第八話 王都の会議
時は、少し遡る。
アストリア聖王国。その中心に位置する聖都アストラは、三人の女神を信仰するアストラ教の総本山であり、国の政治と信仰の中心でもあった。
この国を治めるのは、教皇にして国王でもあるレオンハルト・アストリア。教会の最高位に立つ彼は、政治と信仰の両面において、国の頂点に君臨していた。その傍らには、聖戦派の枢機卿ヴィクトール・ハーゲンをはじめとする、教会の重鎮たちがいた。
その日、王城の一室に五人の枢機卿が招集されていた。レオンハルトとヴィクトールを含む枢機卿全員に加え、教会騎士団の最高位に立つ大聖騎士も出席している。室内の壁際には、護衛の騎士二人が控えていた。
教皇レオンハルトは救済派に属し、慎重で思慮深い人物だった。周囲の意見によく耳を傾け、十分に検討したうえで結論を下す。対立する意見の調整にも長けた、穏健な統治者である。
五人の枢機卿の内訳は、聖戦派が二人、救済派が二人、真理派が一人。
聖戦派のヴィクトール・ハーゲンは、冷徹な策略家だった。感情を表に出すことはほとんどなく、損得を見極めながら淡々と物事を進める。声を荒らげることなく、静かな圧力で周囲を動かす人物だ。
同じ聖戦派のグレゴール・ダンケルは、その対極にいた。強気で直情的な実力者であり、思ったことを率直に口にする。声を張り上げて議論を主導することも多かった。
救済派のエリーゼ・フォンターナは、冷静沈着で判断力に優れていた。普段は物静かだが、要所では的確な発言で議論の流れを変える。
同じ救済派のパウル・ヴィンターは、情に厚く、涙もろい人情家だった。弱者への同情を隠さず、困窮する人々を見捨てるような意見には、強く反発することもある。
そして、真理派唯一の代表であるマティアス・クロイツ。公式教義に縛られない柔軟な思考の持ち主で、穏やかな口調のまま、物事の本質を突く発言をする人物だった。
そんな彼らが一堂に会したのは、レムスで起きた、ある事件への対応を協議するためだった。
「聖騎士が、レムスで殺された……だと?」
グレゴール・ダンケルが、信じられないといった様子で声を荒らげた。円卓を叩いた拳の音が、静まり返った室内に重く響く。
「目撃者の中には、神話に登場するという紫の光を見た者もいるとのことです」
報告に立った聖騎士団長が、淡々とした口調で付け加えた。感情を排した声音が、かえって報告の不穏さを際立たせている。
「そんなものは神話だ。何かの見間違いだろう」
ヴィクトール・ハーゲンが、感情を交えない声で切り捨てた。手元の書類に視線を落としたまま、顔を上げようともしない。
「真実かもしれませんよ」
静かに口を挟んだのは、枢機卿マティアス・クロイツだった。その言葉に、居合わせた者たちの視線が一斉に彼へと集まる。それでもマティアスは動じることなく、穏やかな表情のまま、ゆっくりと周囲を見渡した。
「言い伝えというものは、たいてい何らかの事実を核としているものです。まったくの作り話だとは、私には思えません」
「戯言を」
ヴィクトールが、抑揚のない声で吐き捨てた。だが、室内には明らかな動揺が広がっていた。魔物との戦闘で命を落とすことは、この国では珍しくない。しかし、今回は事情が違う。聖騎士が、人間の手によって殺された。その事実が、重苦しい沈黙となって一同の間に横たわっていた。
「ふむ……どうしたものか」
レオンハルトが、静かに口を開いた。穏やかな声だったが、その奥には隠しきれない憂慮が滲んでいる。長い指が、椅子の肘掛けをとん、とん、と小さく叩いていた。
「どうしたものか、ではありません」
ヴィクトールの声が、静かでありながら鋭く割り込んだ。氷のように冷たい眼差しが、真っ直ぐに教皇を捉える。
「教会騎士が殺されることを、許すわけにはいきません。相応の対応が必要です」
「対応、というと?」
レオンハルトが穏やかに問い返した。その声には、相手の真意を慎重に見極めようとする響きがあった。
「捜索です。徹底的に行うべきです。犯人を見つけ出し、然るべき裁きを下す。それ以外に、何がありましょう」
