第四話 千年前の真実
〈危機は去りました。休んでください〉
ゼロの声が、いつも通り淡々と告げた。だが、体の芯には、先ほどの戦闘で高ぶった感覚がまだ燻っていた。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。仰向けになって目を閉じても、眠気は一向に訪れなかった。消えた焚き火の残り香が風に乗って漂い、焼け焦げた狼の匂いが鼻の奥にこびりついている。瞼の裏には、消えたはずの焚き火の残り火が、今もちらついているような気がした。
「ブレードも強いと思っていたけど、この防護服も凄いな。魔物に噛まれても平気だったし、吹き飛ばされたときも、思ったほど痛くなかった」
以前、背中を切り裂かれたときのことを思い出しながら、そう続けた。あのときの焼けるような痛みは、今も体のどこかに刻まれている。服の上から腕をさすると、薄い布地の下で、疲労した筋肉がかすかに震えていた。
〈良い質問ですね。実は、私も気になっていました。本来、防護服は強化服の下に着るものです。今回の魔物の爪や牙程度なら破られることはありませんが、そこまで高い防御性能を備えているわけではないのです。さらに、対魔力妨害装置も、本来なら魔力そのものを消し去るほどの効果はないはずです〉
「こんなに薄い服なのに、魔物の攻撃を防げるなんて凄いと思ってたのに……」
それほど強度がないと聞き、じわりと冷たい汗が滲んだ。今になって、自分が薄氷の上を渡ってきたような気がしてくる。先ほどまで頼もしく感じていた防護服が、急に心許ないものに思えた。背筋を撫でる夜気まで、先ほどより冷たく感じられる。
〈強化服の防御性能は、防護服とは比較になりません。実物を見れば、その意味が分かると思います。早く手に入れましょう〉
「そうだな。さっきまでは凄く心強かったけど、急に不安になってきたよ」
俺は苦笑いを浮かべた。それでも、強化服という次の目標が、心のどこかに小さな灯りをともした気がした。消えた焚き火の代わりに、その灯りだけが、暗い森の中でかすかに温もりを感じさせてくれた。
〈話を戻しますが、今回あなたを襲ったファングウルフについてです。私の記録では、全長四メートル以上に達する個体も確認されています。ところが、今回の個体は約二メートル。半分ほどの大きさでした。最初は幼体かとも考えましたが、二度にわたって襲撃を受けても四メートル級の個体が現れなかったことから、あれらも成体だった可能性が高いと考えられます〉
「ゼロのデータってことは、千年前か、その頃の記録だろ。それと比べて半分になったってことか? 何か理由があるのか?」
〈確証はありませんが……世界の魔素が減少したことが原因ではないかと考えています〉
「魔素が、減った?」
俺は理解できず、思わず呟いた。聞き慣れない言葉が、頭の中でうまく像を結ばない。身を起こして座り直すと、黒く沈んだ木々の梢の向こうに、星々がかすかに瞬いていた。
〈少し、昔話をしましょう。千年前、この大陸には大きく分けて二つの文明圏が存在していました。西側に位置していた魔法文明圏。そして、東側に広がっていた機械文明圏です。カイが今いるこの場所は、魔法文明圏にあたります〉
「そうなると、機械文明圏っていうのが、ゼロのいた場所なのか?」
〈そうです。基本的に、魔法文明圏には魔力を持つ者が、機械文明圏には魔力を持たない者が暮らしていました〉
「魔力がない人も、俺以外にいたのか?」
俺は思わず声を上げた。胸の奥で、何かが小さく波立った。長い間、スラムで自分だけが異常なのだと思い込んできた。その自分と同じ人間が、ほかにも存在する。たったそれだけの事実が、俺には思いもよらないほど大きな衝撃だった。
〈そうです。現在も、東側には魔力を持たない者たちが暮らす街が残っている可能性があります。そして、千年前、この二つの文明圏は戦争を始めました〉
「どうして、戦うことになったんだ?」
〈機械文明圏は、文明を発展させるために大規模な自然破壊を進めていました。それに対し、魔法文明圏は何度も開発をやめるよう抗議していたのです。魔法文明圏の主張によれば、魔素は自然に宿るものであり、自然が破壊されれば、世界全体の魔素が減少するとのことでした〉
