、なんとか呼吸を整える。
〈落ち着きましたか? では、前に走ってください〉
「え? 落ち着いて対処するんじゃないのかよ!」
〈さすがに囲まれた状態では厳しいです。目的地へ到達することを優先します〉
「そういうことかよ!」
慌てて走り出す。さっきまでは気付かなかった。だが走り始めると、周囲から近づいてくる足音が聞こえてくる。木々の奥から、低い唸り声も響いていた。
〈走りながら、棒を出してください。昨日のように遠距離を攻撃するのではなく、剣として使用します。注意してください〉
魔物の気配に怯えながら、棒を取り出す。前方へ構える。すると、昨日と同じ淡い紫色の光が伸びた。
〈右から接近してきます。合図をしたら振ってください〉
言われた方角へ、慌てて意識を向ける。木々の隙間。そこから、赤く光る二つの目が見えた。低い唸り声。そして、銀色の体毛を逆立てた大きな狼型の魔物が、地面を蹴って走ってくる。
〈今です〉
合図に合わせ、右へ向けて棒を振る。光が魔物を掠めた。次の瞬間、魔物の鳴き声とともに、焦げた匂いが鼻を突く。
「やったのか?」
〈掠っただけです。それに、魔物は複数います。走り続けてください〉
「分かった!」
息が上がる。足がもつれそうになる。それでも、言われるまま走り続けた。
〈次は左右から来ます。目の前にある大きな木を背にして、振り向いてください〉
俺は言われた通り、大きな木を背にした。振り向く。走り続けてきた身体には、息を整える暇すらない。目の前には、二メートルはある大きな狼型の魔物が八匹。銀色の体毛を逆立て、鋭い牙を剥き出しにしながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。
「さすがに、この数は無理だろ……」
あまりにも多い。その数を前にすると、逆に頭が冴えた。恐怖より先に、冷静な絶望が押し寄せてくる。
〈私の指示に従えば大丈夫です〉
ゼロは、いつもと変わらない声で告げた。昨日の絶望的な状況も、ゼロの指示に従ったことで切り抜けることができた。そのことを思い出し、棒を握る手に力が入る。
〈前に構えてください。倒すことではなく、追い払うことを優先します〉
魔物たちが、じりじりと距離を詰めてくる。低い唸り声が、森の中に響き渡った。そのうちの一体が、痺れを切らしたように地面を蹴る。大きく口を開き、飛びかかってきた。
〈来ます。前に振り抜いてください〉
言われるが早いか、俺は棒を振り抜いた。昨日ほどではない。それでも、紫色の光が強くなり、僅かに伸びた気がした。光の刃が、狙い違わず魔物の頭部を捉える。断末魔の叫びを上げる間もなかった。頭部が焼き切られ、そのまま大きな身体が地面へ叩きつけられる。動かない。息を切らしながら、俺は倒した魔物を見下ろした。信じられない。それでも、手には確かな手応えが残っている。
「……これなら、いけるか?」
思わず呟いた。
〈構えてください。次が来ます〉
浮かれかけていた気持ちを引き締め、慌てて棒を構え直す。仲間が一瞬で仕留められたことで警戒したのか、それまでの勢いが嘘のように消えた。魔物たちは鳴りを潜め、様子を窺うように動きを変える。
〈勢いで来てくれませんか。同時に来られると困りますね〉
目の前に二体。左右に一体ずつ。合わせて四体が、獲物を追い詰める獣の目つきで、ゆっくりと間合いを詰めてくる。次の瞬間。四体の魔物が、示し合わせたかのように同時に走り出した。
〈左に抜けます。魔物に向かって振ってください〉
指示に従い、左から迫る魔物へ向かいながら棒を振る。まだ距離がある。それでも紫色の光は真っ直ぐに伸び、魔物のいる場所まで届いた。だが――。魔物は、それを見切っていたかのように身を翻した。光の刃が空を切る。
〈右から来ます〉
確認する余裕はなかった。勘だけを頼りに右へ棒を振る。手応え。次いで、魔物の甲高い悲鳴が森に響いた。焦げた匂いが鼻を突く。
〈前に飛んでください〉
声と同時に、考える間もなく前へ身体を投げ出した。だが、避けきれなかった。背中に焼けるような激痛が走る。
「ぐあっ!」
勢いのまま地面を転がった。土と枯れ葉の匂いが、鼻先に強く香る。
〈地面と水平に棒を振ってください〉
全身を貫く激痛に呻きながら、それでも腕を動かす。地面を這うように、棒を横薙ぎに振るった。その瞬間。これまでで最も強い光が迸った。紫色の光の刃が伸びていく。行く手を阻んでいた木々ごと、魔物をまとめて薙ぎ払った。複数の魔物を倒したお陰か、割に合わないと思ったのか、残った魔物たちは、振り返らずに引いていった。
〈魔物が引いていきます。目的地まではもう少しです。頑張ってください〉
痛みで意識が朦朧とする。視界の端が霞む。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。ゼロの案内に従い、よろめきながら森の奥へ進んでいく。やがて。木々の隙間から、錆びついた巨大な鉄の塊が姿を現した。長い年月、誰にも触れられていないような、朽ちた構造物だった。その一部が、まるで生き物のように独りでに開いていく。
〈中に入ってください〉
俺は残った力を振り絞り、その内部へ足を踏み入れた。
〈右の部屋に入ってください。目の前の棚にある箱を開け、その中身を飲んでください〉
覚束ない足取りで右の部屋へ向かう。棚に辿り着くと、震える手で箱を開けた。中に入っていたものを、言われるまま口へ運ぶ。なんとか飲み込んだ。
〈お疲れ様でした。もう大丈夫です〉
その言葉を聞いた瞬間。張り詰めていた糸が切れたように、身体から力が抜けた。安心したのか。それとも、限界をとうに超えていたのか。俺はそのまま、意識を失った。
教会:アストラ教(三女神教)
三女神を信仰する宗教組織。内部には思想や教義の解釈の違いから、三つの派閥が存在する。
救済派:人々の救済と慈善活動を重視する派閥。
聖戦派:異端や敵対勢力との戦いを重視する派閥。
真理派:教義や神々の真理の探究を重視する派閥。




