第三話 紫色の光
狭い瓦礫の隙間に身体を丸め、押し込めるようにして身を潜めたまま、俺は震えていた。歯の根が合わない。両腕を強く抱きしめても、震えは一向に収まらなかった。外からは、羽ばたきの音が絶え間なく響いている。その合間に、魔物の甲高い鳴き声が混じる。すぐ近くにいる。そう思うだけで、身体が勝手に震えた。
〈カイ、落ち着いてください。昨日、一緒に拾った棒を取り出してください〉
ゼロの声が、頭の中に響く。俺は震える手を懐へ突っ込んだ。なかなか掴めない。焦りながら何度も指を動かし、ようやく棒を掴んだ。取り出した瞬間、冷たい金属の感触が掌にはっきりと伝わってくる。
〈大きな穴が空いている方から、光の剣が出ます。それで戦いましょう〉
「戦うだって?」
声が上ずった。手に握った棒は、あまりにも軽い。こんな物で、あの魔物と戦えるとは到底思えなかった。
〈私に任せてもらえれば、大丈夫です。それに、ここもいずれ見つかるでしょう〉
その直後だった。轟音が響いた。魔物が放った魔法が、俺の隠れていた瓦礫へ直撃する。岩片が弾け飛び、周囲へ猛烈な勢いで飛散した。耳の奥が、きんと鳴る。
「ぐっ……!」
衝撃に耐えながら、俺は身体を縮めた。
〈私が指示します。三秒後に飛び出してください。二、一……今です〉
反射的に身体を動かした。俺は瓦礫の隙間から飛び出す。直後、先ほどまで潜んでいた場所へ、再び魔法が叩き込まれた。轟音とともに瓦礫が崩れ、石や土砂が背後へ飛び散る。
〈そのまま走りながら、前に棒を突き出してください〉
言われるまま、俺は走りながら棒を前方へ突き出した。その瞬間。棒の先端から、淡い紫色の光が伸びた。細く、鋭い光。それはまるで、何もない空間に突然現れた刃のようだった。
〈右に避けてください〉
俺は咄嗟に右へ飛んだ。次の瞬間、先ほどまで俺がいた場所へ魔法が着弾する。大地が弾けた。
「うわっ!」
衝撃で身体が浮き上がり、そのまま地面を何度も転がる。肘を打つ。膝を打つ。全身を擦り、口の中に土の味が広がった。痛い。それでも、止まれば殺される。
〈すぐに立ち上がり、後ろを向いて構えてください〉
俺は土と血で汚れた手を地面についた。震える足に力を込める。身体が言うことを聞かない。それでも、必死に立ち上がった。棒を握り直し、背後を振り返る。そして、構えた。
〈合図をしたら、棒を敵に向かって前に振ってください〉
目の前に、魔物がいた。巨大な翼を広げ、空中からこちらを見下ろしている。逃げたい。足が竦む。それでも、俺は棒を握ったまま動かなかった。魔物が一瞬、翼を大きく広げる。次の瞬間、猛烈な速度で突っ込んできた。空気を切り裂く羽ばたきが、轟音となって迫ってくる。
〈今です。振り抜いてください〉
考える余裕などなかった。目を閉じたい。それでも、必死に堪えた。俺は両手で棒を握り締め、身体ごと叩きつけるように振り抜いた。
その瞬間だった。棒から伸びていた淡い紫色の光が、爆発するように輝きを増した。光が一気に膨張する。振り抜いた軌跡に沿って、紫色に輝く刃が虚空を走った。次の瞬間、視界を焼き尽くすほどの閃光が周囲を包み込む。
「っ……!」
あまりの眩しさに、俺は反射的に目を閉じた。轟音はなかった。ただ、耳鳴りだけが残っている。
〈終わりました〉
ゼロの声が響いた。瞼の裏に焼きついた紫色の残像が、少しずつ薄れていく。俺は恐る恐る目を開いた。そこにあったのは――。地面に倒れた、ウィンドバットの姿だった。身体は、焼け焦げた傷跡を境に真っ二つに分断されている。切断面からは、まだ薄く煙が立ち上っていた。俺は、その光景を理解できないまま、ただ立ち尽くしていた。
◆
その頃、教会の広場では――。
「遅くなった!」
怒声にも似た声を上げながら、一人の男が駆け込んできた。アルド・グレイヴ。大剣を担ぎ、地面を踏み鳴らしながら、戦場となった広場へ躍り出る。
「ストーンアーマー!」
叫んだ瞬間、アルドの全身を薄い岩の鎧が覆った。空を埋め尽くすウィンドバットの群れを見上げる。迷いはなかった。アルドは、そのまま敵陣へ踏み込んだ。
「アースステップ!」
足元の地面が瞬時に隆起する。重装備の巨体が、まるで地面に弾き飛ばされたかのように、一気に宙へ跳ね上がった。落下の勢いを乗せ、大剣を振り下ろす。直撃。一匹のウィンドバットが地面へ叩き落とされた。
アルドは着地すると同時に、迷うことなくミレイアのもとへ向かった。彼女を庇う位置へ移動する。そして、そこで足を止めた。
「ロックガード!」
ミレイアの前方に、巨大な岩の盾が展開される。直後、アルドは大剣を振るった。迫り来る魔物を、次々と薙ぎ払っていく。その剣は、敵を倒すためだけのものではない。守るための剣だった。
アルドの攻撃によって仲間を次々と叩き落とされ、ウィンドバットの群れは統率を失っていく。甲高い鳴き声が、空一面に響き渡る。やがて群れは、追い立てられるように広場の上空から離れていった。一匹。また一匹。そして数分もしないうちに、ウィンドバットの群れは、空の彼方へ散り散りに逃げていった。
「……ミレイア、無事か」
息を切らしながら、アルドが振り返る。ミレイアは小さく頷いた。
「はい。私は大丈夫です」
だが、彼女はそれ以上言葉を続けなかった。視線の先に、負傷した騎士たちがいる。ミレイアはすぐに彼らのもとへ駆け寄った。
「ヒール」
まだ拙い手つきで、傷口へ手をかざす。淡い光が傷口を包み込んだ。だが、その効果は決して大きくない。それでも、何もしないよりはいい。そう言うかのように、ミレイアは一人、また一人と負傷者の傍らへ膝をついていく。アルドは、そんな彼女を黙って見守っていた。
やがて大剣を鞘へ収めようとした、その時だった。ふと、視線を巡らせる。スラムの先。巨大なゴミ捨て場が広がる方角。瓦礫の隙間から、一瞬だけ強烈な光が漏れた。紫色。ほんの一瞬だった。だが、アルドの目は確かにそれを捉えていた。
「……あれは、何だ」
誰に向けたわけでもない呟きだった。負傷者の呻き声。騎士たちの声。騒然とした広場。それらに紛れ、アルドの声は風にかき消されていく。誰の耳にも届くことはなかった。アルドはしばらくの間、その方角を見つめていた。だが、やがて何事もなかったかのように視線を戻す。
魔物:ウィンドバット
中央世界に住む蝙蝠型の魔物
大きさ:体長は約1.4m、翼を広げると約3.5〜4m
攻撃:中級の風魔法を使う
強さ:単体はさほど強くないが、群れると脅威