ゼロは、いつもの落ち着いた調子で説明を続けた。
〈しかし、機械文明圏はその主張を取り合いませんでした。魔力や魔法という現象は確認されていたものの、魔素そのものを観測できなかったためです。そして、決定的な事件が起きました。魔法文明圏が霊峰として神聖視していた山を、機械文明圏が開発してしまったのです〉
「どうして、相手が大切にしている場所を開発しようとしたんだ? 山なんて、ほかにもいくらでもあるだろ」
〈機械文明圏も、最初から戦争を望んでいたわけではありません。そのため、魔法文明圏にとって重要な場所は避けて開発を進めていました。ところが、機械文明圏に属する一つの企業が、密かにその山の開発を行っていたのです〉
「企業?」
〈こちらの世界で言えば、ギルドのような組織です。その企業は、そこからしか採掘できない希少な鉱物を求めていたようです。その事実を知った魔法文明圏は激怒し、機械文明圏に対して攻撃を開始しました。機械文明圏も反撃に出たことで、局地的な衝突は、やがて二つの文明圏を巻き込む大戦へと発展してしまったのです〉
「それで、どうなったんだ?」
問いかける声が、自分でも驚くほど低くなった。いつの間にか、膝を抱える腕に力が入っている。
〈戦争は、機械文明圏が優勢でした。一時は魔法文明圏の奥深くまで侵攻しています。しかし、機械文明圏も一枚岩ではなかったのです〉
ゼロは一拍置いてから、話を続けた。
〈各企業は協力して戦争を進める一方で、それぞれが独自の思惑を抱えていました。戦場を実験場として利用し、新技術や新兵器の性能を試す企業もあれば、優勢に乗じて西側に研究施設を建設する企業もありました。勝利を目前にして、油断もあったのでしょう〉
ゼロの声には、感情の揺らぎはなかった。だが、その説明は、俺が想像していた戦争とは大きく異なっていた。
〈戦争の末期には、もはや二つの文明圏だけの戦いではなくなっていました。企業同士が争い、AIが人類に反旗を翻し、生み出されたキメラが暴走する。各地で環境汚染が進み、荒廃した大地が広がっていきました〉
〈魔法文明圏も、最後の手段として、術者の命を代償に超級魔術を発動しました。その結果、大陸中央の主戦場は、人が住むことのできない魔物の世界へと変貌したのです。もはや、戦争を続けている場合ではありませんでした。両文明圏は、中央から押し寄せる脅威への対処を余儀なくされ、戦争は自然と下火になっていったのです〉
千年前の戦争について聞かされ、俺は言葉を失った。あまりにも壮大で、あまりにも重い話だった。炎に包まれる大地。空を覆い尽くす鉄の艦。命を燃やし、魔術を放つ人々。そんな光景が、断片的に頭の中へ浮かんでは消えていく。今、自分が立っているこの世界の足元に、これほどの犠牲が積み重なっていたとは、想像もしていなかった。
〈魔法文明圏の主張が正しかったとすれば、戦争による大規模な自然破壊は、世界の魔素を減少させる一因になったと考えられます。さらに、この千年間も環境の回復が十分に進まなかったのでしょう。その結果、魔素が大きく減少し、魔物の体格が小さくなった。加えて、魔素の減少によって対魔力妨害装置の効果が相対的に強まった可能性もあります〉
「なるほど。千年前に大きな戦争があって、その頃と比べて魔素が減っている。そこまでは理解できたよ」
〈今は、その理解で問題ありません。私が伝えたかったのは、私の知っている魔法文明圏と比べて、現在の魔法文明圏はかなり弱体化している可能性がある、ということです〉
「弱くなっているのか。全然、そんな気はしないけどな」
そう答えながらも、俺の心には、ずっと拭えない違和感が残っていた。自分だけが、何かとても大きな流れの中に、いつの間にか放り込まれている。そんな気がしてならなかった。夜風が木々の葉を揺らし、ざわめきが森の奥へと広がっていく。その音は、まるで千年前の戦場から流れ着いた残響のように、俺の耳の奥で低く響き続けていた。