ヴィクトールは淡々と言い切った。その発言に、何人かの枢機卿が頷く。しかし、具体的な方針を決める段階になると、議論は進まなかった。誰もが自らの派閥の利益や立場を意識し、意見をぶつけ合うばかりで、話は堂々巡りを続けていた。やがてレオンハルトは、しばらくの沈黙を挟んでから、教会騎士団の最高位に立つ人物へと視線を向けた。大聖騎士フィリベール・オーレンス。聖王国に二人しかいない超級魔法の使い手の一人であり、王都の守護神とまで呼ばれる人物だった。彼は会議が始まってから一言も発さず、ただ静かに議論に耳を傾けていた。
「フィリベールは、どう思う?」
レオンハルトが問いかける。名を呼ばれたフィリベールは、閉じていた瞼をゆっくりと開き、静かに顔を上げた。長い白髭に覆われた口元が、わずかに動く。
「現場では、すでに調査が進められているものと思われます。しかし、それだけで事件の解決に至るとは考えにくいでしょう」
「では、どうすればいい?」
レオンハルトが重ねて尋ねた。教皇の視線には、長年頼りにしてきた人物の意見を求める色が浮かんでいた。
「調査団を派遣してみてはいかがでしょうか」
フィリベールは、落ち着いた声で答えた。その提案を受け、室内の空気がわずかに変わった。
「ならば、聖戦派から人員を出しましょう」
ヴィクトールが、間髪を入れずに申し出た。まるで最初から、その言葉を用意していたかのような淀みのない口調だった。
「お待ちください。調査というのであれば、救済派こそ適任でしょう」
パウル・ヴィンターが、珍しく声を張り上げた。普段の穏やかな様子とは異なり、感情の滲んだ声だった。
「聖戦派の騎士では、荒事に走るだけです。現場の人々への配慮も必要でしょう」
「配慮などと悠長なことを。まずは犯人を見つけ出すことが先決だ」
ヴィクトールが冷たく切り返した。パウルの声に熱がこもる一方で、ヴィクトールの言葉には温度というものが一切感じられなかった。
「どちらの派閥が人員を出すかで揉めている場合ではありません」
救済派のエリーゼ・フォンターナが、静かに議論へ割って入った。しかし、聖戦派と救済派は互いに譲らず、話は一向に進まない。
「私が行きましょう」
見かねたフィリベールが、静かに申し出た。揺るぎない眼差しで円卓を見渡す。その姿には、長年にわたって戦場を歩んできた者だけが持つ、確かな覚悟が感じられた。
「王都を離れるというのか?」
レオンハルトの声には、明らかな戸惑いがあった。王都の守りを担う大聖騎士を送り出すことへの懸念。そして、長年頼りにしてきた相棒を手放すことへの迷いが、その表情に浮かんでいた。
「フィリベール殿がいなければ、王都の守りに穴が空きます!」
グレゴールが声を荒らげて反対した。周囲からも、次々と反対の声が上がる。室内には、不安と困惑がざわめきとなって広がっていった。
「ですが、教皇猊下」
エリーゼが静かに口を開いた。ざわめきの中でも、その声は不思議なほどよく通った。彼女が言葉を続けると、反対の声が少しずつ収まっていく。
「もし本当に、伝承にあるような力が関わっているのだとすれば、並の騎士では太刀打ちできないでしょう。であれば、確実な戦力を派遣すべきです。フィリベール様以上の適任が、ほかにいるとは思えません」
「私も賛成です」
マティアス・クロイツも、落ち着いた口調で続いた。穏やかな微笑みを崩さないまま、静かに頷く。
「未知の力の正体を見極めるという意味でも、これ以上ない人選かと存じます」
レオンハルトは、しばらく目を閉じたまま動かなかった。誰もが固唾を呑み、教皇の決断を待っている。窓の外から、遠く教会の鐘の音がかすかに響いていた。
「分かった。フィリベール、頼めるか」
「はっ」
フィリベールは静かに頭を下げた。その姿には、長い年月を戦場で過ごしてきた者だけが持つ、凛とした覚悟が宿っていた。レオンハルトは、それでもなお、拭いきれない懸念を表情に残したまま、小さく息を吐いた。




