第十六話 悪魔と呼ばれて
睨み合いが続いていた。ラグナは槍を構えたまま、身じろぎ一つしない。その周囲を固める騎士たちも、油断なくこちらを見据えていた。張り詰めた沈黙が、重苦しく辺りを覆っている。俺は光学ブレードを握りしめ、震える身体を必死に押さえつけていた。恐怖で足がすくみそうになる。それでも、目だけは逸らさなかった。騎士たちの視線には、明らかな警戒が滲んでいた。淡い紫色の光を放つ、見慣れない武器。その正体が分からないことへの不気味さが、彼らの警戒心を刺激しているのだろう。だが、その視線に含まれているのは警戒だけではなかった。所詮はスラム育ちの痩せた子供。まともに剣を握ったこともない小僧が、何を粋がっているのか。そんな侮蔑の色も、確かに残っていた。
「もう逃げ場はないぞ。大人しくついてこい」
ラグナの声が響く。俺は答えなかった。喉は乾ききり、声を出そうとしても、うまく言葉にならない。ただ、目の前の男を見つめ返した。
「答えないか。腕の一本や二本は、覚悟してもらうぞ」
ラグナは槍を構えたまま、ゆっくりと距離を詰めてきた。一歩。また一歩。その動きに迷いはない。間合いへ踏み込んだ瞬間、ラグナの身体がわずかに沈んだ。次の瞬間、攻撃へ移ろうとしたその体勢が、不自然に崩れた。
「なんだ、これは……」
困惑の声が漏れる。ゼロの妨害装置が作動したのだ。ラグナの身体を常時覆っていた魔力による強化が弱まり、身体能力が急激に低下した。これまで意のままに動いていたはずの身体が、突然、重くなったのだろう。ほんの一瞬。それだけの変化だった。
〈今です〉
ゼロの声が響いた。好機と呼ぶには、あまりにも短い隙だった。それでも、俺の身体は動いていた。握りしめた光学ブレードが駆動音を響かせ、紫色の光を放ちながら刀身を伸ばす。その光は、以前のものとは明らかに違っていた。制御を振り切るかのような、荒々しい輝き。俺は考えることをやめ、ただ目の前の相手に向かって、全力で刃を振り抜いた。ラグナは体勢を崩しながらも、反射的に槍を持ち上げた。歴戦の聖騎士として培ってきた経験が、咄嗟の防御を可能にしたのだろう。だが、防げなかった。紫色の光刃が槍を切断し、そのままラグナの肩口から胸元へと斜めに走った。
「ッ……!」
短い呻きが漏れた。焦げた匂いが鼻先をかすめる。焼き切られた肩口から胸元にかけて、傷口は血を流すことなく、黒く焼け焦げていた。ラグナの身体が、ゆっくりと傾いていく。
「……化け物、が」
それが、最後の言葉だった。切断された槍が、乾いた音を立てて地面に転がった。続いて、ラグナの身体が崩れ落ちる。それきり、二度と動かなかった。静寂が、辺りを支配した。誰一人として、声を発する者はいない。騎士たちは目の前で起きた出来事を理解できず、ただ倒れたラグナと、俺の手にある光学ブレードを交互に見つめていた。
「あ、悪魔だ……!」
やがて、誰かが悲鳴じみた声を上げた。その一言をきっかけに、騎士たちが次々と後ずさっていく。
「聖騎士様が、一撃で……!」
「近づくな! あれは人間じゃねえ!」
先ほどまで俺を取り囲んでいた騎士たちは、誰一人として踏み込んでこようとしなかった。恐怖に染まった顔。武器を握る手の震え。互いに距離を取りながら、俺の動きを警戒する視線。そこには、先ほどまでの侮蔑など、欠片も残っていなかった。俺は光学ブレードを握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。いつの間にか、身体の震えは止まっていた。
人を殺した。頭では、その事実を理解している。それなのに、不思議なほど実感が湧かなかった。スラムでも、一度、人を殺している。あの時は恐怖に支配され、何も考えられないまま逃げ出した。だが、今は違った。目の前にあった脅威が消え去ったことへの、鈍い安堵。それだけが、胸の奥に残っていた。地面に横たわるラグナの身体は、ぴくりとも動かない。それが何を意味するのか、分からないはずがなかった。それでも、悲しみも、罪悪感も、思っていたほどには湧き上がってこない。そんな自分自身に、俺は薄気味悪さを覚えた。人を殺したことよりも、殺したことに何も感じられない自分のほうが、恐ろしかった。それでも、目の前の騎士たちに何かを伝える気にはなれなかった。彼らが俺を何と呼ぼうと、もう関係ない。そう思おうとした。だが――。悪魔。誰かが口にしたその言葉だけが、いつまでも耳の奥に残り続けていた。




